宝塚少女歌劇


  宝塚歌劇の発祥は、大正2年に遡ります。箕面有馬電軌(現阪急電鉄)専務(当時)、小林
一三氏の発案により設立されたそれは、宝塚少女歌劇として、そのスタートを切りました。当初
は、今日のような芸術性の高いものではなく、むしろ学芸会の延長のようなものであったといい
ます。宝塚少女歌劇は、「旧劇改良」という考え方の上に設立されたそうです。つまり歌舞伎
(=旧劇)の改良としての歌劇という位置づけです。ですから、草創期の演目の中には、日本ネ
タがひじょうに多く、歌舞伎や文楽と共通の題材によるものも少なくなかったようです。

  絵はがきの中には、その当時の演目と女優さんが記録されています。これらは当時、4枚1
組として宝塚少女歌劇から発売されたもののようです。

  尚、宝塚少女歌劇の名称は昭和15年まで用いられていました。
  又、念のため言っておきますが、わたしはタカラヅカはまったくわかりません。(笑)
(参考:渡辺裕著「宝塚歌劇の変容と日本近代」 新書館発行)




01:「七夕踊」
02:「馬の王様」
03:「唖女房」
04:「家庭教師」
05:「こだま」
06:「お夏笠物狂」
07:「亂菊草紙」
08:「五人娘」
09:「ネヴヰー ライフ」
10:「雀のお宿」
11:「佐保姫と手品師」
12:「岩戸開」
13:「新道成寺」
14:「ヘンゼルとグレーテル」
15:「ヘンゼルとグレーテル」
16:「ユーディット」
17:「余吾の天人」
18:「文福茶釜」
19:「西遊記」


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