投稿第一七九号


             ○ IRONMAN JAPAN参加選手へ5つの提言 ○
                〜真のIRONMANになるために〜

2009年7月14日
愛媛県 在住
内藤 聡之助

       IRONMAN JAPANでは、今年もまた関係者の皆さまに色々とお世話になりました。
       どうもありがとうございました。

       昨年同様、自分の成績はイマイチでありましたが、この場所にまた戻ってこれた事、
       やればできるというお手本、沿道の方々の今回の大会開催に向けた苦悩と期待な
       どを色々と感じ、考えさせらる5日間でした。

       全部書きだして記録しておきたいところですが、書いているうちに忘れそうですし、
       とても大変な作業になりそうです。ただいま、松山市から高松市に移動する高速バ
       スのなかですが、色々と思ったこと、考えたことの中から、レースに関係したことを5
       つに綴って記してみました。

       今回は、「どす鯉節」(ん、生臭そう!)からちょっと趣向を変え、Scot Tinleyを真似
       てTinley Talk調に語ってみたいと思います。 (いつもティンリー・トークの和訳をご
       投稿してくださる大谷様へ、次回のT.T.和訳を楽しみにまっております!)

            

     1.コース上の応援者、ボランティア、スタッフに「ありがとう!」と声をかけてみよう。
       レース会場の町に入ったら、道ですれ違う住民や子供たち、大会関係者、初めて会
       う選手、海外からの選手・同伴者、悪天候にもかかわらず沿道で選手を見守ってく
       れる応援者たち、ボランティア、中高生達、同じ道を走る選手同士・・・に、恥ずかし
       がらずに自分から「こんにちは!」、「ありがとう」と声かけてみよう。

       今日、この日、この場所でレースに参加させてもらっていることの有難み・悦びが、
       今まで思っていた以上に大きなものになるだろう。
       IRONMANは、それに関係する者みながファミリーなのだ。

     2.ドラフティング場面をみたら(パックに入ってしまったら)、声を出して注意しよう。
       どんなに早くゴールしも、どんなに誇らしげに表彰台に立っても、ドラフティングをした
       結果で手に入れたものなら、それは間違いなく「ニセ物」だ。IRONMANの風上にも
       置けない。そして、それはいつまでも消えることのない心の傷となって彼らに残るの
       だ。誰も知らないだろうと思っていても、自分の心は必ず見ているものだ。

       ドラフティングは、自分が当事者になる・ならないに関わらずよく遭遇する場面であ
       る。そんな場面に遭遇した時、「他人は他人。自分はフェアに戦っているからそれで
       いいのだ」と、アンフェアと解っているのに黙って知らぬ振りをするのはN.G.。結果と
       して、ドラフティングに協力しているのと同意なのだ。捕まらない窃盗の見張り番をし
       ているのと同じことだ。そんなパックを見かけたら、ぜひ勇気を持って声を出してみよ
       う。IRONMANにチャレンジするよりずっと簡単なことだ。「みんな、IRONMANのルール
       は知っているかい?」と。

       しかし、ツラの皮が厚いドラフターたちは、そんな君の勇気ある言葉を無視するかも
       しれない。そういうときは、こうだ。ドラフターのレースナンバーを呼んでから『後方か
       らマーシャルが来ました!ドラフティングを申告します!』。おそらく、効果てき面だ。
       他にもっと効果的でオモローな方法があったら、ぜひボクにも教えてほしい。みんな
       でドラフターを滅ぼしてしまおう。

     3.レース翌日、コース上で「ごみ拾い」をしてみよう。
       TRIATHLONが開催される地域というのは、少なくとも日本では自然豊かで風光明
       媚なところが多い。コース上にゴミが落ちていたために、町外から集まってきた選手
       ・関係者が「汚ねぇ町だな」なんて思われたくないし、大抵は綺麗に掃除をしている
       ものだ。

       しかし、我儘なIRONMANたちが大軍で侵攻したあとというのは、どんなに気を付け
       ていたとしても、コース上にはゴミが散乱してしまうものだ。これを片付けるのは、ボ
       ランティアやスタッフ関係者、地元の応援者や沿道の住民の方々の、「選手以外の
       人達」が殆どだ。

       レースの翌日、痛い体を引きずりながらコース上のゴミ拾いをするというのは、単に
       「来たとき以上に町を綺麗に」という躾の意味だけでなく、レースそのものが「いか
       に非日常的であったか」ということや、コースを改めて歩いて辿ることで、レース中に
       感じたこと、出来事を思い出し、次なるレースに向けてmotivationを高めたり戦略を
       練ったりするいい機会にもなるのだ。

       ナニナニ? スケジュールがタイトだし、体が痛く手でゴミ拾いに出られないって?
       キミ、IRONMANに出場するためにどんなに苦しいトレーニングも積んできただろうし、
       色々な難題を整理してスケジュールを調整してここへきたのではなかったのかね?
       それと、ゴミを拾ったあとにaward partyに出席したら、ゴミを放り投げて帰っちゃいけ
       ないゼ。

     4.閉会式・表彰式(award party)に出よう。できたら、最後まで会場にいてみよう。
       閉会式だって、立派なIRONMANの公式行事だ。HawaiiのChampionshipだったら100
       ドルもするaward partyのチケットを、300ドル出してでも買おうとするくせに、ほかのレ
       ースでは「他人の記録や表彰にはまるで興味がない」とか「仕事が忙しくて」なんて
       うそぶいてホイサッサと帰ってしまう…。まったく、IRONMANなんていう気違いじみた
       スポーツを「楽しいからやっているんだ」なんて言っているくらいだから、自分勝手な
       変わり者も多いのだろう。

       表彰される上位入賞者が痛々しく歩いてステージに上がる姿、しかし、振り向く時に
       見せるとても誇らしい表情。ただ単に「あいつはオレと違って素質があるから」とか、
       「彼はトレーニング時間が取れるいい職場環だからだよ」と安易な言葉で言いくるめ
       てしまうのは簡単だ。

       しかし、もう一歩こちらから彼らに近寄ってみて、「一体いつから、いったいどんな決
       心をして、このレースのためにどんな準備と苦労を積み重ねてきたのか」を、ぜひ想
       像してみて欲しい。そんなことを思いめぐらせてみた後、きっと、僕らは少しだけ誇ら
       しくなって、こう思うことだろう。
       「ああ、おれも彼と同じレースに出て完走したIRONMANの仲間なのだ」と。

