第四〇九号

               マ ラ ソ ン は 楽 し。 で も シ ン ド し !


2013年11月7日
AAC会員

谷中 康弘氏

       自己紹介からさせていただきます。昭和31年生まれの57歳です。学生時代は野球
       をやっていました。会社に入ってからは東京と神戸を往ったり来たりで住んだ期間は
       東京と神戸が半々でした。
       その間、遊びレベルでテニスやバドミントン、ゴルフをやっていました。転機は51
       の時に新潟と北陸3県の担当になり単身赴任を始めた時です。以前から「地方に単
       身赴任すると楽し過ぎて激太る」(10kg~20kg増)というのが“常識”でしたし、先
       輩達も全くにその通りで人相が激変していました。それで、「なんとかそうはなりたく
       ないもの」と思い、始めたのがジョギングでした。

       新潟では信濃川、富山では神通川、金沢では犀川の河川敷を早朝ジョギングする
       ようにしました。そうこうするうちに、「走ってるならマラソン大会に」と誘われ53歳で
       初めて10kmマラソンに出ました。
       調子モンなんで「担当4県全制覇!」と福井、富山、石川の大会に3週連続で出場、
       それなりの結果で自信満々。最後4週目の新潟で勝負を掛けました。結果は8km
       地点から記憶が無くなり、気がついたらマスクをして白い服を着た美女が両側から
       「大丈夫ですか?」と。なんと脱水症状で意識がないままにゴール、医務室に運ば
       れたようです。

       あとでフラッシュバックのように地面がフラフラ揺れる景色とかが浮かんできました。
       点滴して救急車で病院に運ばれる始末。(救急隊員の優しさに感謝)
       こんなマラソン人生?の苦いスタートでした。でも、体重が76kgから66kgへと10
       kgも減る中で、日に日に顔がムクみ、お腹も出っ張る仲間を尻目に、「あぁ、ベルト
       がないとズボンがズルゥー」とうれしい悲鳴で、ヒンシュクの嵐。
       そして昨年の4月に帰還命令を受け神戸に戻り、5月に西宮に引っ越しました。

       それまで一人で走っていたのですが、「なんか刺激が欲しいな」と西宮のランニング
       クラブをネットで調べましたが該当なく諦めていました。ただ時々、夙川沿いを集団
       で走る“奇妙な一団”を見かけることはあり、「ありゃ何者?」と不審に思っていまし
       た。なんせ性別・年齢に統一性がない。
       そんな時に偶然、ネットで「芦屋アスリートクラブ」を見つけました。ただ、入会資格
       の記載がなく、また記録を見るとすごいタイムばかりで「こりゃ無理っぽい」と。
       そして迎えた今年の篠山マラソン。ホール2階に行って着替えようと思ったら何本も
       のノボリが。そこに「芦屋アスリートクラブ」とネットで見た文字が。

       それで勇気を持って声をかけさせていただきました。「西宮市民も入会できますか
       ?」と。その声をかけたのがミドリさんだったとのこと。そのミドリさんに案内されて
       男性の所へ。その男性(山崎さんでした)が「大丈夫、大丈夫」と。そのお二人の好
       印象もあり、即、入会を決めさせていただき、土曜定期練習会と木曜練習に参加さ
       せていただくようになりました。クラブの印象はただ一言、「変人集団♪」。世間の
       常識、発想がまるで通じない集団。いやぁ、こんな集団の近くに住んでいたとは驚き
       でした。
       以来、その「変人集団」に一歩でも近づこうと走る日々が始まりました。練習以外に
       もカヌーアスロン・京街道マラニック・六甲夜間トレイル・ドラゴンレース・くすのき駅
       伝(酔っ払いはイヤですねぇ)・ビアガーデン暑気払いなどにも参加させていただき、
       生きている世界をグ~ンと広げていただいています。

       最後に10/27大阪マラソンですが3時間26分20秒。性懲りもなく「自己ベストの
       大幅更新」を狙って、いつもの自信満々=自信過剰で出場。20km辺りから「こりゃ
       オーバーペース」だと思いはじめ、30km手前からは「息も絶え絶え」。30kmを過
       ぎてからは、ハーフ・フル20数回目にして初めて歩きました。しかも2回。腕が冷え
       てきて「こりゃオカシイ。このままでは倒れそう」と思い、大阪のオバちゃんの暑い、
       いや熱い声援を受けながらもトボトボと。でも、その声援のお蔭でまた走り始めるこ
       とができ、なんとか、なんとかゴールできました。

       その間も、「AACのたくさんのメンバーが応援に来られてたなぁ」とか、「AAC定期
       練習でみんなにどんな出走報告しようかなぁ」とか思い浮かべていました。
       そんな仲間がいてもらえることを幸いにマラソン人生を楽しく過ごさせていただきた
       いと思っています。今後ともよろしくお願いします。
       追記)25歳の息子が「京都マラソン、オレも出るで」と。面白くなりそうです。
           「親の威厳」、25年ぶりに発揮します。
       (大会開催日:2013・10・27)



第四〇八号

                  ☆ 大 阪 マ ラ ソ ン 完 走 記 ☆


2013年11月5日
AAC会員

小田 晶子氏

       女性のサブ3は実業団を含めても全国236人。割合にしたら0.4%。女性にとっての
       サブ3はほんとに難関。だけど、私はどうしても立ちたいのです、ここに!
       今年の3月のナゴヤでは、腹痛ピットインで本当にひどい状態になりながら、最後
       の最後まで3時間5分切りをあきらめずに走った。結果3時間7分もかかったのに、
       私はあのレースを終わった時に確信した。
       「あぁ、私は、この心があれば、絶対にサブ3が出来る!」って。

       だから、今シーズンの目標は、3時間5分切りじゃなく、あくまでサブ3と宣言したん
       です。でも、私にはとにかくスピードがない。私にできるのは、ほぼトップスピードに
       近いギリギリのところでひたすら粘り続けるだけ。大阪国際で3時間5分で走れた
       こと自体がほぼ奇跡に近く、皆さんにどれほど驚かれたことか^^;
       でも、あと5分タイムを縮めてサブ3しようと思ったら、トップスピード自体を上げない
       と、絶対に無理。だって、無い袖は振れないから(笑)

       そういう結論で、尼陸の夏のトラックシーズンが終わって外周ペース走が始まって
       も、スピード練習のために水曜尼陸はトラックに入ることにした。そしてその代わり
       にペース走は木曜に1時間以上かけて長居まで行くことに。
       しかし、それだけスピードにこだわってやってるにも関わらず、何回走っても5km20
       
分すら切れない。また、水木とポイント練習が連続になるので、足が悲鳴をあげて
       1週間、2週間と休足せざるを得なくなったり。

       そしてペース走の方でも、国際を目指しているラン友さんたちになすすべもなく負け
       続け^^; 私はなんでこんなに走れないんだろう?何が足りない?どこか間違って
       いる?と、自分で決めてやっている練習だけど不安が募り始める。もはや私の頼る
       よすがは、「私は本番に強い」。 そ、それだけ?? そ、そんな精神論的なもんだ
       け??^^;
       だから、大阪マラソン、すごく怖かった。私にとっての本番は大阪国際女子なので、
       大阪マラソンでサブ3とは考えていなかったけど、ある程度の結果が出せなかった
       ら、練習方法を根本から見直さなければいけなくなる。そして一人作戦会議の結果、
       決めたペースは420/km3時間3分切り目標、だった。

       ところが!スタート地点にて、素敵な友人であり、目標であり、最高の好敵手であ
       るSさんに会えた!私がいくらPBを更新しても、いつも私の12分先をゆくSさん。
       彼女がいるのに守りの走りをするほど私は草食な女ではありまへん(笑)ハートに、
       火が付いた!つぶれてもかまわん!つけるとこまでつく!!では、スタート!!

       5km2030406/km
       ロスタイムは5秒。トイレ我慢して並んだ甲斐があったね!(笑) 入りの5kmのタイ
       ム、10月の5kmTTのタイムと一緒^^;

       10km 4119(2054) 411/km
       サブ3ペースは415/kmだけど、Sさんの後ろについてじゃんじゃか貯金を作ってく。
       ここでまさかの10kmの自己ベストが出た!!

       15km 1:0225 (2101) 412/km
       Sさんの横に出て並走。Sさんに「私もおるよ!」って伝えたかったから。お互い無
       言だったけど、Sさんからも「行こな!頑張ろな!!」って返ってきたような気がした。
       この辺りはあっという間にキロ表示がやってきて最高に気持ちよかったころ。

       20km 1:2345 (2120) 416/km
       Sさんが急に後ろに下がったので、アクシデント発生かと心配。ハーフもベストが出
       そうな気がしたので、なんとかハーフまではペース落とさず行こうと頑張る。
       中間点 1:2824

       25km 1:4509 (2124) 417/km
       出たー!!ハーフの自己ベスト!(411/km)今シーズン1回も1時間半すら切っ
       てないのに、フルの通過でなんでこんなタイムが!?サブ3への挑戦権獲得!!
       ここまで来たら、行くしかない!!

