第2回 当事者による当事者のためのシンポジウム

統合失調症をもつ私からあなたへ

 

・・・病気をしてから資格をとりました。私の経験が役に立てばと話します・・・

 

報告集

 

 

201275日   於 京都テルサ 

 

シンポジスト(いずれも統合失調症をもつ当事者)

山どん (ホームヘルパー・介護福祉士)

やまさん (作業療法士)

おかやん(精神保健福祉士)

 

参加者 397

 

司会 岡本慶子

 

主催  岡本クリニック メンタルケア室

     

 

目次

1 シンポジストの話(要旨)

2 会場からのコメント

3 会場からの質問とシンポジストの回答(40件)

4 感想・アンケート(206通)

 

 

 

 

 

 

 

1 シンポジストの話 (要旨)

 

1  山どん

ヘルパー講座、仕事と並行した福祉士受験に関しても、目標を持った緊張感が乗り越えさせてくれた様に思います。

 同じ病気を持ちながら、福祉士合格とハードルを超えられたある先輩の姿、「僕もああなりたい」という気持ちが根底にありその思いで頑張れました。

 学生時代、勉強はあまり好きでなかったのですが現在37才この歳になって勉強したくなったのも事実。また仕事をするにあたり、病気とのつきあい方でいつも直面すること、悩んでしまうこと、判断に迷うことがあります。自己紹介も交えてお話させていただきたいと思います。

 私自身、実践していますが、病気とスポーツの関係、体が活性化することで生活にも潤いがでるスポーツ療法について、後半、在籍している精神障害者バレーボールチーム「ル・クール」の紹介をさせていただきます。

 

 

 

2  やまさん

30歳で発症し、もう17年が経ちました。統合失調症(当時は精神分裂病)と告知されてから、深い絶望感に悩まされました。「もう社会復帰はできない」と全く自信を失ってもいました。そんな中で作業療法士になれたらいいなと思い、学校に入学し、3年課程を6年かけて卒業し、去年ようやく資格を取ることができました。

 作業療法士として社会に参加することが出来るようになって今思うことは、継続的に努力するうちに「自分、頑張っているなぁ」と自分を慈しむ心が生まれたのが何より嬉しいということです。自分には生きる意味や価値はないと絶望していた日々が嘘のようです。失った自信が、自己愛へと育ったのには<同じ病気の人が生き易い世の中にしたい>という夢を持っていたことが大きかったと思います。

 一度の人生。皆さんにも絶望したり諦めたりする前に、何か夢を持って生きて頂きたいと思います。

 

3  おかやん

 

発病したときは、わけのわからない状況でした。統合失調症と告げられ、それがどんな病気かもわからず、ただただ、しんどい毎日をすごしていました。薬は主治医の指示通りのんでいました。最初の頃は副作用が強く体が思うように動かなかったりしました。デイケアに通いだして、薬の量も時間をかけて少しずつ減っていきました。

発病から2年くらい過ぎた頃にアルバイトを始めることになりました。アルバイトを始めると、少しのしんどさはありましたが、生活にリズムがでてきました。慣れてくると職場の人たちとも仲良くなり、遊んだりもしました。稼いだお金は好きなことに使いました。この働くということが僕にとって回復を早めたと思います。

しかし、働くことで失敗したこともあるのです。最後に勤めたところでは、しんどくて辞めた後に再発してしまいました。働くことでの不安はありますが、今では同じ失敗はしないという気持ちをもって仕事をしています。

 

 

 

2 会場からのコメント

 

 私には発達障害があります。私も簿記の資格をとりました。

 

 2 雇用する側の話として、病気の有無ではなく、仕事ができるかどうかが判断基準だと聞いたことがあります。病気を体験した者の経験的知識が仕事に生かせるようになると思います。

 

 

 

3 会場からの質問とシンポジストの回答(全40件)

 

・当日紹介できなかった質問用紙やアンケートに記載されたコメントにも後日回答をいただきました。

  ・類似の質問はひとつにまとめています。

・プライバシーに触れる箇所は表現をかえています。

・(小文字)は主催者による注釈です。

会場からの質問 一覧

ア 3人へ共通の質問

<夢・資格・仕事>

1   就労に結びついたきっかけは?

2   仕事はオープンですかクローズドですか

3   仕事をしていて困ったこと、つらかったこと、教えられたことは何ですか

4   お三方とも対人関係のお仕事をされていますが、当事者としてどのようなことが役にたちましたか

5   現在の職場での実際のお仕事で、人間関係は良好なのでしょうか。

6   統合失調症になって9年がたちました。クローズドで働いていますが、人間関係で悩んで長続きしません。どうしたらよいですか。

7   資格をとるための勉強はどうやってされましたか

8   強い気持ちをもち目標や夢を実現されたと思います。行動を起こす強い気持ちは自分をみつめることからでしょうか

9   みなさん立派すぎて自分もそうなれる気がしない。10代で発症して今20代半ばです。

10  よい支援者はいましたか

<病気・症状・薬>

11  なぜ統合失調症になるのかわからない。

 なぜ私が、と病気を受けとめられなかった。

12  幻聴とか妄想とかの症状とどう付き合ってきましたか。

13  私は統合失調症の当事者ですが、同じ病気の友人に被害妄想のことを相談されたときに、どう向き合えばいいか分かりません。周りからは明らかに妄想とわかることでも、当人のしんどさは本物なので、否定的なことは言いたくないけれど、同調しても妄想が強くなりそうで・・・

14  お三人は服薬のおかげで社会復帰できているのでしょうか、それとも、薬なしでもよい状態なのでしょうか?私は服薬でなんとか普通に近い状態になっていますが、このまま一生薬をのむとなると、副作用や離脱症状が出るのではと考え、不安と恐怖で一杯です。私自身がまだ自分の病気のことを受け入れられていないのかもしれませんが・・・

<ご家族から>

15  まだ病名を知らない、発症して6年目の当事者の家族です。妄想があります。告知についてと、妄想とのつき合い方、家族としてできることを教えてください。

16  子どもが引きこもっています。どう声掛けをすればいいでしょうか

17  子どもは進学校へ行って苦労した末、18歳で病気になりました。今、デイサービスに親は行かせたいのですがまだ本人は決心がつきません。無理に行かせるのはやめたほうがよいでしょうか。自分から動くのを待つべきでしょうか。

