黐木舎


平成13年(2001年)
7月






7月23日(月)晴れ
「暑いね」挨拶がこの言葉。
ほんまに暑い。
今日はお宮も暇なので家でゴロゴロしていたのだが、急に近くに用事ができ車で行こうとすると、犬が付いて来た。
「お前も行くか」と車に乗せる。
用事を終えて、近所の公園に出向く。
この公園は池を中心に小高い山を築き上げた人造の公園である。
土日などは近隣の人達が集い、毎日朝夕にはジョギング、ウオーキングや散歩で沢山お人が集まってくる。
公園の駐車場に車を止めて中にはいるが、午後2時という時間帯には広い芝生にはほとんど人は居ない。
いったい温度は何度あるのだろうかと、犬を連れ汗を拭いながら思った。
物好きなものだ、こんな時間帯に来るなんて。
まして犬を連れて散歩している人なんて誰も居ない。
ホカに犬もましてや、余り人も居ない公園なので、犬のリードをとって自由にさせる。
始め犬は喜んで一目散に走り出すが、直ぐに気の木陰に行って用を足すと、そこからは出ようとしない。
犬もこの暑さにウンザリしているのだろう。
何とかなだめ歩き出すが、玉のような汗が体中から噴き出してきた。
池の中央には大きな噴水が10メートル近く吹き上がっている。
魚釣りの人が池の土手から竿を出し魚釣りをしている人だけが居るのんびりとした風景。
焼けたアスファルトの上を通る風はなま暖かく、舗装道路を歩く気はしない。私と犬はなるべく木陰沿いや雑木林の中を歩いた。
もう一つの芝生の大広場に行くも、数組のカップル以外誰も居ない。
木の生えてない芝生は暑く、何本か生えている気の木陰はアベックに占領されていて近付く気もしない。
汗は止めどもなく流れ、眉毛を通り抜け目の中に入ってくる。
「チクショ。こんなに暑いのならクーラーの効いた部屋で本でも読んでおけばよかった」と一人呟く。
犬は長い舌を口の横から垂れだし、ハァハァと息づかいをし、ボタボタと涎を落とす。
「暑いよな。その涎は俺の汗と同じか」何て言いながら半周ぐらいしたところから、標高30メートル余りの山への入り口に差し掛かった。
リードを離された犬はその山に向かって行くのである。
この暑さ、丘と居ても良いような山に登るなんて考えられない、早く帰って涼しいところで寝そべってビールでも飲んでくつろぎたい。
犬を幾ら呼んでも帰ってこない。
「しまった。リードを放さなければよかったと悔やむ」
仕方なく私も後に付いて登らなければならない。
山の頂上に至る雑木林の中を歩いていくと、眼下に池が見え、岸辺には蓮の葉と大輪のピンクの花が咲いているのが見えた。
10メートルほど向こうの木陰に座った犬が「早く来い」と、云っているかのように待っている。
犬の処に着くが、その場から犬は動く気配がない。
立ち止まり犬の側に座り込むと、風が私を通り抜ける。
池の水面を渡り雑木林を通り抜けて来る風は、なんと爽やかな風なのか。
犬はこの場所を知っていたのか。
先程までの暑さと、汗が一気に引いていく。
クーラーの効いた部屋より心地よい。
昔、爺さんが云った「何時の時も、離された犬が寝そべるところがその所の一番良い特等席なんだ」という言葉を思い出した。
私は、水面に浮かぶ蓮の花を見ながら、犬と一緒に小一時間ほどその場に居ただろうか。
その時間は、クーラーの中では味わうことの出来ない時間であったように思う。


7月14日(土)晴れ
夏祭り(12日・13日)も少しトラブルがあったが何とか終わった。
沢山の人がやってくるけど、この人達は何処からやって来るのだろうか。
しかし、年々子供達のマナーが落ちて行くのには呆れる。
浴衣を着て可愛くしてる女の子が、みんなそこら中に座り込んでいる。
男どもも、何処かしこと座り込む、格好悪いからと云っても聞かない。
神祭りではなく、出店詣りではなきか。
終わってみるとゴミの山。
これで良いのか日本人。
日本の国つぶれるで。
祭りが終わると何時もそう思う。

