1973年7月20日、パリ発羽田行き日本航空(日本航空インターナショナルの前身)ボーイング747-246B(JA8109)が、経由地のオランダ・アムステルダムを離陸後、日本赤軍1名とパレスチナゲリラ4名にハイジャックされた。同機はドバイ、ダマスカスを経てリビア・ベンガジ空港に着陸した。機体は、7月24日人質全員が解放された後、犯人により爆破された。
余談ではあるが、爆破により機体は全損となったものの尾翼部分は損傷がなかったため、尾翼はKLMオランダ航空に売却され、同社のボーイング747-206B(PH-BUF)に装着された。このPH-BUFは、1977年3月27日にパンアメリカン航空のボーイング747とカナリー諸島サンタクルス・デ・テネリフェ島(スペイン領)のテネリフェ(ロス・ロデオス)空港滑走路上で衝突し両機で合計583名の死者出したその機体である。