       30km 2:0637 (2128) 418/km
       でも徐々にペースは落ちてきてる。いつもは25km過ぎで摂るゼリーも、ポケットに
       手を入れてゼリーを取り出し封を開けるという、それだけの行為がどうしても出来ず
       にあきらめた。余裕度0%。

       35km 2:2823 (2146) 421/km
       軽めの変態呼吸開始。過呼吸も何回もやってくる。ペースは落ちてるんだけど、後
       半戦に入ってから、5kmごとに50位くらい順位を上げていってる。めっちゃ苦し気な
       呼吸の女が抜いていくもんだからギョッとしてガン見される^^;あまりに苦しそうだか
       らか、なぜか給水とって渡してくれる優しいランナーさんもいた^^;

       40km 2:5041 (2218) 428/km
       37kmでついに3時間のペースメーカーに追いつかれた>< しかも今私が走って
       るペースと全然違う。とてもついていけそうなペースではない。しかし、「離れずに
       ついておいで!風よけになってあげるから、後ろについて!!」 ってイケメンペー
       サーさんが言ってくれたので、厚かましく一番風の来ない集団の中に入り込んでな
       んとかついていく。
       あぁ、しかしすぐに南港大橋、私の苦手な上り坂。必死に上ったけどだんだんペー
       サーさんから離れていく。沿道の人たちもこの辺りはサブ3集団だとわかっているの
       で、「まだサブ3行けるよ!」 「ペーサーは1分余裕みてるから大丈夫!」 とすご
       く応援してくれる。もうこの辺では時計の文字も見えなくて間に合うかどうかも分か
       らない。

       goal 3:0022 (941) 425/km
       最後の直線、ゴールが見えた。見えたけど、カウントダウンが始まってる!「サブ3
       まで、あと、10,9,8,7・・・・」待ってー!そこまであと10秒では、行けんのよーー!!
       ゴールの100m手前で、サブ3はスルリとすり抜けていった・・・

       グロス3:0022(416/km) ネット3:0017
       (前半1;2824後半1:3158後半334秒落ち)
       総合368位 女子24

       ホンマにこれ以上速く走られへんの!?どっか楽してるとこないん!?どっか残っ
       てないん!?何回も何回も自分に聞いた。もうなんっっにも残ってない!体がもげ
       てバラバラになりそうなくらい、必死で走った!これ以上の走りはもう出来なかった。
       出し尽くした。だから、悔いはない。
       今回のレースの収穫は。私は速くない。けど、強い。それを自分自身に証明してみ
       せたこと。自分で自分を信じてやれずに戦えるものか。精神論に過ぎないけど、で
       も一方で、マラソンに一番大事なのはやっぱり気持ちだと思うから。

       最後になりましたが、沿道でたくさんの応援いただきありがとうございました。後半
       戦は視線を送る余力すらなく失礼いたしましたが、すごく力になりました!
       しっかし、体ボロボロです^^; 文字通り心肺がやられて、肺は8割くらいの浅い呼
       吸しかさせてくれないし、心臓は時々「トトトトンッ!」って不整脈になるし^^;
       ほんとにフルマラソンは体に悪いスポーツです(笑)  ☆おわり☆
       (大会開催日:2013・10・27)



第四〇七号

         2013年第35回アイアンマン・ハワイ応援参加!


2013年11月1日
AAC会員

村田 里美氏

       スイム3,8km・バイク180km・ラン42,2km・走行距離226km
       ほぼ大阪から名古屋迄の距離を制限時間17時間で走破するアイアンマンレース。
       この日のためにトレーニングを積みプロもエイジもそして応援も、それぞれの想いや
       喜びを全身で表現した長い一日でした。この長い一日、一言でいえば応援も「疲れ
       る! でも楽しかった!」が正直な感想です。

       自分がレースに参戦している時、嘘でも「ナイスラン!」や「もうちょっとだから頑張
       れ!」 などの声援はすごく元気を貰う。そして私も声援者に聞こえる大きな声で
       「ハイ!!」と答える、すると大きなエネルギーが体十に湧き上がり、応援されるこ
       とにより起こる実に不思議な現象です。

       今回私が同行した選手の「M・W氏65歳」はハワイ初参加。今年6月のアイアンマ
       ンオーストラリア/ケアンズにてエイジ1位でハワイの権利を獲得。常々「75歳まで
       続けていたらいつかハワイのチャンピオンシップにも出場出来るよ!」と言っていた
       のが、思っていた以上に早く実現し、本人は嬉しさを隠せないほど喜んでいた。その
       4か月後のハワイコナも14時間6分で完走した強人シニアです。

       しかしそんな怪物シニアがハワイにはあちらこちらにたくさんいました。そんな中エ
       イジ男子75-79歳ハワイ9回出場でハワイ3連覇したY・Kさん(77歳)とレース前
       日偶然にお会い出来たが、頭に大きな絆創膏が貼ってあった。聞くと昨日試泳中
       に頭と頭がぶつかり6針縫った大けが。寛大な医者いわく、明日のレースは出場許
       可するが、帰国したらしばらくはプールに入らないようにだったとか・・・・・それって、
       どうゆう事!? 76歳のY・Kさんは医者の言う事を守り出場され、少し時間オーバ
       ーでフィニッシュラインを踏まれました。他にも腰が曲がっているシニアの淡々・黙々
       と完走する姿にも感動し涙が出ました。

       さて、レース当日まだ暗い早朝5時普通なら選手ばかりがいる時刻、スイム会場周
       辺の防波堤の上は場所取りの敷物と人でいっぱい、朝食を食べたりして今か今か
       と待っている人々。やっと一人分の場所を見つけ行こうとすると、横の女性が人差
       し指を立てて頭を振り 「ノー!!」とアピール、かなり憤慨。貴方の防波堤か?!
       と一人で頭に血が上った私。 が仕方なく大きな画面映像で観る事にした。

       肉眼で観たかったな~ スイムスタートを見た事がなく楽しみだったので凄く残念。
       今後応援に行く方に注意その1、スイムスタート絶対に見てね。また、応援には鳴
       りもの必要ですネ!体力には自信ある私でも拍手や声援は普通のか弱き女性だ
       と初めてきずきました。ロバの首につけるような鐘やチアガールが持つ派手な振り
       ものなどを補助的に持参するのも樂な方法ですね。

       レース中に選手が両手を下からあおる様なジェスチヤーをして、もっと派手に応援し
       て欲しいアピールをする人も数名見かけ、何度笑ったかわかりません。応援者と同
       じリズムを取りながら走る人や、アイコンタクトで満面の笑顔で答えてくれる人ばか
       りだったので、特定の人への応援を撤回しみんなを応援する方法に切り替えたら、
       笑顔を見るたびに嬉しくなりいつしか応援が楽しくなりました。

       また選手の中で色々な障害者の人が出場していますが、そんな中で初めて遭遇し
       た光景にビックリし感動したのが、女性エイジ45歳位の人がバイクの後ろにリヤカ
       ーを取り付け、重度の障害者のような15歳位の少女を振り落とされないようにしっ
       かりと縛りつけていました。そしてその少女は髪も濡れていたので、おそらくスイム
       も一緒に泳いだのでしょう。顔には日焼け止めが真っ白になる位塗られ、かつ口に
       は舌を噛まないようにガムテープが張られていました。想像ですが「一緒に出たい
       !」と言ったのか又はアイアンマンアスリートだったが事故で動けなくなったのか定
       かではないが、それを実行する勇気に感動してまたまた泣きました。まるで映画の
       一シーンの様で素晴らしく胸が熱くなりました。

       次に注意その2、カメラシャターは難しくてとれな~い!M・Wさんから自分の写真
       を撮るようにとカメラを渡されました。しかし特定の人の写真を撮るのは至難の技で
       大変ストレスを感じたのでやめました。その代わり不特定多数のレース風景を撮り
       大満足でした。

       注意その3、昼ごはんと飲み物おやつは必ず持参すべしですね。バイクが去ってし
       まった後の休憩は登録やレース説明会場となり冷房もバッチリのキンカメホテルが
       最高です。あちこちで応援者が椅子や廊下などでぐったりと寝ています。またまた
       ビックリ! ロビーのテーブルを囲んで座っている(眠っている)品のある6人の男女、
       年配者全員がテーブルに足を乗せているのです。日本のちょっとしたホテルでは見
       れない光景ですが、確かに楽で合理的な姿勢には間違いない。迷惑をかけなけれ
       ば自由なのですね。

       そしてこの度のハワイでは、とことんマネージャーに徹し、コンドミニアムで全て自炊。
       外食は一切せずコーヒー・水も持参し頑張りました。唯一アワードパーティーでのハ
       ワイ食は最高にうまかった~!こうして熱くて感動をたくさんもらった旅は楽しく終わ
       りました。
       そうそうもう一つ面白かった事が・・・レース3日後帰国する為のコナ空港で、両腕
       には くっきりはっきり とレースナンバーが、そして手首にはまだ選手用リストバン
       ドが! それを見て、こんなに笑いをこらえるのが辛かったのは久しぶりでした。
       その方が真面目に普通に歩いていたその姿を思い出すたびに、その方の表情を思
       い出すたびに吹きだしている私です。
       私も含めトライアスロン変人って本当に 「お・も・し・ろ・い」 笑
       (大会開催日:2013・10・12)



第四〇六号

      能登半島すずウルトラマラソン60kmに挑戦してきました!


2013年10月29日
AAC会員

伊藤 美紀氏

       10月19日朝6時に芦屋から高速に乗り、久しぶりのロングドライブのはじまりです。
       ナビは、7時間半後に受付の「ラポルトすず」に到着するようです。途中2回降りたP
       Aではさほどゆっくりしなかったのに、到着は15時をまわっていました。16時から説
       明会を聞き、宿についたのが19時前位だったと思います。無事に着いてよかったー
       と喜びながらすぐ夕食をいただくことに。すでに食べ始めていた100kmに出る2人の
       男性と話をしながら、昼ごはんで食べられなかったお魚など沢山の料理で大満足。

       次に、新潟から車できたという女性2人組、7時間かかったそうです。このお二人は
       ビールを注文、夜はこれから(^.^) 入り口の部屋だったので3時に出るという彼女ら
       に、出るとき声かけてとお願いしてたぶん9時ごろに寝ました。

       朝3時過ぎに3人でスタートの体育館へ、真っ暗で迷いながらなんとか到着。雨は少
       し降っている程度。ビニール袋を被り暗闇の中で5時スタート。持ってきたヘッドライ
       ト預けてしまったのを後悔、信号までの灯りは工事中のポールくらい。灯りをもって
       いる人と人の間に常にいるように走ったらかなり速いペースで走っていました。

       折り返しの見附島で写真を撮る余裕もありました。やっとこのへんから明るくなって
       きてからだも軽い。あー100kmにしとけばよかったかな・・・ そんな思いもつかの間、
       大谷峠がやってきます。どんどん抜かれます。下りでは、あっという間に離されまし
       た。上りも遅いけど下りはかなり遅い自分を実感しました。やっと海が見えてきまし
       た。で、また上りなの?上りきったあたりの椿峠エイドで、冷えたオロナミンCがすご
       くおいしかったです。

       エイドは沢山あり、きれいな海を見ながらのランは、結構単独で走っていることが長
       くあり、大会であることを忘れてました。狼煙のエイドがみえてきました、エイドの前
       の高台にある灯台まで登らなければkmカウントされないようになっていて、今振り
       返ると100kmの人はこれをクリアしてあと15kmも・・・と考えると、よかった60kmで(^.^)
       この後からかなりの雨になってきて、ラスト3・4kmあたりから右手指が寒さで感覚が
       鈍くなる。足は何とか動いてくれている。

       ようやくゴールのグラウンドに入るとかなりのぬかるみ。足をとられドロドロでゴール
       しました。ゴールでは、温かいお蕎麦と小さいジャガイモ。ほっとしたのもつかの間、
       急いで宿に戻りシャワーを借り、まだ100km走っているランナーを車中で見ながら友
       人に会いに行きました。なんともいえない光景で感動的でした。

       記録は、女子13/56人中・総合59/204人中・7時間13分41秒。 珠洲は、また来て
       みたいと思います。そして100kmに挑戦したいと思えるまでに、またトレーニングし
       たいとおもいました。
       (大会開催日:2013・10・20)



第四〇五号

          OSJ氷ノ山山系トレイルレースに参加して!


