事例詳細

(事例No,20050812ji)

 2005年8月12日午後7時46分頃、福岡発アメリカ・ハワイ州ホノルル行きJALウェイズ58便DC-10(JA8545)が、福岡空港を離陸直後、福岡県東区上空高度約150mを上昇中に第1エンジンの排気ガス温度が上昇したため同エンジンを停止し、高度約2100mまで上昇した後、付近の海上を旋回しながら燃料約50tを投棄し、午後8時20分に福岡空港に着陸した。
 運航乗務員3名、客室乗務員10名、乗客216名、計229名は全員無事であったが、地上の5名が、落下したエンジンの破片に当たるなどして軽傷を負った。うち3名は病院で診察を受けた。
 同機は午後7時45分に離陸し、約1分後にエンジンから大きな火が出た。
 落下した破片は数mmから約3cmで、福岡空港の北約1kmの福岡市東区社領の住宅街周辺に多数落下し、近くのスポーツ広場でサッカーの練習試合をしていた小中学生20数名のうち4名と近くに住む会社員1名の計5名が指の火傷や打撲傷の軽傷を負った。また、車両のフロントガラスがひび割れるなどした。同日と翌13日に福岡県警が警察官約110名を動員して周辺を捜索したところ、スポーツ広場から200個超、合計600個超の破片が回収された。
 乗客によると、離陸直後下から突き上げるような「ドーン」という音がして、窓から赤い光が流れていくのが見え、機内ではどよめきが起きたという。また、地上の目撃者によると、同機から「ドーン」という大きな音がした後、左エンジンが大きな赤い火を噴いたという。周辺住民からは本件に関する通報が警察に9件寄せられた。
 乗客は翌13日夜の同便ボーイング747でホノルルに向かったが、約60名は旅行を取りやめた。 第1エンジン(JT9D)は、1980年2月にプラット&ホイットニー社で製造され、別の機体に取り付けられていたが、2002年7月3日にオーバーホールを終え、同機に取り付けられたものであり、製造後の運転時間は60599時間、オーバーホール後の運転時間は10076時間であった。また、同年6月18日には600運転時間毎に行う内視鏡検査を受けており、その際は異常は見つからなかった。最後の内視鏡検査後の運転時間は397時間であった。
 着陸後の点検で、第1エンジンの排気ノズル付近から、数十個の金属片が見つかった。また、翌13日に行われた内視鏡検査の結果、エンジン内に6段あるタービンブレード(ニッケル超合金製)の2段目以降の約100枚の一部と静翼が破損しているのが発見され、これにより空気の流れが乱れて異常燃焼を起こし炎を噴出、ブレードの破片は地上に飛散したものと推測された。エンジンの炎は当初火災と報道されたが、異常燃焼であったことが分かった。
 国土交通省は、本件発生を受けて同日午後10時に対策本部を設置したが、結局翌13日には、航空事故にも重大インシデントにも該当しないと判断し、調査官を派遣しないことを決定した。なお、2005年11月2日に報道されたところによると、国土交通省が、アメリカ連邦航空局(FAA)を通じて、エンジンメーカーのプラット・アンド・ホイットニー社に破損部品の精密検査を行わせたところ、高温に耐え得るはずのニッケル超合金製のタービンブレードが、エンジン内の熱で劣化し腐食が急速に進んで強度が低下、離陸推力にした際に破損したことが判明した。日本航空では、2001年6月に名古屋空港を離陸直後の同社DC-10に搭載されたJT9Dでブレードの金属片を落下させる同様のトラブルが発生した後、プラット・アンド・ホイットニー社の飛行時間2000〜3000時間毎に腐食検査を行う旨の指示に基づいて、通常のジェットエンジンの点検間隔よりはるかに短い2500時間毎に内視鏡を用いて腐食検査を行っていたが、本件エンジンの異常を発見できなかった。このことから国土交通省では、メーカーが想定したよりも腐食の進行が早く、指示した検査間隔が長すぎたと見て、メーカーにさらに詳しい調査を求めると共に、JT9Dについて検査の間隔の短縮を指示し、日本航空では同月中には同型エンジンを搭載する11機のボーイング747について、飛行時間1250時間毎に検査間隔を短縮する措置をとった。なお、日本航空では、2006年2月からは検査間隔をさらに短縮し、1000時間毎に施行している。
 2006年2月10日、国土交通省は本件についてエンジンの検査間隔が空き過ぎていたとして、メーカーのプラット・アンド・ホイットニー社の指示が不適切だったとする調査結果を公表し、日本航空に対し同型のJT9Dエンジンの検査間隔を短縮するよう指示した。プラット・アンド・ホイットニー社は、エンジンの定期検査(内視鏡を用いた腐食検査)を2500時間に1回行うよう指示していたが、本件は前回の検査から2292時間後に発生した。調査結果によると本件発生の原因は、エンジン内のタービンブレードの先端に、エンジンが吸い込んだ小さな粒子で削られた穴が空き、内部の冷却空気が循環しなくなって強度が低下し、離陸時にエンジン出力を上げた際、高熱と負荷で一気に破壊したと推定される。なお、吸い込んだ粒子については、火山灰などが考えられたが特定はできなかった。
 日本航空は、日航ジャンボ機墜落事故が、本件発生当日で20年を迎えたのを受けて、社長が安全運航を誓ったばかりであった。本件の発生について日本航空は本件発生翌日の2005年8月13日付で同社ウェブサイトにお詫びを掲載した。また、調査結果が公表された2006年2月10日にも再度同社ウェブサイト上にお詫びと再発防止策を掲載した。
 日本航空グループでは、2006年度末を目処に現在保有するDC-10型5機について、全機売却する予定であったが、本件発生により、時期を早め2005年10月31日をもって全機を退役させた。


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