対馬の河童
対馬上県町佐護川にすむ「ガ−ツパ」には次のような伝承が残っている。
佐護川の上流から中流沿いにブチ(渕)が20数カ所ある。ブチは蛇行部分に当たり侵食も深く、水無川になる夏でも水をたたえ淀んでいる。

ブチには名があり、それぞれにガーッパがすんでいる。なかでも水死事故があったキリドーシブチを「ガーッパドコ」といい、佐護川のガーッパを統制する「大将ガーツパ」のすむブチをゴージブチという。 ゴージプチはプチの中でも最大、最深(約五尋)である。

商い(秋無い)ますます(二升)繁盛(半升=五合)

ガーッパたちは毎年正月を迎えると、ゴージブチで寄り(会議)を開く。大将ガーッパを囲んで、その詮議、評定が行われ、集まったガーッパたちは自分たちのプチの範囲に関する意見を出し合う。最後に大将ガーッバの意見によって、話し合いがまとまり終わる。

他方このころ「ガーッパおとしの神さん」と呼ばれる祈祷師の家ではガーッパ祭りが行われる。ガーッパが人に憑(つ)いたときは、ここでガーッパおとしも行われる。
神さんが御幣を供え、太鼓をたたき呪文を唱えてガーッパおとしをするのである。


「対州ガーッバ」といわれるほど対馬にはガーッパの伝承が多い。ガーッパ井戸(対馬厳原町)、馬とりブチ (上対馬町)などの地名もある。

上対馬町比田勝には、比田勝ガーッパと、朝鮮ガーッパが人や馬を比田勝川に引き込む競争をした話、ガーッパのイモ掘りの話などがある。またジゴを抜かれてガーッパ穴で親子が水死したという話など語られている。

対馬のカッパの大将は美津島町難知(けち)の千馬ケ原にすんでいるという。

壱岐郡芦辺町八幡浦の津緑川(つべらごう)神社では、盆の一六日に「ガワッパ相撲」を行う。

河童・田中義人 作
河童・田中義人(長崎市) 作陶

河童は母子神信仰に基づく小さ子神の思想と関係がある(民俗学辞典・東京堂)ものであるが、対馬のブチは、もともと水神を祀る聖地であったと考えられ、豊玉町仁位(にい)は七獄、七茂、七渕があり、水が淀む渕を水の精霊がすむ聖地と考えてきた。

しかし、現在では属性豊かなガーッパがすむ場所、死をも招来するところとなり、ついには神威を失った水神を河童に戯画化し、恐怖の対象として河童の話が教訓的に語り継がれている。(参考文献「豊玉の民俗」)

<長崎県大百科事典 長崎新聞社 昭和59年8月より 吉富孝汎>

対馬の河童伝説については

⇒「九州の河童」 純真女子短大国文科編 葦書房 昭和61年1月発行
⇒「対馬の昔話 日本の昔話24」 宮本正興・山中耕作編 日本放送出版協会 昭和53年11月発行をご覧下さい。



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