ワカサギの移植と琵琶湖のコアユ


水産一筋43年、業界の大先輩、栗原さんからのメールです。
ワカサギの移植については)、初め涸沼から松川浦に移殖したら、上手く行ったということが伝わり、翌年から各地 で行われるようになったのだと推察しています。当時としては、何も居ないところ に、新しい魚を移して増やすことは、先端技術であったと思います。

移殖はなかなか難しい技術です。初めは、多分、当てずっぽうでやった魚もあると思 います。そういう中で、アメリカから来たニジマスや汽水性のワカサギは希な成功例だと思います。

当時の水産試験場は、未だ全国何処にもあるという時期ではありません。ニジマスの里帰りに書きましたように、大正15年以降です。

滋賀県の醒ヶ井養鱒場は、何時出来たか分かりませんが、かなり早い時期に水産研究 に着手したと思います。

ですから、湖としても最大の琵琶湖に移殖してみようと考えた人が居ても不思議ではないと思います。それで、淡水湖では初めての移殖となったのだと思います。

それはそれとして、私の記憶では、昭和30年代の後半か40年頃に、諏訪湖から琵琶湖にワカサギ卵を送ったような気がしています。確かめてはいませんので、記憶違 いかも知れません。その時、アユが居て、ワカサギを増やそうとは、広い湖だなあと思ったような気がします。

私は、アユとワカサギは両立しないのではないかと考えています。それぞれ、産卵期が異なります。ワカサギの稚魚が孵化したとき、3月4月は、アユが活発に餌を摂っています。アユの稚魚が孵化する10月ー12月頃は、産卵期前のワカサギが大食いする時期です。
それぞれが、相手の稚魚を食べるという関係です。


昭和40年代前半は、アユの種苗生産の入り口でした。孵化したばかりのアユの仔魚に与える人工の餌が旨く行かず、一年に一回のチャンスがむなしく過ぎて行きました。

そこで、私は、半分冗談で、ワカサギを使えば、一年に二度研究が出来るよと、そのような会議で発言したことがあります。誰も飛びつきませんでしたが、ちょうどその頃転勤して、行政畑になってしまい、自分の考えを実現できませんでした。

そのようなことから、ワカサギが増えたという琵琶湖のコアユが心配なのです。

もうじき、結果は出るでしょう。メールを書き出したら、違う方向へ話が飛んでしまいましたが、日本の内水面水産業の中心的役割を果たしているのが琵琶湖です。

過去には、大阪の上水道の水源として、堰の嵩上げなどもあり、全国の水産人が心配 しています。琵琶湖の魚達が安心して住める環境を護ってやることも大切だと思います。
以上

Webmasterの独り言
ここで栗原さんがお書きになっていることは、私たちのような一般消費者は全く知らないことです。
しかし、各地の水産関係者の皆さんの地道な努力があってこそ、現在があるのですよね。

琵琶湖のコアユとワカサギの関係は、私も知りませんでした。琵琶湖に関わっている水産関係者の一部の方しか知らないことではないでしょうか。
「ワカサギが豊漁」との新聞報道があったときでも、コアユとの相互関係までは書かれていなかったように記憶しています。
今年は、ワカサギが豊漁でした。私が見た琵琶湖のワカサギは、まるまると太っていました。コアユをたっぷりと食べて太ったのでしょうか。

最後に書かれている琵琶湖の環境問題、これも切実なことです。
一昨年、徳島のアユ養殖業者さんのところでも、琵琶湖の環境問題とコアユの「へい死率」について指摘されました。
「とにかく、琵琶湖を綺麗にして、元気なコアユを出荷して欲しい。」ということでした。当然ですね。
あの頃に言われていた「へい死率」は30%だったのですが、今年などは70%と言われています。
冷水病と琵琶湖の汚染が直接結びつくのかどうかは、私にはわからないのですが、このままではいけないという危機感はつのるばかりです。
リンク 栗原さんのページ(お孫さんの写真集や「水産雑学コラム」など) おすすめ!
養殖なんでもありありページ(アユの養殖業者さんです。)

神奈川県水産総合研究所内水面試験場の戸井田伸一さんからの情報です。
琵琶湖のアユとワカサギについての最新情報(1998年5月7日)
  • 琵琶湖のワカサギはここ数年確かに爆発的に増えました。しかも20〜30gと非常に大きく、ワカサギとは思えない魚です。しかし、今春は急激に数が減りました。また、アユは昨年、今年と大豊漁で操業調整に入っています。
  • ワカサギが増えたからアユが減った、ワカサギが減ったからアユが増えたと見えるかもしれませんが、年により湖の環境が変わり、たまたまワカサギに適していたかどうかではないでしょうか。
  • しかし、単一の魚種が卓越的に増える湖の環境は、湖が病んでいる警告の一つかもしれません。
お魚情報館
.
Copyright(C) April 13 ,1998 by Toshio Yabe. All rights reserved