飴屋の幽霊の話 (伊良林の光源寺に伝わる談話) 「ゆうれい坂」の名前の由来

むかしむかし、毎晩、丑(うし)三つ時になると、青白い見慣れない女が麹屋町(こうじやまち)にある飴屋(あめや)の戸をたたいて、一文銭で飴を買いにやってきました。

七日目のこと、この女は「今日はもうお金がありませんから、飴をめぐんでください。」と主人にたのみました。

不審に思った飴屋の主人は、そっと女の後をつけ行きましたが、伊良林の光源寺のお墓のあたりで消えてしまいました。

翌朝住職にその話をし姿が消えた所に行きますと、新しいお墓があり中から赤ちゃんの泣く声が聞こえてきました。

あわてて墓を掘りますとそこには可愛い赤ちゃんが元気な声で泣いていました。

亡くなったのは宮大工の奥さんで、京都で知り合い長崎にもどった夫を追いかけて来ましたが、疲れ果て見ごもったまま亡くなったのです。

女は柩(ひつぎ)に納められた六文銭(三途の川の渡し賃)をもって飴を買いに来ていたのです。

赤ちゃんは無事に父親に引き取られました。

数日後の夜、飴屋にあの女が訪ねて来ました。

「私もやっと成仏できました。お礼をしたいとおもいます。何かお望みは」と尋ねました。

飴屋は「ここらは水がなくて困っている。」と答えますと、「明日の朝、店の近くを掘りなさい」と言って姿を消しました。

翌朝、女が教えた所を堀りますとこんこんと水がわいてきました。

この井戸は後に、「幽霊井戸」と呼ばれるようになりました。

十八銀行発行 「さがさきの空」 第6集H6年10月 長崎歴史文化協会編集,堀田武弘氏著より


ゆうれい井戸は、麹屋町6番地の道路脇に埋められている、と言う。
私が案内して頂いた幽霊井戸は、麹屋町5−3の佐藤さん宅の前にあり、一部が地下防火水槽に、また一部が上部にスラブを打って井手かまぼこ店倉庫が建っており、その下になっていました。


延享2年(1745年)の箱書きのある木彫の「産女(うぐめ)の幽霊像」は、毎年一回だけ、旧暦のお盆の7月16日(1996年は8月29日)に光源寺でご開帳されます。
お参りすると、子を思う母の一念でお産は安産し、飴をもらって帰りいただくと、お乳が良く出るという。

光源寺は、寛永8年1631年に筑後柳川光源寺の僧・松吟が開基した、浄土真宗本願寺(西本願寺)派のお寺です。


長崎中心部の坂  にもどる

長崎の坂の名前  にもどる