<その他>

18  作業所をしていますが、作業所についてご意見はありますか

19  発表するときに意識していたことは何ですか?たとえば話すスピードなど

 

イ 山どんへの質問

20  30歳のころ激しい幻聴と妄想に悩まされ、やがておちついたと言われましたが、どのくらいの期間続いたのですか。また、どのようなきっかけで収まり、現在は幻聴と妄想は起こらないのでしょうか

21  ヘルパーや介護福祉士などは利用者さんのいろんなことを緊急に対応しなければならない時も多々あると思われますが、そういうときにパニクるときはないですか?当社でも統合失調症をもつヘルパーが実習していますが、いろんな対応は難しい面が多いので、参考にできることがあれば・・

22  スポーツが苦手な人が、スポーツに代用することは何かありますか。つまり、病気の特性上スポーツが苦手な人はどうすればよいですか。

23  京都市内のスポーツ事情について教えてください。

24  バレーボールは他県の人でもいけますか?

 

ウ やまさんへの質問

25   お話、感動しました。テレビが自分のことをいっている、などの妄想を、お薬などによってどのように回復されたのでしょうか。服薬の努力を知りたいです。(家族です)

26   夢はちょっと大変なので、したいこと″でもいいですか?

27   夢をあきらめずなぜ努力できたのですか

28   本を出版してほしい

29   引きこもっていられないと思った頃、妄想や幻聴は少なくなっていましたか。その時の状況が知りたいです。発症から自分のことが考えられるまでの妄想や幻聴の様子を教えてください。

30   学費はどうされたのですか。勉強は何時間くらいですか。学校に通っている間、病院はいついかれるのですか。

31   仕事はオープンですかクローズドでされているのでしょうか。お仕事の様子も少しお聞かせください。コンビニのアルバイトは病気のことをオープンにしましたか。クローズドにしましたか。

32   僕は家や外にいるとしゃべってくる声が聞こえてきて、しゃべってしまうので、どうしたらいいでしょうか。なにか方法があったら教えてください。

33   作業療法士の資格に挑戦するにあたって、家族の意見とか経済的なことの問題とかいろいろあったと思いますが、そのあたりをお聞かせください。

34   高校時代に発症し、現在引きこもり中の19歳の娘がいます。時折、大学進学を口にしますが、勉強できていないように思われます。「集中力がない」と言います。親としてどのように声掛けをしたり、接したりすれば良いか、アドバイスいただけたらと存じます。就労経験もなく自立できるのか心配です。

 

エ おかやんへの質問

35   精神保健福祉士になろうと思われたきっかけは何ですか

36   笑顔が本当に相手にとってやわらぐものだなと感じますが、これは意識してそうされているのですか?またお仕事上で意識されてそういう形で接しておられるのですか?はたまた、そんなこととは関係なく地なのですか?

37   精神保健福祉士はどうやってとれるんですか?学費はどうされましたか?1日何時間働いておられますか?

38   現在勤務しておられるところは、オープンで障害者枠での採用ですか?

クローズであれば、仕事上自分で配慮していることなど聞かせてください。

39   50歳女性ですが何か資格をとりたいのですが、年をとってしまいできるのか心配です。

40   発症後に大学に入り精神保健福祉士になられたのでしょうか。精神保健福祉士としての仕事と、病気との関係を話していただけたらと思います

 

 

 

シンポジストの回答

ア 3人へ共通の質問

 

<夢・資格・仕事>

1  就労に結びついたきっかけは?

 

やまさん

私は作業療法士の養成校(専門学校)を卒業しましたので、その学校からの斡旋で就職しました。学校に通って資格をとると、就職しやすい面は確かにあると思います。

 

おかやん

病気になる前にも働いていたこともあって、「働きたい!!」という強い思いを持っていたことだと思います。

 

山どん

精神対象の就労講座を受講したのがきっかけで、担当のスタッフの方が就労までバックアップしてくださいました。

精神の方の就労のバックアップを国がしている機関があるのでそれに手伝ってもらうのは強い支えになると思います。

 

2  仕事はオープンですかクローズドですか

 

やまさん 

アルバイト(作業療法士取得以前の一般の職場)はすべてクローズドでした。それはオープンでは採用されないだろうと思ったからです。しかし今の作業療法士としての正式な仕事では院長にオープンで伝えてあります。

 

おかやん

今の仕事(精神保健福祉士)はオープンですが、(それ以外の仕事では)ずっとクローズドで働いていました。

 

山どん

 オープンです。クローズドに比べれば職種は少なくなりますが、自分の病状を重めにとって何かの時に対応できるためです。田舎のほうに行くと困難かもしれませんが、人口の多い地域だと可能性を見出すことは十分可能だと思います。(私の体験ですが)

 

 

3  仕事をしていて困ったこと、つらかったこと、教えられたことは何ですか

 

やまさん 

僕の場合には対人接触に緊張が強いのですが、とくに初めてお会いする新患さんに対して特に緊張が強くて困っていますし、辛いです。

また、教えられたことは、患者さんの姿から障害とのかかわりについて教えてもらっています。どうしても病気や怪我で障害が残ってしまう場合があります。そんなときに患者さんは生活の場でいろいろ工夫され暮らされているのです。障害を受容しながらも一生懸命リハビリもし、生活の場面でも工夫をする。そんな姿に障害との関わり方を教わりました。

 

おかやん

再発のきっかけとなった職場(精神保健福祉士取得以前の一般の職場、クローズド就労)で、働くことのきびしさを教えられました。

 

山どん

困ったこと:病状が原因かは分かりませんが、すっと仕事を覚えられなかったこと、慣れることで対応しましたが、あいまにメモをとったり苦労しました。

辛かったこと:精神の介護現場で、利用者さんが状態が悪いとき「殺す」という表現を頻繁に使われ興奮されたとき、今でも私の中で強く印象に残っており利用者さん同様、辛かったです。

教えられたこと:人間関係。どこへ行っても大変なことだと思いますが、仕事に責任がともなっての人間関係は、よりエネルギーやスキルが求められるので勉強になりました。

 

