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第六一九号

             私とトライアスロン&
  第37回全日本トライアスロン皆生大会(2017年)参戦記!


2017年7月25日
スタッシュサポート
山田 正和氏

   はじめまして。初トライアスロンから29年、そして大阪でトライアスロンスイムスクー
   ルを開講して今年で23年目になりますスタッシュサポートの山田正和と申します。
   トライアスロン歴はそこそこ長いものの、1年に数試合参戦していたのは20代の頃のみ、
   スクールの指導者となってからはほぼ1年にロングを1レースのみというのが実態です。
   これには色々な理由や要因があってのことですが…(この部分を書き出すとまだまだ
   長くなるのでここでは端折ります…)でも、だからこそ、この年1レースを楽しみに、
   コーチとして選手として、細く長くやりがいを持って取り組んでいます。
   そして、ここ数年は大阪府協会の仕事に携わりながら、トライアスロン発祥の地でもあ
   る皆生トライアスロンに毎年お世話になっておりました。

   話は少し戻りますが…元々競泳出身の私がトライアスロンを始めたのには2つのキッカ
   ケがありました。まず1つは、現役を離れ、競泳指導者として歩みだしたものの、まだ
   組織の一指導者としてエネルギーを燻ぶらせていた頃、同じ位の歳の方が必死になっ
   て水泳の練習をされており、(競泳選手から見ると大して速くもないのに…失礼)
   この人達は一体何者なんだろうと興味を持ったこと。(後にこのお二人…水泳は苦手だ
   ったようですが、当時の宮古島大会で日本人10位ぐらいの上位トライアスリートと判明)
   そして2つめは、丁度その頃、自分の身近な先輩や後輩がトライアスロンというスポー
   ツで雑誌やテレビに出ているのを見て「頑張ってるんや~!」「カッコいいな!」って
   思ったことでした。
   最終的には、前述のお二人に誘われ、当時20万円で自転車を購入…これが引くに引
   けなくなった一番の理由なんですが…(笑) そして、そんな中、結局私は1流や2流の
   選手にもなれませんでしたが、当時の伊豆大島での全日本選手権やびわ湖アイアン
   マン、国内初のITU大会であった関空大会等にも出場させて戴き、大変良い思い出と
   なっております。

   さて、その頃から1年に1度、ロングのレースを中心に出場してきたわけですが、エリー
   トでもない私が唯一ずっと続けてきたこと…それは出場したレースでの完走でした。
   指導者として、完走することだけにこだわりを持っている訳ではありませんが、しかし
   ながらこれにも2つの想いがありました。1つは、結婚して2年目…嫁が大病を患い
   (発覚し)、トライアスロンを続けるなら、嫁にも周りにも心配をかけないようにしないと
   な…という想い、そして2つめは、スクールの皆さんと一緒に出場するからには、コー
   チとして最低でも完走だけはしないとな…という使命感みたいなものでした。
   スクールの皆さんには、「勇気あるリタイアを…」と度々口にしているのに、個人的には
   自分が選手としてトライアスロンを続けていくためのモチベーションのようなものになっ
   ていたように思います。
   しかし、昨年(2016年)の皆生大会、「これ以上無理したら皆に迷惑をかける…」という
   思いから、バイク終了時点で自らリタイアしました。トライアスロンを始めて28年、初め
   てのDNFでした…。そして、今年…エントリーするかどうかを迷っていた時、背中を押し
   てくれたのはスクールの皆さんでした。「コーチ!今年も一緒に行きましょうよ!」「コ
   ーチが行かな面白くないですやん」と… そしてエントリーした私に今年も皆生大会の
   出場権を戴けた。ホントに嬉しかったです。昨年リタイアした私に今年も戴けたこの機
   会、今年は何としても完走!どんなにしんどくても最後まで頑張ろう!と思って望んだ
   大会でした。

   結論から申しますと、今年はラン30キロ地点で収容となりました。応援して下さった皆
   様ありがとうございます。 フィニッシュテープを切れずにゴメンなさい…
   バイク~ランにかけては、5箇所で計1時間半ほど、椅子に座らせてもらったり寝ころ
   ばせてもらったりして休憩させて戴きました。あの休憩がなければ、ラン30キロ地点ま
   でも行けなかったと思います。ありがとうございました。
   しかし、結果は最初に書いた通り、力及ばずでした。大会スタッフの皆さん、今年は長
   々と最後までお付き合い戴きありがとうございました。ランコースでは折り返してまもな
   くから30キロ地点まで自転車でずっとライトを灯しながら併走してくださいました。
   何か申し訳なかったです…応援して下さった皆様にも申し訳なかったです。
   そして、嫁ゴメン!
   写真下段は、脳腫瘍の手術後5日目に嫁が病室から私にくれたメッセージでした。
   だから、どんなにしんどくても途中で止める訳にはいきませんでした…

   レースを振り返って…
   練習不足は否めないものの、自分なりに今年は完走できるかな…という所までは持っ
   ていったつもりでした…。しかし、昨年、今年と2大会のレースを通じ、私が完走できな
   い理由がはっきりと解りました。でも残念ながら、現状ではそれを修正するのは難
   しいです…なので…一旦ロングのレースは今年を持ってお休みとします。
   来年以降は、年1回でもショートのレースに参戦できればな…と思っている次第です。
   ただ、この皆生大会には何らかの形で携わりたいと思っています。お世話になった皆
   生大会ですが、皆生ぐらいは審判やボランティアではなく、選手(スクール)の皆さんの
   サポートや応援に回るのが一番かな…

   今、やっと「フゥ…」と一息ついた気持ちです。
   大阪城大会の数週間前から今まで、仕事やプライベートにおいても、全然思うように
   マネジメントや自分をコントロールする事ができず、沢山の方にご迷惑をおかけしたこ
   とと思います。 何もかも力及ばすでゴメンなさい。 ホント自分もいっぱいいっぱいで、
   しんどかったです…
   よく、できる事はするけれどできない事はできないからと言いつつも、「できる限り…」
   といった言葉を過信していたのかも知れません… もうちょっと余裕を持って生きてい
   かないとね…周りの皆さんに迷惑をかけてしまうとそれこそ本末転倒です。
   …ということで、本日よりもう少し目を見開き、視野を広く取りながら頑張っていきたい
   と思います。 皆さん、これからも宜しくお願い致します☆彡
   (大会開催日:2017・7・16)



