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遺産名 | タイの世界遺産の説明 | 登録年、種類 | |
スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町 | タイ民族最初の統一王朝スコタイの都。13〜14世紀に栄え,仏教美術が発展した。城壁にかこまれた都の跡には寺院や王宮がある。中心部のワット・マバータート王室寺院には座仏像が置かれ,仏塔が立ちならぶ。 | 1991年、文化遺産 | |
アユタヤの歴史上の町と関連の歴史上の町 | アユタヤは国際的な交易都市として,14世紀から約400年間つづいたアユタヤ朝の都。ワット・プラ・スイー・サンペットやワット・プラ・マバタートなど,多くの寺院がある。18世紀にビルマ(ミャンマー)軍の侵攻で破壊されたままの遺跡も残る。 | 1991年、文化遺産 | |
トゥンヤイ-ファイ・カ・ケン野生生物保護区 | タイ西部のミャンマーとの国境近く,カンチヤナブリーの郊外にあるふたつの動物保護区。ここには東南アジアに生息する哺乳類の約3分の1が見られる。ヒョウ,サル,シカなどのほか,野生のマクジャクも生息する。 | 1991年、自然遺産 | |
バン・チアン遺跡 | タイ東北部のラオス国境近くで,1967年に発見された遺跡。人骨のほか青銅器や鉄器,彩色されたうずまき文様の土器などが出土。このバン・チェン彩文土器(さいもんどき)は4000年〜5000年前のものとされるが,まだ多くが解明されていない。 | 1992年、文化遺産 | |
ドンパヤーイェン-カオヤイ森林地帯 | 2005年、自然遺産 | ||
古都アユタヤと周辺の古都 古都スコタイと周辺の古都 タイ 1991年
タイの古都の仏教美術を伝える寺院(ワット)
アユタヤ朝の400年にわたる繁栄
アユタヤは,14世紀半ばから18世紀までタイの王朝の都だったところです。
アユタヤを都としたタイ王朝は,シャムとよばれていました。
1350年にラーマティボディ1世が樹立したアユタヤ朝は,1431年にカンボジアのアンコール朝をほろほし,タイ北部のスコタイ朝を併合して勢力を広げました。クメール(カンボジア)式の風習を受けいれ,ヒンドゥー教の伝統にもとづいた法律をつくりました。
16世紀半ばにビルマ(現在のミャンマー)に征服されましたが,16世紀末にナレースエン王がふたたび国を繁栄させました。
日本人町
アユタヤは,17世紀には中国やペルシャ,ヨーロッパとも外交・通商関係をもち、交易都市として繁栄しました。日本からも朱印船(しゅいんせん)が行き来し,アユタヤには日本人町もつくられ,その長として山田長政(やまだながまさ)が活躍したのも17世紀前半のことです。
しかし,18世紀後半にビルマ軍の侵攻によってアユタヤは徹底的に破壊され,アユタヤ朝は滅亡しました。
アユタヤ朝の栄華(えいが)をうつす仏教美術
1374年に建造されたワット・プラ・マハ・タートは,さまざまな建築様式が混合した寺院です。建築当時はアユタヤ建築のさきがけとして,黄金にかがやいていたといわれます。
アユタヤにはいくつものワット(寺院)があり,仏塔や仏像,美しい彫刻や壁画など,王朝当時のようすを伝えています。しかし,破壊されたままのものも残っています。
遺跡から発掘された宝物箱や壁画などの美術品は,市内のチャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されている。
仏教国タイ
タイには,現在も王さまがいます。
正式国名をタイ王国という,立憲君主国(りっけんくんしゅこく)です。ほかの国の植民地になった歴史がなく,19世紀末から20世紀初めにかけてヨーロッパの大国に植民地支配を受けた東南アジアの国々のなかでは,特異な存在です。
タイ国民の約95%は仏教徒です。全国に約1万8,000のワットがあり,14万人の僧侶がいます。仏教徒の男子が数日から数カ月ワットにはいって修行する慣習は,現在も生きています。
タイ経済は長年、米の生産と輸出が中心でしたが、1970年から工業化が進みました。現在は繊維・機械製品なども主要な輸出品で,日本との貿易もさかんです。