 

4 お三方とも対人関係のお仕事をされていますが、当事者としてどのようなことが役にたちましたか

やまさん

 身体障害を持たれる患者のかたへのリハビリテーションの仕事をしています。難病のかたもおられます。リハビリをしても完治などせず、現状維持を目標としなければならない方々です。けれども一生懸命にリハビリをしてくださっています。そのようなお姿を拝見していると、涙が出そうになるときがあります。自分の病気なんてちっぽけなものだと思わされます。そして、人生の生き方を教えていただいています。それは人生を諦めずにひたむきに努力することが最も大切だということです。患者さんと同様に治らない病気を抱える者として、患者さんから生き方を教わることができるのは、「当事者」の視点があったからかもしれません。病気は完治しなくても人生を輝かせることはできる、という思いが、私の場合には、患者さんへの共感から生まれてきているからです。
 役に立つか、立たないか・・・。極端に考えれば成果がないならやめちまえーという方向に行きやすいです。けれども、他者から見れば取るに足らないものでも、努力は尊いです。無駄なものなどありません。自分を深め、高め、善く生きることができるからです。諦めず生きてゆきたい。不治の患者さんたちが努力されているように・・・。
 このような思いをもっている私が、患者さんと接して患者さんの「役に立っている」かどうかは、私には分かりません。私に分かるのは、自分のこと、だけなのです。

おかやん

経験してきたことを話せるということが役に立っていると思います。

逆に利用者の人が経験してこられたことを教えてもらうこともあり、それを自分自身に活かしています。

自分の失敗談は相手に活きる。相手の失敗談は自分に活きる。そう考えると失敗も役に立つもんです。逆に成功話はそんな方法があるんだと勉強になります。

 

山どん

デイサービスなど利用者さんが年配の方だと、オープンでの仕事でも病気のことはふせておかないと信用面での不安があると思いましたが、精神の方の訪問介護ではカミングアウトすることで、かえって親しみや同じ目線で話せるとの声をいただいていました。

精神の方の辛い思いや、不安感の気持ちを理解してもらえてると言ってもらったこともありました。

介護現場で年配の方でも障害をもつ方でも、優しさをもって接することができたこと、障害をもつ方の身になって考えることができたこと、辛い思いを七転八倒して消化してきた自分の経験を貴重な武器として仕事にたずわさることができたことなどがあります。

 

 

5  現在の職場での実際のお仕事で、人間関係は良好なのでしょうか。

 

やまさん

作業療法士として働いていて、人と直に接する仕事ですから大変な面もありますが、それ以上にやりがいのある仕事だと思っています。

自分の努力が人の役に立っていると思えるとき、もう自分は無能力者だと思った頃の自分を乗り越えることができたと思い、何よりも嬉しい感じがします。人は自分単独で、自分の存在意義を見出すことは難しいようですが、人との関わりの中で、人の役に立つという時間があると、生きてゆくことの素晴らしさを感じられると思います。

また、人間関係ですが、自分が被害的に物事を考える傾向がある、という点を踏まえて修正してゆけば、さほど人間関係が悪化することはないようです。

 

おかやん

オープンで病気のことも理解していただいて、人間関係も良好です。

 

山どん

私は訪問介護をしていたとき、同僚の方とは人間関係は良好でしたが、お仕事の利用者さんとの関係はー、介護は介護者がどんどん先にやってはいけない部分があり、利用者さん主体にやってもらい、リハビリにつなげていきます。しかし、リードは介護者がという部分があるので、相反する部分の使い分けが難しいですが、やりがいのある仕事だと思います。

 

 

6  統合失調症になって9年がたちました。クローズドで働いていますが、人間関係で悩んで長続きしません。どうしたらよいですか。

 

やまさん

オープンにしても、病気に優しい配慮を皆がしてくれるわけではないでしょうし、病気ではない人でも人間関係で悩んでいる人は多いようです。とすれば、人間関係はだれにでも問題になってくるものだと言えます。ただ我々、この病気の人は敏感な人が多いので、人の悪意に触れると、その悪意に押しつぶされてしまうくらい考えてしまう人が多いようです。考えないわけにはいかないでしょうが、「こんな人もいる」というぐらいで受け流して人の悪意から自分を守る訓練をしてもよいかもしれません。人は自分の思うようには変わってくれません。自分を変えてゆけたらいいですね。

 

おかやん

本当に人間関係は大切ですね。私が言っていた職場はたまたま人間関係が良かったところばかりでした。

しかし、最後に辞めたところでは人間関係も悪く再発してしまっています。自分自身の課題でもあります。私もやまさんの意見を参考にしてみます。

 

山どん

人間関係は、どこにいってもついてくることだと思います。うまくやっている人を見て思うのは、自分の領域と相手との距離や、やりとり、思いを混同していない、または、はっきり区別されているように思います。

精神と精神のやりとりは天文学的に広がることだと思いますので、それが悩みにつながる前に、しっかりした自分をたて、自分と相手との混同を避けることかなと思います。

誰もが問題視することなので答えはないと思いますが、まじめすぎず、どうでもいいや的に、いろんな方法を試す少しは悪い人になってみたりすると案外楽になるかもしれませんね。

 

 

  資格をとるための勉強はどうやってされましたか

 

おかやん

受験日3か月前から大学の図書館に一日中こもりっきりで、関連した本をひたすら読んで、問題集をひたすら解きました。

 

山どん

本当のはじめ、いきなり試験問題をしました。ナンジャモンジャ文字、さっぱりわからず日本語が難しいレベルでした。大きな壁でしたが、これをクリアするには何が必要か試行錯誤し工夫することに面白みがでてきました。

勉強は辛いものだと思います。そこにつっこんでいって戦う者だけが得られるものがあると思います。目標はそこでしたが、今はまた新たな目標をもってまた突進したいなと思う気持ちがわいてきました。スポーツもそうですが、勉強も似ている部分があるように思います。情熱というのか、とりくむことに喜びを感じていけたらなあと思います。

 

 

8  強い気持ちをもち目標や夢を実現されたと思います。行動を起こす強い気持ちは自分をみつめることからでしょうか

 