第六一八号

  2017年6月11日 アイアンマン・ケアンズ レーレポート!
     (IRONMAN Asia-Pacific Championship)


2017年7月7日
AAC会員
杉永 一顕氏

   今回で6回開催になる、オーストラリア・クイーンズランド州北部の熱帯雨林地域、世
   界遺産の玄関口で行われる大会に出場してきました。
   https://www.facebook.com/IronmanCairns/videos/1720233851564320/
   この大会はアイアンマン世界選手権の予選会とアジア太平洋地区選手権を兼ねた大
   会になります。ハワイ島コナで開催されるアイアンマン世界選手権への付与スロット
   数は75個、アジア太平洋地区で最多のスロット数の大会です。
   (アジア・オセアニア地区8大会、ヨーロッパ地区15大会、アフリカ地区1大会、北アメリ
   カ地区15大会、南アメリカ地区2大会)
   全世界の41大会の中からハワイ島のコナで行われるチャンピオンシップ出場を目指
   し戦います。

   現在、日本から参加するアイアンマン中でケアンズが一番参加しやすい良い大会だ
   と思います。
    ◆成田・関空からケアンズまで直行便が運航している。
    ◆空港から会場までのアクセスが車で約10分。
    ◆メイン会場とホテルが徒歩圏内。
    ◆神戸 – ケアンズの時差は約1時間。
    ◆ホテル・レストランの数が多く選択肢が多い。
    ◆治安がとても良い(家族も安心して連れて行く事が出来る)
    ◆大会以外にもアクティビティが充実している。
    ◆応援・運営がとても良い。
   僕は妻を応援で連れて行くので、上記の様な長所は参加する大会選びにはとても重
   要になります。また、僕のトライアスロンは妻も一緒に楽しめる遠征が条件になるので、
   現地での観光、現地の美味しい食べ物を探す、現地の生活に触れる、等が前提にな
   ります。
   昨年のIRONMAN CAIRNSではゴールタイムによって、フィニッシャーTシャツとフィニッ
   シャータオルを貰えなかったトラブルが発生した様ですが、僕が感じたIRONMAN
   CAIRNSの運営はとてもスムーズでとても良かったと思います。スタッフ・ボランティア・
   観客の全てが最高でした。

   2017年6月7日(水)
   関西国際空港第1ターミナル 20:45出発。 オーストラリアは入国ビザが必要!出発前
   に「電子ビザ」を取得すればOKです。入国は自動入国審査(スマートゲート)を利用し
   て入国しました。パスポートを機械に入れると、自動的に日本語表示になり、いくつか
   の質問がタッチスクリーンに表示されるので答えていき、手続きが完了すると自動ゲ
   ートの前に並びカメラの前で立ち、ゲートが開けば完了です。10分~15分の操作で入
   国審査!超簡単です。
   入国カードには食べ物(補給食)薬の持ち込み、スポーツ用品の持ち込み(土の付着
   が考えられる物)は、正確に記入する事を奨めます。嘘がバレると入国出来ない可能
   性も有り、オーストリアの入国審査はとても厳しいと聞きます。ランニングシューズ・
   bikeのタイヤなどは出発前に土の付着が無い様に清掃した方が良いと思います。
   僕の場合、薬と食べ物の持ち込み等が有ったので、入国ゲートから検疫検査の場所
   までの間の係員に入国カードを見せて「常備薬」「競技用の補給食」「IRONMAN出場」
   だと伝えるとカードにサインしてくれて検査無しで入国できました。

   6月8日(木)早朝5:15到着
   空港からホテルまでは日本から送迎バスを予約。ケアンズのホテルの通常チェックイ
   ンは14:00です。ホテルフロントにバイクケースと荷物を預け、日本出発前に計画して
   いた、妻との約束を守るためにオプショナルツアーラウンジへ! ラウンジがオープン
   するまで若干時間が有ったのでエスプラネード通り沿いのカフェで朝食。ホテルは朝
   食付きを選択しなかったので、滞在期間中の朝は概ねこのスタイルでした。スロットを
   狙っている人達は自炊にて食事管理をしている方も居るようでした!?  アパートメン
   トホテルも多数有。スーパーマーケットも充実。
   ケアンズ到着1日目は妻の念願だった、宇宙から見える世界遺産の「グレートバリア
   リーフ」を空から2人きりで見る事ができました。大自然のスケールに感動です。
   この景色は言葉で伝えるよりも実際に見て欲しいのですね! 観光を終えホテルにチ
   ェックイン。ホテルの部屋でバイク組立作業を開始し、組み立て完了後、選手登録の
   為にcairns esplanadeへ!全て英語での受付で若干緊張しましたが、無事に選手登
   録完了。金曜日の登録を選ぶと日本人専用レーンが有ります。

   6月9日(金)午前5:00起床
   朝食前にcairns esplanade内を軽くランニング。選手以外の多く、ランニングやウォー
   キングを楽しんでいました。気持ち良く汗を流した後は、いつものオープンカフェでブレ
   ックファースト。オーソドックスなセットでAU$15 コーヒーがAU$4ぐらいだったと思いま
   す。当時のレートは86円ぐらい?僕はオーストリアではポピュラーなコーヒー“Flat
   White”がお気に入りでした。朝食を済ませ、僕のFacebookのカバー写真にもなってい
   るTobruk Memorial Pool(ケアンズの市民プール)にbikeの試走と合わせて泳ぎに行き
   ました。妻もレンタサイクルを借りて一緒に行動。オーストリアは日本と同じ、左側通
   行、スピードもキロメートル表示、自転車レーンも充実しています。日本では経験でき
   ないのがラウンドアバウト交差点です。信号機が無いのにスムーズに車が流れます。
   午後から日本人専用の競技説明会を聞き、ケアンズ市内のレストランへ! IMケアン
   ズではウエルカムレストランプログラムが有り、選手はレース前にこのプログラムに
   参加してるレストランの中から好きな時間に好きな食事を自由に選ぶ事が出来ます。

