October,2006

ロンドンビクトリア駅(Victoria Stn.)からカンタベリー東駅(Canterbury East Stn.)へは1時間半ほどで着きました。
『カンタベリー物語』にある巡礼だと、2~3日の道のりです。

カンタベリー (Canterbury)

ローマ時代の城壁の写真

カンタベリー大聖堂を中心とした旧市街は、東半分がローマ時代の城壁で囲まれています。 城壁の上は遊歩道になっていて、歩けるようになっています。
城壁を渡り、セント・マーガレット・ストリートを歩くと、左にカンタベリー物語館が見えてきます。


カンタベリー物語館の写真

カンタベリー物語館 (The Canterbury Tales)

館内のろう人形はリアルです。ガイドレシーバーから流れてくる話に、中世の匂いを再現することで、より雰囲気を味わえるということです。


『カンタベリー物語』

14世紀にジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer)によって書かれた説話集。
チョーサーがロンドンからカンタベリー大聖堂への巡礼の途中、たまたま宿で同宿した様々の身分・職業の人間が、旅の退屈しのぎにごちそうをかけ、自分の知っているおもしろい話を順に語っていくという物語。
館内では、「騎士の話(The Knight's Tale)」「粉屋(The Miller's Tale)」「バースの女房の話(The Wife of Bath's Tale)」「尼院寺僧の話(The Num's Priest's Tale)」「免罪符売りの話(The Pardoner's Tale)」を紹介していました。


カンタベリー大聖堂(Canterbury Cathedral)

クライストチャーチ門の写真

イギリス国教会の総本山であるカンタベリー大聖堂(Canterbury Cathedral)は、クライストチャーチゲート(Christ Church Gate)をくぐり、中に入るようになっています。拝観料もここで支払います。
ゲートの正面中央のキリストのブロンズ像はのちに加えられたそうです。


大聖堂内身廊の写真

カンタベリー大聖堂は、12世紀後半におきたトマス・ベケット(Thomas Becket)の殉教により、何千人もの人々が聖トマス廟に参詣に来たことから、巡礼が盛んになったとか。

『カンタベリー物語』の広まりもあり、欧州各地から多くの巡礼者を呼び、多額の寄付を集めていた大聖堂ですが、16世紀半ば、ヘンリー八世(Henry VIII)が出した修道院解散令によって、その富は没収され、巡礼の最終地であった聖トマス廟も破壊されたそうです。


大聖堂内身廊内部の写真

大聖堂内身廊天井の写真

大聖堂内大理石門の写真


大聖堂内一番奥にある聖トマス廟跡に建つトリニティ・チャペルのステンドグラスは、目を奪われるほどです。

11世紀後半にカンタベリー大司教を務めていたアンセルムス(Saint Anselms)が描かれているステンドグラスがありました。左より、ウィリアム2世(WilliamⅡ)、ウィリアム1世に仕えた大司教ランフランクス(Lanf Lanc)、大司教アンセルムス、大司教ボールドウィン(Baldwin)、ヘンリー1世(Henly Ⅰ)でしょうか。

ステンドグラスの写真1

ステンドグラスの写真2

ステンドグラスの写真3


12世紀後半、王による教会支配を強化しようとしたヘンリー2世(Henly Ⅱ)と対立したカンタベリー大司教トマス・ベケットは、王の意をくむ4人の騎士によって、大聖堂内で暗殺されました。ローマ教皇アレクサンデル3世は即座にトマス・ベケットに、聖人の地位を与え、ヘンリー2世を殺害の責任を取る形で服従させたとのこと。

ステンドグラスの写真4

ステンドグラスの写真5

ステンドグラスの写真6


大回廊にも、ところどころにステンドグラスがありました。

ステンドグラスの写真4

ステンドグラスの写真5

ステンドグラスの写真6


戦士のチャペルの写真4

聖マイケル・チャペルは、イングランドの騎士や兵士が祀られているそうです。
聖ミカエル(大天使ミカエル)は兵士の守護聖人とされているそうです。
英語では聖マイケル、フランス語では聖ミシェルですね。


聖アウグスティヌス修道院跡(St. Augusine's Abbey)

7世紀前半、ローマ教皇の命を受けた聖アウグスティヌスが、城壁の外にこの修道院を建てたのが始まりです。
16世紀半ば、王妃キャサリン・オブ・アラゴン(メアリー1世の母)と離婚し、アン・ブーリン(エリザベス1世の母)との再婚を望んだヘンリー8世は、 離婚を認めようとしないローマ・カトリック教会を離脱し、イギリス国教会を設立することとなるのです。ローマ・カトリック教会の傘下にあった聖アウグスティヌス修道院も、修道院解散令により閉鎖され、王室の宮殿に改築されたとのこと。


聖アウグスティヌス修道院跡の写真1

聖アウグスティヌス修道院跡の写真2


草の生えていない道らしきところを歩いて回るのですが、各エリアにボードがあり、解体前の姿が描かれていて、見比べることが出来るようになっています。日本語の解説も下のほうに少し記載されています。


聖アウグスティヌス修道院跡の写真3

聖アウグスティヌス修道院跡の写真4


インフォメンショーンセンターの写真

旧市街の中心に、青い看板のインフォメーションセンターはあります。

インフォメーションセンターを背に、左がクライストチャーチゲートのあるサン・ストリート(Sun St.)、右はパレス・ストリート(Palace St.)です。


シュガーボーイ (The Sugar Boy)

パレス・ストリートにあるシュガーボーイは小さなお店ですが、『チャーリーとチョコレート工場』にお菓子を提供した有名店です。店内はキャンディーやチョコレートのビンでぎっしりです。ビンをレジに持っていくと、量り売りしてくれます。
シュガーボーイの近くにあったキングス・ギャラリー(King's Gallery)は、不思議な建物なので思わず写真を撮りました。

シュガーボーイの写真1

シュガーボーイの写真2

ギングス・ギャラリーの写真


ウィーヴァーズ・ハウスの写真1

オールド・ウィーヴァーズ・ハウス (The Old Weaver's house)

16世紀、ユグノー(Hugenot)と呼ばれるフランスのカルヴァン派のプロテスタントが宗教的迫害を逃れて、この場所に定住したとのこと。
熱心なカトリック教徒である異母姉メアリー1世より王位を継いだエリザベス1世は、父ヘンリー8世の改革を引き継ぎ、イギリス国教会を確立。
エリザベス1世はまた、ユグノーにカンタベリーで商売する権利と、大聖堂に礼拝の場所を提供しました。


ウィーヴァーズ・ハウスの写真2

ストゥア川(Riv.Stour)の上に建つハーフティンバー造りのコテージは、ユグノーに毛織物業者に多かったため、この名がついたとか。オールド・ウィーヴァーズ・ハウスは現在飲食店になっています。


ウェストゲートの写真

旧市街の西側には城壁は存在しませんが、8つあった城門のうち、ウエストゲートが唯一現存しています。現在は博物館になっているとのことです。
帰りは、カンタベリー西駅からロンドンビクトリア駅へ戻りました。


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