     5.ゴールの制限時間まで、ゴール会場で選手を応援してみよう。
       「IRONMANの完走者は、みな勝者である」とは、Hawaii Championshipだけでなく、世
       界中のIRONMAN Raceに当てはまる黄金律である。しかし、IRONMANの制限時間
       の最後の最後までゴールを見守ってくれた人たちにも、なにか、そういう称号を与え
       てあげたいと思う。それほどまでに、IRONMANのゴールを最後まで見届けるという
       行為は素晴らしいことだと思う。

       本当のIRONMANのドラマは、ゴールが近づくにつれ、制限時間が近づくにつれて凝
       縮されてくる。許された時間の限り、這ってでもゴールを目指す選手たちと、ゴール
       会場でそれをたたえる応援者(とウィットさんらスタッフたち)が三位一体となってこそ
       出来上がる情熱と熱気。規模は小さくても、そこにはKONAやドイツの熱気のエッセ
       ンスを感じられるはずだ。TVモニターを介してみていたのでは、これは「体感」できな
       い。なぜなら、それはゴールを目指す選手と、ゴールで声援を送る人たちとが共同で
       織りなすハーモニーだからだ。

       自分もそこに身を置き、ゴールの一点を見て走ってくる選手たちをみていると、自分
       の時とは一味もふた味も違った感動が、何度も何度も押し寄せてくるだろう。感動の
       場面は、自分のドラマだけではないのだ。ゴールはもう目の前なのに、まだ真剣で
       射抜くような必死の眼差し、クシャクシャになった笑顔、寄り添う家族(中にはペット
       の犬も)・・・気が付くと、大きな声で声援を送っている自分がいる。

       ゴール後に「もうオレは頑張って完走したんだし、もうなーんもしたくない。動きたくな
       いもんね。ビール早よして、ね、ビール!」なんて言っていた自分の体に、また新た
       に不思議に大きな力が湧いてこようというものだ。

       I.M.Japanでは、一昨年から制限時間15分ほど前になると、ゴールゲート前に突如
       IRONRAINBOWができるようになった。それは、22時丁度に最大となって、突如消
       え去る。今年は、その後もしばらく見られ、最後はM.C.のウィットさんを包んで胴上げ
       してから消えました。
                               

       「IRONMANなら全て知っている」「IRONMANはおれの生き甲斐だ」と豪語している
       キミ、キミは22時に出来るIRONRAINBOWを体験したかい、ン?



投稿第一七八号

           
『なんちゃってアスリート』のつぶやき・・・その2

2009年7月3日
AAC会員
横山 啓子

       6月28日、前日までの雨降り予想は大はずれ、カンカン照りのグリーンピア三木ト
       ライアスロンフェスティバルに参加してきました。

       思い起こせば半年前、AACの新年会の席上、酔った勢いで『今年、トライアスロ
       ンデビューしまぁ〜す!
』と口走ってしまった私…が、しかし、その時点で私はク
       ロールが泳げない、25メートルが精一杯の状態。なんとも無鉄砲な宣言でした。

       デビュー戦にと考えていた青垣ファインキッズ大会の申し込み期限にはスイムが
       間に合いませんでしたが、5月の16日(忘れもしません…)相も変わらず、50メー
       トルでゼェ〜ゼェ〜していた私、茫然と隣のコースを泳ぐ方を眺めていてハッと気
       づかされました…力みのない脱力スイム…(ん?これ!?)私にとっては、まさに『
       神の啓示』でした…。

       それから1ヶ月は連日のようにプール通い。スイム練習に明け暮れました。その結
       果、ゆっくりペースではあるものの、なんとかプールで1km泳げるようになりました。
       で、青垣に替わり三木をデビュー戦とし申し込み、しかも3月までは泳げなかった
       私が、無謀にもスプリントの部にエントリーし、大会当日を迎えました。あくまでも
       今回は完走が目標、なおかつ、皆さんの前で宣言したトライアスロンデビューとい
       う約束を『有言実行』する為と自分にいいきかせての参戦でした。

       結果…試合内容は次への課題として…目標の完走は無事果たす事が出来ました。
       スタートの号砲と同時に頭の中は真っ白になり、自分のペースを忘れたスイムは
       半分溺れながらのボロボロスイムだったものの(最終周でやっと自分のペースで
       泳げましたが…)、普段なら苦しいはずのバイクやランの楽しかった事!フィニッシ
       ュでは笑顔でゴール(したと本人は思っているのですが…)する事が出来ました。
       50歳代でトライアスロン挑戦の変わり者は少ないのか、完走=年代別1位優勝と
       いうご褒美付きで…。

       会場では、たくさんの方に声をかけていただき助けられました。感動の涙のフィニ
       ッシュ〜とはならなかったものの、帰宅してからジワジワと、50歳を越えた今頃に
       なってトライアスロンにチャレンジしている自分や、苦手なクロールを克服すべくス
       イム練習に励んだ自分を思って、『私ってなかなかやるじゃん!?』と、今回だ
       けは自身を誉めてあげてもいいかなという気分に…。

       最後に、ここAACで素敵なアスリートの皆さんとの出会いがあったからこそ今の
       自分がある事や、ご自身の貴重な練習時間をさいてご指導くださった会長や小林
       さんに、そしてお仕事とはいえ毎回練習後バイクメンテに駆け込む私に、お世話・
       アドバイスくださる芦屋リンリンのスタッフの皆さんや、SUGOIショップの店長さん、
       あとはセントラルの山中コーチはじめ飯田コーチ北村コーチ…たくさんの皆さんに、
       ただただ感謝感謝です。本当にありがとうございました。皆さん、ホントに素敵な方
       ばかり…。

       『さて、次はどの大会に出ようかな〜』っと、まったく懲ていない私、AACの底辺
       に小判鮫のようにへばりついている劣等生の私ですが…皆さま、これからもどうぞ
       よろしくお願いいたします!

       チャンス(chance)を生かし、いくつになってもチャレンジ(challenge)精神を忘れず、
       よい方向へ自分をチェンジ(change)する!3つの『C』の実践にこれからも頑張り
       ます!



投稿第一七七号

            
よく走ってくれた私の足よ あれが福江の街の灯だ!
              