   6月10日(土)
   スイム会場がケアンズ市内から北に約30kmほど離れているので、バイクトランジショ
   ンT2までバイク輸送に委託。自走でも可。土曜日のバイク輸送と土曜日・日曜日のシ
   ャトルバスの予約は日本からwebサイトから入れている方がスムーズです。
   Bike輸送委託後シャトルバスでスイム会場に移動しBikeチェックインを行います。パー
   ムコーブではヘルメットの確認と自転車とナンバーの写真撮影及びT2エリアにBikeパ
   ートで使う物を預けます。明日の準備が早く終わり、明日の情報収集でビーチをうろ
   ちょろ、スイムが2周回から1周回の変更を確認、スイムUPからのトランジションエリア
   までの動線の確認、水温の状態を聞き明日は間違いなくウエットスーツ着用レースと
   確認。公式トランジション説明会を待たずにケアンズに帰る事にしました。この日の夕
   食はスーパーの惣菜で済ませるか、レストランに行くか迷いましたが日本食レストラン
   を選択。お店のオープンより早い時間に行ったのに、地元の人らしき数名のグループ
   と家族が並んでいましたが、日本人の姿が無く・・・心配しましたが、とても美味しく大
   正解でした。明日のレースの準備を済ませ、予定通りに20時過ぎに就寝。

   6月11日(日)午前3:00起床
   大会当日の朝の食事はケアンズで購入した「おにぎり」「バナナ」「牛乳+蜂蜜」と日本
   から持参した「具沢山のお味噌汁」をホテル部屋で済ませ4:00発のシャトルバスでス
   イム会場のパームコーブに向かいます。次回、IRONMANに出場する時は旅行用圧
   力釜を購入し、ホテルの部屋でごはんを炊こうと計画中!ごはん・お味噌・トマト・
   胡麻油・クリームチーズが僕の勝負飯です。
   IRONMAN Cairnsは70.3も併催しているので、会場入りした時は暗闇の中ですが、DJ
   が乗りのよいサウンドでスイム会場を盛り上げています。いつもの様にBikeの空気圧
   を調整し、バイクボトル・サイクルコンピュータを取り付け、スイムスタートエリアに
   向かいます。ウェットスーツを着て試泳の準備を始めた時に70.3競技がスタートしまし
   た。
   いよいよ1時間後にIRONMANのスタートです。
   昨日よりも、風・波も有る様に感じますが、昨年の比べると今年のパームコーブは穏
   やかそのものです。ウェットスーツに海水を入れる程度の軽めのUPを済ませ、静か
   にスタートを待ちました。

   スイムスタート
   スイムは4つのゾーンを泳力に合わせて自分でエリアに並びます。僕はゾーン2の1h –
   1h7minのエリアを選びました。7時45分スタート!試泳の時は波とタイミングが合わず、
   泳ぎ難かったのが嘘の様に快調に第1ブイに向かっています。集団キープを意識し、
   快調に飛ばします。スイムだけでも良いタイムでフィッシュしたいと欲が出たのが大き
   なミスでした。最初のアクシデントは最初に90°に曲がるブイの時に前方のブイを確
   認しようと立ち泳ぎをした時に右ハムが痙攣したので、右足を浮かすだけのキックで
   騙しながら次のブイを目指しました。次のブイで前方向確認で再度立ち泳ぎを入れた
   時に今度は左足のハムが攣ってしましたので、スイムタイムは潔く諦め背浮きで対応
   しました。以降は攣りが治まるとキックを打つを繰り返しで対応していたのですが、両
   足のふくらはぎまで痙攣が始まりました。最終ブイを曲がり、スイムゴールが見えてき
   たのでペースUPを試みた瞬間に左ふくらはぎが攣りレスキューサインも出せない状態
   になってしまいました。僕の異変にいち早く気付いてくれたライフガードの的確な対応
   で事なきを得ました。SWIM RACE TIME 01:25:38

   バイクスタート
   両足の攣りの影響なのか、両大臀筋が攣りそうな感覚でシミュレーションしたパワー
   をキープ出来ないので焦る。コースはパームコーブからポートダグラスに向かって北
   上し、ポートダグラスとパームコーブの間を2周回し、ケアンズ市内へ南下するコース
   になります。クイーンズランド州は南東の風が強く、この時も南東の風が強く、時間が
   遅くなるにつれて強くなる傾向が有ります。走った感じは常に向かい風の中を走って
   いる様でした。
   ポートダグラスに向かう途中、折り返してきたトップエイジの集団とすれ違う。集団なの
   でドラフティングとちゃうん? 羨ましく思いながら集団に入れない自分の底上げが必
   要だな!っと思いながら前に進む。向かい風だけでなく、路面が粗い区間が全体の
   2/3は有る様?な感じでした。路面が粗いので身体に力が入り、徐々に疲労が蓄積
   されてペダルを踏めない、回せない状態だったと思います。
   日本の道路はとても整備されていて走り易いです。ケアンズ市内へは全て向かい風!
   ドラフティングに注意しながらバイクゴールを目指します。 BIKE TIME 06:45:00

   ランスタート
   腕時計を見ると午後4時を過ぎている・・・あまりの遅さに愕然した事を覚えています。
   ゴール後ケアンズのレストランで夕食を食べる事が目標だったのです。ですが、ケア
   ンズの飲食店は20時30分でオーダーストップです。ランを4時間30分で走ったとしても
   間に合わない・・・ でも、諦めずに計画した通りに走り始めました。計画は至ってシン
   プルでコース上では絶対に歩かない!歩くのはエイドステーションの中のみ!を徹底
   的に守りました。
   ランコースの楽しみはダットン・ストリート有るエイドステーションに行く事でした。
   アボリジニ ? or パプアニューギニア人 ? 黒人のエイドです。とても陽気で明るいです。
   また、cairns esplanade の公園内のオーストリアの人達の応援もなかなかです。スポ
   ーツは世界共通言語ですね!
   最後に忘れていけないのが妻の応援です。毎周回必ず僕を見つけて応援してくれまし
   た。ゴールから数メートル手前で妻とハイタッチをし「Kazuaki Suginaga From Japan!
   You are an IRONMAN!!」アナウンスを聞き、長い長い1日が終わりました。
   RUN TIME 04:58:52   OVERALL 13:29:29

