河童の石証文   北松浦郡鹿町町(しかまちちょう)鹿町免(しかまちめん)
河童の伝説は各地方にも、色々な伝説があるが、河童伝説は、だいたいあまり険悪なものより、どっちかというと、いたづら児というか小悪魔的な要素を持った怪獣とさ れている。
 この鹿町川の河童も、たぶんにもれず、子供や大人、家畜らにいたずらしていた。

 ここの元触で河童渕の近くに、大楽院という真言宗、修験道の山伏がいた。

鹿町橋の下流・約10mのところ 1998/8 撮影
河童渕(河川改修のため今は無い)
矢印に水神が祭ってある

 鹿町は、宗教的には、他村と一寸変った所がある、というのは明治までは、普通寺といわれるものは、真言宗・潮音院だけである。

 古く廃寺となった寺も、真言宗の寺のようだ。山法師と呼ばれる、山伏の修験道の家は、大楽院・大円坊・実法院・実相院があり現在は還俗しているが、子孫は実在している。
 外にも、明福院・法性院とかの名が残っている家の作りは、寺の様式でなく、民家をの作りにしたもので、家の中に各々の本尊と祈祷檀が、もうけてある。

 定期的な年中行事としての祈祷やら、水神金神のお祓(はら)い等特に農村の生活に、古くから密着する行事として存在していた。

 大楽院を開山した快深法師は、潮音院中興の法師でこの方が大楽院の先祖であったという。現在も、鹿町最後の山伏行者としての行をおこなっている家である。

 河童渕の河童が、川の岸につないであった大楽院の飼馬を、川の中に引ずり込もうとしていたのを、家人が見つけ、河童を捕え寺の門前の柿木に、くくり付けてしまっ た。

河童の石証文 1998/ 撮影
河童の石証文

 河童はどうにかして川に帰えりたいと思い謝って、今後悪いことはしないと、約束の証拠の品を出して許してもらった。

 その証拠の品というのは川底の丸いきれいな石に、三字の河童文字が書いてあって『川の水が、下から上に流れるようになったら、また悪さをするという』意味だったそう で、この石は大楽院氏宅で保存されている。

 ⇒鹿町町の河童伝説その2 河童の穴


<鹿町町郷土誌 郷土誌編纂委員会 鹿町町 昭和58年3月発行より>


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