おかやん

自分を見つめること大切だと思います。なにか行動を起こすときに「私には無理だ」「できないかもしれない」と考えることがあるかもしれません(私自身はそうでした)。そういうときに考え方を少し変えてみて、「私なら少しはできる」「少しずつやってみよう」と思うと始めやすいと思います。

 

山どん

私、神経症だったとき、さんざっぱら心を見続けてました。

自分の右手で右手をつかもうとすることは絶対できずムリなことでした。長い間そういう徒労に終わるむなしい作業を一生懸命していました。これが神経症。辛かったですが治療の教えに、一文。自分の心を見つめていてはいけないのです。外へ目を向けなさい、とありました。感じるものがあり、勉強、夢、芸術、表現、運動など全て、ムリにするものでなく、生活の延長線上、特別強い気持ちを意識した訳でなく、何か思うもの、タイミングなど重なり結果となり・・・身の周り、毎日の少しずつが何かの結果になるのは間違いないと思います。

私も今これを書いていて身の周りのことから少しずつやっていこうと思いました。

 

 

9 皆さん立派すぎて自分もそうなれる気がしない。10代で発症して今20代半ばです。

 

おかやん

私が初めてデイケアに参加したとき、皆が料理や書道や陶芸などを簡単にされているのを見て、私にはできない、無理だと思っていました。病状も、他の参加者よりも重い状態でした。それが少しずつできるようになっていきました。病状も徐々に回復していきました。少しずつの積み重ねの大切さを感じます。このころは21歳の頃でした。

何かを始めるときに年齢は関係ないと思いますが、気にされるのなら私は精神保健の勉強を始めたのは27歳の頃です。(あなたと同じくらいかな?)

まだまだ、あなたが、あなたの思う立派になれるように思えます。

 

山どん

立派と表現して下さいましたら、私はココにこの方の若さとエネルギーを感じてしまいます。

私は正直、立派という言葉が好きでなく(理由は自分がこの言葉から縁遠く悔しかったのかなと今では思う)そうなるまでにはこの方のようにそうなれる気がしなかった。とある本で人生は「無明長夜」、わずかな手がかりでみんな手探りで生きていると知った時、感動して今までギモンだったことが少しわかった気がしました。社会で活躍されている方は一朝一夕になったわけでなく、その方しか知らない努力という涙があったんかなと想像しました。

若いということは経験がない分、エネルギーというものがあってこれが武器。若いうちいろんなことに挑戦してエネルギーを眠らせないでほしい。私も、無駄だと思えることでも気張ってしたことが、今37歳になってとてもいい思い出になっています。身体を鍛えたり、勉強したり、遊んだり、病気もあるけれど、立派など目指さず自分のエネルギーを目一杯使って、あしたへの可能性に全力で挑戦してほしいと思います。私もまだまだ、がんばろうと思います。(最近はひざ痛などだいぶおっちゃんになってきました^_^

 

 

10  よい支援者はいましたか?

 

やまさん

私は良い支援者に恵まれたほうだと思います。その人は、患者の回復を本当に願ってくれている人でした。どういう点で、と具体的に指摘するのは難しいけれど、他のケースワーカーとは全く違っていました。その人は今、大学の先生をしながら我々の支援をしてくださっています。支援者として、そして、人として、群を抜いた資質を持っている人だと思います。

 

おかやん

主治医、ケースワーカー、デイケアのスタッフ、家族、友達など良い支援者に恵まれていたのかもしれません。

 

山どん

国の機関で就労支援をしているところがあり、私はそこの強い力(人のつながりを含め)の支援をうけました。あと精神の団体(授産施設や、グループホームをしている)での就労においてオープンでしたが、疾患のある方を多く受け入れ、理解のある職場でした。精神の団体がそのヘルパーステーションを立ち上げたのも、当事者の職場の受け皿を作りたいとの主旨のようでした。

 

 

<病気・症状・薬>

 

11 なぜ統合失調症になるのかわからない。

 なぜ私が、と病気を受けとめられなかった。

やまさん

 「なぜ自分が不幸に遭わなければならないのか」という嘆きは、よく分かります。私も病名告知を受けてから数年間は、そのような気持ちをもっていました。けれども今は、病気であることは人生のエピソードの一つにすぎないと思っていますし、普段の生活では病気であることを意識しないことさえあります。
 ではなぜこのような考えを持てるようになったか・・・。まず最初にしたことは自分をよく見るということです。自分には何ができて何ができないか、そして自分は何を望んでいるか、をよく見ました。そして次に、周りの人を見ることにしました。すると、できることとできないことは、誰にでもあること、そしてその中で、皆、自分の願いに従って努力や工夫をして生きていることが見えてきました。自己実現のために皆、頑張っている。ならば私も!という気持ちに少しずつなってゆきました。
 人生の時間は限られています。嘆きに立ち止まってしまうのはもったいないのです。与えられた人生を、与えられた能力で、生きてゆかねばなりません。ならば、努力と工夫で切り抜けるしかありません。皆が誠実に自分の人生と向き合っているように・・・。
 もちろん病気であることは、厳然とした事実です。だからこそ、時間と能力が有限であることに目を向け、精一杯生きようとしなければならないのだと思います。病気だから、と諦めてしまいそうになる自分の心に、「頑張って」と言い続けなければなりません。このような生き方は苦しさを伴います。けれども、自分の人生を生きている、という手応えや喜びも感じ取れます。一気に好転はしなくても、今よりも少し成長することを目指して生きられれば、それで良いのだと思うのです。
 どうか、悲しい嘆きの中に沈みこまないでください。人の本質は病気くらいで大きく損なわれることはないと思えます。困難に出会った時が、人として成長できる時でもあると思うのです。だから、どうか、くじけないで居てください。

おかやん

私も同じ気持ちです。なぜ統合失調症になるのでしょうか?