(アイアンマンジャパン五島長崎を完走して)

2009年7月1日
AAC会員
小林 留美子

       最後のラン。《2LAP 39キロ》の表示をみて、あと3キロ。汗と雨でくもった眼鏡の
       右手遠くに明りが見えてくる。2周回目に入ってからは、一キロ一キロをつぶして
       ゆくような気持で走っていた。暗くなった中に、傘をさし椅子に座って応援の声をか
       けてくれる人の姿がおぼろげに見える。
       「ヒロシ」商店の人達も暗い中で2周目戻ってくるのを待ってくれていた。応援して
       くれる人たちのためにも頑張らなくちゃ。もうエイドに寄らなくても走り切れる。
       武家屋敷に入った。 すぐお城の方に右折する。もうゴールにたどり着くことしか頭
       にない。お城の濠の石橋を渡って、ゴールまでの何十メートルかがやけに遠い。
       まぶしい明りの中に出た。 13:52:・・・の掲示。14時間切ったんだ。
       やったぞーー!!(さくら、猫の神通力をありがとう)

       6月7日に1か月以上闘病の飼い猫さくらが亡くなって、きっと心おきなく大会に行
       かせてくれたんだろうな。事前の体調も悪かったなかでのランの頑張りは自分で
       もよく走り通したと思う。今年は最後まで走ってゴールしたいという思いがあったの
       で充足感でいっぱいになった。

       そして年代別での思いがけない優勝につながりました。会の仲間の応援もいただ
       いてありがとうございました。つい年を言い訳にしたくなるこのごろですが、できると
       ころまで頑張りたいと思います。

       最後に、今回もたくさんの出会いがありました。中でも同じカテゴリー(60歳代女子)
       のカナダから参加したValerie Gonzalesさん63歳。彼女はバイクで転倒してケガ
       をしながらも完走。 その頑張りは目標です。そして五島からの帰路、ケガをして
       不自由な彼女に忙しい中手を貸して、ホテルまでバイクケースを届けてくださった
       長崎の山口さんご夫妻、千葉のChibaponzの皆さん、ありがとうございました。
       彼女に代ってお礼を申し上げます。Valerieがケガから復帰してまたどこかの大会
       で出会えたらうれしいですね。

       スポーツ万歳!!


投稿第一七六号

         
隠岐の島ウルトラマラソン 無事笑顔でゴールしてきました(~_~)♪

2009年7月1日
AAC会員
片岡 由紀子

       6月21日、島根県隠岐の島で行われた第4回隠岐の島ウルトラマラソンに宗政会長、
       松田英子さんと3人で参加してきました(~_~)。

       この大会に出ようと思ったのが4月半ばだったので、100キロのための練習もろくにせず、
       いきあたりばったりで出場した初めての100キロでした。

       前日の土曜日隠岐空港に着いた時、日本海側なのに南の島のような雰囲気がして
       (暑かったからカモ)すぐ隠岐の島が好きになりました。ただ、空港を出て受付会場のあ
       るゴール地点までバスで行く時、「後5km」表示が見えたのですが、そこから下ってトン
       ネルを抜けて最後上りというのがわかり、「ラスト5kmきつそう・・」と思いました。

       土曜日はとても暑かったのですが、レース当日はスタート直前から小雨が降り始めまし
       た。朝5時スタートにも関わらず、島の方々が家の前や家の中から応援してくれました。
       ぎりぎり間に合って初めての100キロに初めてのAACのユニフォームを着て走っていると、
       「遠くから来てくれてありがとう〜」と言ってくださる人もいました。

       私は大好きなランニングを100キロもサポートしてもらって走れるのに、隠岐の島の方々
       は、島のみ〜んなが、「隠岐の島に来てくれてありがとう」と言う気持ちで応援して下さ
       るのが分かり、この大会に出てよかったな〜♪と思いました。

       コース自体は想像以上にアップダウンが多かったです。100キロなのにとても親切で1キ
       ロごとに表示がありました。図々しく目標をキロ7分10秒の12時間以内に設定してい
       ましたが、走り出してまもなく始まる上り坂の時点で無理だと思い「ゴールすること♪」に
       切り替えました。

       時間も気にするのをやめたので、「あ、そろそろ7時。アイアンマントライアスロンのレースが
       始まる頃だ〜・・・今頃必死に泳がれてるんだろうな〜・・」「家族そろって運動会、そろ
       そろ始まってる頃かな〜」なんて思いながら走っていました。

       島をぐるっと1周するコースですが、海を見ながら走ったり、山の中を走ったり、トンネルを
       15回ほど抜けたり、とても変化のあるコースでした。

       100キロのうち平地は一体何キロあったんだろう?というくらい坂ばかりだったような気が
       します。走っているときはその坂がとてもきつかったですが、平地で真っ直ぐ続く道だったら
       途中で飽きてもっとしんどかったかもしれないと思います。

       ウルトラマラソンも速いランナーはそんなに休んでないと思いますが、私は48.5キロのレ
       ストステーションで食べたカレーライスがとてもおいしかったです。給水所では中学生くら
       いの子供が自分のお水を手渡したくて、我先に持ってきてくれます。しまいに給水所の
       かなり手前で待っていてくれたり。ゼッケンを見て名前で応援してもらったり。

       そして走っている選手どうし、目が合えば、「しんどいですね〜、がんばりましょうね〜」と
       声をかけたりするのもフルマラソンではあまりない、ウルトラマラソンならではの魅力だと思
       います。

       朝5時スタートし、午後6時半すぎにゴールするとても長い一日でした。今回は上りでか
       なり歩いてしまったので、もしまた100キロにチャレンジする機会があれば今度こそ歩かず
       に[完走]したいです。

       松田英子さん、女子総合優勝おめでとうございます!(^^)!
       宗政会長、年代別優勝おめでとうございます!(^^)!
       そして、小林さん。お手紙つきの梅パワーのお蔭で後半しんどいところでがんばることが
       出来ました。どうもありがとうございました&トライアスロン年代別優勝おめでとうござい
       ます !(^^)!

       そして、本当に熱心に応援してくださった隠岐の島の方々とAACのみなさん、どうもあ
       りがとうございました (~_~)


投稿第一七五号

                    
IRONMANに賭ける思い!

