1970年7月27日午前11時36分、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス発同国同州サンフランシスコ経由同国ワシントン州シアトル経由同国アラスカ州コールドベイ経由日本・東京羽田経由アメリカ領那覇経由ベトナム・Cam Ranh Bay経由同国ダナン行きフライングタイガーライン45便(貨物便)DC-8-63AF(N785FT)が、那覇空軍基地(当時アメリカ占領下)にGCAで最終進入中、滑走路の手前約670mの海上に墜落した。
この事故で乗員4名全員が死亡した。
事故機は午前9時29分羽田空港を出発し、計器飛行方式で沖縄に向かった。午前11時35分34秒、那覇空軍基地の管制官は、パイロットに事故機がグライドパス上にあることを知らせた。事故機はさらに進入を継続し、高度が75〜100フィートになった時点で豪雨を伴った低く垂れ込めた雲の中から抜けた。その直後事故機は海上に墜落した。墜落時の速度は144ノットであった。
NTSBの調査により、事故機は進入中に熱帯性の局地的な豪雨に遭遇し、視程は1マイルにも満たない状態であったが、豪雨の地域を通過した瞬間に、周囲の明るさが10〜100倍にもなり、パイロットが一時的に盲目状態に陥り操縦が困難になったことが分かった。
事故機は1968年に製造された。