天正五年八月十六日織田信長と日方の井松原で(現在のJR海南駅東側)大合戦をやった。
稲井内蔵之丞は今市に仮城をかまえ信長に味方した。
他に日方の田島、名高の宇野辺、我が先祖の尾崎、井田の井口等悉く之に加勢した、
 此に対して雑賀党の大将雑賀孫市にくみしたのは、日方の石倉、大野の中山、をはじめ
野上、貴志、加茂谷の諸豪ことごとく加わった。
 真夏のこととて汗だくの戦い。今市城からふんどし裸で刀一本振り回し飛び出して来た、
池の谷の荒五郎はその滑稽な奮戦振りが今に古老の話の種になっている。この戦いは
結局今市の日方勢が大敗となり相当な死者を出した。
 永正寺の過去帳に記載されているものだけでも死者敵味方合わせて200余人との事です。

   
 古戦場跡に建てられた祠  記念碑

この戦いで我が先祖は討ち死にしています。
現在でも敵見方の霊を弔い、何時もお花とお水は欠かさずお祭りされています。