2013年10月25日
AAC会員

大村 広之氏

       昨年に続き、2年連続で氷ノ山山系トレイルレースに出場してきました。OSJのトレ
       イルランニングレースシリーズは年間10戦あり、氷ノ山山系トレイルレースは最終
       の10戦目になります。
       関西でトレイルレースと言えばあまり有名な大会もなく、ウルトラトレイルマウント富
       士の参加資格ポイントを獲得できる大会も関西では唯一OSJ氷ノ山山系トレイル
       レースになります。前置きはこれくらいにしてレースの報告をさせていただきます。
       (UTMF参加資格は4ポイントで、氷ノ山山系トレイルレースは2ポイントです。)

       氷ノ山山系トレイルレースは、公式では総距離71km制限時間15時間。獲得標高
       4800mを超え大変過酷という評判で、昨年は参加者が216人しかいなかったので
       すが、今年は山ブームということも反映してか493人とかなり増え、女性の参加も
       多かったです。前日に受付と競技説明・パーティーがあり、競技説明ではコース案
       内や注意事項、特に熊に対する注意を徹底されました。(熊鈴は必須です。)

       当日は、朝6時スタートなので4時前に起床し宿舎で朝食をとりました。外を確認す
       ると既に雨が降っていたので、ヤッケを用意してスタート地点に向かいました。
       前日からAACメンバーの多田さんと友人の3名で来ていたのですが、スタート地点
       で則竹さんとも合流しました。
       スタートのセレモニーで、シリーズ上位者や昨年度入賞者が紹介され、なんと妻の
       名前もコールされました。(妻は参戦してませんでしたが・・・)
       今年は特別参加でプロトレイルランナーの石川弘樹選手もオープン参加されていま
        した。

       AM6時スタートの合図とともに一斉に走りだすと熊鈴の音が響きわたり、普段のマ
       ラソンレースと違う感覚がすごく心地よかったです。ハチ北温泉観光協会の駐車場
       をスタートし、温泉街のロードをしばらく走り八伏山へ入ってていきました。
       スタート直後から、登り坂が続いているのでゆっくりペースで走り始め、しばらくは走
       ったり歩いたりの繰り返しで進んで行き長い1日の始まりやな~と思いながらスター
       トしました。

       ロードからトレイルに入ると道幅が狭いため渋滞するのですが、登りがきついので
       心臓はバクバクで汗が一気に噴き出してきました。鉢伏山を登るとガスがすごく出
       ていて視界が悪く、景色も楽しむことができませんでした。鉢伏山山頂に着くと、階
       段を下って氷ノ山までの尾根沿いを走って行くのですが、下りがすごく苦手なので
       下りの階段でたくさんのランナーに抜かれていきました。

       しばらく尾根を走り、氷ノ山の山頂までは行かずに手前で一気に下山していくコー
       スになっているのですが、そこでもたくさんのランナーに抜かれてしまいました。
       一気に下って行くと第1関門(約12km)にたどりつきます。関門ではエイドステーシ
       ョンもあり、あたたかいスープと水・パワーバーが置いてあります。
       チェックを受け一息ついてから出発し、少しロードを走り林道へと入っていくのです
       が、この林道が約18kmあり微妙なアップダウンが続きます。約1kmごとにパワー
       バーのテープがくくってあるのですが前も後ろも誰もいない時もあり、本当に熊が出
       てくるんではないかと思うほどです。

       林道を走っていると、鉢伏山から氷ノ山まで走ってきた尾根沿いの景色が見えるこ
       ともあり大変きれいでした。そうこう走っていると、31.5km地点のエイドステーシ
       ョンに到着します。そこから第2関門(約39km)まではトレイルに入っていき扇山を
       登ってからしばらくは走りやすいトレイルになります。雨がふっているため途中、木
       でできた橋を渡っていくのですが、それがすごく滑りやすくなっています。
       今年は第2関門までに、めずらしく私設エイドとパタゴニアの特別エイドがありコーラ
       ーが置いてあったので、そこで生き返ることができました。

       第2関門からは、約5kmのロードを走って行きます。ゆるやかな登り坂が続き、途
       中から急な登り坂もあるので走ったり歩いたりの繰り返しです。コース沿いには川
       が流れていてすごくきれいな渓流になっていました。ロードが終わると予備関門が
       あり、そこからが最大の難所に入っていくことになります。
       予備関門から山に入っていくのですが、もともと道のないところにコースが作ってあ
       るため雨が降ったらズルズルで傾斜もきついため四つん這いになって登っていか
       ないとなかなか登ることができません。

       あまり距離はないのですが、昨年も同じ場所でハンガーノックになってしまい、苦手
       意識があるからなのか今年もここでへばってしまいました・・・そこから57.8km地
       点のエイドステーションまで長い林道が続きます。この林道でも微妙なアップダウン
       が続き精神的にかなりきついコースになっています。
       57.8kmのエイドステーションに到着すると、水と温かいスープが用意されていま
       したが、コーラーの空の容器が数本転がっていました。早いランナーだとコーラが飲
       めたということがわかり、よけいにコーラが飲みたくなってきました。そんな気持ちの
       まま出発しコースを下って行き、一番下ったところからまた5km登りが続きます。

       登りきったところが第3関門(62.7km)になります。その登り坂の途中で、コース
       上初めて自動販売機を発見!コーラは350mlの缶で120円で販売していました。
       手持ちの小銭は10円玉を持っておらず、買おうと思ったけどつり銭切れで買えま
       せんでした。仕方なくファンタグレープのペットボトルを買って一気に飲むと、ヘロヘ
       ロだったのが少し元気になり、少し早歩きで坂を上って行くことができました。

       その頃には薄暗くなってきており、自分のガーミンを確認すると70kmを表示してお
       り第3関門到着時は73kmなっていました。(公式では62.7kmのはずですが!)
       競技説明会でも距離は少し長く約75kmと説明があったので、後約2~3kmだと
       思い関門のスタッフに「ゴールまであと何キロですか?」とたずねると、「あと7~8
       kmです!」と答えられ・・・ボー然としてしまいました。

       そこからは、ヘッドライトをつけて再度トレイルに突入です。トレイルに入ると真っ暗
       で、自分の前と後ろにはランナーも少なく雨も降っていたため視界も悪かったので、
       何とか前のランナーに着いて行こうとがんばりました。しばらくすると雨も本降りにな
       ってきて真っ暗な山道をひたすら歩いていきました。そうするうちに温泉街の明か
       りが見えてきて、少し元気を取り戻し少しずつ走ることができ何人かを抜くことがで
       きました。

       温泉街に入ると、旅館の方が道路沿いに出てきて「お帰り!ご苦労さん!」と声を
       かけていただき、すごくうれしく感極まりました。ゴールではゼッケンナンバー、名前
       もコールしてもらいハイタッチでゴールすることができました。本当にうれしかったで
       す!ゴール後は、チゲ鍋が用意されており冷えた体にしみわたりすごくおいしかっ
       たです。少し落ち着きガーミンを確認すると80kmを超えていました。。。
       大変長い1日でしたが、蜂や熊にも襲われず怪我なく完走できたことが一番だと思
       います。
       AACに入会させていただき、トレイルランニングをする機会を与えていただき山を
       走る楽しさを味わうことができました。本当にありがとうございました。

       20131020日     記録:12時間4207
                            総合順位166
                            出走493人  完走376人  完走率76
                        優勝:石川弘樹選手:7時間5416



第四〇四号

            2013.10.13芦屋浜潮風ウルトラマラソンを走りました!


2013年10月16日
AAC会員

谷口 ひとみ氏

       9月からAACに入会させて頂きました谷口ひとみと申します。まず初めに自己紹介
       させていただきます。
       今までまともに走ったことはなく、学生時代を思い返しても5kmすら走ったことがな
       いような、記憶がないまま過ごしてきた文化系人間です。クラブも走らなくてもいい
       文化クラブばかりでした。大学ではテニスサークルに入っていましたが走ったことは
       ありません。

       走り始めたのは今年になってからで、初参加のレースは神戸バレンタインの5km
       のペアランからです。レースといってもタイムの記録がない男女が必ず手を繋いで
       ゴールするというものでしたが、私にとっては5kmなんて走れるかどうかの方が問
       題でした。
       その次は芦屋国際ファンランの10kmです。この大会も主人が勝手にエントリーし
       ていました。ファンランも主人が伴走してくれましたので何とか出場し走れてこれた
       かと思います。
       皆さんのようにスゴイ距離を走るなんて考えられませんでしたが、大会に向けて練
       習量の距離が増えて行き、遂にはハーフマラソンを超え今回練習でも走ったことの
       ない初の30km走となりました。

       練習の時も倒れてはいけないといつも主人と一緒でないと長距離を走る自信もな
       かったのですが、この大会を完走するにはこのままではいけないと、平日の昼間に
       一人で練習に行き始めました。前回足が痛くなりまともに走れなくなったことから思
       うと意外と元気に走れた結果に満足しました。
       少し楽しさを覚え、二日後にまた一人で行きまして快走できました。ウルトラコース
       の試走を1週間前にしましたが、その日は30℃超えととても暑く12kmでばててし
       まいました。とても30km完走できそうにないとその日はかなり精神的に落ち込み1
       週間ずっと引きずっていました。

       大会の当日は主人と友人の貴船さんが50kmにエントリーしていたので、私も早め
       の現地入りしました。会場はAAC以外の方々は緊張した雰囲気を感じました。
       主人から2時間45分切りで5:15/kmをペースに最後まで走れたらすごいよと目標
       を掲げられ、私自信も密かに2時間35分を目標にしていました。
       5分程前に最終のお手洗いに行きたいような、でもスタートしたら大変だとそのまま
       スタート地点で待機。結局スタート時間が2分早まり、危ない危ない!驚きのあま
       りスタートボタンを押し忘れそうでした(笑)
       スタート時、周りのペースに自然と引っ張られていたこともあり、思っていたより調
       子がいいなと感じていたので最初の10kmが予定より速い5:02/kmペースで走っ
       ていました。コース的に周回コースでAACの方や主人と何回かすれ違う度にお声
       をかけて頂き、嬉しかったです。私もできるだけ声を出して手をあげて、皆さまに合
       図と応援をしていたつもりでしたが伝わっていたかどうか・・・。