2009年6月10日
愛媛県 在住
内藤 聡之助

         ◆トライアスロンを始めてからの数年間は、レースの成績はイマイチでも、もう楽しくて楽しくて仕方が
          ありませんでした。地元新潟とその近辺で開催されていた51.5kmのレースと、年1回の佐渡Bタイプ
          (ハーフアイアンマン)に出場し、スイムだけは一桁順位で上がれましたがゴールまでは終始抜かれ
          っぱなしで、総合的なレベルは「中の上」といったところでした(『ゲッツ!』のダンディー坂野の芸は、
          自身の評価では「下の中」だそうで・・・)。レース参戦が旅行みたいなものでしたし、30歳越えても「
          まだ速くなれそうだ」という期待感と、スポーツ競技選手にあるまじき酒豪集団の“ワイルドなトライ
          アスリートたち”の一員として見られることも無性に嬉しかったのです。レベル的には、本当に普通の
          エイジ・グルーパーでしたが、トライアスロンに完全に魅せられてしまいました。

          キャリアも8年目となり、そろそろ競技レベルのピークを迎えたくなってきた1998年の佐渡大会。ITU
          ロング世界選手権を誘致して開催された、あのプレミアム大会です。運よく抽選に通って出場権を獲
          得し、当時では納得のいく走りができました。そして、仲間うちにも「こんな練習をして、こんなに記録
          を縮められた」ことを、コンコンと説明していました。つまり、自慢こいていたんですね。

          そのとき、そこで自分よりも遅れてゴールした、当時同じチームのベテラン選手にこういわれたので
          す。「どす鯉さん、51.5kmのレースや佐渡のBを何百回完走  しても、アイアンマンにはなれ
         ないんですよ。宮古島? あれはストロングマンじゃないですか。スイムもバイクも距離が短
         いし。宮古島や佐渡を何回完走しても、どんなに速くゴールできても、アイアンマンとは言わ
         れないんですよ
」。

          ショックを受けたというよりは、目から鱗が落ちたような感じでした。1998年の佐渡大会が終わったそ
          こから、ワタクシめのアイアンマン・ディスタンスへの挑戦が始りました。それまで宮古島大会へは3
          回ほど出場して、全て完走はしていましたが、フルマラソンすらまともに走ったことがありませんし、
          バイクだって練習で180kmや6時間なんて乗ったこともありません。スイムは割りと得意とはいえ、正
          直、自分にとってはバイクもランも未知なる、恐れおののく距離でした。そして、翌1999年から主戦場
          をロングに変更しました。

         ◆佐渡Aを2回完走し、アイアンマン・レースにやっと出場できたのが、琵琶湖から舞台を長崎福江島に
          移して4年ぶりに再開された第1回の五島長崎 アイアンマン・ジャパンでした。この大会で、初めてト
          ライアスロン大会に出場したときと全く同じような、いえいえ、それ以上だったかもしれません。最高
          気温38℃の炎天下の中、死力を尽くしてゴールを目指す選手、自分に鳥肌が立つような興奮と感動
          を覚え、完璧にアイアンマンの虜になってしまいました。結果はボロボロでしたけれど。それでもこの
          ときはまだ、アイアンマンをしっかり完走することだけでも大変で、目標は「最後まで元気よく走り
         通し、完走すること
」でした。

          その後、再び転機が訪れたのが、忘れもしない2005年の6月3日。海外初レースとなったHawaii Big
          Islandで開催されたHonu Half Ironmanでした。この大会のバイクコースは、プロ選手でさえ嫌がると
          いうコナ・ウィンドが吹きすさぶChampionshipと同じ“Queen K Highway”の後半部分です。スイムと
          ランのコースこそCham pionshipと違えども、スイム会場はビーチがきれいなこと!(USAキレイな
          海水浴場の第一位を獲得したところです)別荘街とリゾート・ゴルフコースの中を縫って走るラン・コ
          ースは、大小のアップダウンがあって飽きません。

          そして、コースの何処からでも見えるのは、溶岩大地と何処までも開放的な青空、そしてBig Island
          の中心を走る巨大な山塊です。これら目に入る景色は、ことごとく強烈なエネルギーを放ち、「この
         島は、俺に来いと呼んでいる!アイアンマン・ハワイに、いつか必ず来いと言っているのだ!
         
」と確信したのです(全くの勘違いでしょうが)。そして、翌年も再びこのレースでBig Islandの地を踏
          みましたが、その体験、記憶は全く薄れることなく、さらに強烈に自分の魂に訴えかけてきました。「
         また来い、今度はアイアンマンで
」と。

           実は、そこで自分の目標をハワイ出場に本当に変えさせたのが、最初の2005年のHonu大会ツアー
          でご一緒した先輩選手「Aさん」でした。Aさんは、1980年代の後半からトライアスロンにのめりこみ、
          全国でもトップレベルの選手として活躍され、数回ハワイ大会に出場されたご経験をお持ちの方でし
          た。しかしご結婚を機に、家族を支えて人生の基盤を整えるため、トライアスロンから離れていった
          のです。そして10数年たって「仕事の基盤もできたし、子供らも手がかからなくなってきた。そろ
         そろ自分の人生を再び充実させようか
」ということでアイアンマンに戻ってこられた・・・のです。

          Aさんは再起後初レースにもかかわらず、5時間を切ってChampion ship出場権獲得まであと一歩
          の好成績でした。一方、自分はこのレースを「ハーフだしな、楽勝で完走!」と完璧になめていて
          「楽ちい楽ちい海外旅行」の気分。結果は、6時間以上で完走でしたが、完全なる惨敗でした。

         ◆本題はここからです。私が非常に感心したのは、Aさんが10年ぶりにトライアスロンに復帰するた
          めに、半年以上前の12月頃から準備をしてこられた、という事実でした。「10年前も今も、ハワイ
         出場を目標に綿密に準備をして臨んだ
」ということが、当時の自分には物凄く大きなショックでし
          た。これほどまでのパフォーマンスを発揮するには、自分のように2-3ヶ月程度では土台無理な話
          で、初めからAさんのような人と伍して走れるわけはいのだと、やっと気付きました。

          そしてその年の所属クラブの忘年会で、「来年から、Hawaii出場を目指します」と周囲に宣言し
          ました。1年を通じてトレーニングをるようになったのは、そのときからです。そして去年のIronman
          Chinaで、またしても「13年ぶり にアイアンマンに戻ってきた」という復活アスリートに出会いまし
          た。Aさんとは別の、自分と同い年で地元愛媛の選手「Bさん」です。Bさんも、聞けばAさんと全く同
          じ動機でアイアンマン復活を決意されていました。「40歳を過ぎてようやく仕事も軌道に乗ってき
         た。もう少し余裕を持って人生を楽む時期にきたとおもったし、社員にはそういう自分を見せ
         たかった。そして、みんなにもそうあってほしい。それがHawaii出場を目指してトライアスロ
         ンに復帰した理由(のひとつ)
」。さらにBさんは、その目標達成のために2年間の綿密な計画を
          立てて、そのI.M.Chinaのために準備をしてきたというのです。2005年以来、もう一度頭を殴られるよ
          うなショックを受けました。

