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「零余子(むかご)」 植物の栄養繁殖器官の一つで、わき芽が養分を貯え肥大化した部分のこと。(ウデェペキアより) ムカゴがこの時期沢山なります。 ツルの下には大きな山芋があるかな。
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「難波大道」 日本書紀の推古天皇21(613)年に「難波から京に至るまでに大道を置く」という記述があり、 この大道の一部が難波の大道だと考えられる。 大阪市天王寺区の地名に難波の大道の痕跡があります。 法樂寺の西側壁に「難波の大道」の看板があります。 https://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033893.html 松原市で発掘にち難波の大道が確認される。 https://www.city.matsubara.lg.jp/soshiki/hisyo_kouhou/6/2/4/4558.html 大道と長尾街道と交差点はこの辺りでしょうか。 堺市北区金岡町の竹之内街道沿いに鎮座する金岡神社東側に、難波大道に由来する「大道町」の「大道町会館」があります。この辺りが大道と竹之内街道との交差点でしょう。 令和元年7月1日(月)曇り時々雨 |
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「我が松原市はハブ」 古市百舌鳥古墳群が世界遺産に登録されることがほぼ決まったようです。 大阪府では初めての世界遺産になります。喜ばしいことですね。 大阪府の古墳の多いところで知られています。 https://kofun.info/kofunlistmap/25 よく見れば日本中古墳だらけです。その様な中で何故大阪の古市百舌鳥古墳群が世界遺産に答申されたかというと、世界に於ける古墳で一、二を争う巨大古墳が大都会の中に点在されよく整備されていることだそうです。 堺市・藤井寺市・羽曳野市の三市が対象です。 この古市古墳群(羽曳野市・藤井寺市)百舌鳥古墳群(堺市)です。 古市古墳群へのアクセスは、近畿南大阪線の阿部野橋駅から藤井寺駅・土師ノ里駅・道明寺駅・古市駅のどちらかで下車。 百舌鳥古墳群は南海高野線の堺東駅・三国駅下車。堺東駅下車は堺市役所の展望台にて百舌鳥古墳群の全貌を俯瞰(ふかん)的に見る。 JR西日本の阪和線で百舌鳥駅下車。 https://www.google.com/maps/@34.5720574,135.5503197,12.75z この地図でも分かるように、古市古墳群と百舌鳥古墳群を結ぶ鉄道はありません。 ここで私ながらの提案ですが。近鉄南大阪線松原駅前にこの二つの古墳群を結ぶハブステーションが出来ないか、考えてしまいます。 松原駅前にホテルが出来れば最高でしょうね。 そこからレンタル自転車や車で移動する。以外と便利です。 松原市をこの世界遺産のハブステーションとする。なんて如何でしょうか? 令和元年6月14日(金)曇り |
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「あじさいの花」 梅雨が近づくとアジサイの花が咲く。 アジサイは結構強い木だと思う。 咲き終えると枝を剪定して切り落とすが、春のなると新芽が吹き出して6月の初旬から咲き出す。 私の母は6月20日生まれだった。昨年平成30年7月3日享年97歳で亡くなった。 大正生まれの女は戦争に青春を捧げ、戦後の退廃した日々を生き抜いて来た人である。だから人一倍気丈な女性であった。アジサイを自分に見立てたのかアジサイが大好きだった。 この母が90歳を過ぎた頃から、ボケが始まった。痴呆症の症状はもう少し前から出ていたのではないかと思われるのです。 この母が6月20日生まれであり、母にご縁のある方々から毎年アジサイの鉢植えを贈られ、その鉢植えのアジサイを私は境内の随所に植えたのが、この時期に一斉に花咲きます。 アジサイは紫色か水色と思っていましたが、白や赤に近いものまであり、この時期に境内はアジサイの花で明るくなっています。 しかしまだ今年の大阪は、梅雨入りしていない。 令和元年6月12日(水)晴れ |