       70km優勝者の片岡さんのお言葉 「明るく、楽しく、元気に走って笑顔でゴールし
       たいです!」 に私も賛同して頑張ったつもりです。エイドでは冷たいお水にスポド
       リ、梅干しなどをいただき、氷水で体や襟巻きタオルを濡らしとっても気持ちよかっ
       たです。お陰様で水分不足、塩分不足の自覚はなかったです。

       前半で練習時にもたまに違和感のある左足くるぶし辺りが痛くなってきて、予定よ
       りペースタイムが落ちて5:25/kmペースで20kmを通過。これぐらいなら大丈夫・
       大丈夫と自分を励まし、途中足首のストレッチをして対処しました。
       少し痛みが取れたのですが、再び痛くなって止まりたくなかったのですが、靴紐が
       固定し足りないのかと思い時間ロスを覚悟で結びなおしました。
       20kmを超えたところでだんだんと足が重くなってきました。思うようにペースが上
       がらなくて落ちる一方で5:52/kmと下がりましたが、AACの皆さんに1秒でも2秒
       でも近づきたい一心で頑張って走りました。橋の坂道はダッシュを心がけ、ラストも
       何とかダッシュができて余力を振り絞りきりました。

       後で思えばエイドの立ち寄り方にも問題がありました。水を飲んだり食べたりする
       ことにも慣れていなくて、じっと立ち止まってしか飲めず飲み終わってふと見ると、
       皆さんの背中しか見えませんでした。エイドに止まる度に、背中どころか誰もいない
       状態でびっくりしました。
       そして前後を見るとあれだけのランナーが走っているのに誰も居ない時があり一人
       寂しく走る時もありました。このエイドのロスタイムは今後の課題です。勉強したい
       と思います。

       結果は手持ちの時計で2:43:19 5:27/kmペースで完走出来ました。
       来年は記念すべき第10回になる大会と聞き、50kmにチャレンジしようかっていう
       主人のまたまた強引なエントリー予定です(笑)
       また、AACのTシャツを来て走ったほうが顔見知りでなくてもランナー同士お声をか
       け合え、AACの方からも応援をもらえて楽しいかなと思いました。
       この大会は私が初めて主人から独り立ちし、初30kmに挑戦し完走した思い出の大
       会になりました。身内のことではありますが、いつも傍で応援、指導してくれた主人
       にも感謝したいと思います。

       最後になりましたが、AACの皆様・ボランティアの皆様、早朝から長時間に渡っての
       準備・現場の設営・エイドステーション・後片づけと、本当にありがとうございました。
       お陰様で怪我もなく楽しい一日を過ごさせていただきました。この場をお借りしまし
       て感謝致します。
       (大会開催日:2013・10・13)



第四〇三号

         すでに気持ちは大阪マラソンに切り替わってます!


2013年10月10日
AAC会員

前川 裕氏

       丹後ウルトラDNFから村岡66km優勝と、この短期間で走り方を身を持って経験す
       ることができました。
       今回は気持ちもスピードも抑え目でスタート。先頭集団がどんどん視界から遠ざかる
       のを見て、「後で絶対に拾ってやる」 「そんなに飛ばしたら山で絶対にバテるはず」
       と根拠のない自信が何故かありました。

       今年のマラソンシーズンが終わって、4月から8月までは山岳トレーニングやアップダ
       ウンのあるレースに絞ってエントリーしてきました。苦手だった登り、そこそこ得意の
       下りをそれぞれレベルアップさせる事ができたように思います。

       今回の村岡は上り下りとも7~8割の力で走りましたが、上りでのスピードはトップを
       競っていた方々とはトントンでしたが、下りは圧倒的に自分が速かったです。最初か
       ら最後までほぼイーブンで走ることができました。

       優勝という結果にはとても満足していますが、自分の最大の目標はフルマラソン2時
       間30分切りです。これは簡単にはいかないことは分かってますので、気持ち切り替
       えていきたいと思います。

       丹後ウルトラで慰めて頂きました方々、村岡で応援していただきました方々、本当に
       ありがとうございました。
       (大会開催日:2013・9・29)



第四〇二号

                スパルタスロンを走ってきました!


2013年10月9日
AAC会員

三田 博史氏

       ギリシャで開催されている世界でも有数のウルトラマラソン「スパルタスロン」を走っ
       てきました。
       スパルタスロンに参加しようと思ったきっかけは、2012年のいつかは覚えていませ
       んが、なにか海外で面白そうなレースはないかなと調べていたところ、スタートがア
       テネのパルテノン神殿、ゴールがスパルタのレオニダス王の像にタッチというレース
       を発見。像にタッチしてゴールっていうのがなぜか妙に気に入って、2013年の目標
       の一つにスパルタスロン完走を設定しました。

       スパルタスロンがどのようなレースかというと、下記のような感じです。
       (ギリシャ観光協会HPより引用)
       スパルタスロンの由来は、遠く紀元前5世紀の古代ギリシャの時代にまでさかのぼ
       ります。第1次ペルシャ戦争の際に、アテネ軍の伝令 "フィディピデス"が、援軍を
       求めるためにスパルタまで走り、往復約500km近くを4日で駆け抜けたという故事
       があり、 スパルタスロンはこの史実を再現する形で、アテネ/スパルタ間の246km
       を制限時間の36時間以内に不眠不休で走り切ります。
       アクロポリスの丘にあるパルテノン神殿下からスタートするレースは、標高1100m
       
のサンガス山越えなど数々の難所を含むコースで展開され、また昼夜の気温差と
       の闘いもウルトラマラソンと言われる所以です。スパルタにあるレオニダス王の彫
       像にゴールするまで、まさに勇気と精神力が試されるレースです。

       スパルタスロン完走に向けて、自分の現在の実力やどんな練習をすればいいのか
       よくわからなかったので、とりあえず同じような距離の萩往還250kmをどれくらいの
       タイムで完踏できるかやってみました。結果は38:07:34でスパルタスロンの制限時
       間である36時間をクリア出来ませんでしたが、寝ずに走れたことと、いろんな方か
       ら萩を38時間で走れたらスパルタスロンは大丈夫だと言われたことで少し心に余
       裕が出来ました。

       いままでは月間300kmくらいしか走っていなかったので、5,6,7,8月の月間走行距離
       を500km以上にしておけば完走は出来るだろうと考えました。5月は萩往還と野辺
       山のおかげでなんとか500kmクリア。6月は1日にしまなみで100km走ったので問
       題なさそうだと思った束の間、2月から痛めていた坐骨神経痛がひどくなり、結局6
       月は300kmしか走れず、7月は300kmにも満たなかったので焦りました。
       8月は24時間走を入れたり、姫路~芦屋、大津~芦屋の深夜ジョグ、家から神戸
       空港まで往復などをしたのでなんとか500kmクリア。
       9月も坐骨神経痛を治療しながら順調にきていましたが、最後の仕上げ、レース12
       
日前の丹後で愚かにも靴の選択ミスにより爪5個がやられ、両親指の爪周りが炎
       症を起こして病院に行く羽目に。さらにそれが原因か?ウィルス性の胃腸炎になり
       まさかの内科外科のダブル受診。

       外科のドクターに『走ってもいいですか』って聞いたら呆れた顔で『無理です』と言わ
       れ絶望。ドクターストップの状態で、無理やり土曜の合同練習会で10km、出発前夜
       に10kmだけ走って強引に最終調整。風邪も治っていない状態でギリシャに出発し
       ましたが、レース前夜にはなんとか体調も良くなりレース当日の朝を迎えました。

       ギリシャの天気は分かりやすく、乾季は晴れのみ。9月から10月はちょうど境目くら
       いですが、ギリシャに滞在していた9/2510/1までは最終日の10/1以外に雲は
       ほとんど見ませんでした。
       ということで、当然レース当日も雲なし。レース中の最高気温33℃で異様に日差し
       がきつく珍しくやや湿気あり。といっても40%RHくらいでしょうけど。また、レース中の
       最低気温は10℃を優に下回っていました。

       スタート前は最前列に並ぶことが出来て、大会HPの写真にばっちりAACランシャツ
       で写りました。スタート後パルテノン神殿からの下りで前について気持ちよく走って
       いると、先頭がまさかのコースミス。50人程がついて行ってしまい、ちょっとだけロス
       しました。
       その後もエーゲ海を横目にそこそこ順調に走れて40km地点で3:40100kmマラソ
       ン並みのハイペース。まったくしんどくなかったのでそのまま走ろうと思っていたの
       ですが、暑さのせいか、いきなり失速。80km手前のコリントス運河までの上りで歩
       いて、結局80km地点の到着タイムは8:15くらい。靴の右足小指付近が茶色くなっ
       ていたのですが、気にせず123kmまで行って靴下を履き替えると、真っ赤に染まっ
       てました。深夜にサンガスという山で拳くらいの石がたっぷりの上りと富士山のよう
       な下りで楽しんだりしていたら、結構進んでいました。

       そんなこんなでとりあえず完走目指して走り、ラスト40kmの山岳コースでは時間に
       余裕があったのでかなり歩きました。足指の皮のトラブルが原因で速く走れなかっ
       たせいか、脚のダメージはほとんどなく、最後は歩き過ぎたので余裕たっぷりでゴー
       ルしてしまい感動が薄かったのが心残りです。ただ、最終CPを過ぎてから、特にレ
       オニダス像に向かう最後の直線での応援は完走者だけに与えられた特権でしょう、
       町中の人が祝福してくれるのでメッチャ嬉しかったです。
       ゴールはレオニダス王の像の足にキス、古代スパルタの歴史と深い関係のあるエ
       ヴロタス川から汲まれた水を飲み、オリーブの冠を被せてもらい、記念の置物?を
       もらって救護スペースに行って足の手当をしてもらいました。

       大会翌日のスパルタ市長との昼食、さらにその翌日のレセプションでビールやワイ
       ンを飲みまくって踊ったりして大会後も楽しかったです。世界中からいろんな人が集
       まるので、片言の英語でもたくさんの方と仲良くなれるのもスパルタスロンならでは
       かも。
       遅くなりましたが、大会関係者、ボランティア、ランナー、ギリシャの各市民の皆様、
       応援していただいたAACメンバーや家族に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
       ありがとうございました。

