事故詳細

(事故No,19970608ja)

 1997年6月8日午後7時48分頃、香港発名古屋行き日本航空(日本航空インターナショナルの前身)706便MD-11(JA8580)が、三重県志摩半島上空高度約17000ftを降下中、機体が乱高下し、機体のピッチ角が大きく上下に変動した。
 この事故で乗員11名、乗客169名、計180名のうち乗員1名、乗客3名、計4名が重傷を負い(うち客室乗務員1名が意識不明の重体となり、1年8ヶ月後に死亡。)、乗員4名、乗客4名、計8名が軽傷を負った。
 運輸省は本件を航空事故に指定した。
 1999年12月17日、運輸省航空事故事故調査委員会は報告書を公表し、事故機は降下中に20秒間で約20ノットもの急激な速度増加に見舞われ、最大運用速度を超過したため、機長は降下率を減らすことで減速しようとし機首上げの操作をしたが、その際自動操縦装置の指示する昇降舵の舵角から、実際の舵角が許容量を超えて変位したため、自動操縦装置が解除された。自動操縦装置は、機長の機首上げの操縦に抑制的に働いてきたが、解除されたことで急激なピッチアップが生じ、その後のピッチの安定を図るための機首上げ、下げの操縦操作とMD-11の縦安定特性の相互関係が、ピッチの変動を持続させたと原因を推定した。報告書は負傷者のうちシートベルトを着用していたのは軽傷者に1名いたのみで、他は全員未着用であったことから、シートベルトの未着用が被害の発生に関与したとの点も指摘している。
 なお、MD-11の自動操縦装置は乗客の快適性に配慮されたプログラムとなっており動作が緩慢であった。また、MD-11は、巡航中は主翼内の燃料の一部を水平尾翼に移して重心を後部に移動させて燃費を向上させ、降下に転じると、操縦の安定性を増すために燃料を主翼に戻し重心を元に戻すシステムを採用しているが、本件のように巡航中に不意に自動操縦が外れた場合、操縦安定性が低く危険な状況を招きやすいとの指摘がある。
 2002年5月14日、名古屋地方検察庁は機長を業務上過失致死傷罪で名古屋地方裁判所に在宅起訴した。起訴状によると、機長が解除ボタンを押して自動操縦を解除した後、手動操縦で減速すべきところ、無理な力を加えて操縦したため不意に自動操縦装置が解除され、機体を上下させたと指摘。事故は予見可能で、回避できたにもかかわらず、その注意義務を怠った過失があるとした。この起訴状の内容について、日本航空広報部、機長、日本乗員組合連絡会議はそれぞれ、注意義務違反及び過失の存在について否定するコメントを出した。
 本件刑事訴訟の公判において、検察側は国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の委員を証人として申請し、裁判長は平成15年(2003年)10月15日公判での証人尋問を行い、本件事故調査報告書の証拠採用を決定した。1974年の事故調査委員会発足以来、事故調査委員会委員が証人採用されたことも、事故調査報告書が証拠採用されたのも本件が初めてである。
 国際的には、航空事故調査は、刑事責任をはじめとするあらゆる責任追及から独立していることが保障されていなければならないと考えられている。これは、責任追及が伴うことで証人となり得る人物が自身の保身のために事実をありのままに証言しなくなったり、証拠を隠滅することにより、正しい事故原因の調査が妨げられ、ひいては事故から正しい教訓を得ることが出来なくなリ、将来の航空安全の確立にも影を落とす結果を招きかねないためである。
 国際民間航空条約は、事故調査の目的は将来の事故防止であり、罪や責任を課するためではない旨を定め、事故調査報告書を裁判の証拠として用いることを認めていないとされてきたが、本件における名古屋地方裁判所の決定はこの点を顧みずさらに推し進めたものとの反発が航空関係者の間に広がった。
 2004年7月30日、一審、名古屋地方裁判所は、機長を無罪とする判決を下した。
 2006年9月22日、検察側が控訴したことによって名古屋高等裁判所で開かれた控訴審第1回公判では、検察側は操縦桿をひき過ぎ、自動操縦装置を解除させて急激な機首上げを生じさせ、修正操作に伴う機首の上下動を発生させたのが事故原因であるとし、一審判決を批判した。これに対して、被告側は検察側の控訴は不当であるとし、事故は(飛行機全体を制御する)コンピューターの不具合などが重なったのが原因などと反論した。また、一審が刑事裁判で初めて運輸省航空事故調査委員会(当時)の事故調査報告書を鑑定書として証拠採用したのは不当であると主張した。 


(C)2004-2006 外山智士
他項目へのリンク(クライアントサイドイメージマップ)