          「ハワイを目指す」と宣言はしたものの、これまでの自分はまだまだ甘かった、と。左膝半月板損
          傷で1年半ほど走れなかったこともあって、少々腐りかけていたところでしたが、彼らの「10数年振
         りに復活してハワイを目指す
」という決意の強さと、「半年単位、年単位で1レースのために準
         備をしてきた
」という話は、正真正銘のアイアンマンの真髄を見たようで、自分の心は大きく振動し
          ました。

          今年の5月。GWでBさんと「合宿」と称し、(天候がす ぐれなかったので)たったの2日間だけでした
          が、二人で早朝にLSDをしました。二人並んで走りながら、色々な事を話しながら25kmと30kmを走
          りました。ここで、もう一段Hawaii出場への思いが強まりました。もっと正確にいうと、「アイアンマン
         に賭ける心構えと、その楽しみ方
」と言えるのかも知れません。「その楽しみ方」は、いろいろな
          意味がありまして、トレーニングもその中に包含されます。

         ◆AさんとBさんに共通して感じたことは、Hawaiiへ向け たトレーニングの量や質などではなく、「普段
         の生活の中でHawaiiを目指したトレーニングを取り入れることによる、毎日の、人生の充実
         化
」ということでした。それ以降、週末は毎週のように一人でも160km前後のロングライドにでかける
          ようになれましたし、ロングライドを終えた後にも10km〜20kmを走るようになりました。「走れるよう
         になった
」というべきでしょうか。

          平日の朝は5時には目を覚まし、15km以上のジョグや、90分のローラー練習をこなせるようになり
          ました。日中の勤務時間は、夕方のトレーニングを確保するために、「残業しても何時までには終
         了させる
」と決めて取り組むようになりましたし・・・。今まででは考えられない自分です。

          「IRONMANは未知なる自分の発見である」とは、アイアン・レジェンド、神様Dave Scottが1990 
          年のアイアンマン・ジャパンで来日したときの言葉です。
          さて、2週間後に迫ったIronman Japanで、一体どうい う「隠されていた自分」を発見することができ
          るでしょうか? 今からとても楽しみです。




投稿第一七四号

          
雨ニモマケズ故障ニモマケズ!「山口100萩往還マラニック」

2009年5月22日
AAC会員
野上 亨氏

     <第一章>
      5月2日から4日かけて、山口県を舞台に「山口100萩往還マラニック
      が開催されました。今年で21回目を迎える大会は、小野幹夫さんという
      個人の方が企画して始められ、今ではマラソン大会人気上位を誇るウル
      トラマラソンになりました。


      種目は、県内を周遊する「250km」、山陽と山陰を往復する「140km」、
      山口〜萩を往復する「70km」などがあります。筆者は今回で5回目の参
      加。いずれも「140km」で、昨年4回目の挑戦で初めて時間内完踏を果た
      しました。(20時間36分)コースは、山口観光名所であり、室町時代の
      嘉吉2年(1442年)頃に建立された瑠璃光寺の国宝「五重塔」前をスター
      ト・ゴールに、瀬戸内海側の防府市、日本海側の萩市を往復するもので
      す。制限時間は24時間です。


      140kmで24時間は楽に思えますが、山口から萩へ至る道はアップダウンが
      あり、未舗装の「萩往還」(注)は参加者を苦しめます。ウルトラマラソ
      ン経験が多いにも関わらず、例年の完踏率は60%未満で、難易度は高い大
      会と言えます。筆者は、昨年9月の左足太もも裏の肉離れの影響と、前週
      のサッカー練習中に起こした左足首捻挫が回復しないままのスタートで
      した。5月3日18時に瑠璃光寺をスタート。比較的平坦な道を防府で折り
      返し、復路の途中、AACの中川正栄さんが抜いて行きました。「山口
      からが本番ですよ
」と声を掛け、筆者はマイペース。JR山口駅前を通
      過して、山口福祉センター到着は23時25分。(41.7km)


     <第二章>
      山口から萩までの約28km中、約20kmが山道で、しかも夜中に入り、要注
      意の区間です。「山口ゲンジボタル発祥の地」として知られる一の坂
      川を遡るコースは、自然に富んでいますが、走るには難敵です。
参加者
      が装着するLEDライトが後ろから見ると、正に「ゲンジボタル」のよ
      うに見え面白い雰囲気を演出しています。
萩往還」入口の天花畑(て
      んげばた)到着は、5月4日0時10分頃。参加者と「いよいよですね。ゆっ
      くり行きましょう。
」と言葉を交わして入りました。


      次のエイド佐々並(さざなみ)までは、コース最高点となる板堂峠(いたど
      うとうげ=標高545m)を越えます。二人、三人と集団で、小石が多い地道
      や石畳の道を登ります。途中、250kmの参加者が帰ってきました。流石に、
      この辺りで帰って来る人は、元気に走って行きます。(250kmを完踏して
      仮眠の後、午前6時スタートの70kmに参加する強者もいるとか。)
峠を越
      えて、国道262号線を下ると佐々並です。(2時5分=56.8km)夜中ですが、
      多くのスタッフに迎えていただきました。


      さて、140kmでは迷う場所は少ないですが、夜ですし、道路のコース指示
      の矢印を見ておかなければ、コースアウトの危険性があります。佐々並
      を出て、一人で歩いていた中、道が行き止まりになりました。筆者のラ
      イトを見て、後ろから来た人も出だしました。知り合いの参加者もおら
      れ、一緒に地図を見ながら引き返し、本道に戻りました。確かに矢印は
      引いてあったものの、周囲から流れ出た水によって半分以上消えてしま
      っていました。


      次のエイド明木(あきらぎ)到着は3時40分。(66.6km)ここでも、スタッフ
      の方にお世話になりました。明木を出発すると、小さな峠を越えて萩市
      内へ入ったのは4時15分頃。いよいよ山陰に来ましたが70.3km地点で、全
      行程の半分が過ぎた所です。ほんのり夜が明けて、レトロな造りのJR
      萩駅前を通り、左に山陰本線、右前に指月山(しづきやま)を望み、清々
      しい朝の空気を感じながら走ります。玉江橋を渡って萩城跡がある指月
      山下の石彫(せきしょう)公園チェックポイント到着は5時34分。(77.9km)