       完走タイム35:15:47 順位110位  参加人数332人、完走者148人、完走率44.6%
       今回は世界35か国からウルトラランナー達が集まったようです。
       今後スパルタスロンに挑戦される方の参考になるかもしれないので、今回使用した
       グッズなどを記しておきます。
       スタート時の服装
          帽子:ステンレスメッシュ キャップ(モンベル)
          サングラス:RADAR PATH(オークリー)
          ウエストポーチ:ランニングウエストポーチ(アシックス)
          ポーチの中身:デジカメ、塩熱サプリ、Shotz*2、ティッシュ、大会参加者証明証
          インナー:UA ヒートギアコンプレッションLSモック(アンダーアーマー)
          シャツ:AACランシャツ
          下着:エアリズムボクサーブリーフ(ユニクロ)
          タイツ:CW-X GENERATOR(ワコール)
          パンツ:Nine Trails Shorts - 8(パタゴニア)
          靴下:Run Light Mini(スマートウール)
          シューズ:SAROMARACER ST 2(アシックス)
          ゼッケンベル
       エイドに預けたもの
          CP7  お粥、梅茶漬け、スプーン、Shotz*2
          CP22 お粥、梅茶漬け、スプーン、Shotz*2
          CP29 お粥、梅茶漬け、スプーン、Shotz*2、手袋、ハンドライト
          CP35 お粥、梅茶漬け、スプーン、Shotz*2、靴下、厚手のインナー、
               AACバイクジャージ、ウインドブレーカー、ヘッドライト
          CP43 お粥、スプーン、Shotz*2
          CP52 お粥、スプーン、Shotz*2
          CP60 お粥、梅茶漬け、スプーン、Shotz*2、靴下、
               アンダーアーマーヒートギア、寄せ書きの手ぬぐい
          CP68 お粥、梅茶漬け、スプーン、Shotz*2
          (大会開催日:2013・9・27~28)



第四〇一号

                大 峯 山 奥 駆 道 ト レ イ ル ラ ン !


2013年10月4日
AAC会員

本地 敏行氏

 昨年は単独走行を行った大峯奥駆道は、今回も昨年同様に梅雨時期に予定を組むことにした。5月ごろ
に決行日をいつにしようか考えた結果、自分の中ではやはり梅雨時期が一番いいという結論に達したため
でした。そうなると決行日の天候が雨天なのか晴天なのか気になる。6月の始めのころの天候は、梅雨と
いうのに雨天日ではなかったため、山中の貴重な水場(湧き水)枯れの心配が募る。6月半ばになるとそれ
までの心配も他所に、どうにか(6月12日ごろから)雨天となり ひとまず安心することができた。しかし、雨天
日も続けば安心も心配へ代わり始める。週のほとんどが雨天となり、次の週も引続き、ほとんど雨天日にな
る予報が出される。決行日も雨天になる勢いだったので日が近づくにつれ、天候への心配がどんどんと募っ
てくる。

 今回の取り決めとしては、前日荒天および当日雨天の場合は中止となり、企画は次週へ順延となる。開催
日は6月22日。その6日前から毎日インターネットで雨天の状況および天気図を見て何度も推測を重ねる。
私自身、気象予報士ではないが、過去の釣り趣味が講じて、個人的によく天気図を見ていたので、外れる
こともあるが、あたることもあるため、その経験を生かして今回も状況を見ていた。今回の天気図を見て一
番厄介と感じたことは動きを予測することが難しい台風が近くまで来ていたことでした。ただ救いだったこと
は、衛星画像を見ても台風の位置すら確認できないくらいに非常に弱い台風だったことでした。(纏ってい
る雲がない。)この台風は上陸しても、せいぜい流れ雨程度で、低気圧へ変化してもあまり影響もないだろ
うと考える。決行日の週始め(月曜日、火曜日)くらいからは私自身この台風は影響のないものと仮定し、
今回一緒にトレイルをしていただけるT氏に決行を促すメールを打つことにした。開催3日前くらいには、停滞
前線が日本列島に長く重なり、各地に非常に多くの雨を降らせていたので、若干の心配もあった。決行日に
は前線も北側の高気圧に若干押され、南下し、弱い台風が来てもそんなに影響もないだろう。実際、アメダ
スで降雨量を確認した結果、トレイルランが行われる天川村周辺では、開催日の3日前以前では目だった
降雨はなし。3日前で(降雨量/1日)約14mm、2日前で85mm、前日でも13mmと少なく、当日は曇りの
ち晴れという予報。 先ほども触れた非常に弱いと仮定した台風は せいぜい流れ雨と仮定したものの、テ
レビなどのメディアではあまりに台風の影響を強く伝えるため、少し心配になった。もし、トレイルランで事故
にでもあったなら?ついつい悪い方向へ思考が走る。メディアが流す天気予報の影響のため、前日の昼12
時ごろにトレイルラン中止をほのめかすメールをT氏に送った。しかし、その後もアメダスで雨量の確認を続
け、天川村付近の降雨量が増えないことを確認し、午後16時に送ったメールでは前回のトレイルラン中止の
メールを訂正し、改めて決行のメールを送ることになった。トレイルランの当日も雨天ではないため、今回の
トレイルランにおいては、天候上の問題はなしと結論づけた。

 トレイルラン決行を決めてから私自身も急遽 トレイルランの準備を始める。近くのスーパーで食材を購入し、
リュックに着替えの服やエイドセットを詰め込む。夜ご飯は午後18時と早めに済ませた。その後は、のんびり
と過ごし、20時には就寝。しかし、日ごろ就寝することのない時間だったので、横になって目をつぶっている
だけで 起きる予定時刻の11時半まで眠ることができなかった。目覚まし時計を準備していたが、使うこと
なく起床。おにぎりや袋、水などを用意し、定番のホットコーヒーを12杯分作り、のんびりと深夜テレビを見な
がらコーヒーを飲み、のんびりとトレイルランの準備を行うことにした。コーヒーを飲み、パンを焼き、準備を行
っていると突然 携帯電話が鳴り、00時30分に阪神武庫川駅へ着くことができるという電話をT氏からいた
だいた。予定より若干早くなったため、準備も少しあわただしくなり、コーヒーは2杯で終わり、パンは食べる
ことができなかったので、ラップに包み、車に投げ込んだ。靴はアシックスの新品(2990円)を下ろすことにした。
車はまず、近くのセルフのガソリンスタンドに立ち寄り、ガソリンを満タンにした後、武庫川の川沿いの車道
を南へと下った。阪神武庫川駅の梅田方向の終電は00時半。駅に着いた最終列車は十数人の乗客を降ろ
した。尼崎側の出口付近に車を置き、待っているとT氏が改札を越え、改札前にある自販機でドリンクを購入
後、無事集合となった。 私自身のトレイルランや山登りの遠征では そのほとんどが深夜の出発で、ガス
(霧)が発生しにくく展望が多く望める 気候および気温の安定する午前中に ほとんどの工程を走り、暗く
なる前には帰宅するスタイルをとっており、私の企画は慣れていないT氏には若干強行プランに感じられる
のでは?と不安に感じた。夜の遅くまで仕事の後、トレイルランのため、阪神電鉄 武庫川駅東口に00時30
分に集合していただき 申し訳ない気持ちだった。私は企画通りに出発前に仮眠(?)を少しとっていたので、
のんびりと深夜の運転を行い、T氏は隣でゆっくりと寝ていただいた。出発後、阪神高速湾岸線に乗る前に
近くのコンビニで飲み足らなかったコーヒーとブラックガムを購入し、尼崎の湾岸線から阪神高速にのった。
高速は松原JCTの一つ手前の大堀で降りる。ここで降りると若干高速費用が安くなるためだ。大和川沿い
を遡上し、大阪教育大学前を通過し、二上山の東側へ入る。そのまま、葛城山、金剛山を右手にひたすら
南下した。空は雲の切れ間に時折月が顔をだしている。途中、トイレをしたくなったため、コンビニに立ち寄
り、トイレを済ませる。客は私を含めて2人だったので何も買わずに出ることもできないと考え、オロナミンC
を1つ買い、店を後にした。紀ノ川が吉野川へ変化する辺りに出た後、その紀の川を渡り、商店街を超える
と山の道へ変化する。ヘアピンカーブをいくつも越え、どんどんと標高が上がっていくのが分かる。走ってい
ると何度も道路上に霧がかかり、今日のトレイルに対しての心配が少し募った。長いトンネルを2つほど越
え、20分程度車を走らせると、午前3時にようやく洞川温泉に到着することができた。私はコーヒーの飲みす
ぎが原因でトイレが近くなっていたので、まずはトイレを探すために、洞川温泉街をぐるりと車で回ったが、ト
イレが見当たらない。この町に入る時、入り口に町の地図が掲載されていたことを思い出し、入り口まで戻
り地図を確認し、トイレの位置を見ると、予定していた洞川温泉センター駐車場の入り口にトイレがあること
が分かったので、そこへ向かうことにした。洞川温泉センター駐車場に着くと入り口のゲート手前の右手に
きれいなトイレがあったので、そこで用をすませ、車を洞川温泉センター駐車場へ入れる。洞川温泉センタ
ーは温泉施設の駐車場で、一日1000円と安い。

 暗い中、2人は小さな車中(タント)内で走る準備を行う。私は深夜に食べ残した食パンとビスケット数枚を
食べ、走る靴に履き替える。外に出ると若干肌寒い。山裾には霧が立ち込めていて視界が悪い。今日は天
気予報どおりに晴れるのだろうか?少し不安に感じる。2人とも準備を済ませて、洞川温泉街を歩いて進み
始める。とりあえず日が明け 道の状況がきちんと確認できるまでは足の怪我の原因となるため、ヘッドライ
トを使用し徒歩でスタートする。道はほとんどアスファルトもしくはセメント舗装道ではあったが、小石や起伏
(ワダチ)があれば足をくじいてしまう。街中を過ぎると神社らしき建物や墓らしきものがちらちらとある。奥駆
道へ通じる山道に到着するまでには 途中にトイレが2箇所あることは理解していたが明確な場所が分から
ない。走っていると広い駐車場の奥にある建物にトイレがあると思い、立ち寄ったがカフェ(お店)のようで、
店が閉店している以外に何もなく往復300mの無駄足となったが、そのすぐ先にある母公堂前にあるトイレ
には助かった。日が差し始め、車道も明るくなってきたので、この辺りから走り始める。