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「黐の木(もちのき)と日本ミツバチ」 常緑樹は葉が常に緑であることを指します。 この辺りでの常緑樹は「クス・モチ・サカキ・ツバキ・オガタマ・イスなど」です。 これらは新芽が芽吹くとともに、古い葉は散ります。新芽と古い葉が世代交代するのです。ですから、春に落葉します。そうして花が咲きます。 いつも思うのですが、大きな木ほど小さな花を咲かせます。 今頃(5月中旬)モチノキも若葉に入れ替わり、小さな花をつけます。 その木から「ブーン」と、羽音が聞こえます。よく見ると小さな蜂が無数に飛んでいます。 日本ミツバチなんですよ。 この音がし出すと、もうすぐに梅雨になるんだと思います。 (令和元年5月18日記) |
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「コゲラ」 神社の門を閉めようかとしたとき「コツコツコツ」と何かを叩く音がした。 何かなと持ったとき「まさか」と思った。 そこへ禰宜がやってきた。 「何の音」 まさかキツツキでは?このような都会の中にキツツキがやってくるとは思わなかった。 30年前にご本殿の修復工事をしたとき、本殿の板壁の三カ所キツツキが穴を開けたと思われた箇所を見つけた。昔はキツツキも居たのかと思ったことがある。 私と禰宜が目を懲らして、音なる方向を見ていると、「あそこに鳥が居る」という禰宜の言う方向を見ると、小さな鳥が一生懸命に少し太めの枝を突いていた。 早速写真機を取りに行き望遠レンズと交換し写真を撮ろうとフェンダーを覗くと、そこに背中に縞模様の小鳥が居た。 「まさにコゲラだ。」 まさかこのような都会の真ん中に。 山も住みにくくなったのかな。 ご本殿の板壁に穴を開けないでね。 「コゲラ」(yachoo! 野鳥オンライン野鳥図鑑) http://www.yachoo.org/Book/Show/416/kogera/ |
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「におい」 朝起きて拝殿を開けるのは夏場は午前6時と決めています。ご本殿へ、境内社への神饌のお供えの後に日供祭を執り行います。次に犬の散歩。散歩から帰って境内の掃除が始まるのは午前7時。 何故午前7時から境内の掃除かと言うと、近隣の人達が境内清掃のお手伝いに来てくれるのが大体この時間なのです。 以前にもっと早くに掃除を始めたことがあります。そうすると午前7時には掃き終わってしまうことがあり、折角お手伝いに来た人をがっかりさせてしまったことがあり、夏場は午前7時に、冬場は1時間遅れの8時からと決めたのです。 と言っても、一番落ち葉の多い季節は4月と10月で7時から掃き始めても掃き終わるのは9時になるでしょうか。 春はクスノキのような常緑の木が葉を落とし、秋には椋の木のような落葉樹が葉を落とします。 夏場はほとんど葉を落とさないのですが、掃いた後では、境内の砂は掃き目が出来て、清々しく気持ちよくなります。 神職の境内清掃は掃除だけではなく、掃き清めるという宗教的な意味もあります。 清掃をお手伝いくださる人はこぞっておっしゃるのは、境内を掃除させていただいて帰った後の朝食が美味しいのですと言います。 それは体を動かし一定の運動をしたからでしょうが、掃くことは清め祓うという宗教的意味があり、掃除は二の次で始めに神様へのお参り在りと願いしています。 ですから、いくら後出来て皆様が掃いていても、先にお参りを済ませてくださいと言います。 時折、神様へのお参りは二の次で、ダイエットが目的。又は、家に居ても家族にうさん臭く思われるから時間つぶしに。挙げ句の果て掃除をするから幾ら頂けるのかとか。 その様な方々には、趣旨を説明して、理解していただけない方には遠慮していただきます。ほとんどが趣旨を理解して下さいます。 だからでしょうか、始めに信仰ありきですので皆様大変仲良く清掃を手伝ってくれます。 お参りに来た人とも仲良く。お参り来た人は、清掃をしてくれている人に「何時も綺麗にしていただき有り難う御座います」と感謝の言葉を掛けてくれます。 