1953年3月3日午前3時35分頃、パキスタン・カラチ発ビルマ(現ミャンマー)・ラングーン(現ヤンゴン)行きのカナダ太平洋航空(エア・カナダの前身)のデハビランドDH-106コメット1A(CF-CUN)が、カラチを離陸滑走中に失速し、河川敷に墜落した。
この事故で乗員5名、乗客6名、計11名全員が死亡した。乗客はコメットの路線就航をサポートするために派遣されるデハビランド社の技術者達であった。
事故機はオーストラリアでのカンタス航空向けデモフライトを兼ねたデリバリーフライトの途中であり、最大離陸重量に近い重量での離陸時に失速して墜落した。
事故機は機首が上がったものの、主脚がなかなか滑走路から浮揚しなかった。結局滑走路と過走帯の合計2400mを走過したところで、排水溝に脚を引っ掛けた。バランスを崩した機体は滑走路近くの水路に墜落し、炎上した。
公式の事故調査は操縦ミスを事故原因としたが、コメットには離陸時に失速しやすい欠点があることが分かった。コメットにはスラットは装備されていなかった。コメット以後の旅客機はスラットを装備するようになった。
本件事故後、コメットの離陸方法は改訂され、ローテーション速度の5ノット手前までノーズギアを滑走路に接地させておくことになった。本件事故は、ジェット旅客機史上初の乗客を巻きこんだ死亡事故となった。
事故機は1952年に製造された。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デヴィッド・ビーティ | 「機長の真実」 | 講談社 | 2002年 | 221頁 |
デイヴィッド・オーウェン | 「墜落事故」 | 原書房 | 2003年 | 51頁〜52頁 |