私の勝手なイメージですが、真面目な人がなりやすい病気に思えます。あと、心の優しい人も多いように思います。そういう意味でも、本当ならこの病気になったとしたら尊敬されなければならないのかもしれません。そういう考え方が広まれば、堂々と病名を誇れるのにな、と思います。

 

山どん

私は統合失調症と主治医より30才のとき伝えられたときは、ショックはありませんでしたが14才のとき強迫神経症と診断(ちがう医師からは精神分裂病と告げられ、当時のショックは病気と並行して計り知れず)、分裂病でなくノイローゼだということで救われた思いでした。

それから16年間、七転八倒して病気を徹底的に調べ、スポーツ療法を取り入れ、禅を学んだり修行したり・・・普通に、正常に戻りたい一心でエネルギーを注ぎ込んできました。

その過程で徐々に病気をうけいれるようになり、病気をしていなかったら思えない気持ち(良い意味での世界観)を経験したり・・・受け入れ、行動を建設的になれるまで時間がかかりましたが、今ではこうだったらとか(一時期はよく思いましたが)病気でなかったらとかいうネガティブな思いで生きていません。排除するでなく“ある”ものとして今では気にすらしなくなっています。

人間の思いもお天気に似て雨が降れば太陽をのぞかせるものと私は思います。

「死」を意識したこともありますが、一朝一夕にはいかなくても前へ進む歩みは忘れないで生きていきたいなと今では思っています。

 

 

12

 幻聴とか妄想とかの症状とどう付き合ってきましたか。

 

やまさん

僕の場合は妄想が強かったのですが、それが妄想であることを自分に言い聞かせる訓練をしました。例えば、人につけられたり見張られているのかなと思ったら、「そんなことはない」と自分に言い聞かせ、自分の心を守ってあげることをしていました。

 

おかやん

発病時に症状がよくあらわれました。僕自身はただただしんどくて、時間が解決してくれました。しっかりと薬をのんでいたということも、今症状があらわれないことにつながっていると思います。

 

山どん

私の場合、急性期後は、さいわい幻聴、妄想を無視したり区別することができましたので、服薬としっかりした睡眠をとることでおさえられています。

 

 

13

私は統合失調症の当事者ですが、同じ病気の友人に被害妄想のことを相談されたときに、どう向き合えばいいか分かりません。周りからは明らかに妄想とわかることでも、当人のしんどさは本物なので、否定的なことは言いたくないけれど、同調しても妄想が強くなりそうで・・・

 

やまさん

精神病の症状やその対処のしかたについて、お勉強をされている方のように思えます。ならば、そのお友達と一緒にお勉強をされるのが良いかと思えます。

少なくとも、あなたが一人でそのお友達を「抱える」ようなことになるのは避けるべきです。病気の症状も、その人の人生の一部です。とすれば、ご自身で気づいていただかなければ修正されませんし、もとより他人があれこれと言うべきことではないのです。人から言われても、ご本人が「確信」をお持ちであれば、どうすることもできません。ですから、ご本人に気づいていただけるようにする、という方向で考えていただきたいのです。精神病の症状はある程度、類型化しています。その中で自分の症状はどのような傾向があるのか、を客観的に捉えることから始まって、やがて自分自身を客観的に見ることへとつながってゆくと思えます。まずは、ご本人の「気づき」を大切にしてあげてください。

 

おかやん

妄想の内容については本人にしかわからないもので、内容を理解するのは難しいと思います。それよりも「当人のしんどさは本物」とも言っておられるように、しんどさの理解をするほうがいいのかもしれません。

よく言われるのは「あなたの話されていることはよくわからないが、しんどく感じておられるのですね」などしんどい部分を共感してみてください。

 

 

14

お三人は服薬のおかげで社会復帰できているのでしょうか、それとも、薬なしでもよい状態なのでしょうか?私は服薬でなんとか普通に近い状態になっていますが、このまま一生薬をのむとなると、副作用や離脱症状が出るのではと考え、不安と恐怖で一杯です。私自身がまだ自分の病気のことを受け入れられていないのかもしれませんが・・・

 

やまさん

薬はその人が本来持っている状態に近づけるものと私は理解しています。例えば、うつ状態のときに抗うつ薬をのみますが、これはその人を「元気にする」のではなく、セロトニンの減少分を補って、その人を「元の状態」にもどしてくれる薬です。

つまり、精神病に関係する薬は、その人をその人らしく生きてゆけるようにするもの、と考えると、薬への抵抗感は少なくなるのではないか、と思えます。

ですから私は、自分らしさのために薬をのんでいますし、今ではそれが自然なことになっています。

 

おかやん

病気になってから、薬はずっとのみ続けています。服薬のおかげと聞かれればおかげで、社会復帰できていると思います。薬がないと再発のことを考え不安になります。私は病気を受け入れ、一生薬をのんでいきます。

色々考えてしまって、不安や恐怖を感じられる気持ちはよくわかります。私は薬の量を時間をかけ、主治医と相談しながら減らしていきました。今では副作用を感じません。

薬の量を減らしていくこともできるという選択もあります。

薬をのむのまないを決めるのは結局のところ自分自身なので、のむことの長所短所、のまないことの長所短所をじっくり考えてみてください。そして、主治医とよく相談してみてください。

 

山どん

服薬と睡眠は、精神疾患の場合とても大事なのではと思います。私は精神関係の服薬は23年ほどのんでいます。勝手にやめたときもありましたが、主治医の指示は守らないとと思います。薬は長期のんで効果が安定する面もあると思いますし、私はブレが出たときのために少し多めにのんでいるといった具合、あと、人と接してコミュニケーションをとって社会性を維持する、または運動も良い効果があります。

私は一生服薬も覚悟していますが、身を助けるものととらえ、不安は感じていません。

副作用が多く感じられるのであれば別ですが、信じてのむのも効果に作用するやも。

私は今では病気のことをポジティブに受け入れていますが、過程は個人差があると思います。病気だからといってマイナスにならず、生きているかぎり希望をもっていってほしいです。

 

 

<ご家族から>

15

 まだ病名を知らない、発症して6年目の当事者の家族です。妄想があります。告知についてと、妄想とのつき合い方、家族としてできることを教えてください。

 

やまさん

主治医の先生のご判断にもよりますが、病名を正確に告知して差し上げるべきだと思います。そして、精神病の症状についてご自身でお勉強をされることをお勧めします。私の経験では、勉強をすることによって、自分の今の体験が病気の症状だと分かり、自分ひとりの体験ではなく、精神病を患う人はほぼ皆似たような体験をしているのだ、と安心感に近い心境になりました。そして、病気なのだから、「必ず良くなる」という前向きな気持ちにもなれました。ですから、まず告知をして差し上げてください。