今日の朝、梅雨明けを知らせる蝉がいっせいに鳴き出した。


7月6日(金)雨
このページの更新を長い間サボっていた。
書きたいというものが無かったわけでもないが、何故か書く気になれなかった。
この世の中が余りにもおかしくなっている。
政治面・経済・社会面に於いても、諸々の面に於いておかしくなっている。
先日、犬の散歩に家の近くの公園に出かけた。
この公園は大変大きく、色々な人が集まってくる。
犬の散歩に来ている人も数多い。
私が犬を連れて散歩をしていると色々な人又犬に出会う。そうして、今あったとは思えない親しさで話しかけられ、ふと気が付くと私も同じように接しているのには、我ながら驚く。
同種の犬を連れている中年の女性に会った。
私の犬に会った途端に「同じ犬種ですね、牡ですか。大変落ち着いていますね」
私は犬とはこんなものだと思っていたので「エッそうですか」と答えた。
「何歳ですか」と訪ねられたので、私の犬は「生後7ヶ月だ」と云うと、彼女は「自分の犬は4ヶ月の雌犬です」と云った。
我が犬が、この茶色と白の可愛い犬に近づこうとすると、相手は逃げまどう。
「すいません、この犬人は好きなんですが犬は嫌いなんです」と云う。
「主人に忠実なんでしょう。よく居ますよ。しかし、なるべく他の犬と会わしてあげる方が良いでしょうね。特にこの犬はやんちゃな犬ですから躾をしてあげないといけないですね。甘やかすと手に負えないようになりますよ」と云うと彼女は堰を切ったようにしゃべり出した。
子供が学校の友達には皆犬が居るから僕にも犬を買って欲しいと云うので、この犬を飼い始めた。
始めは子供が世話をすると云うことだったのに、勉強や塾で忙しく、また主人は、あれこれ云うだけで一切世話をしないのに甘やかすだけ、今では私が世話をすることになった。
「この犬、家では走り回るのに外に出ると気が弱いのですよ。家の机や椅子の足を噛む、靴などは玄関に置いておけないのです」
「どうすればよいのですかね。先日なんか、子供の手を噛んだのです」
「それは良くないですよ。叱らなければ。悪い事すればその場で叱らないと良くないです。このまま甘やかしていたら後半年で取り返しの付かない状況になりますよ」
「だけど何となく可愛そうで」と彼女は云った。
「半年後、あなた達の家族が可愛そうな羽目になりますね。犬を飼わなければ良かったというように成りますよ」
「子供様は今の状況では、この犬から見た場合下の地位に居るみたいですから、お前より私の方が地位的に上だと云うことを認識させるために、無理矢理にでも自転車に乗って引っ張り回したり、悪いことをした場合スリッパの裏でも良いからたたき回してでも叱ることですね。それと同時に、云うことを聞いた場合や良いことをした場合。それこそ褒めるだけ褒めることでしょうね」
この様に云ったところ彼女は「自転車で引っ張り回すなんて無理です。私の子にはそれは出来ません。私の子供は少し肥満体なもので」
これには私も答える術を無くしてしまいました。

犬に限らず普通一般の動物は子供を何頭も産みます。
生まれた子供達はお乳の奪いやいから自ずと序列が出来、やがて子供達同士でじゃれ合い、喧嘩をし親に叱られながら1年あまり育っていきます。
その間親は一生懸命躾を行います。やがて、独り立ち出来るように成ると親離れ子離れが起こるのです。
しかしペットとしての犬などは、生後1ヶ月か2ヶ月で親から離され、人間の手で育てられる訳ですから、人間は親の役目をしなくては成りません。
特に犬を飼うときは十分な覚悟が必要でしょう。その覚悟がなければ犬を飼うべきでないと思います。
覚悟もなく飼い、子犬の可愛さにだまされ、甘やかし、躾もしないまま育った犬は大変な厄介なものです。
やがて飼い主には手がおえなくなり、育てることに飽きた人は、最近どうするかというと、まるでゴミを捨てるかのように公園や山奥に捨てます。
何か現在の子育ての縮図を見るような感じがしました。
人間社会では捨てることは出来ない代わりに、親は子を子は親を無視するように成ります。
犬と人間を同じように見るのは間違っていると云われるかも知れませんが、私には同じように思えます。
私の処に犬ももうすぐ8ヶ月、やっと番犬らしくなってきました。今私の足元ですやすや寝ています。
家族に於けるこの犬の順位は、一様下位ですが大切な家族の一員です。