2004年1月1日午後4時20分頃、鹿児島発徳之島行き日本エアシステム(日本航空インターナショナルの前身)(運航は委託を受けたハーレクィンエアが行っていた)979便MD-81(JA8297)が、徳之島空港に着陸後、左主脚を折損した。機体は左に傾き左主翼を滑走路に接地させた状態で引きずりながら停止した。
この事故で乗員6名、乗客163名、計169名のうち、男性乗客1名が腰を打ち軽傷を負った。その他女性乗客1名も妊娠中であったため検査をするために病院に運ばれた。
同機は着陸後、滑走路を約1000mに渡り減速しながら走行していたが、ほぼ減速が終了した時点で、左主脚が後方に折れ曲がった。燃料漏れや火災は発生しなかった。1月2日の鹿児島県警の実況見分で、左主脚の格納扉が滑走路と接触して出来た跡が1100mに渡って残っていたこと判明し、着陸直後に主脚は折損していたと見られている。乗客は客室乗務員の誘導で前方乗降口から滑走路に降りて徒歩でターミナルビルに移動した。乗客の多くは帰省客であった。
本件事故後、同空港は閉鎖された。機体は滑走路上で自力走行できない状態にあったため、翼をジャッキで持ち上げて台車に載せて、折れた主脚部分を取り外し移動しやすくしてけん引車で動かす方法で、1月3日早朝から、JAS関係者約30名が撤去作業を行った。500m程移動した段階で主脚を交換する方法に変更し撤去作業を行ったが、空港が再開されたのは1月4日のことであった。この事故で帰省客を中心に約2300人に影響が出たものと見られている。
同機は鹿児島空港を午後3時25分に離陸した。鹿児島空港での点検では異常はなかった。JASの規程では主脚は着陸回数20000回超か使用年数10年超の何れかを満たした場合に交換されることになっており、同機の主脚もこの規程に基づき2000年4月に交換されていた。
国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は1月4日に本件を航空事故に認定した。
2006年7月28日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、事故前から左主脚ショック・ストラット・シリンダーに発生していた小さな亀裂が進行して破断したことが事故原因とする事故調査報告書を公表した。事故機の主脚部品の破断面を調査したところ、長さ1mm以上の疲労亀裂が7か所あったが、いずれも通常の点検作業で発見できる大きさではなかった。なお、同報告書は製造元のボーイング社が設定した点検間隔は長すぎて不適切であったと指摘している。
事故機は1990年に製造され、同年8月から運航されていた。