   6月12日(月)
   昨日は朝早くから夜遅くまで動いたのにAM5:00に起床。毎回、アイアンマン直後は
   メッチャ元気で、もう1本アイアンマンを走れそうな感じです。午前はロールダウンセレ
   モニーを少し見学。いつの日かスロット授与式で名前を呼ばれてみたいですね。
   その後のアワードパーティには妻は行かず、お土産探しに日本のイオンモールみた
   いな場所へ1人サイクリング。僕は少しだけアワードパーティを覗いて早々に引き上げ
   ました。

   翌日の観光では現地の人でも見ない、幸せの青い蝶「ユリシス」を僕だけが目撃。
   http://www.pick-a-winner.com/ulysses/
   ここからは、IRONMANレポートよりも観光レポートになってしまうので、来年行く方は
   観光と現地の美味しい食べ物は自分で開拓して下さい。今回の反省を踏まえて、
   もう一度IRONMANでしっかり走る為にどの様にしたら良いのか考えたいと思います。
   「ユリシス」をもう一度見に行くかも?
   (大会開催日:2017・6・11)



第六一七号

    23年ぶりにトライアスロンレースに出場して!


2017年6月24日
AAC会員
中川 隆夫氏

     こんにちは、AACに入会して2年になる中川隆夫です。初投稿です。
     入会を紹介していただいた中川さんとは名前が一字違いでリザルトを間違われる
     ことが多いのですが、世界のアイアンマン隆二兄さんはいつも雲の上の存在です。

     簡単に運動歴から紹介させていただきますと、30歳まではまったくスポーツはし
     ていなくて体力は全然なかったです。30歳の誕生日に武庫川で走ったら500mも
     走れません。そこからマラソンを走ろうと決意して、2年後に篠山ABCマラソンを
     3:10:41で完走出来ました。すこし体力に自信がついたので、その勢いで半年後
     に第1回小豆島トライアスロン大会に出場しました。タイムは2:49:39でしたがそ
     れなりに充実感はありました。その後、30歳代は年2~3回ショートとミドルのレー
     スに出場しましたが、記録はあまり意識せず、夏休み旅行かねての参加でした。

     40歳からはロードレースのシマノ鈴鹿に参加するだけでマラソンもトライアスロン
     も縁がなくなりました。トライアスロンはAACに入会してから皆さんのレース報告
     会を聞き、また先輩諸氏の活躍をみてまたやってみようと思いました。

     今回出場したびわ湖トライアスロンin近江八幡では大会申込みやウエットスーツ
     のことを皆さんにお聞きして大変参考になりました。課題のスイムも100mから泳
     ぎ始める状態で、準備期間も3ヶ月間しかなくすこし心配でしたが、大会2週間前
     の近江八幡練習会で1500mを28分で泳げるようになり、湖の波であれば泳ぎや
     すい感覚が。それがスイムでの過信に繋がり悲惨な目になるとは。

     大会レース当日はすこしアップしよう思ったら、セレモニーが始まり泳げず。いき
     なり集団でのスタートになり、バトルに飲み込まれ息継ぎが出来ず、過呼吸状態
     となり、溺れかけそうになりました。仕方ないので呼吸を確保するため仰向けに
     なり、しばらくは背泳ぎで泳いでいました。第1ブイを大きく外して泳いでいたため
     クロールに修正しました。その後はゆっくりマイペースで泳ぎ、なんとか1500mを
     完泳出来ました。(スイムタイム36:19)

     バイクのトランジッションではウエットスーツがなかなか脱げずに5分以上かかり、
     ガ-ミンの時計が作動しなくなり慌てました。バイクコースはほぼ平坦で周回コー
     スを4回するのですが、35km/時平均で走る私の横を40km/時オーバーで軽くトッ
     プ選手は抜いていきます。途中で抜かれた吉岡さんのTTフォームがとてもカッコ
     いいなと印象に残りました。ランのトランジッションでもバイクの置き位置に迷い
     大きくタイムロス。(バイクタイム1:22:27)

     ランコースは3周回でしたが、まったくペースがあがらないままゴール。
     (ランタイム50:32)   総合時間2:49:18

     教訓は泳ぐ前にはアップをして心拍数を上げる。トランジッションは事前に確認し
     練習しておく等々。今回出来なかったことを次回に生かしたいと思います。
     目標としたタイムには全然届かなかったですが、スイムで溺れずになんとか完走
     出来たのがよかったです。コース途中で皆さんの応援とエールは大変励みにな
     りました。奇しくも初レースと同じぐらいの完走タイムでした。またいちからのスタ
     ートです。今年はあと2レースに出て、来年はミドルに挑戦したいと思います。
     そしてこれからも楽しみながら続けていきたいと思います。
     ありがとうございました。
     (大会開催日:2017・6・18)



第六一六号

       素 晴 ら し い 出 会 !


2017年6月21日
AAC会員
森下 智裕氏

   40歳から始まった私のアスリート史を綴ってみました。 多分に主観が強いところがご
   ざいますが、ご拝読ください。

   ~はじめに~
    アラフォーと呼ばれる40歳。 一般的な男性は仕事においては最も脂がのった働き盛
   りの時を迎える。 平成22年当時、私の場合は肉体面で必要以上に脂がのっていた。
   (笑)会社の健康診断におけるメタボ診断では肥満予備軍と判定され、朝礼というオフ
   ィシャルな場で自分ともう一人がメタボで要改善であることをアナウンスされてしまった。
   そこでこのような辱めを2度と受けないように一念発起してダイエットに取り組むことに
   した。

