1954年8月23日午前11時30分頃、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク発アイルランド・シャノン経由オランダ・アムステルダム行きKLMオランダ航空のDC-6B(PH-DFO)が、オランダ・Dutch coast北方沖合約37Kmの北海に墜落した。
この事故で乗員9名、乗客12名、計21名全員が死亡した。
事故機は午前9時29分にシャノン空港を離陸した。午前11時30分頃、事故機はアムステルダムのエリアコントロールセンターにSpykerboorビーコンに向けて降下を開始していること、Spykerboorビーコン上空通過予定時刻を午前11時37分であることを報告した。アムステルダムのエリアコントロールセンターはSpykerboorビーコン上空高度5500ft以上での通過を許可した。エリアコントロールセンターは通過許可高度を4500ft、3500ft以上と下げていき、午前11時35分には2500ftへの降下を許可したが、この許可に対する事故機の応答はなかった。
事故当時、現場付近の天候は雨で海上は荒れていた。低い雲と雨と荒れた海が捜索活動を妨げ、海上に浮遊した破片をBergen近郊のDutch coast沖合の海上で確認したのは午後4時10分であった。残骸の引き上げ作業は同年の11月25日に機体全体の50%弱を回収し終了した。
事故原因として、電気系統の過熱で大量の煙が発生した、高圧ボトルの爆発、コックピットの風防ガラスの崩壊、自動操縦装置の故障など多くの仮説が立てられ、検討されたが、いずれも確証を得ることが出来ず、1955年11月、事故原因不明の報告書を残して公式の事故調査は終了した。
事故機は1952年に製造された。