 そして、ご家族としては、回復を信じてご本人に転機が訪れることを、優しく見守ってあげてほしいと思います。ご家族が、ご本人の病気に過干渉になったり、振り回されたりせず、必ずよくなる、と信じている姿勢を示されることで、ご本人も安心して治療に取り組めるのだと思います。

 

おかやん

告知ということは病院へ行かれているのですね。病名を知らないというのは、医者が話さないのか、家族、本人が知りたくない、受け入れたくないのでしょうか。病名を知りたくないという気持ちも分かりますが、病名を知ることで家族としてできることも増えると思います。病名がわかれば、それに関する本を読んだりインターネットで情報を集めることもできます。

また本人だけが病名を知らされていないということであれば、私自身に置き換えてみれば、病名を知りたいと感じます。

病気だと言われてショックだと思うことよりも、このしんどさは病気のせいなんだという安心感のほうが大きかったからです。

妄想とのつき合い方は妄想の内容に踏み込むことはあまりせず、妄想しているときはしんどいので、しんどいという部分を理解してあげてください。妄想を話されたら「今、大変なんだね」「しんどいんだね」など優しく声をかけてあげてください。

 

山どん

私の急性期のとき、家族は本当に大騒動でした。急性期は本人のエネルギー値が高くなるので要注意。慢性期も他人に迷惑をかけるときがあるようです。私は家族には支えられました。統合失調症以前にノイローゼをしていたため、病気に慣れることは早かったですが、愛情を忘れないでいてあげてください。最後はそこにつきると思います。

主治医が告知をされない理由が何かあるかもですが、家族さんと同居されている以上、家族さんの支え・理解は必要と思います。

 

 

16

子どもが引きこもっています。どう声掛けをすればいいでしょうか

 

やまさん

お母様のご心配をご本人さんは十分すぎるほど理解されていると思います。場合によってはそれがご本人の負担になることもあります。ご心配はごもっともですが、いまはそっと見守ってあげるのが良いかもしれません。誰にでもきっと転機は訪れます。そのことを信じて、そっと待ってあげていただきたいと思います。

 

おかやん

私が発病したとき、周りは進学、就職などどんどん前に進む姿をみて焦っていました。時間をかけて病気を治していくとわかった時に、ゆっくりとした人生でもいいと思いました。焦らず人生をゆっくり歩いてみてはいかがでしょうか。

 

山どん

一番つらいのは本人さんかと思います。当事者の本人、私も経験がありますが、思うのは、周りの方は本人さんにプラスになることを投げかけてみてはと思います。人が動くのは、プラスかマイナスかが大きいと思います。私の親や愛情をもってそういう時、接してくれたのでありがたいと今でも思っています。でも動くのは本人さんですので、いろんな要素が加わり、いらだつこともあると思いますが、状況も各ご家庭違うので難しいと思いますが、これも答えはありませんね。こんがらがった糸をほぐすような作業だと思いますが愛情をもって接してあげてください。

 

 

17

子どもは進学校へ行って苦労した末、18歳で病気になりました。今、デイサービスに親は行かせたいのですがまだ本人は決心がつきません。無理に行かせるのはやめたほうがよいでしょうか。自分から動くのを待つべきでしょうか。

 

やまさん

ご本人の今の状態がよく分からないのですが、もし一日中横になっておられるようであれば、病気のせいでかなり疲れている状態なので、休ませてあげるのが良いと思います。また、起きている時間があって、一人でいることに淋しさを感じているようであれば、午前中だけとか、少ない時間からでもデイケアを利用されるのも良いと思います。いずれにしても、ご本人のお気持ちが大切ですから、軽く提案してみる、というぐらいで良いのではないかと思います。

 

おかやん

デイサービスがあることはご本人は知っておられるのですね。では、行く行かないは本人が決めるべきだと思います。無理に行って、何か嫌なことが起こったときに親の責任にするでしょう。自分で決めたなら、納得すると思います。

 

山どん

年齢がお若い分、エネルギーがあり、すっと病気を受け入れがたい部分があるかもわかりません。若いエネルギーが、可能性を模索したり人間を成長させようとする反面、病気に対する抵抗をするのも自然なのかなと思ってしまいます。

せっかくの若さを何かにうちこめるようにもっていく方法もあるかと思います。

私自身も、若いうちから施設へ行くのはつらい部分があるかと思うものがあります。

 

 

<その他>

18  作業所をしていますが、作業所についてご意見はありますか

 

やまさん

学生のころにボランティアで作業所に参加させていただいたのですが、スタッフの方々はメンバーの方々に対して少し過保護ではないかという印象をうけました。あれこれと先回りして失敗しないように、傷つかないようにされているようでした。しかし、失敗してもいいと思います。ご本人の人生の大切な、さまざまな経験をする機会を奪うのでなく、失敗したら帰ってくる場所として機能してほしいと思っています。

 

おかやん

作業所の見学をしたときに、賃金が安いことに疑問をいだき、作業所で働くことはありませんでした。

作業所を悪く言うつもりはありませんが、しっかりした給与がもらえないなら働く意欲がなくなります。私は一般の働く場所で、働く時間を少なくして、働くべきだと思っています。

 

山どん

作業所は、生活のリズムづくり、同じような境遇にある方との意見交換、仕事のリハビリにとてもいい場所だと思います。ただ、常に短い一つ上の目標を課題に意識しながら持つようにすることで、自分が成長する助けをしてくれるように思います。

短期目標の繰り返しで、大きなハードルがクリアできるのでは。

 

 

19  発表するときに意識していたことは何ですか?たとえば話すスピードなど

 

やまさん

ゆっくり話す、わかりやすく話す、自分で本当に分かっていることだけを話す、ことぐらいです。

 

おかやん

ユーモアに話せる部分を入れてみようと意識していたのですが、あまりうまくできませんでした。

 

山どん

滑舌を良くして会場の皆さんに聞きやすくを意識していたつもりでしたが、スピードがはやい等の反響もあったので、反省しています。ゆっくりとわかりやすい口調が良かったかなあと今思っています。