      萩城は、慶長9年(1604年)に毛利輝元が築いた平山城で、日本海に突き出
      た指月山にあった平山城です。明治7年(1874年)に廃城令により取り壊さ
      れ、現在は天主台などが残っているのみです。石彫公園からは、左に穏
      やかな日本海を見ながら菊ヶ浜海岸へ。この海岸で休憩する参加者もい
      ました。続いて、萩名物として知られる萩焼を展示・即売する萩焼会館
      を過ぎ、右にJR山陰本線を従えて越ヶ浜駅前を通過。この辺りは、虎
      ヶ崎を目指す参加者と、虎ヶ崎を周ってゴールへ向かう参加者が行き違
      う区間です。お互いに視線を交わし、日本海の潮の香を感じながら辿る
      と、笠山が見えてきます。今回、笠山チェックポイントは無く、すぐ下
      を虎ヶ崎へ向かいます。そろそろ美しい景色とは裏腹に、足の運びは厳
      しくなります。虎ヶ崎チェックポイント到着は7時15分。(89.0km)故障に
      も関わらず、昨年と同時刻に到着してしまいした。


     <第三章>
      虎ヶ崎の食堂では、事前配布の食券で、朝食が食べられます。この後、
      山口まで大きな給食はありません。今年もカレーでエネルギー補給完了。
      缶ビールを飲む参加者もありますが、今日の筆者はゴール後のお楽しみ
      にして我慢。
(ビールはカロリーが高く、エネルギー源にはなりますが、
      アルコールが脱水症状を引き起こしますので、運動中の飲酒は止めまし
      ょう。)


      笠山の半島を一周して、虎ヶ崎へ向かう参加者と行き違いながら、JR
      山陰本線を横断して
、正面に松陰神社の森が見えると左折し、最終チェ
      ックポイントで萩観光名所でもある東光寺到着は8時54分。(97.3km)東光
      寺は元禄4年(1691年)に萩藩三代藩主の毛利吉就(よしなり)が建立した黄
      檗宗の寺院です。毛利氏廟所として知られます。


      東光寺で折り返して次は、ここも萩観光名所である松陰神社の門前を通
      ります。松陰神社は明治23年(1890年)、吉田松陰の実家内に松陰愛用の
      硯、松陰の書簡を祀ったのが創建です。神社内には、幕末の志士を輩出
      した松下村塾が現存し、当日も多くの観光客が訪れていました。


      体は既に限界を超え、左足太もも裏にも違和感が出だしました。100km地
      点を通過して、JR萩駅前を過ぎると、午前6時に山口をスタートした70
      kmと35kmの参加者とすれ違います。「ファイト!」等の声が掛かり、頑
      張る気持ちが続きます。道の駅「萩往還公園」には、早朝に無かったエ
      イドがオープン。ここからが、萩往還マラニック最後の正念場です。


     <第四章>
      「萩往還公園」を出て往還道へ入ると、森林の間から差し込む木漏れ日
      が気持ち良く、苦しくもハイキングの雰囲気です。一つ目の峠を越えて
      明木到着は11時3分。(108.7km)


      続く佐々並までは、山道の上りが延々と続く区間があり、萩からの復路
      最大の難所です。70kmの参加者が次々抜いて行き、「昨年は、ここもま
      だまだ走れていたよな」と思いつつも、体はそれを許してくれません。
      下りも怖々の運びで、佐々並到着は13時17分。(118.5km)


      さて、佐々並名物は「佐々並豆腐」。大豆をふんだんに使用した堅豆腐
      で、この豆腐を目指して佐々並まで頑張る参加者もいるほどです。ゴー
      ルまで、あと約15km。ゴールの目処が立ち、美味しい豆腐で、ゴールま
      での気力を養いました。


      佐々並出発後、徐々に天候が悪化し、板堂峠の山中で雨が降り始めまし
      た。山道の雨は厄介で、地道は水を含んで緩くなり、石畳は濡れて、滑り
      やすく転倒の可能性が高くなります。雨とともに気温も下がり、冷える
      体には厳しい状況になりました。「ずぶ濡れ」状態で、山道の最後の出
      口である天花畑に到着。


      天花畑からゴールまでの約4kmは、ほとんど下りです。筆者もそうでした
      が、歩いていた参加者が、降りしきる雨の中を走りだします。ゴールが
      見えて元気が出る、同じ気持ちなのでしょう。道なりに下って、左折す
      ると、正面に瑠璃光寺の入口が見えます。雨の中でも最後の沿道では、
      多くの人が拍手や声援を贈ってくれます。それに「ありがとうございま
      す
」と応えながら、連続完踏の感触も楽しみながらゴール。とにかく完
      踏できたことに喜び、スタッフの皆さんに感謝して終えた「萩往還マラ
      ニック
」でした。故障を抱え、限界を超えてから約40km、さらに最後は
      雨に遭い、今回は疲労困憊の苦しい大会でした。


      とは言うものの、恐らく来年も挑戦しているでしょう。そんな「萩往還
      マラニック
」、興味のある方、怖いものがお好きな方は一度参加して体
      験してみてください。


      (注)萩往還=「関ヶ原の戦い」に敗れた毛利氏が萩に居城を移した後の
        慶長9年(1604年)、参勤交代のために西国街道(山陽道)と萩を結ぶた
        めに整備した街道です。萩市と防府市をほぼ直線で結び、全長は約53
        km。現在は大半が国道262号線となっています。近年、山口県が山口
        〜萩間で歴史の道として、現存する旧道を整備し、平成8年には「
        史の道百選
」にも選ばれました。幕末には吉田松陰や高杉晋作など
        維新の志士が、松下村塾があった萩から頻繁に往来しました。


        第21回 山口100萩往還マラニック(2009年5月3日 18:00スタート)
            140kmの部(制限24時間)=山口〜防府〜山口〜萩〜山口
            
22時間42分47秒
           ※140kmの部の全行程は、主催者発表で 132.8kmです。



投稿第一七三号

             
芦屋市から佐世保市に引っ越しました!