朝に掃除をしていますと色々なことがありますがその一つに「におい」があります。 掃いていますと時折何とも言えない芳香がするときがあります。 前日雨が降った次の日とかが多いのですが、決まった場所ではなく、何とも言えない良い匂いなのです。 この匂いをかぐと精神が落ち着いていくのがはっきりと分かります。 この匂いがした時、掃いている人やお参りに来た人を呼び、その場所にて皆で深呼吸。 この匂いがするのは数分で又違う場所に移ります 何の匂いの原因はまだ分かりません。 木に寄生するキノコ関係か苔の匂いかな?と思ったりもします。 最近晴れ続きで匂わないです。 一雨が欲しいです。 そうすれば又匂うでしょう。 平成22年7月22日(木)記 |
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「ミノムシ(蓑虫)」 朝に犬の散歩に出かけたところ、神社の裏の雑木に何か小さなものが引っ張り付いている。 よくよく見るとミノムシである。 そういえば私たち小さな頃(現在私61歳)にはそこら中に大小のミノムシがぶら下がっていた。 私の婆さんはミノムシの殻で作った鞄を持っていた。 三重県伊賀市には松を芭蕉の蓑虫庵が残っている。 それぐらいにミノムシは身近にあった。 そのミノムシが絶滅危惧種に登録されている。 特にオオミノガが激減した。 原因は、オオミノガにのみ寄生する中国からやって来たと言われている外来種のオオミノガヤドリバエが原因とか。 長い間見なかったミノムシが沢山居るのみ驚いた。が、どう見ても昔見たミノムシとは一風変わっている。 どうもオオミノガのミノムシではなく別の種類のミノムシなのであろう。 あまりにも小粒ですぎる。 北風にも負けないあのドッシリとした大振りのミノムシは何処に行ったのだろうか。 朝夕の犬散歩にあちらこちらの枝を見る毎日です。 平成22年1月23日記 |
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「カラスと首と玉子」 一日と十五日は神社のとって大切な日なのです。 一日は朔日とも書くように、旧暦に於いては新月に当たる日で一般的な神社では月並祭(月次祭)が執り行われ、十五日は月半ばと言うことで十五日祭が執り行われます。 今から十年余り前のことでしょうか、ある女性が寝違えたかどうかで全く首が廻らなくなりました。 どうしたものか。困ったときの神頼みじゃないですが、近隣の氏神さまに病気平癒のご祈祷をしていただきに詣りに行こうと持ったそうです。 そうして彼女はその近隣の氏神さまである布忍神社に来られたのです。 祈祷の後、神職様から「これから暇を見て二十一日間願掛けのつもりでお参りしなさい。出来れば朝早くが良いですね」と言われました。 朝早くに来ると、沢山の人々が境内の掃除を奉仕しているのを見て私も仲間に入れてもらったそうです。 そうして何日か経ったある日のこと。 掃除をやり終えて本殿をお参り、次に本で横のクスノキの大木を神の依り代とお祀りしている「白姫の大神」と称しているお社に参っていると、一匹のカラスが本殿お屋根に止まり、一声鳴いたかと思うと次に〆石の上に止まって二声鳴いたそうです。 その女性はそのカラスの気配を感じながらお参りしていると、急にそのカラスがその人の頭の上に止まったそうです。 驚き思わず後ろを振り返ったそうです。 カラスは又〆石の上に止まり、カァ〜カァ〜鳴きながら今度はその女性の肩に足を着いて飛んでいったそうです。 彼女は何が何だか分からず呆然としていたそうです。 その内に我に返ると、なんとなんと、今まで首が廻らずにいたのが嘘のように首が廻ったのです。 一体これはどういう事なんだろう。 「神様のお使いとしてのカラスが私の首を治してくださった」のだと、彼女は思ったのです。 何かお礼をと思った彼女は「私が命の続く限り、「神社の清掃をすること」「一日十五日にはカラスへのお礼として玉子を六個お供えすること」を決めたそうです。 それから十数年経ちますが、一日十五日には彼女が参拝の終えるのをカラスは必ず本殿の上に止まって待っています。 クスノキの大木の根元に玉子を供えて彼女がお参りを済ますと、カラスは玉子を上手くくわえて何処へと飛んでいきます。 