 

 

イ 山どんへの質問

 

20 

30歳のころ激しい幻聴と妄想に悩まされ、やがておちついたと言われましたが、どのくらいの期間続いたのですか。また、どのようなきっかけで収まり、現在は幻聴と妄想は起こらないのでしょうか

 

精神的に強いストレスを感じたのがきっかけでした。かなり無理をしていました。急性期は当初、初めての体験で幻聴、妄想は本当に聴こえているものと感じていました。

しかし医療機関で服薬、リハビリをしていくうち、幻聴が聞こえそうになったら無視できるよう、区別することを覚え、現在そういった症状はみられなくなりました。

 

21 

ヘルパーや介護福祉士などは利用者さんのいろんなことを緊急に対応しなければならない時も多々あると思われますが、そういうときにパニクるときはないですか?当社でも統合失調症をもつヘルパーが実習していますが、いろんな対応は難しい面が多いので、参考にできることがあれば・・

 

病気を抱えながらの仕事、パニクるときはあります。私の経験では、対応に複雑な状況の出てくる利用者さんの場合、ペアで仕事に入るとか、デイサービスセンターなどでは職場の職員さんに知恵をお借りすることはできます。

訪問介護の場合、利用者さんとマンツーマンになるので、その二人の間の世界ができます。利用者さんもこちらをよく見ておられるので、弱いところをつかれることもあります、状況の対応を繰り返していれば、「なれる」という場面も出てきます。が、はじめは助け(ヘルプ)を求められる人数の多い職場ではじめ、経験をつんでいき、パニックになっても対応ができるスキルを身につけていくのがいいのではと思います。

 

22

スポーツが苦手な人が、スポーツに代用することは何かありますか。つまり、病気の特性上スポーツが苦手な人はどうすればよいですか。

 

スポーツが苦手でも楽しむことができれば続けることができますし、いろんな方の中に混じってプレーすることで刺激をうけ、苦手だったスポーツの技量が向上していたということはあります。

是非一度やってみてください。何より楽しめればしめたものです。

 

23

京都市内のスポーツ事情について教えてください。

 

ソフトボールをデイケアや作業所でされています。洛南病院さんがフットサルをされているのも知っています。障害者スポーツセンターで随時、卓球もされているようです。バレーボールは案外とっつきにくいかもですが、ほとんどの方が初心者でした。是非一度お越しください。

 

24

バレーボールは他県の人でもいけますか?

 

どなたでも他府県の方でも練習は大丈夫ですが、試合となると(地区対抗の公式試合では)京都市在住か、京都市の施設や病院へ通っておられることが条件になってしまいます。距離がありますが一度練習に来てほしいです。が、他府県にもバレーのチームはあり、対戦したこともあります。

 

 

ウ やまさんへの質問

 

25   お話、感動しました。テレビが自分のことをいっている、などの妄想を、お薬などによってどのように回復されたのでしょうか。服薬の努力を知りたいです。(家族です)

 

回答・・・-私の場合は主治医から自分で薬の量を調節するように言われていました。つまり最低限飲まなければならない維持量は守りますが、疲れて具合が悪くなりそうな時や実際に具合が悪くなった時には維持量よりも少し多めのお薬を飲むことをしていました。そしてお薬が自分に合っているかどうかを短期・長期で自己観察して主治医に報告して、共同作業で自分に合う最善のお薬を見つける努力をして今日に至っています。

 

26   夢はちょっと大変なので、したいこと″でもいいですか?

 

回答・・・したいことを頑張ってみるということでいいと思います。なにがしたいかを正直に自分と向き合って導き出されていることが素晴らしいと思います。ちいさな目標をひとつひとつ達成してゆくことのほうが現実的ですし、達成感のある成功体験をたくさん積み重ねることで自信が湧いてくると思います。頑張ってゆきましょう。

 

27   夢をあきらめずなぜ努力できたのですか

 

回答・・・病気になってすべてを失ったように思っていました。そんな中でこの夢は、自分の心にぽっと湧いてきたたったひとつの願いであったのです。自分のこれからの人生と本質的にかかわっていることだとも思えました。また、諦めずに頑張っていると応援して下さる方が出てきます。たったひとりで生きているのではないという気持ちにもなれて、心の支えにもなりました。だから頑張れたと思います。

 

28   本を出版してほしい

 

回答・・・そのようにおっしゃって頂いて光栄です。ただ、今のところ本を書く予定はありません。またその能力も無さそうです。

 

29   引きこもっていられないと思った頃、妄想や幻聴は少なくなっていましたか。その時の状況が知りたいです。発症から自分のことが考えられるまでの妄想や幻聴の様子を教えてください。

 

回答・・・アルバイトを始めたころ、妄想は少なくなってはいましたがまだ残っていました。お客さんのなかにも私を付け狙い監視する秘密の組織の人がいると思いながら、緊張して勤務をしていたので大変でした。幻聴にしても妄想にしても、それが病気の症状だと理解できれば、あとは、「自分とは関係ない」「そんなことはない」と妄想や幻聴の内容を否定するように自分に言い聞かせて自分の内面を守るようにしました。このようなトレーニングを積むことで、幻聴や妄想はやわらいで、やがて自分のことが少しずつ考えられるようになったようです。

 

30  学費はどうされたのですか。勉強は何時間くらいですか。学校に通っている間、病院はいついかれるのですか。

 

回答・・・学費は親に借りたのと奨学金と少しのアルバイトで何とか工面しました。勉強時間は学校に入ったころは疲れてしまってほとんどできず、12時間程度で落ちこぼれていました。けれども国家試験を受けるころは学校と家を併せれば12時間はしていたと思います。ゆっくりとですが耐性がついて、勉強時間は長くなりました。また土曜日が学校は休みでしたので通院できました。

 

31  仕事はオープンですかクローズドでされているのでしょうか。お仕事の様子も少しお聞かせください。

コンビニのアルバイトは病気のことをオープンにしましたか。クローズドにしましたか。

 