山道の入り口近くには、大型バスも駐車できるくらいの広い駐車場に乗用車が4台止まっていて、内一台か
ら2人の男性が降りてきて、山伏の服装に着替えている。私達が女人禁制の門の100m手前の川にかかる
橋(清浄大橋)を渡っていると彼らは出発の合図だろうか?強くほら貝を吹き始めた。その笛音は静かな山
々へ響き渡る(しみ込む?)。入り口付近は墓場となっており、そのすぐ先に木で作られた目立たない女人
禁制門があり、その門をくぐる。

 山道は奥駆道との辻にあたる洞辻茶屋までは杉などの植林地帯のため、殺風景な景色が続くことになる。
山道の足場が崩れて危険と思える場所には鉄製の網等で作られた橋が設置されているが、その鉄網の橋
は雨で濡れていると、思っている以上に滑る。体重を乗せて足を運ぶとよく滑るので 腰を引いた状態で軽
く足を運ぶようにする。つづら折の道を幾度か進むと人気のない東屋へ到着することができた。ここは地図
上では一本松茶屋で現在は休業中と書かれているが 休業中が長いことが原因のようで、その茶屋は若
干寂れて荒れた小屋に見える。10m弱の茶屋を通り過ぎるとお助け水(水場)はそこから大分進んだとこ
ろにあった。お助け水は神社によくあるような手を洗うための石でできた石桶のような形で 水面のすぐ上
辺りに小さな祠を祭っている。植林地帯とは言え、自然の中にあるため、桶の下のほうには沈殿物がたくさ
んある。一応飲めることにはなっているが、水面に浮かんだ浮遊物を見て、少し飲む気がなくなる。注意書
きには、下の沈殿物を舞い上がらせないようにしてくださいのようなことが書かれている。桶の下にたまって
いる沈殿物を舞い上がらせないように置かれていた柄杓を使い、恐る恐る2口だけ飲んだ。座るために設置
された椅子はあったが、霧などで濡れていたため、座ることができず、立った状態のため、休憩も少なく済ま
せることになり、次の洞辻茶屋へと足を進ませた。

 洞辻茶屋は営業していると考えていたが、朝があまりに早いため、まだ営業しておらず、中には数人の山
伏の人がいるだけでした。この山では出会いやすれ違い時の挨拶は「おまいり」と声をかけあう。山伏の集
団は私達が到着すると まもなくその場を出発した。建物の裏のキハダの木の近くに設置されているトイレ
で用を済ませ、少しの休憩と食糧補給の後、大峯寺方向へ進む。洞辻茶屋を出発し、整備された登山道を
少し進むと 陀羅尼茶屋が2軒ある。どちらもまだ営業はしていない。その先には、長い階段と岩登りが待っ
ている。階段の入り口に差し掛かると さきほどの山伏集団がいたので、その脇を通してもらった。山伏の方
々はその場で経を唱えられるようだった。長く続く階段は3度くらい折り返した後、「油こぼしの岩」の真下へ
着く。推定50mの霧で濡れた岩を登り、正面の大きな岩を右手に少し巻くと「釣鐘岩」への看板がある。コー
ス上から30m程度コースアウトすれば、木で作られた鐘掛岩の展望台(ウッドデッキ)に到着することができ
る。展望台に立つも360度(後方は岩ですが。)ガスのため、景色を展望することができない。釣鐘岩から離
れて奥駆道を進むと小さな祠やお墓のような石仏を幾らかやり過ごすことになる。大峯寺の途中で一番有
名な「西ノ覗」はその途中にある。コースの途中に立て看板のようなものがあり、その看板が示す方向へ進
むと覗きに到着することができた。普段は人一人が雨をしのぐことができる東屋(?)に年配の人が居て、縄
一つで貴重な宙吊りの御体験をさせていただけるが、朝が早かったため、この場所に到着しても誰も居ない。
以前この場に来た時は会社の行事の一環ということで数人の若い男性が岩から宙吊られて、貴重な体験を
される方が幾らかいたことを思い出す。岩から少し身を乗り出し、崖下を覗き込むが霧が深く立ち込めている
ので、崖下の状況が見えない。覗きを後にし、山道を進むと、ところどころ岩が露出している場所が数箇所あ
り、それら岩は濡れていて、とても滑りやすいので、重心を低くし、3点支持で足場を確認しながら進むことが
必要となる。平地部分の山道は整備されているので足場も良く、自然とペースが上がる。大峯山寺の石鳥居
を過ぎ、宿坊を左手に一段々々が少し高めの石階段を上がり、「大峯山寺」と書かれた石の彫刻と門の前で
写真を撮り、それをくぐると大峯山寺に到着できた。

 本堂の前は25m×50m強の広場があり、本堂の向かいに建物、この広場に入るためにくぐった鳥居の右
手にはプレハブのような建物がある。プレハブの横には山上の花畑へ通じる道がある。向かいの建物には
歴史ある看板などが多く飾られている。2人で本堂の中に入り、お寺の中を拝観させていただいた。あまり
に静かな本堂内には人が居ないのだろうかと思った。しかし、妙に視線も感じるし、どこかに人がいるような
気がするので、辺りを見渡すと受付に一人と仏像の前に一人の合計2人いたことにとても驚いた。私達が入
ることができる広い土間には台が設置され、その上には生け花を生けるような金属性の大きな蝋燭台(鉢)
があり、その中央にはろうそくがついているのだが、ろうそくの固体は軸(紐)沿いに少し付着している程度
でそのほとんどが液体(ロウ)となっており、そのような状態で軸が自立していることに驚いた。私は、仏像よ
りもこのろうそくに目を奪われていて、あまり周りを見なかったが 本堂はとても歴史を感じる建築物と感じた。
本堂の前の石段に腰を据え、ご飯を食べ、小休憩を行う。奥駆道の入り口付近(本堂を向かって右手)に大
きな錫杖があったので、それを持ち上げることができるだろうかと2人でがんばったが、人が持てる許容量
をはるかに越えていると感じたので持ち上げることをあきらめた。少しこの広場で休憩させていただいた後、
本線(奥駆け道)へ戻る。

 奥駆道の入り口付近は過去の地すべりが原因で、地肌が見え、その急な斜面上に登山道をつくったので、
足元が崩れやすくなっていたので注意しながらゆっくりと進むことにした。150mくらい進むと危険な場所が
過ぎ、笹の生い茂る細い尾根道へ入る。尾根道の両側には苔が多く付着しているブナ(原生林)がたくさん
生えている。細い笹道を進むと 笹葉についた雨水が足元の靴や靴下を濡らせてしまうため、履いている靴
はすぐにずぶぬれとなった。

 小笹宿はブナの原生林を少し走った先にある。小川の音が聞こえ始めると その音が目印で、小笹宿に近
づいたことが分かる。小笹宿の避難小屋はとても小さくて、6人も横になれば少し窮屈になりそうなくらいだ。
小屋のすぐ横を流れる小川は前日までの雨天が影響したようで昨年来た時よりも水量が多い。この小川の
水は飲めるので、私は飲みやすいところを捜し、少し滝のようになっているところに行き、両手いっぱいに何
度も冷たい水を飲んだ。またリュックに入れていた別途水筒(リザーブタンク)にこの湧き水を約600ml補給
することにした。小川の周りには、一面に芝のような短い草が生えていて、その中から目立つようにトリカブト
やバイケイソウなどの毒草がたくさん自生している。この小川の水にはこれら毒草の影響はないのだろうか?
少し心配になる。小川のように流れていた水は奥駆道を弥山方向へ100mも進めば、その姿は地中へと隠
れてしまう。視界が少し開けたため、迷わないように木々の枝に張られたテープを頼りに尾根伝いに原生林
の中を走り続ける。回りの景色もブナの原生林がだんだんと少なくなり、少しずつ風景(木々)も代わり始める。
不思議なことで、ブナの原生林がなくなるだけで、普段の六甲山のような登山道に感じてしまう。ただ回りに
生えている木々は六甲山とは若干違い、たくさんの見かけない植物や石楠花が自生している。下り山道を
越え、山の谷間(コル?)辺りに来ると女人結界門の出口が見えた。この場所は「阿弥陀の森」(ナビキの
場所)という名前がつけられており、別の山道との分岐点にもなっている。鳥居(女人結界門)近くにある大
木の根元にはたくさんのお札が祭られている。

 この場で小休憩の後、大普賢岳へ向かう。T氏は今回のトレイルランで初めてこの場で食事を取っていたこ
とに驚いた。私は燃料が切れることを恐れるあまり、常に口の中に飴など何か入れていたが、それは間違い
と後から感じた。口の中に常に何か(飴やガム)を入れる行為を行ってしまうと 不思議なことに 食料(口の
中のもの)が切れるとすぐに身体が次の食料を欲するようになる。そのため、最近では山へ入るとすぐにお
腹がグウグウとなる始末。この体質は治す必要があると感じた。このような体質になった理由は、超距離の
トレイルランを行った際、燃料切れを何度か繰り返したことを懸念し、食材は取れるときには取れるように心
がけた結果でした。以前なら、芦屋~有馬往復くらいなら、飲料水(スポーツ飲料)のみでクリアできていた
が、知らないうちにそれができなくなっていた。(今回のトレイル後、体質改善のため、トレイル時には、食材
をなるべく取らないよう心がけた結果、少しは元に戻ったような気がします。)

 途中、明王ヶ岳(ナビキだったので札がたくさんあった)を過ぎ、次の小普賢岳は看板がなくなっていたため、
気付かずに通り過ぎる。その先の足場の悪い(泥道のような)急登を上ると展望のいい大普賢岳に着つくこ
とができた。(今日一番の展望でした。)この場所から弥山を望むことができるが、私自身、ここに来るのも
まだ2度目なので弥山の場所をはっきりとは特定できなかった。(見えているとたぶんその遠さに愕然として
いたと思う。)大普賢岳は六甲山と比べると季節が約1ヶ月遅く、6月末というのにシロヤシオが満開になっ
ていた。山道上には多くのシロヤシオの散り落ちた花があり、2人の花道のようでとてもきれいに感じた。山
頂の足元にはたぶんでテリハノイバラ?ミヤコイバラ?(不明)が生えており、あまりの場所(標高)違いのた
め、誰かの靴の裏に種がくっついて来てこの場で根を下ろしたのかな?と面白く考える。景色をさえぎるよう
なガスもなくなり、ここに来て初めて朝のすがすがしい山々を遠くまで望むことができた。吹き抜ける風もと
ても涼しくて温かくなった身体には気持ちがいい。少しの間 この場の展望に見とれ、2人共写真を撮り、大
普賢岳を降りる。