   ~自転車との出会い~
   デブ脱出の第一歩としてトライアスロンをしている会社の同僚に相談してみた。 引き
   締まった体の彼が何かいいヒントをくれるに違いない。 「ロードバイクがええよ~」
    「バイク?」 首をかしげていると、「自転車・自転車。格好良くて速くて気持ちいい。
   乗り続けてたら痩せるで~」 その魔法の言葉を聞いてすぐに心が決まった。 どこの
   メーカーがええとか、機材は何がええとか、格好から入る自分は早速近所の自転車屋
   さんで物色開始。 当時ツールドフランスなどで活躍していたアルベルト・コンタドールが
   乗っていたトレックの販売店へ行き、予算の範囲内でデザイン、仕様が気にいったの
   を見つけて購入。 ここから我が自転車ライフが始まった。 近所に自転車乗りの人が
   いたのでいろいろ教えてもらい、また、いろんなところへ連れていってもらい行動範囲
   が格段に広がった。 自分の足で漕いでいくだけで遠くまで移動できること、それを自
   分の身体で体現できることに素直に感動と喜びを感じ、人間の生命力の強さに驚き、
   自分に自信が持てるようになった。 「またまだ若い!人間その気になれば何でもでき
   る!」  購入して3ヶ月経った頃には100km走れるようになり、体重は1年で10㎏近く落
   ちた。

   ~そして、マラソンへ~
   休日になるとサイクリング。 揖保郡太子町を起点に、西は七曲峠を経由して赤穂御
   崎や日生など、北は雪彦山やちくさ高原、たまにグループで淡路島へアワイチ。
   それなりに楽しく過ごしていたが、体力が上がってくると自分の力を試してみたくなって
   きた。 そこで気になったのがフルマラソン。 これこそ体一つで勝負でき、タイムも記録
   されるから否が応でも自分の立ち位置がわかる。 まずは練習してみて、いけるような
   らチャレンジしてみよう! 平日仕事から帰ってジョギングを始めるようになり、週末も
   バイクの合間を縫って走るようになった。 2kmが5km、10kmへと距離も次第に伸びて
   いき、ランニングが楽しくなる。 フルマラソン挑戦は夢ではなく、次第に現実化を帯び
   てきた。 そうして最初に選んだのは平成24年(2012年)の加古川マラソン。 20km超を
   走ったことがなかったが、なんとか4時間44分で完走。 ゆるくではあるが、ランニング
   にも目覚めてしまった。

   ~ライバルとの競争~
   初フルの後は目標をサブ4に設定。 練習量を増やして翌年の加古川に出走し、可能
   性は五分と思っていたがぎりぎりで4時間を切る。 単純な嬉しさでいえばこの時が一
   番だったかもしれない。 サブ4に自己満足してしまったのか、以後は篠山、大阪など
   に出るも4時間を少しオーバーする凡走を繰り返し、練習もマンネリ化していた。
   そんな停滞期に現われ、状況を変えてくれたのが従兄弟(居垣充博氏)だった。 一緒
   にアオリイカなどを釣りに行っていた彼になにげなくロードバイクを勧めてみた。 「釣り
   だけでなく、自転車も一緒に走れたら楽しいやろな~」 これが大きな分岐点となった。
    彼の吸収力というか貪欲性は凄く、どんどんレベルが上がっていき、ほどなくしてバイ
   クの実力は互角になる。 体力をつけてきた彼がマラソンの世界へと足を踏み入れる
   のにもそんなに時間はかからなかった。
   平成27年(2015年)篠山マラソンが彼の初レースで一緒に走った。先着するもタイム
   差はわずかに8分。 上から目線で教えていた従兄弟がいつしかライバルとなり、これ
   までにない緊張感を感じた瞬間でもあった。 そして迎えた年末の加古川マラソン。
   一緒に走るも5分近く差をつけられて完敗。悔しさとともに完全に闘争本能に火が付い
   てしまった。 ここからはお互い一進一退を繰り返す。 翌28年2月の姫路を一緒に走り
   私が彼の自己ベストを2分更新すると、12月の加古川では彼が目の前4秒差で先着し
   てやり返す。 今年に入り2月に京都で従兄弟がサブ3.5を先に達成すると、続いて私
   が3月に篠山でサブ3.5を達成。タイム差は2分。 このように私のランの歴史はライバル
   である従兄弟との競争の歴史とも言い換えることができ、今でもお互いに切磋琢磨の
   いい状態が続いている。

   ~芦屋浜ACとの出会い~
   平成28年10月。神戸マラソンの試走にでかけ、グループを引率していた山崎氏、岡本
   氏と出会う。 雑談しているうちに芦屋浜ACに話が及ぶ。 トライアスロンをメインとし、
   ラン、バイク、スイムのほか、トレイルまで練習会があり選択肢が多いのが魅力に感
   じた。 加えて、「強者揃い」「変態揃い」(マイペースでボチボチやられている方も当然
   いらっしゃいますが) 聞いているうちに、自分が今まさに求めているクラブであると直
   感した。 基本は楽しくであるが、どうせやるなら少しでもレベルの高いところに身をお
   きたい。 早速土曜練習会に出かけ入会を許していただいた。

   ~現在、そしてこれからの自分
   自分がどこから来てどこに向かっているのか? ダイエット目的で始めたスポーツは今
   や趣味以上の自己鍛錬の場へと変わってしまった。 年はそんなに若くないし、己の
   能力の限界もよくわかっている。 だが、体が動く限りはもがいてあがいて、より高みを
   めざしていきたいと思う。 真剣にやるからこそ楽しく、 得られる対価も大きい!
    それはこのクラブの先輩方が教えてくれたことでもある。



第六一五号

   2016年~2017年シーズンを振り返って!
         
(熊本への想いを中心に)



2017年6月1日
AAC会員
野上 亨氏

   皆さん、こんにちは。大変ご無沙汰しております。会員の方が増えて、私の事を ご存
   知でない方が多くなったと思います。 7年前の体調不良以後、練習会やイベントから
   ほとんど遠ざかっています。そして今年2月2日に60歳になり、3月末には会社を定年
   退職して、これからはイベントに参加する事があると思いますので、よろしく お願い
   いたします。

   さて、大会では制限時間内にゴールする事がやっとの状態で恥ずかしい限りです。
   今回は、「熊本城マラソン」が開催された熊本への想いを中心に、昨年から今年にか
   けて参加した大会を紹介いたします。
   熊本城マラソンは、熊本市政令指定都市移行(2012年4月1日)を記念し、熊本県出身
   で「日本のマラソンの父」と言われる金栗四三(かなぐり しぞう)氏を冠し、60回以上
   の伝統がある「金栗四三30kmロードレース」に併設して、2012年2月19日から開催さ
   れている都市型市民マラソンです。

