1972年9月24日午前6時50分頃、イギリス・ロンドン発西ドイツ(当時)・フランクフルト経由イタリア・ローマ経由レバノン・ベイルート経由イラン・テヘラン経由インド・ボンベイ経由羽田行き日本航空(日本航空インターナショナルの前身)472便DC-8-53(JA8013)が、インド・ボンベイのサンタ・クルズ国際空港へ着陸進入の際、誤って隣接(サンタ・クルズ国際空港の西約3.7km)のジュフ空港に着陸し、滑走路を逸走して大破した。
この事故で、乗員14名、乗客108名、計122名のうち乗員2名、乗客9名、計11名が軽傷を負った。
事故機は左主翼のエンジン2基が脱落し、脚を折損した。ジュフ空港の滑走路方位は08(80度)で、サンタ・クルズ国際空港の09(90度)とほぼ同じであった。事故機のパイロットは、着陸進入中に地表付近を覆う朝もやに日光が反射したために滑走路を見失った。なおも進入を継続していたところ前方に滑走路を視認したためサンタ・クルズ国際空港と誤認して着陸した。ジュフ空港の滑走路08はわずか1143mであり、着陸してリバーサーを作動させた後に誤りに気付いた機長はスポイラーを作動させると共にブレーキを最大限に使用したが、オーバーランは避けられなかった。
日本航空はボンベイ路線を2ヶ月半前に開設したばかりで、近隣のジュフ空港の存在についてパイロットに特別に注意を促すことはしていなかった。
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著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
柳田邦男 | 新潮文庫 | 1986年 | 440頁〜450頁 |