 急なくだりを進み、尾根伝いに進むと、木でできた看板があった。「水太覗」という100mくらいの切り立った
崖の際から展望を望むことができる。大峰寺近くの西ノ覗の絶壁も垂直ですごく感じるが、この場所もそれに
劣らず すごいと感じる。ここからは岩場が多くなる。国見岳を越えると 奥駆道上、有名な薩摩転びの岩場
に刺しかかる。滑落防止のためとても太い鎖が長く設置されているため、安全にはなっているが、鎖がない、
もしくは鎖が細い場合はとても危険に感じるような場所だ。濡れて滑る岩場をしっかりと足と手で三点支持し
ながら、安全に崖場や急勾配の下りを過ぎると稚児泊のナビキに着く。ナビキの場所からすぐ先には七つ池
という深さ20mくらいのすり鉢状の薄気味悪い窪みに到着できる。そこからは 足場の悪い急登りを上がる
と七曜岳となる。山頂へ上がる道には鎖やロープはあるものの 足をかける場所が少ないため、がんばって
足を高く上げて上らなければならない。がんばって踏ん張ったことが原因で 鈍い音と同時にズボンの股が
破れてしまった。七曜岳の山頂では休憩場は少ないものの、展望がいいため、若干の休憩にはもってこい
の場所と感じる。偶然にも季節はずれの石楠花の花が一輪だけ残っていて、私はそれに目が止まった。残
念なことは この山頂の足元には大量のザイル(ロープ)の残骸が放置されている。過去に崖登りを行った
後、持ち帰ることがどうしてもできなかったのだろうか?それとも救助用にこの場所にわざとおいているのだ
ろうか?

 そこから急なくだりを越え、尾根を伝って進むと行者還岳へ行く行き止まりの道と弥山行きの登山道を示す
看板に到着した。今回は、一度行者還岳の山頂を目指してから 折り返して来て弥山へ向かうことにした。
行者還岳山頂までは10年以上は変化しないような立派な金属でできた看板に約0.1kmと書かれていた
ので、それを頼りに進む。約100m地点と思われる小高い丘に着いたが山頂という雰囲気は少ない。しかも、
山道はその小高い丘の脇を越えて、さらに先に見えるここよりも更に50mくらいある高い山の頂方向へと
続いているのが見えた。看板に書いてあった100mは全くのデタラメで実際は、その立派な看板から行者
還岳の山頂までは500mくらいある。山頂をぐるりと鉢巻のように巻いて茂っている石楠花の木々をかきわ
けると、小さく開けた山頂に到着できた。山頂はハゲているため、シートなどを敷いて休憩などはしやすいが、
展望が望めないことが残念と感じる。山頂には、行者還岳という看板とその看板の横には太い錫杖が地面
に深く刺さっている。ここから先へ進む道はあるが、踏み跡が曖昧な上、地図上にも道の掲載がない(探す
気もない)ので上ってきた道を引き返さなければならない。行者還岳という名前はこの山には似合っている
と思った。

 疲れきった足で登って来た山道を引き返し、看板があった奥駆道まで戻り、再び弥山方向へ進む。山道は
一転して、木でできた下り階段や足場の悪い下りはしごが連続して続く。元々立派な階段やはしごだったと
思うが、多くの登山者のアイゼンの棘などによりどんどんと足場の板が細くなっている。板が細くなった箇所
は登り工程の場合、どうにか進めるが、下る場合は、足場板が割れないようにするため、足を乗せたときの
衝撃を殺しながらゆっくりと足を運んでいく。どんどんと下へ下っていくと水が流れる音が聞こえ始め、その音
がどんどんと大きくなると業者雫水が近いと感じる。もともとは、この湧き水はとても汲みにくかったのだろう。
よって誰かがホースや大きな容器などを設置してこの湧き水を飲みやすくしたのだろう?行者雫水は前日ま
での雨天のおかげで長いホースの先からは水があふれんばかりに流れて出ている。ホースから出ている水
を飲めるだけ飲み、背中のリザーブタンクに少し水を入れる。この場では休憩をせずに そこから少し上った
先にある行者還避難小屋に入って大休憩を行った。この小屋は今までのプレハブ小屋ではなく、丸太木で
作られている。外見もとても大きく、入ると小屋とは言えない位にとても広い。部屋が2つあり、さらに炊事場
のような場所もある。トイレは一度外に出て、入り口の左側へ建物沿いに進むと入り口がある。もちろん水
洗ではない。小屋の中の各部屋はさらに2段ベットを大きくした作り(2階層)になっていて、そのひとつの部
屋の端には毛布がいくつか置かれていた。今までの避難小屋とは違い、相当数の人を収容できる造りにな
っている。この場所からは弥山の山頂にある山小屋を見つけることができた。それは、とても遠くの山に小さ
く見えたので、疲労がたまった身体には、その風景に対し驚きと絶句しか出ない。

 今回のトレイルラン工程はだいたい計画した予定時刻よりも遅れていたので、ここから次の奥駆道出合ま
での区間を一気に走ることにした。途中の山道尾根には、背の高いバイケイソウの花が山道の脇にもたくさ
ん生えていたので、それらをかき分けて進む。荒廃した避難小屋周辺は水が溜まり、湿地帯のようになって
いる。朽ちた小屋がよりいっそうこの辺りを薄気味悪くさせているように感じる。奥駆道出合に着いたあたり
から登山人が多くなってくる。奥駆道出合の分岐点から下山するとすぐ下に駐車場があり、弥山に訪れる人
のほとんどがこの場所に車を置いてから弥山へ登るためと考えられる。湿地気味の登山道が続く「弁天の
森」を越え、理源大師像が見えると尾根の平坦とは別れる。ここからは弥山山頂までの200mの急登へ変
化する。

 山道の始まり付近は雨水でU字に侵食され、さらに大小のゴロゴロ石が転がっている。石は不規則に転が
っているため、かなり足を上げなければいけない場所もある。上がらない足をがんばって上げると、右足の
太ももの裏が痙攣を起こしそうな感覚になった。何度も立ち止まって足を休憩させるが一向に改善はしない。
足場の悪いゴロゴロ道をひたすら上がり、どれくらい時間が経過しているのか確認すると、登り始めてまだ
10分しか経っていなかった。前回の経験上、弥山小屋までの登り工程は約30分続くことを知っていたので、
まだ山頂までは20分は時間が掛かるという事が分かる。弥山への山道は標高が上がると途中から山道保
護のため木の階段へと変化する。この木の階段が始まるということは、登り始めから弥山小屋までの区間で
考えると、中間地点付近にたどり着いたことになる。太ももは痛みのため、高く上げることができないので、T
氏に先を譲り、私は、休憩をたくさん行いながら後を追いかけることにした。T氏との差はどんどんと広がるが、
足が動かないためどうすることもできない。痙攣を起こしそうな感じは理解できるが、スポーツドリンクの粉な
どは用意し忘れたため、今できる対処する方法は水を補給するくらいしかない。水を少しずつ補給しながら、
がんばって登り続けると、モーター音が聞こえてきたので山小屋に到着したことが分かった。一気に上りつ
め、山頂にいくつか設置されている木のテーブルとイスに腰をかけて息を整えた。

 T氏は先に到着されていて、まわりをいろいろと散策されていたが、私は全くの余裕がない。軽食を取り、
痛み出した足の筋肉や膝の状態と体力を考え、残りの工程を考える。この場所よりもさらに高い位置に八経
ガ岳があり、弥山の位置からは高低差は50m程度ある。上るためには、一度30m程度下るため、八経ガ
岳へ上るには実際80m~100mの登りを進まなければならない。八経が岳周辺の景色は今までとは違い、
立ち枯れの木々が目立つ。激しい気候変動に追いつくことができないのか?鹿の食害にあったのだろうか?
八経ガ岳の周囲は鹿対策として人の背よりも高くネットがぐるりと張られている。中に入り八経ガ岳に上るた
めには、六甲の魚屋道にあるような扉(高さが倍くらいある)を開けて中に入らなければならない。弥山から
八経ガ岳へ向かう下り坂も膝が痛く、また登りに差し掛かっても 痛くて全く足が上がらない。今回のトレイ
ルランでこんなにフラフラになることを全く予想していなかった。おそらく、膝が痛くなり、それらをかばった結
果、いたるところにガタが来たと考えられる。 下山ができるだけの体力は残っているのだろうか?そう不安
になってしまう。この辺りは後1月ほど遅れて訪れるとたくさんのオオヤマレンゲが咲いていてとてもきれいだ。
今日はまだ青々とした葉の中に埋もれるように付いている小さな蕾を確認できる程度だった。弥山から八経
ガ岳までの区間は 前回はとても短く感じたが、今日のように疲れるととても長く感じる。重くなった足を持ち
上げ、どうにか八経ガ岳の山頂に着くことができた。記念撮影の後、休憩を行う。前回同様、なぜかこの場
所には昆虫が多い。特にハエがうっとうしい。隣でカップラーメンを食べるためにお湯を沸かしている光景が
今の私には、とてもうらやましく見える。

 本来なら、この場所から弥山へ戻り そこから下山する予定だったが、互いの体力はかなり深刻な状態ま
で陥っていたため、このまま、最短ルートで下山する計画へ変更することにした。そのほうが上り工程が少な
くなり、距離も約1km短くなる。互いの水の残量を確認してから下山を始める。私の持っている水の残量は
約800mlでした。今日の気温の低さから考え、天川村の市街地までの残り約11kmを走りきることができ
るだろうと考えた。