   昨年2月21日に「熊本城マラソン」で初めて熊本県を訪れました。訪れる前から、実行
   委員会のFacebook記事にコメントすると必ず返信があり、好感を持って参加した大会
   でした。熊本市中央区の繁華街「通町筋(とおりちょうすじ)」をスタートして南区と西
   区を通り、中央区の熊本城「二の丸広場」へゴールする42.195kmです。沿道は、途切
   れる事が無い熱い応援と、温かい「おもてなし」に感動した素晴らしい大会でした。
   さらに、帰宅後お礼のコメントを書くと、「野上様、初めて熊本県へ来ていただいて満
   足いただけたか、と心配しよったとです。満足いただいて事務局一同 むしゃん嬉しか
   です。来年も お待ちしとりますけん、参加してはいよ。」と返信があり、熊本が一気に
   好きになりました。

   そして大会から2ヶ月足らず、4月14日と16日に熊本地震が発生。2月末に、自身が学
   ぶ大学のスクーリングで、熊本を5月に訪れる事を決めていました。なんとか大学も飛
   行機も再開、ホテルも開催日1週間前に営業再開されました。
   街は、一見 被災前と変わらない様子でしたが、熊本城方面へ歩くと、全壊した神社の
   本殿、崩れた櫓の石垣、そして変わり果てた熊本城の姿を目の当たりにして涙が出
   ました。

   スクーリングの中で、グループ討論の時間があり、八代市の避難所から来られた方、
   自宅が全壊した方等 おられました。「兵庫県から来ました」と言うと、皆さんから
   「こんな時に熊本へ来ていただき、ありがとうございます。」と言われました。
   訪れた2日間にも震度3の地震をホテルや授業中に経験しましたが、空港やホテルで
   も言われたこの言葉には感動しました。同時に、被災後1ヶ月は災害復興段階では
   「急性期」と言われる、一般人が入るのは控える時期でしたが、訪れた我々に対する
   優しさも感じました。

   今年の開催は難しいと思われましたが、県民の方のご尽力と ご協力で 被災から1年
   足らずの2月19日、コース変更もなく開催されました。私は「どうしても参加したい」
   との想いから、抽選が無い「チャリティー枠」で参加しました。昨年 秋にも訪れ、地
   震後では3回目の熊本、「走る事ができる感謝」と「元気を出して欲しい」、「笑顔に
   なって欲しい」と考え「くまモン」の被り物で走りました。しかし、沿道やエイドで
   「くまモン、頑張れ!!」と声援いただき、予想どおり私の方が元気をいただきました。
   ゴール前の熊本城内では、沿道の崩れた石垣の前を走り、昨年以上の感動があり
   ました。

   参加賞の中には、「大きな傷跡を残しましたが、それでもなお力強く立ち続ける熊本城
   を、復興に向かう熊本を、多くの人に見て欲しい。そんな思いを込めて、天守閣の瓦
   のかけらをお贈りします。熊本の街や人を見守ってくれた熊本城。これからは、この
   瓦とともに前より もっと活気に満ちていく熊本を見守ってください。」のメッセージ
   とともに、瓦が入っていました。
   平成の大修理が終わり再オープンした姫路城が日本一の入館者数を記録するまでは、
   熊本城が日本一の入館者数を誇っていました。「阿蘇くまもと空港」があり、被害が
   大きかった益城町では、着陸する前に現在でも青いビニールを被せた家が見えます。
   まだ復旧も ままならない地域がありますし、熊本城の復旧完了は 2036年の予定です。
   しかし、県民の方が言われた前述の言葉のとおり、機会があれば熊本を訪れていた
   だき、現在の姿、いや現在しか見られない姿を見て欲しいと思います。
   それが支援にも繋がります。私は、これからも定期的に熊本を訪れる予定です。



第六一四号

      三 度 目 の 青 春 時 代 を も と め て !



2017年5月13日
AAC会員
西尾 勝氏

   初めまして、昨年AACに入会いたしました西尾 勝(1960年生まれ 56歳)です。
   なかなか練習会に参加できないので、投稿欄をお借りし、自己紹介します。
   私の1度目の青春は中学・高校のバレーボール部時代です。お正月ぐらいしか休みが
   無いきつい6年間でしたが、真の親友ができた素晴らしい時でした。
   (チームは結構強かったんですよ!  =全国大会ベスト8= )

   2度目は1990年ごろに「トライアスロン」と出会い、のめり込んだ10年間です。週の練
   習量が、Swim 8,000㍍・Bike 200㌔+エアロバイク・Run100㌔を続けていた年も・・・。
   北千里公園を中心に仲間が出来、嫁さんより一緒に居る時間が長かった女子とか、
   のちに日本選手権で優勝した女子なんかもいて、楽しく、本当に充実した時代でした。

   2000年の皆生を完走し(10:25:19(189位)、その後10年間は住み家が変わったこと
   もあり、レースから遠のいてしまいました。そして2010年に、「やっぱり、もう一回や
   ろう」と思い珠洲や2014年にはアイアンマン北海道を完走しましたが、物足りなさを
   感じていました。「あっそうや、やっぱり一緒にしんどい思いや、感動できる仲間がほ
   しい」と、直ぐに西川さんに入会を申し込みました。

   3度目の青春はこれから始まりますが、それはなんでも話せる仲間が出来ることやと
   おもいます。 と、ええかっこ言ってますが、「ええ年して話べたなおっちゃん」です。
   どうぞ皆さん頑張って声掛けしますので、よろしくお願いします。
   ☆60歳の年に皆さんと、宮古島か五島に出るのを目標にしています。



第六一三号

    入会して半年くらいの ニックはみっちゃんです♪



2017年5月10日
AAC会員
居垣 充博氏

   ども(・・;)  居垣 充博です。(・ε・)  ニックはみっちゃんです。♪ 入会して半年くら
   い経ちますが今更ながらの自己紹介です。(^^;  兵庫県は揖保郡太子町って所に住ん
   でます。 最寄り駅は自転車で10分くらいの網干駅です。 この5月でラン歴2年6ヶ月目
   です。

   この芦屋浜アスリートクラブに入ったきっかけは,去年の神戸マラソン試走会に従兄
   弟(森下 智裕氏)と一緒に参加した時に、グループリーダーをしてた山崎さんと岡本
   さんに出会い、AACの事をいろいろ聞いて興味持ったんです。

