2004年9月23日午後3時5分頃、鹿児島発大阪(伊丹)行き日本航空ジャパン(日本航空インターナショナルの前身)2408便MD-90-30(JA002D)が、高知空港の南約80kmの太平洋上空高度約6300mを巡航中に乱気流に遭遇した。
この事故で乗員6名、乗客174名、計180名のうち乗客1名がやけどで重傷を負い、乗客2名がやけどで軽傷を負った。なお、重傷者は1歳の男児でその母親も軽傷を負った。
事故機は午後2時36分鹿児島空港を離陸した。乱気流遭遇当時、機内では飲み物のサービス中で、中程度の揺れでサービス用カート上のポットが倒れ、ホットコーヒーがこぼれて通路脇の3名の乗客にかかった。ベルト着用サインは点灯していた。
国土交通省は本件を航空事故に指定した。
国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、2005年9月30日に事故調査報告書を公開した。事故調査報告書によると、事故当時、客室乗務員が客室後方で飲み物のサービスを行っており、乱気流の激しい揺れでカート上のポットが転倒してふたがはずれ、母親に抱かれて座席に座っていた1歳10ヶ月の男児にポット内の大量のホットコーヒーがかかった。男児は腹部から右足にかけて赤く腫れ、尻などの皮がめくれた。客室乗務員は、保冷剤を当てるなどの応急処置を施したが、一刻を争うほどではないと判断し、機長も皮がめくれているとの報告は受けたが大事には至っていないと判断して、クリーニング券の手配を地上に無線で依頼したが、救急車の手配や緊急着陸の要請を行わなかった。着陸後に引継ぎを受けた地上職員も空港近くの病院を紹介しただけで、救急受診させず、一般患者扱いで受診させた。男児は翌日に専門医の診察を受けた結果、全治1ヶ月の重傷と診断された。男児の母親は事故調査委員会の事情聴取に対し、客室乗務員に救急車の手配を依頼したら、「ちゃんとやっています」と言われたが、降機時に優先的に降機させるような配慮はしてもらえず、降機後すぐ病院に連れて行きたいと地上係員に言うと、子供の状況も確認せずに「タクシーで行ってください」と言われた旨、日本航空の対応について証言している。
事故調査報告書は、乗員の対応について、負傷者の怪我の程度を軽く見て救急車を手配しなかったとし、幼児がやけどをしたことを考えれば、軽傷だったとしても、後になって予見していない症状が現れる恐れがあること、乗客がやけどを負った際の対応マニュアルが客室乗務員の間で周知徹底されていないことなどを指摘した。
また、事故調査報告書は、乱気流に遭遇したことについては、副操縦士がコックピットの気象レーダーを十分に確認せず、進行方向にあった発達中の強い積乱雲を未然に発見できなかったためと指摘し、同じ飛行ルートを、事故の前後30分間に計20機が飛行していたが、事故機の他は全て直前で積乱雲に気づき、回避していたことから回避は可能であったとしている。