 八経ガ岳を出発し、弥山辻からレンゲ道の下山道へ入り、高崎横手出合という辻までの約2kmは2人にと
って初めてのコースとなる。周りには高山植物や立ち枯れした木々があり、とても不思議な風景だったが、
それらを見て走る余裕もほとんどなく、ひたすら前を走るT氏に遅れまいと、転ばないように足元を注視する
ことだけで精一杯だった。山道は平地の舗装道と比べると 道のりが倍に感じる。それは同じ距離を走るの
に必要な時間が約2倍かかることが理由と予想している。平地(舗装道)と同じように走ることができればい
のだが、足場の悪い山道を平地(舗装道)と同じように走ろうとすると不思議なことに体感速度がそれ相応
に速く感じる。今回の八経ガ岳からの下山道も2人とも速度が落ちたため?私が足を引っ張っていたため?
5km程度を下りきるのに、約1時間かかっている。栃尾辻という場所に避難小屋(扉もなく土間作りの室内
には腰をかけるものすらない薄気味悪い小屋)があり、この場所がこの長い下山道に入ってから だいたい
の中間地点となる。下り道は足場の悪さや疲労のため、走る速度もいつもより衰える。急な下り道や尾根の
巻き道などたくさん走り下ったのに栃尾辻が見えてこない。うんざりするくらいに山道をくだり、膝や足の裏の
痛みが増してきて、痛くてどうしようかと考えながらも 歩みを止めるわけには行かない。途中、何度も屈伸
をし、時には、屈伸の最中に両手首を屈伸した足の間に挟んだりして、膝の痛みを和らげようと試みた。不思
議と屈伸をするとこわばった足の筋肉が和らぐみたいで、膝の痛みも少しの間は改善される。

 ようやく避難小屋にたどり着くことができた。私はこの場所が丁度中間点というと、「せめて後5kmと言って
ほしいと話された。」うんざりするほど山道を下ってきたのに、まだ半分の距離だったとはお互いに認めたくは
ない。その上、この栃尾辻は六甲山よりも標高が高い位置であることも疑いたい。途中、ヘリポートへと続く
車道(ジャミ道)に出る。地図上では下山道はこの車道と2度交差することになっている。私の考えでは、一
度目に車道に入ったとき、そのまま車道沿いに下れば、2度目に出くわす車道に繋がる。この車道を進むこ
とができれば、無駄に山道の尾根を登り降りする必要もなくなり、走行距離も大分短縮できると考えられる。
でも、相当量の体力を失い、携帯する水もお互い少ない状況では 危険な選択「経験のない道の選択」は許
されない。この状況下では、ミスするとたぶん引き返す気力すらないだろう。そう考えると迂回ではあるが、
正攻法で下山道を進むことが正しいと考えられる。車道をうらやましく左下に眺めながら 普段なら急にも感
じないような上り坂を 動かなくなった足を持ち上げながら進む。時折木々の隙間から見ることができる天川
村はまだまだ小さく、山道を下ってもさほど大きくは目に写らない。数あるトレイルランを経験してきたが、こ
れほど下り道を下ることが嫌になる山道も少ないだろう。杉やヒノキなどの植林地帯に入ったことは天川村
がより近くなったことを教えてくれるので少しの安心感があった。この下山道は最後に網で石を固定した階
段があり、市街地まで残り僅かと分かる。その網で固定されている階段は、荒れて崩れていたり、傾いてい
たりと、とても足場が悪く、何度も滑って転倒しそうになった。膝も痛く、足の筋肉も痛いので、この荒れた階
段はかなりつらい。どうにか下の住宅街に降りると数分先に到着していたT氏が待ってくれていた。2人で住
宅街を歩き、主要道に出た後に商店の前に設置されている自動販売機の方向へ向かって最短距離で進む。
自動販売機の場所は分かっている。久しぶりに出た道路は 照り返しなどで気温が上がっていて とても暑
く感じる。この場所は、六甲でいうとだいたい風吹岩くらい(600m)の位置だったが今まで涼しい場所を体
験している以上、この場所がどうしようもなく暑い。これから先 洞川温泉まで どうしようかと2人で意見を出
し合いながら車道を歩く。洞川温泉へはコースが2つあり、車道沿いの急登を進むか?川沿いの階段地獄を
進むか?2つの選択を迫られる。一応、じゃんけんで勝利した方へ進むことになったが、すでに走るというこ
とに対しての心のともし火は2人とも消えている。私は車道の右側を歩いていたので、勝つと車道を選択。T
氏は左側を歩いていたので勝つと川沿いとなる。幸運(?)にもじゃんけんは私が勝ち、洞川温泉までは車
道を進んで向かうことになった。この時点で この方向を選択したことが正解だったことを2人ともまだ知らな
い。車道を進むとすぐに登りへさしかかる。暑いし、疲れた身体では歩く気力も少ない。約200m進むと道の
反対側のバス停留所が目についた。洞川温泉から下ってくる側にバス停があるのなら、洞川温泉行きのバ
ス停もあるのでは?そう考えて当たりを目で探すと、道沿いに作られた3人が並んで座れるくらいの小さな
東屋を見つけた。近づくと 時刻表も貼られていて、それがバス停と分かった。小さなバス停に到着し、偶然
にも時刻表を見ると運良く約15分後に洞川温泉行きのバスの運行予定があった。(この路線バスは1~2時
間に1本という中での幸運)結局走り始めに私が予想したとおり、最後はバスに乗ってゆらゆらとゴールへ向
かうことになった。バスに揺られながら、洞川温泉までの道のりを車窓から眺める。洞川温泉への道のりは
記憶とは違い、緩やかだが登りが多いことに驚き、このバスに乗れたことは本当に幸運だったと思った。バ
スは洞川温泉街の中央付近のバスターミナルに到着し、料金を支払いバスから降りる。洞川温泉センター
はこの温泉街の入り口付近にあるため、重い足を動かし、温泉センター(駐車場)までの残り200mを歩い
て 無事にゴールできた。あまりの疲労感のため感動も少なく感じる。温泉センターは駐車場がとても広く、
広い駐車場の奥に温泉施設がある。温泉施設のホールは広く、休憩場所は若干狭い作りとなっている。着
替え場所は普通くらいの広さ。中に入ると全体的には広くはないが、広い湯船が2つと露天風呂が一つある。
ボディシャンプーやシャンプーは設置されていたものを利用させていただき、洗い場で身体を洗い、内風呂に
入る。眠気のため、そのまま寝てしまいそうな感じだ。30分程度入り、着替えてホールに出た後、奥の休憩
場所で少しの仮眠を取る。30分強の仮眠を取った後、車に戻り帰途に着く。途中、天川村の物産を売ってい
る場所に立ち寄り、土地ならではのお土産を物色して帰途に着いた。車で運転中に、白い葉が目に付いた
ので、マタタビの葉と判断し、少し刈り取る。(帰宅後 ノラ猫をさがし、与えようと思ったが、ノラが見つからな
い。次の週に六甲でもマタタビを探したが、魚屋道では とても人が立ち入れそうにない向かいの山に白い
葉を発見。)刈り取ったもののめったに見ない植物だけに、花だけでは判別に若干の不確かさがあったので、
不確かさをなくすために実を探す。その結果、虫が宿った実と通常の実をつけた枝を見つけて マタタビの木
と確信することができた。T氏は猫を飼われているので、ぜひ猫のためにと、少し刈り取らせてもらった。帰り
は道も混雑することなく、途中のコンビニでアイスクリームとコーヒーを購入する。八経が岳からの下りを必死
に走っていたときに終わったら 絶対にこれを買おうと考えていたものでした。アイスクリームとコーヒーを購
入し、飲み食べながら大阪教育大学近くから名阪国道へ入り、阪神高速を利用し阪神甲子園駅へ向かった。
出発時刻を午前1時と早くしたため、西宮に到着してもまだ日が出ていて明るかったので、家へ到着し、余裕
を持って速めに就寝することができた。
       (大会開催日:2013・9・22)



第四〇〇号

          今シーズンはラン運に見放されているようです!


2013年10月3日
AAC会員

原田 敬三氏

       池田市在住の原田です。AAC会員暦はそれなりに長いのですが、ここ数年は土
       曜練習会にほとんど参加しておらず幽霊会員状態です。最近入会された会員さん
       とはほとんど面識がありませんので自己紹介も兼ねて、先日の六甲西半山トレラ
       ン参加&近況報告をさせて頂きます。

       10年ほど前に健康維持を目的に始めたランニングですが、走った後の爽快感(走
       る前は義務感を感じることも)や練習の成果がタイム、時には自己ベスト更新とい
       う分かりやすい形で実感できることに面白みを感じて、今では月1ペースで大会に
       参加するほどどっぷりとはまっています。趣味というより習慣化した生活の一部に
       なっています。とはいえ、きつくてしんどい練習はできるならやりたくないし、特にロ
       ードを全力で走るというのは大会でもない限り避けたいというのが正直なところで
       す。

       記録は更新したいけどきつい負荷は嫌というジレンマの中で行き着いたのが、楽し
       くて負荷がかけられるトレランを取り入れるということでした。宝塚市に住んでいた
       時は中山長尾山系や六甲山、池田市に越してからは五月山から箕面の山々が定
       番コースとなっています。ちなみに、六甲山ではたまに猪に遭遇しますが、箕面の
       山では頻繁に猿に出くわします。まだ襲われたことはありませんが、少し緊張する
       一瞬です。

       普段は一人でのトレランですが、パーティーで一緒に走るのも楽しくAACのトレラン
       行事にはこれまでにも何度か参加しています。8月の有馬滝めぐりなんかはパーテ
       ィーならではで、一人ではとても恥ずかしくて川に浸かったり滝に打たれたりなんか
       できませんね。また、温泉後のビールでワイワイやるのも楽しみで、トレラン⇒温泉
       ⇒ビールは休日を有意義に過ごすという点で鉄板もんです。

       今回の六甲西半山コースは全縦以外ではほとんど走ることはありませんが、高倉
       台からの400階段と菊水山の登りがきつくて単調なのが難点とはいえ、須磨アル
       プスの眺望と鍋蓋山からの下りが気持ちよいコースです。ほどよい疲労と空腹を感
       じながらフィニッシュした後、二宮温泉で汗を流し王将でのビア&ぎょうざetc.はコス
       パも含め最高でした。次の六甲東半山コースは参加できませんが、今後も都合つ
       く限りトレラン行事に参加したいと思います。

       今シーズンはどうもラン運に見放されているようで、8月の立山登山マラソンは大雨
       のため中止、7年連続参加していた四万十川ウルトラマラソンは初の抽選落ち、神
       戸マラソンも抽選落ちしたので福知山への参加予定が今朝の新聞で中止の記事・・・
       と、ことごとく嫌われる始末です。

       潮風ウルトラを皮切りに秋のマラソンシーズンに参戦しますが、メインレースは無く
       ハーフ以下のレースに幾つか参加する予定です。大会ではAACのランシャツを着
       ていますのでお会いした際はよろしくお願いします。
       (大会開催日:2013・9・22)