   去年の11月頃だったかな?💦 土曜日の練習会に参加させて頂いてそのまま入会さ
   せて貰いました。(^∀^)  今年の新年会に参加したかったんですが、都合がつかず
   に不参加。(;>_<;)  酒蔵マラニックも京都マラソンとダブり不参加。( ̄∇ ̄;)
   殆どの人とまだ面識が無い状態ですが、初めて参加させて頂いたのが トレイルラン
   部主催の『六甲全山縦走』でした。 幹事さんの段取りもよく、初トレランでしたがと
   ても楽しかったです。ヽ(≧▽≦)ノ 

   まだ入会半年なので知らない人が殆ど、中々土曜日の練習会にも行けない状態です
   が、芦屋浜アスリートクラブに入って良かったです。(^ ^)  いろんな道を走ってみたい
   ですが、土地勘が無いんで近場しか走れなかったけど、クラブのイベントに参加する
   事でいろんな所を走れたり、いろんな出会いがあったり、いろんな刺激になる話が聞
   けたり、いろいろいろ酔っ払ったりで 自分のラン生活が一層楽しくなりました。(^ ^)

   基本的に土曜日は仕事ですが、極力月に1回は土曜日の練習会に参加しようと思い
   ます。(^ ^)  今シーズンの目標は フルでサブ3時間25分を切る事です。
   今後の予定は・・・ 5月:えびすダイコク100㎞  6月:残酷 
             7月:ひめ螢33㎞ と小布施ミニハーフ
             9月:丹後100㎞ と村岡100㎞ が
   今の所 参加する予定の大会です。(^ ^)  こんな私ですがよろしくお願いします(^∀^)



第六一二号

  シーズンを通してサブ3を達成 その裏では様々な苦悩が!



2017年5月1日
AAC会員
稲田 秀基氏

   2015年6月AAC入会の 稲田 秀基です。 2016年大阪マラソン・神戸マラソン・
   加古川マラソン、2017年姫路城マラソンと4大会連続ネットでサブスリーを達成。
   姫路城マラソンでは自己ベストネットタイム“2時間55分45秒”を更新!

   「過去マラソン大会の記録を振り返る」
   2006年39才からマラソン大会に出場し10kmで43分代を記録
   2008年41才からハーフマラソン大会に出場し1時間33分代で完走
   2009年42才で初フルマラソン挑戦し加古川マラソンでサブ4達成3時間52分43秒
   2010年43才加古川マラソンで3時間27分29秒を達成
   2012年45才加古川マラソンで3時間05分59秒を達成
   2014年47才加古川マラソン大会でサブ3を初達成2時間57分57秒
   2015年48才加古川マラソン2時間56分42秒で自己ベスト更新
   サブ3達成した加古川マラソン以外の大会では3時間を切れず、更新した翌年2016
   年篠山マラソンでは3時間31分と不本意な成績でした。

   「フルマラソンの恐怖と苦悩の連続」
   私は常に大きな悩みと戦っていました。それは、胃腸が他の人より貧弱なことです。
   フルマラソンでのタイムが良くない時は、大会途上でお腹回りが重くチクチクし多くの
   ゲップが10kmぐらいから出始め、次第に気持ちが悪くなり35kmぐらいから嘔吐、
   更にゴール後はトイレに駆け込み数十分もこもって嘔吐の苦しみを味わう連続でした。

   その中で最悪の3大会を上げますと・・・
   “2011年福知山マラソン”は嘔吐・脱水症状で福知山市民病院に救急搬送され、3
   時間の休養と点滴。 “2015年神戸マラソン”はゴールしてすぐ救護室に駆け込み、
   嘔吐・脱水症状で4時間ベットから起き上がれず、医師から嘔吐がひどく吸水が出来
   ない状態なので、処置出来ないと判断され救急搬送しますと言われ、妻に迎えに来て
   貰い難を逃れしのぎました。
   振り返ってみると、福知山マラソンでは友達と車で同上していた旨帰るのが遅くなり、
   神戸マラソンでは妻が車で迎えに来て会場の近くの駐車場が分からない為路上に止
   めて駐禁に捕まりました。

   “2016年丹後ウルトラ60km”でも10kmからゲップが出始め、35kmぐらい
   からゲップと嘔吐を繰り返すようになり、40kmでリタイヤし友人に心配をおかけし
   ました。ほとんどのマラソン大会で30kmぐらいからゲップが頻繁に出始め、水分を
   見るだけでとても気持ち悪くなり、補給なしで走り続けて脱水症状になるパターンが
   常でした。その為、家族・知人・友人に迷惑を掛けて、フルマラソンに出場するのは
   如何しいと思うようになりました。でも“サブ3”の好成績タイムで走り切った時は、楽
   しく・元気で嘔吐が無く胃の調子も良かったです。

   「嘔吐・脱水症状の脱却と他の取組」
   ①医師から逆流性食道炎と診断され、フルマラソン1ヶ月前から胃の漢方を処方。
   ②食事は生野菜の摂取を控えて煮た・炒めたもの、牛肉より豚・鶏の料理を多く取り
     入れ、揚げ物は控えめにするなどして胃にストレスがかかりにくい消化の良い食事
     を摂取するよう心掛けました。

   「レース時のコンディション」
   取組後の2016年大阪大会から4大会連続ゴール後の嘔吐もなく胃の調子が良くな
   りました。その効果で・・・
   ①吸水・サプリメントの摂取がしっかりとれ、レースを組み立てて結果を残せるように
     なった。
   ②お腹の状態が良くなったことでホームが良くなり、レースの前半で上半身を上手に
     使って走れるようになった。
   ③後半は筋肉の疲れをカバーして粘れる走りが出来るようになった。

     何度もフルマラソンのエントリーをあきらめようと思いましたが、今ではなんとか軟
     弱な体でもフルマラソンを走れるようになりました。


第六一一号

     自 己 紹 介 と 今 後 の 目 標 !



