家辺の質問
- この、お節料理の「サケ圏」と「ブリ圏」ですが、具体的には、どこがどうなのでしょう。明確に引ける「線」はあるのでしょうか。
栗原さんの回答
- 私も正確には、分かりません。
ただ、何故食べるかということになると、大昔の流通は地場に限られますので、或いは、ごく近くの範囲ですから、暮れに獲れるものとなるでしょう。
鮭は、秋から獲れますが、関東では僅かに遡上したでしょうが、食料としては、東北、茨城などからの塩引きでしょうね。
相模湾では、ブリは、2月以降、特に彼岸鰤が有名です。回遊の関係でしょう。
従って、本来は、静岡辺りまでは、鮭圏ではないかと思います。
中部圏は、北陸から来る方が近いでしょうから、鰤となって、信州では塩鰤や、糸魚川から来る自然のパーシャルの鰤が入ってきたのだと思います。家の裏の、雪の中に放り出しておいても、痛まなかったと思います。
この件は、それぞれの地にずっと定着されて居られる方々に聞かないと分からないと思います。
私の場合は、たまたま、九州出身の母親を持ち、信州出身の父親を持つ家内でしたので、そのようなことが分かったのだと思います。
話は違いますが、長野県は、イカの大消費地でした。「でした」と申しますのは、昭和30年頃、長野県庁に勤務していた時に、青森から、消費について調査団が来て、それに対応した記憶があります。青森県のお得意さんだったのです。
今も、(長野県の)スーパーで、ゆでいか(ボイルです)、しおいか(塩蔵です)が売られています。
夏の食べものとして、しおいかを塩出しして、小さく刻み、キュウリもみにすると、ビールのつまみに最高です。
これは、こちら(横浜)では売っていません。
塩蔵ものだけが海産物として信州に入っていた証拠でしょうね。
家辺のコメント
- 信州は山国ですが、いろんな所から魚が入っているのですね。食文化の伝搬というのはすごいものがありますね。
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