蛭子(えびす)川畔の カツパ封じの碑   (佐世保市相浦町)
相浦(あいのうら)商店街の裏手を流れているのが蛭子川で、流れは短く、すぐ相浦港に注いでいる。 その中ほどに橋がかかり、たもとにカッパ封じのための石碑がある。高さ約二メートル、南無妙法蓮華経のヒゲ題目と「実相為道顕」の文字が刻してある。年号は万治三年だから、三百二十年昔のものだ。

蛭子川とカツパ封じの碑 1998/6 撮影
蛭子川とカツパ封じの碑(矢印)

近所に住む山本徳一さん(75)によると、この碑はもともと野川墓地に建てられていたもので、永禄十年(1567)に平戸松浦に攻められて落域した宗家松浦丹州親とその郎党の慰霊のためだった。建立者は日蓮上人の弟子で日信上人と伝えられている。

時代は下って明治43年、山本さんが五歳のころ、近所の山口六右衛門さんが蛭子川の飛び石橋付近でカッパにたぶらかされ、川の中に引きずりこまれそうになった。親類や近所の人がやっとこさで六右衛門さんを引き戻したが、そのまま六右衛門さんは寝ついて亡くなってしまった。

蛭子川のカッパは、ほかにもいたずらが絶えなかったので、近所の有志が思案のあげく、野川墓地の石碑は亡霊封じにも霊験あらたかだからカッパ封じにもいいだろうと、お祓いしたあと移した。その期待どおり、以後カッパの害はピタリと止んだ。

カツパ封じの碑 1998/6 撮影
カツパ封じの碑

田原町、日蓮宗本興寺の永付経信住職に尋ねると、碑文の「実相為道顕」は日蓮上人のお言葉で、実相(物の真実の姿)によるならば、道は自ずから顕(あき)かとなる、との真理を説いたものという。

蛭子川はいまはドブ川になって、カッパの出る幕もないが、碑の前は、いまも花や供え物が絶えない。

<させぼ市政だより 本田三郎 昭和55年11月より>


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