2017年4月25日
AAC会員
河内 秀行氏

   AACの皆様はじめまして。河内秀行(かわちひでゆき)と申します。今年の3月に入会
   させていただきました。入会して約1ヶ月、沢山の方からお声掛けをしていただき、楽し
   く練習会に参加させていただいております。まだお話できていない方も沢山のいらっし
   ゃるので、この場をお借りして、まずは私から自己紹介させていただきます。

   私が走り始めたのは2年前の2015年2月。きっかけは、当時地元の少年野球チーム
   でコーチをしており、練習中に子供達との何気ない会話の中で『フルマラソン走る』と
   発言したのがきっかけです。

   子供達に宣言したものの、当時は武庫川河川敷を5キロ走るのがやっとの状態でした。
   そこから減量して約半年、ようやくハーフの距離を走れるようになりました。
   当時マラソン人気が全く分かっておらず、その年に走るつもりでエントリーした大阪マ
   ラソン、神戸マラソンと見事に落選。途方に暮れてた時に目に付いたのが西宮国際
   ハーフマラソンの案内で、すぐにエントリーして出場しました。これが初めての大会参
   加で結果は1時間50分でした。

   それから1年、初めてのフルマラソンは2016年の大阪マラソンでした。記録はネットタ
   イムで3時間27分18秒、自分でもビックリするタイムでした。3月から月1ペースでハー
   フを中心に大会に参加し、大阪マラソン前にはAAC主催の潮風マラソン30kmの部に
   も参加して沢山の声援をいただいて走れました。これがいい結果に結びついたと思い
   ます。又、AACに入会したいと思った大会でした。2回目のフルは今年3月の篠山で、
   結果は4時間4分2秒と振るわず。改めてフルマラソンの難しさを実感しました。

   4月には、入会後初めて会員の方々とAACの一員として宍粟市さつきマラソンに参加
   してきました。スタート前の時間に今日のレース展開や目標タイムなどを話して、いつ
   もよりリラックスしてスタートすることが出来たと思います。レース中は皆さんの熱気
   に圧倒された感がありましたが、折り返しですれ違う時にエール交換もでき、沢山の
   パワーをいただきました。

   レースは無事1時間31分3秒でゴール!目標にしていた30分切りは達成出来ません
   でしたが、皆さんと一緒に走れて、有意義な時間を過ごせました。表彰式では皆さん
   上位に入賞されており、レベルの高さ実感し、私も早く入賞できるようになりたいと思
   いました。

   今後の目標としては、フルマラソン3時間15分、ハーフマラソン1時間25分を目指して
   皆さんと頑張って行きたいと思っております。マラソンとは別にトレランも始めました
   ので、イベントに参加しながら、いずれは六甲縦走キャノンボールに出場できればと
   思っております。 走り始めてまだ2年のこんな私ですが皆さんよろしくお願いします。
   (大会開催日:2017・4・16)



第六一〇号

    ユナイテッド・グアムマラソン レポート !



2017年4月21日
AAC会員
前田 雄司氏

   訳あってユナイテッド・グアムマラソンに出走しましたので投稿させていただきます。
   2013年に始まり今年で5回目を迎えます。種目はフル、ハーフ、10km、5km
   で夜中3時から1時間おきにスタート、全種目で4500名程度、フルは650名程度、
   日本からは1200名ほどが参加しています。14歳以上であればフルも出走可能と
   はびっくりです!

   出発
   関空の混雑で出発が遅れ現地に30分延着、入国に1時間以上かかり、オフィシャル
   ホテルのPICに18時到着。ホテル内のプール横のEXPO会場で受付、ゼッケン、Tシ
   ャツなどをもらいます。ちなみに前日までエントリー可能!申込時期により出走料は
   異なります。

   スタート
   夕食後2時間程度仮眠し、2時にホテルを出発、徒歩5分程度のスタート地点へ移動。
   2:30に開会式。ポリネシアンダンスのファイアーショー、国歌、グアム州歌の独唱、
   知事?挨拶の後アンバサダーの高橋尚子さんが挨拶。イルミネーションのトンネル状
   のスタートゲートをくぐり3時スタート。タイム狙いの人は少ないのか、日本のように
   早くから前に整列している人はまばら。そもそも1分程度でスタートは完了。

   レース・沿道
   スタート直後は蒸し暑く汗ばむが、次第に涼しくなった。給水・ゲータレイドは2km
   おきにあった。深夜にもかかわらず、子供も含めボランティアが声を上げて盛り上げて
   くれた。消防署はサイレンを鳴らして応援。ガソリンスタンドや店などにエイドがあっ
   たが、何もない場所では移動式照明をたいてエイドを設置していた。場所によっては真
   っ暗で、ヘッドライトなどつけている人もいた。海に月影が写ったり、波の音が聞こえ
   たりと幻想的だった。打楽器や音楽演奏も3か所くらいあった。仮設トイレには照明
   が無く、スマホのあかりが役立った。8kmあたりで高橋尚子さんがランナーを励まし
   ながら後ろから追い越して行った。(30km地点でも応援してくれた) 6:10日
   の出と共に明け行く街並みと海は感動的だった。とにかくランナーはまばらである。
   給食はあまりなかったが、ジェルは3か所で配布された。パトカーは数箇所配備され
   ていたが、救助体制やリタイアの仕方は不明。

   フィニッシュ
   海(イビオ公園)に向かってゴール。最後は会長のアイデアをいただいて同行者と日の
   丸を持ってゴールしたのでかなり声援を受けた。タイムは5時間でしたが(笑)完走証は
   システム不具合で出ず。メダル、タオル、ビーチマット(ビニールシート)のほか、
   ビール、バナナ、オレンジ、リンゴ、お菓子、ドリンクなどが配られ、ビーチで行われる
   表彰式を見ながら飲んだビールは最高だった。後日WEBで出力した完走証はグロス
   タイムと総合順位、年代別順位のみだった。

   以上、日本のマラソンでは出来ないような体験が出来ました。朝、海に虹がかかってい
   るのを眺めながらランできたのは感動的でした。ホノルルマラソンはテレビでしか見た
   ことがありませんが、規模も全く違うし、グアム自体ハワイに比べて田舎町ですが、
   その分ローカル感・手作り感漂う良さもあると思いました。ご興味のある方はお声掛け
   ください。
   (大会開催日:2017・4・9)