2009年5月12日
AAC長崎支部会員
 井上 優一氏
  井上 美香子氏

         AAC会員の皆様へ

         先月、芦屋から長崎県の佐世保市へ引越した井上です。
         引越し先は長崎県の佐世保市ですが、ハウステンボスに隣接したマンションです。
         引越しの荷物の整理はまだ完了していませんが、先週からジョギング練習を再開
         しました。ハウステンボスの周りを走っています。観光案内ができるように、付近を
         色々と調査中です。長崎へお越しの場合は、是非連絡下さい。
         AACの長崎支部駐在/井上優一より

         こんにちは!すっかりご無沙汰してます井上美香子です。
         3月の篠山以来体調不良で練習も殆ど出来ずとってもストレス溜まります。この度、
         長崎へ引っ越しする事になり、皆さんお会いしたかったのですが、十分な挨拶も出
         来ずにとっても残念です。昨年の6月入会以来とっても楽しく走る事が出来ました。
         今回、長崎へ引っ越ししますが、走り続けますので、永遠にAACの会員でお願い
         します。年に数回は関西の大会に参加したいと思いますので、その時は宜しくお願
         いします。皆さんも、九州の大会ご参加の時は、是非とも連絡くださいね。それでは、
         お体に気を付けて、お互い頑張りましょう!
         AACの長崎支部駐在/井上美香子より


投稿第一七二号

              
トレイルランの魅力にはまりそうです!

2009年5月8日
AAC会員
高原 徹

         六甲全山縦走に挑戦しようとおもったのは、1年前(平成20年)のAACの3月
         末のイベントをネットで検索してからでした。「10時間以内で完走できる人
         という参加条件がどれだけの困難さなのかわからず、1人で5月ごろに挑みま
         した。結果は10時間以内で踏破。

         今年は、「芦屋浜ACの健脚の方々と一緒に楽しもう!」と申し込んでいま
         したが、天候不順の予報に二の足を踏みキャンセルし、翌週 単独でチャレン
         ジした次第です。須磨浦公園を7時に出発し見晴らしの良い須磨アルプス、ハ
         イキングでにぎやかな市が原、摩耶を経てガーデンテラスで昼食。六甲最高
         峰へは14時30分。ここから宝塚へのトレイルは、ほとんどノンストップで走れる
         本当に気持ちのいいコースです。大平山の一部車道に出るところで100人ぐ
         らいの登山会がちょうど休憩を取っていたのも幸いし、宝来橋まで9時間15分
         ぐらいで完踏。

         新田次郎「孤高の人」のモデルである加藤文太郎が、1日のうちに往復した
         ということだが、普通そんな芸当はできないだろう。でもトレイルランレース・
         ハセツネ24時間の優勝を争うレベルだったとすれば納得ですね。山ヤにとっ
         てもその過酷さで有名なハセツネ24時間。初心者むけに30KMというエント
         リーレースがこの4月19日に奥多摩で開催され約1300人が出場。私も運良く
         エントリーできたので遠路はるばる参戦してきました。コース自体は、六甲縦
         走や東山のほうが楽しめると思いましたが、奥多摩という環境の良さはとても
         魅力的です。全体の上位から2割ぐらいの4時間12分で完走でき、秋のレース
         にエントリーできるポイントを獲得できました。私にとっては、子供のころから
         ボーイスカウトなどで自然に親しみ、学生時代からワンゲルもどきで夏山・北
         アルプス縦走路を経験しその魅力にはまっていたので、まさにうってつけとい
         うこの分野、ますますはまっていきそうです。




投稿第一七一号

                
六甲未縦走から1ヶ月後 六甲単独縦走記!
2009年5月5日
AAC会員
本地 敏行氏

         3月25日、芦屋浜アスリートクラブ主宰にて六甲山縦走の練習会が開かれた。
         当日の天気予報は雨。いつ雨が降り出すのだろうか?曇り空を気にしながら 
         どうにか全工程の半分を乗り越え、約36km地点のガーデンテラスに到着す
         ることができた。摩耶山を越え、この辺りまで来ると天候も少しずつ変りはじめ、
         小雨が降り始めた。ガーデンテラスで少し休憩をしていると、天候は小雨から
         突然の豪雨へ変化したため、集団はその場からガーデンテラスの建物の中に
         避難し、建物内から外の雨の様子を眺める。店内には客はほとんど居らず、座
         席はすいていた。店の人は、店じまいを始めつつある。何も購入せずにいるわ
         けにはいかないということで、数人が肉マンを購入していた。外の景色を眺め
         ていても天候が変る気配はない。この場にて六甲縦走練習会を中断させるた
         めに必要な要件が揃ってしまったようで、残り10数キロを残し、やむなく周遊バ
         スに乗り込むことになった。周遊バスは六甲山ケーブル駅まで乗り、そこから
         ケーブルに乗りこみ街へと下った。六甲練習会はゴールの宝塚まで行くことな
         く、終わることになった。

         縦走失敗した日から、もう一度縦走できないかと六甲縦走ができる日をうかが
         っていた。自分の予定の中でようやく4月25日に決行できると考えたが、雨天
         だったため、後日の4月26日に単独縦走を行うことを決めた。朝早くに起き、J
         Rの始発列車へ乗り込む。その後、山陽電車へと乗り換え1駅だけ進み、須磨
         浦公園駅に到着した。駅では私以外に1名この駅に降りたが縦走を計画して
         いる人ではないようだ。公園では風の音と波の音以外は結構静かでした。今
         日の気温は少し肌寒く、風は強いが風の向きは西から東へと吹いていた為、
         縦走する場合、背中から押してくれるおかげであまり気にはならない。出発の
         段取りもすみ、階段を早歩きで進んでいく。朝は年配の方とよくすれ違う。鉢伏
         山山頂付近の駅を通り、尾根からはイッキに走り始めた。縦走全工程の半分
         を過ぎるまではあまり無理をしないでおこうと思い、押さえながら走るが看板も
         見ずに突っ走ったため、コースアウトしてしまい、300mほど山を下ってしまっ
         た。コースに戻りどうにかおらが茶屋に到着し、3分程度の休憩。あまり長く休
         憩すると体が冷えてしまうため、短めの休憩をとった。今回、通過時間を携帯
         電話にメモを取っていくことにしたがあまりの寒さのため、手が思うように動か
         ない。あまりの風通しのよさが原因で体に震えがきたためスタート。次の休憩
         予定に決めている横尾山の展望台まで、進むことにした。

         横尾山へは住宅街を横切り、長く続く階段を越えれば予想以上に早く到着す
         ることができた。この場所は木々に囲まれ風も通らないだろうと思っていたが、
         予想以上に風が通っていたため、展望デッキに立とうという気持ちにもなれず、
         結局先ほどのおらが茶屋と同じように、軽食給水メモだけを取り、4分程度の
         休憩で出発することになった。

