泡沫戦史研究所/枢軸軍マイナー部隊史

SS戦闘団「シル」(SS機甲擲弾兵連隊「シル」)
SS Kampfgruppe "Schill"

 1945年1月、武装SSの最後の人的資源を搾り出すようにして、SS第32義勇擲弾兵師団「1月30日」が編成されました。その中でもSS第86義勇擲弾兵連隊「シル」の母体となったSS戦闘団「シル」(SS連隊「シル」)は、師団の中で唯一実戦経験のある部隊として師団戦力の中核となりました。それでは、このSS戦闘団「シル」はいったいどのような実戦を経験したのか、気になりませんか?

1.創設
 連隊の前身はベーメン・メーレン保護領(チェコ)の反乱に備えた鎮圧計画(暗号名「シルSchill」)により、鎮圧部隊として計画された戦闘団「シル」(Kampfgruppe "Schill")にまでさかのぼります。その後の東部戦線の戦況悪化による状況の変化によって、この計画は近隣のスロヴァキアでの反乱にも備えるものに変更となりました。
 1944年8月27日、スロヴァキアのセント・マルティンでスロヴァキア軍守備隊がドイツ人顧問22名を殺害するという反乱事件が発生し、この事件はスロヴァキア全土を揺るがす反乱へと発展しました。これに対して8月29日には暗号「シル」が発動され、計画どおりに鎮圧部隊として戦闘団「シル」が編成されました。戦闘団は「機甲擲弾兵連隊」に分類されましたが、実際には装甲兵員輸送車は数両しか装備しておらず、車輌の大部分はチェコ製のトラックと自動車を徴発して賄われ、その際にはなんと運転手までも一緒に徴用されました。


SS戦闘団「シル」の編成:ルドルフ・クローツSS中佐

第1大隊:ハンス・ケットゲンSS少尉
  第1中隊
  第2中隊
  第3中隊
  第4重装備中隊
第2大隊:ヴィルヘルム・チュートベルクSS大尉
  第1中隊
  第2中隊
  第3中隊
  第4重装備中隊:捕獲歩兵砲装備
軽歩兵砲中隊
突撃砲中隊

 第1大隊はヨーゼフシュタットのSS士官学校の生徒から編成され、兵員数1,000名、軽機関銃54丁、重機関銃24丁、81ミリ迫撃砲12門を装備しました。第2大隊はベーメンのSS機甲擲弾兵学校「キーンシューラク」の生徒から編成され、同校のSS機甲擲弾兵教導連隊、SS工兵学校「ハラディシュカ」、SS戦車猟兵学校「ベネシャウ」からの兵員数900名程度で、重装備中隊はスロバキア軍から捕獲した歩兵砲を装備していました。戦闘団にはこのほかにモラヴィアのブルノに駐屯していたSS第10機甲擲弾兵補充訓練大隊の兵員も編入され、クローツSS中佐がどこからか集めてきた兵員・機材により軽歩兵砲中隊と突撃砲中隊も編入されて、なかなかバランスの取れた実戦的な編成となっていました。


2.スロヴァキアの武装蜂起
 8月30日、ブレツノではスロヴァキア軍が武装蜂起し、事件はついに全土を揺るがす武装蜂起へと発展しました。9月2日、戦闘団は行動を開始し、まずニトラ(Nitra)に集結したスロヴァキア軍を戦闘なしに降伏させました。ニトラには当時2番目の規模でスロヴァキア軍が集結していましたが、ニトラのスロヴァキア軍指揮官は戦闘団のことを「SS師団の先遣隊」と勘違いし、最初から抵抗することを諦めたのでした。翌9月3日には第1大隊と突撃砲中隊がニトラの北方約30kmにあるトポルカニー(Toporcany)の町で最初の戦闘を経験しました。
 その後、戦闘団は蜂起軍の拠点であるバンスカ・ビストリツァ(Banská Bystrica)に向かって進撃し、9月25日にはゲットゲンSS少尉の第1大隊がツヴォーレン(Zvolen)北方の飛行場(バンスカ・ビストリツァの南方約12km)に突入してこれを奪取し、蜂起軍に大打撃を与えました。第1大隊はそのまま進撃を続け、ゲットゲンSS少尉はトーチカと地雷原で守られた拠点への夜間攻撃を決意し、装甲偵察部隊の援護の下で自ら兵を率いて突進し、明け方にはバンスカ・ビストリツァの市街地の外縁まで突入しました。第1大隊は蜂起軍の激しい抵抗を排除し、4時間後には街をほぼ完全に制圧しました。数日後にはスロヴァキア軍の総司令官ヴィースト大将、参謀長ゴリアン大将をはじめ蜂起軍の大部分が投降して、スロヴァキア軍による武装蜂起は終息しました。

 第1大隊を指揮したハンス・ゲットゲンSS少尉は、第1SS戦車師団と第5SS戦車師団で経験を積み、ベーメンのSS機甲擲弾兵学校「クラインシューラク」の教官を務めていましたが、SS戦闘団の編成時に第1大隊長を拝命しました。ハンス・ゲットゲンSS少尉(のちにSS大尉)は武装蜂起鎮圧への貢献が高く評価され、1945年2月14日付けで騎士十字章が授与されました。
 スロヴァキア鎮圧作戦にはSS戦闘団「シル」の他に、SS戦闘団「ヴィルトナー」(兵力約1500名)も投入されました。この戦闘団は7月に東部戦線で大損害を受け、ハンガリーで再編成中の第14SS所属武装擲弾兵師団「ガリツィア第1」から兵力を抽出し急遽編成されましたが、その戦闘力はあまりに低く一時はSS戦闘団「シル」の下位部隊として運用されたものの結局は役に立たず、SS戦闘団「ヴィルトナー」は10月始めには解散されました。


SS戦闘団「ヴィルトナー」の編成

SS第29擲弾兵連隊の第3大隊(3個中隊)
SS第14砲兵連隊の軽砲兵中隊
SS第14戦車猟兵大隊の2個小隊
SS第14工兵大隊の2個小隊
SS第14通信中隊
補給大隊


3.SS第86義勇擲弾兵連隊「シル」
 一方SS戦闘団「シル」はスロヴァキア各地を転戦して武装蜂起の鎮圧にあたり、最後まで鎮圧作戦の先頭に立ちつづけました。スロヴァキアの武装蜂起を鎮圧した後もSS戦闘団「シル」は解散することなく、その高い戦闘能力により東部戦線の貴重な即応戦力として温存されました。1945年1月、SS第32義勇擲弾兵師団「1月30日」の新編成に伴いSS戦闘団「シル」(SS連隊「シル」)はこの新編成師団に編入されることとなり、1945年2月25日付けでSS第86義勇擲弾兵連隊「シル」として改編・改称され、師団で唯一実戦経験のある部隊として戦力の中核となりました。


参考資料
アーマーモデリング 2002年6月号SS最貧師団列伝 第28話(大日本絵画 2002.6)
第2次大戦欧州戦史シリーズ−18 武装SS全史−U(学習研究社 2002.1)
コマンド・マガジンNo.26 ドイツ軍戦闘団の誕生と進化(国際通信社 1999.4)
月刊モデルグラフィックス 1998年3月号ラスト・オブ・カンプフグルッペ 第25話(大日本絵画 1998.3)


2002.6.12 新規作成
2002.7.16 参考資料の追加及び改訂版作成

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