事故詳細

(事故No,20070313ja)

 2007年3月13日午前8時49分頃、大阪(伊丹)発高知行き全日空(運航はエアーセントラル)1603便ボンバルディアDHC-8-402(Q400)(JA849A)が、高知空港への着陸進入中に前輪が出なくなり、管制塔に報告を行なった。同機は約2時間にわたり燃料消費のため高知空港上空を旋回した後、午前10時54分に主脚のみで着陸した。
 この事故で、乗員4名、乗客56名、計60名は全員無事であった。
 同機は午前8時21分、大阪国際空港を離陸し、午前8時55分に高知空港に到着する予定であったが、ギアダウンの際に前輪が出なかった。運航乗務員と地上のエンジニアの間で検討が行なわれ、まず、午前9時17分頃、滑走路上をローパスし前輪が出ていないことを地上から目視で確認した。次いで、急旋回の反動で前輪を出そうと試み、さらに接地の衝撃で前輪を出そうと午前10時25分頃にタッチアンドゴーを行なったが前輪は出なかったため、再度上昇した。機長は胴体着陸を決断し、さらに上空待機により燃料を減らしたうえ、午前10時54分に主脚のみで着陸を行った。機長は、主脚の接地後充分に速度を落としてから、機首部分を接地させた。機体が停止するまでの間、機首部下面を滑走路上に約350mにわたり擦りつけたが、火花が散る程度で火災は発生しなかった。午前11時6分、前方右側のドアが開き、乗客が次々に約50cm下の地面に飛び降りる形で降機した。機体が擦りつけられた滑走路面では30m間隔で埋め込まれていた灯火11基が破損しているのが確認された。
 客室内では緊急着陸に備え、客室乗務員の指示で乗客が前後の非常口周辺の座席に分かれて座り直し、衝撃防止姿勢の説明が行なわれ、ネクタイ等の危険物も外すなどの準備が進められていた。万一に備えて名刺などに筆を走らせた乗客もいた。着陸に成功した際には拍手が起きた。
 全日空機上空待機の報を受けて、政府は午前9時45分に、首相官邸に情報連絡室を設置した。また、防衛省では、内閣官房及び国土交通省から連絡を受けて陸上自衛隊第14施設中隊と海上自衛隊小松原基地のヘリコプター部隊が災害派遣要請に備え待機した。また、滑走路周辺に消防車十数台、救急車数台が待機した。
 DHC-8の脚は、通常は油圧で操作するが、油圧が故障した際は手動でも降ろせるように設計されている。本件では、手動でも降ろすことが出来なかった。
 国土交通省は、同日、国内航空会社5社が保有するDHC-8シリーズ全36機に耐空性改善通報(TCD)を出し、脚部と脚部の作動機構の緊急点検を命じた。
 同型機については、これまでにも各種のトラブルが相次いでいた。国土交通省によると運航に影響したDHC-8のトラブルは2005年には44件発生し、そのうちDHC-8-Q400の事例は26件であった。この26件のうち、車輪の格納関係は8件、次いでエンジン関係が4件、与圧関係が3件などであった。脚がらみでは、2005年2月に右主脚が格納できなくなるトラブル、2005年10月に全ての脚が上がらなくなるトラブル、2006年2月と6月には、脚が出ず手動で降ろしたトラブルが発生している。多発するトラブルを受けて、全日空では、製造元のボンバルディア社と共同でプロジェクトチームを設置して調査しており、油圧系統に製造段階でミスがあり、油圧系統に空気が混入して油圧ポンプの故障を引き起こしていたことなどが分かっており、改善を求めていた。
 国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、本件を航空事故に指定した。
 事故翌日の航空・鉄道事故調査委員会の調査により、前輪格納部分の開閉扉を動かすアーム(連結器)のボルト1本(直径8mm、長さ4.5cm)が脱落し、ボルト周囲を覆いアームが折れ曲がる部分の軸となる管状の金属製部品ブッシング(直径1cm、長さ3cm)が、通常の位置から後方に約1cm飛び出し、開閉装置全体を固定している三角形の支持材に引っかかってアーム部が曲がらなくなり、扉も開かなくなったことが分かった。前輪格納部分内部からは、このボルトと規格が同じで長さが異なるボルト1本が見つかった。この他、このボルトを締めるナットと緩み防止用のピンがなくなっていた。製造時に長さが異なるボルトを使用した可能性が指摘されている。
 格納扉が開かなくなったために、通常の脚下げ操作でも手動操作でも前脚が降りなかったと見られる。アーム部はアルミ製のカバーで覆われており、4000時間毎のC整備の対象となる他は、日常の点検対象になっていないかった。事故機はまだ飛行時間が2966時間52分(3月10日現在)で、C整備の基準に達しておらず、C整備は受けていなかった。4000時間毎の点検間隔は、製造国カナダが設定したものであった。3月15日、国土交通省は、同型機(DHC-8の100型、300型、Q400型)の前輪部分の詳細な目視点検の間隔をこれまでの4000時間(C整備)から400時間毎(A整備)に短縮するように航空各社に指示し、航空・鉄道事故調査委員会は、ブッシングなどを分析のため国土交通省に持ち帰り、現地での調査を終了した。
 本件事故の発生により高知空港は閉鎖され、3月13日午後に事故機が撤去された後も、滑走路灯の修復等が行なわれたため、運用が再開されたのは3月14日午前7時30分のことであった。
 事故機は2005年6月に製造された。


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