1964年2月18日午前8時22分頃、大阪(伊丹)発徳島行き日東航空(日本航空インターナショナルの前身)101便グラマンG-73マラード(JA5067)が、エンジントラブルに見舞われ、大阪国際空港を離陸約1分後に滑走路端から約1000m地点の兵庫県尼崎市田能二ノ坪の畑に不時着を試みたが墜落炎上した。
この事故で、運航乗務員2名、客室乗務員1名、乗客7名、計10名のうち、客室乗務員1名、乗客1名、計2名が死亡し、運航乗務員2名、乗客6名、計8名が重軽傷を負った。
事故機は午前8時21分頃大阪国際空港を離陸したが、離陸直後に兵庫県伊丹市岩屋付近の上空で失速し、空港の排水路の堤防に機体下部が、電柱に主翼が衝突し墜落した。
事故原因としては、エンジンのキャブレター(気化器)が凍結して推力を失ったものと推測された。事故当時の大阪国際空港近傍の天候は雪であった。
事故機に搭乗していた21歳の客室乗務員は、墜落直後乗客の救出と避難誘導に尽力し、最後に機内に取り残された58歳男性会社員を救うため機内に戻ったところ機体の爆発に巻き込まれ殉職した。彼女の勇敢な行為は大いに賞賛された。