1954年4月23日午後9時25分、アルゼンチン・メンドサ発同国コルドバ行きAerolineas ArgentinasのDC-3(LV-ACX)が、着陸進入中に同国Sierra del Vilgo近郊の山岳地帯に墜落した。
この事故で、乗員4名、乗客21名、計25名全員が死亡した。
事故機はメンドサを午後6時47分に離陸したが、コルドバ付近には強い乱気流が存在したため、La Riojaへのダイバートを決めた。午後9時25分、事故機はLa Riojaへの到着予定時刻を午後9時40分と報告したのを最後に消息を絶った。残骸は3日後に定められた航路を逸脱した地点で発見された。
航路を逸脱した理由は事故調査によっても明らかにはならなかった。機長(PIC)は、航空会社の運航マニュアルに反して計器進入が必要な気象状況において計器進入を行わず、さらにミニマムを割りこんで降下する決定をした。事故調査報告書は運航乗務員の疲労が事故の誘因となった可能性を指摘している。