回答・・・アルバイトはクローズドにしました。オープンでは採用されないと思ったからです。作業療法士としての正式な仕事には、院長に全てを話しました。オープンにするかクローズドにするかは難しい問題ですが、オープンにしたら病気に対する配慮があって仕事が少しは楽になるのでは・・・と甘いことは考えない方が良いみたいです。仕事は、できるかできないかのとてもシビアな世界です。それだけに大変ですが、楽しい面もあります。

 

32   僕は家や外にいるとしゃべってくる声が聞こえてきて、しゃべってしまうので、どうしたらいいでしょうか。なにか方法があったら教えてください。

 

回答・・・幻聴は結局、ないもの″ですから、相手にしても良いことはありません。だとすれば相手にしないのが一番です。声が聞こえても、「自分とは関係ない」と自分に言い聞かせて取り合わないようにできたらいいと思います。幻聴が怖いのは、単に声が聞こえるというもではなく、こちらの気持ちに揺さぶりをかけてくることです。この段階はもうお薬の問題ではなく、本人の気持ちの強さの問題といえるかもしれません。「強い心を育てるのだ」と幻聴を無視できるように自分の心を育てられたらいいと思います。自分で自分を鍛える以外に方法はありません。

 

33   作業療法士の資格に挑戦するにあたって、家族の意見とか経済的なことの問題とかいろいろあったと思いますが、そのあたりをお聞かせください。

 

回答・・・両親には「どうしても」と頼みました。それまで自分で決めることが出来ない状態でいただけに、この決断を両親は重く受け止め、許してくれました。お金は大変でした。親からの借金と奨学金と少しのアルバイトで何とかしました。

 

34   高校時代に発症し、現在引きこもり中の19歳の娘がいます。時折、大学進学を口にしますが、勉強できていないように思われます。「集中力がない」と言います。親としてどのように声掛けをしたり、接したりすれば良いか、アドバイスいただけたらと存じます。就労経験もなく自立できるのか心配です。

 

回答・・・私も発症してから1年ぐらい、引きこもっていました。引きこもりは、引きこもらなければならないほどエネルギーが欠乏して疲れ切っているから起こることでもあります。今はまだゆっくりと休ませてあげてほしいと思います。一番つらいのはご本人です。ですからお家は、焦りや心配を感じないような、くつろげる環境であってほしいと思います。エネルギーが溜まってくるまでにまだ何年もかかると思われますが、娘さんを信じて待ってあげてほしいと思います。転機は誰にも必ずやってきます。勉強も焦る必要は全くないと思います。世間一般の標準的な基準に照らして遅れている″と判断することはしないで、娘さんのペースで人生を歩んでゆくことを見守ってあげて下さい。

 

オ おかやんへの質問

 

35

精神保健福祉士になろうと思われたきっかけは何ですか

 

精神の分野を勉強していて、もっと詳しく勉強しているうちに、資格が取れるんじゃないかと思ったのがきっかけかもしれません。

 

36

笑顔が本当に相手にとってやわらぐものだなと感じますが、これは意識してそうされているのですか?またお仕事上で意識されてそういう形で接しておられるのですか?はたまた、そんなこととは関係なく地なのですか?

 

意識している部分は正直あるかもしれません。

仕事上ではかなり意識していると思います。

正直にいうと地の部分で笑顔になる部分と、意識して笑顔になる部分があって、どちらも自分の性格なんだと思います。

 

37

精神保健福祉士はどうやってとれるんですか?学費はどうされましたか?1日何時間働いておられますか?

 

私の場合は、4年制の福祉系の大学を卒業して国家試験を受けました。(主催者注:それ以外にもさまざまなルートがあるようです)

学費はアルバイトと年金を使いました。

今は1日3時間程度で働いています。

 

38

現在勤務しておられるところは、オープンで障害者枠での採用ですか?

クローズであれば、仕事上自分で配慮していることなど聞かせてください。

 

現在は大学の研究協力員としてオープンで働いております。

クローズの配慮ということで、以前働いていた例で言いますと(精神保健福祉士以外の仕事)、職場の中では病気の話は一切しない。薬もみつからないようにのむ、などです。身の回りでは、相談できる人を職場以外でみつけておく。しんどくなったら仮病を使って休むなどです。

 

39 

50歳女性ですが何か資格をとりたいのですが、年をとってしまいできるのか心配です。

 

そうですね。まず、自分は何の資格が取りたいのかを明確にすることですね。

取りたい資格が決まれば、コツコツと勉強ですね。年齢のことを気にされているようですが、何才になっても関係はないと思います。自分のやりたいことをやりたいときにやることは、大切なことだと思います。心配される気持ちはよく分かりますが、チャレンジしてみることも大切だと思います。

 

 

40

発症後に大学に入り精神保健福祉士になられたのでしょうか。精神保健福祉士としての仕事と、病気との関係を話していただけたらと思います。

 

20才のときに発症し、28歳になる年に大学に入学し精神保健福祉士は31歳で取得しました。今、現在の仕事は大学の研究協力員という立場で就労支援施設でIMR(疾病管理とリカバリー)という勉強を利用者に教えています。IMRというのは自分自身の病気を詳しく知り、その上で再発を防ぐ、薬の知識、ストレスに対処する。などを勉強します。病気は自分自身で管理していける。というものと、リカバリー(回復)は、その人にとってのリカバリーはどういうものだろうか?しっかり働けるようになることなのか?一人暮らしができることなのか?病気からの回復なのか?など、目標を決めそれに向かって進んでいくというものの2本の柱で進めていくプログラムです。IMRはアメリカで効果が認められており日本では効果があるのかどうかという研究です。私が取り組んだものでは3組合計10名が参加し5名が就職されました。就労支援施設で行ったということもあるのかと思います。

そのような仕事と、病気との関係では、IMRを教える立場なのでIMRを深く勉強しました。すると自分に当てはまることがらも多く、これからの自分に役に立つということです。自分自身の病気のしんどさという点では、その職場では病気をオープンにしているので周りが気を使ってくれます。例えば疲れているときに顔の表情を見られて「しんどそうだね」とか言ってもらえます。そのあたりは「やはり専門家だなあ」と思ったりします。

そう思うと、当事者の精神保健福祉士が現場で働くことは周りに負担がかかる気がします。逆に当事者の経験が活きる強みもあるので難しく捉えています。

 
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