彼女はその光景を満面の笑みをたたえながら見守っています 私には分かりませんが、彼女はカラスも初代のカラスから数えるに何代も変わりましたと言います。 平日はカラスはいますが彼女を待つと言うことはしませんが、不思議なことにカラスには一日と十五日が分かるようです。 秋も深まり神社の落ち葉も多く、昨日十五日も清掃奉仕の皆様は一生懸命に境内のお掃除をしてくれていました。 いつもの一日や十五日のように何匹かのカラスが本殿拝殿に止まっているなと思っていました。 いつもなら彼女は掃除を終えると、社殿にお参りした後にクスノキのところで玉子をお供えするのですが、彼女はうっかりと今日が十五日だという事を忘れてしまい玉子を持ってこなかったそうです。 カラスは彼女が玉子を供えないことを知ると、玉子の催促をするかのようにギャァーギャァーギャァーとうるさく鳴き、神社を立ち去ろうとはしません。 彼女はカラスにゴメン、ゴメンと謝りながら自転車で玉子を取りに帰りました。 その後のことは、七五三詣りのご祈祷のために私は忙しくなったので知らなかったのですが、カラスは彼女が玉子取りに帰って来るまでジーと待ち続けていたそうです。 やがて彼女が玉子を持参してクスノキの根元に供えると、一匹一匹と玉子をくわえて飛んでいったと言います。 何故にカラスは今日が一日だ。十五日だと分かるのでしょうか。 本当に不思議です。 一日十五日の朝八時半から九時にかけてお参りになりますとこの光景が見られますよ。 平成21年11月16日(月)
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「白鷺の逆襲」 布忍神社に「布忍神社八景」の扁額がある。(松原市指定文化財第1号) 飛来した水鳥が戯れている風景を「籠池の白鴎」と題され描かれている。 この扁額が奉納されたのは宝永2年(1705)酉の年11月13日である。 ちょうど300年経った平成17年(2005)11月の酉の年に1羽の白鷺がお宮に飛んできた。 神社の東側を流れる西除川の水質も最近良くなり、鯉や鮒と言った川魚が遡上してくるようになった。 その後、白鷺や五位鷺また青鷺なども見られるようになった。 まさかその白鷺が、お宮のクスノキを寝床にするなんて思わなかった。 「良いですね。白鷺が飛できて寝床にするなんて、何か良いことの知らせはないでしょうか」と暢気なことを言っていたのはその年だけだった。 次の年には前年より多くの水鳥が飛んでくる。 朝見ると境内のあちらこちらに白い糞がまき散らされ、榊の葉が糞で白くなっている。 今年は特別多くの水鳥が飛んできた。 それも参道のまあ上に飛来して糞をする。下を歩いている夜詣りの参拝者の上に糞が落ちてくることも屡々。 私も何度となく掛けられた。 そこへ今年はカワウまでお宮を寝床にやってくる。 カワウの糞は他の水鳥のたぐいではない。 他の水鳥より量も多くて、生臭い。 もう耐えられないと退治することにした。 西の空に太陽が沈み、辺りが暗くなってくると、どこからともなく水鳥が、ギャーギャーギャーとまるで怪獣のような声を出して(怪獣の声を聞いたことはないが)木に留まりに来る。 この時を待っていて竹の先に竹箒を取り付けて、留まりに来た木の枝を揺する。 意外と効き目があり、留まっている水鳥は驚いて何処へとなく飛んでいく。 飛来する水鳥も日に日に少なくなってきた。 次の日も次の日もやって一週間目の日のことである。 何度追ってもやって来る白鷺が居る。 今日も来たかと竹で追いやろうとしたその時、ガヤと一声して羽ばたいた。 上を見ていた私は、あれ何かおかしいなと思った矢先に、細長い物体が上から落ちてきた。 「危ない」と思って身を避けたつもりだが、そこはもう年。動体視力に反射運動が劣っている。 デコにガツン。 目から火花とともにメガネが吹き飛んだ。 その時に白鷺の飛んでいく羽音が聞こえた。 その物体は30pほどの枝である あの枯れ枝は偶然落ちてきたのだろうか。 きっと、白鷺が私を狙って落としたのでは。 白鷺の逆襲か。 その日から白鷺は参道の上の木には来なくなった。 デコにはまだ三日月形の傷跡がある。 どうも年のせいか傷の治りも遅い。 (平成21年11月9日(月)記) |