         足場の滑る木の階段を下り、馬の背(中央部)に到着。この場所では偶然同じ
         ようにトレイルランを行う若い人とおじさんに出会った。二人ともとても速く、馬
         の背をぴょんぴょんと跳ねながら走っていた。私が馬の背の中央地点で写真
         撮影している時はまだ馬の背へ下る山の頂に見えていた彼らだったが、私が
         携帯を片付けて走る準備を整えている2分程度の時間で私の近くまで来てい
         ることに気付き、彼らの足の速さに驚いた。若い人とおじさんは各々単独で走
         っているようで、また彼らは軽装備で給水ペットボトルすら持っていない。おそ
         らくこの近くに住んでいる人だろう。私はちょうど休憩も終ったので、おじさんの
         後に続いて走り始めた。40歳後半くらいのおじさんは想像以上に速く、後ろを
         ついていくだけでこちらが精一杯だった。おじさんは馬の背を過ぎたところの木
         々が生い茂った一番高い山で走るのを止め、景色を眺め始めた。私も息が上
         がっていたため、同じように休憩をしたかったが、先のことを考えるとまだ休憩
         するわけにはいかないと思ったため、おじさんを追い越し、下りで息を整えなが
         らそのまま街中へと降りていった。

         街中は走りやすいが、足を着地させた時にアスファルトの地面から返ってくる
         衝撃が山道を走っているときよりも強く感じる。街中では2名の登山者とすれ違
         った。まだまだ朝が早いため、登山者も少ない。まむし注意の看板を横目に気
         持ち、足共にまだまだ余裕だったため、上りに対し意味なく気合いが入り、ペー
         スを上げて高取山に登り始めるものの、この山は予想以上に標高が低かった
         ため、すぐに神社を過ぎたところにある休憩場所に到着することができた。休
         憩場所でトイレを済ませ7分程度の休憩をとる。遅めの朝食をすませ、広場で
         屈伸等をしながら縦走半ばであまり意味のない準備運動を行う。日差しも温か
         く、風も通らないため休憩していても居心地がいい。ここから先にある山は、六
         甲縦走路の前半最大の難所と言われる菊水山山頂まで続く長く急な階段が
         待っている。途中最初で最後となるコンビニで止まりコーラを購入し5分程度の
         小休憩を行った。コーラは糖分も入っており、炭酸を抜けばいいスポーツドリン
         クになるため、長距離走ではよくこの方法を取るが、やっぱり炭酸の利いたコ
         ーラがおいしい。コンビニを後に、市街地を走り抜け、イッキに菊水山にのぼり
         始めた。多くの人に道を譲ってもらいながら、早歩きで休憩もなく山頂に到着
         することができた。山頂ではすごく強い風が吹いており、展望台に行くとさらに
         風の通りがよいため、そこから少し離れた記念碑近くのベンチで草木が風で揺
         れるのを眺めながらのんびりと7分程度の休憩を取った。

         菊水山から鍋蓋山へ向かうためにはとても急な下りをくだらなければいけない。
         山道は少し濡れていて、足場の状態は岩が砕け細かく砂利化していたので、
         何度も足をすくわれそうになりとても危ないため、ペースを落としゆっくりと下る。
         鍋蓋山へ登る道は木々が生い茂っていて日差しも風も入ることができないた
         め、薄暗く涼しいので、速歩きで登っていても気持ちがいい。鍋蓋山からは尾
         根つたいで急なのぼりもなく、だらだらと下っていくため大竜寺までイッキに走
         りきった。布引の川原の自動販売機はドリンクが少し高価だったことを思い出
         し、大竜寺の自動販売機で必要なドリンクを購入し、布引の川原まで走り布引
         の売店前のベンチのある休憩場所に到着した。

         摩耶山で少し長めの休憩を考えていた為、この川原では5分程度の軽い休憩
         を行った後に、すぐに出発した。天狗道は六甲縦走の中で一番の難所と言え
         る。この辺りに来ると足にも疲労が出てきていたため、何度も立ち止まり息を
         整えては上り始める。何度立ち止まって息を整えたのか数えられないくらいに
         疲れていた。それでも歩くペースだけは落とさないようにし、10時半には山頂
         に行きたいという目標に向けて頑張ったが、その思いも達成に繋がることもな
         く、結局5分遅れで山頂に到着した。最近少し体重が増えていたことが疲労の
         原因で結果上りで何度も息を整える要因になったのだろう。

         摩耶山では外のベンチで休憩していたが、吐く息が白くなるくらいに寒かった
         ため、ローブウェイ駅の中に入り休憩をさせてもらった。外を眺めると小雨がパ
         ラツキ始めていた。前回の六甲縦走練習会が雨のため途中断念したことを重
         ねてしまい、今日は最後までいけるだろうか?と心配になってきた。ご飯を食
         べ、給水し、外の水道で顔を洗い、12時に六甲最高峰に到着したいと目標を
         決めて走り続けた。六甲記念碑付近になると冷たい雨が少し強く降り始めて
         きた。登山者は傘をさしていたり、また雨具を着ていたりと雨対策をしているが、
         私は、今回雨は降らないと読んできたため、雨具の一つも持ってきていなかっ
         た。雨に濡れながら、一人モクモクと走り続け、どうにか六甲最高峰に着き、屋
         根のあるところを見つけ、東屋で休憩をさせてもらった。多くの登山者がいたた
         め、自分のスペースも少ない。でも雨を避けることができる唯一の場所だった
         ため、座ることができなくてもいいと思い、とりあえず空いているところに入らせ
         てもらった。雨天というのにぞくぞくと登山者があがってくることに驚いた。最高
         峰と有馬温泉の2大スポットと比較的上りやすい魚屋道があることがここの場
         所に人を呼んでいるのだろう。

         7分程度休憩し、トイレを済ませ 最後の大仕事に向けて出発した。ここまで片
         手にペットボトル(900ml)を持ちながら走り続けていたが、これからは給水も
         必要ないと思い、両手をフリーにし、下り対策とした。ここまで走り続けてきたた
         め、膝には疲労が原因で痛み始めている。膝は下りの衝撃に敏感に反応して
         いる。ペースを上げることができないが、最後までなるべく走りきりたい。しかし
         疲労もピークのため、少しの上りでも歩いてしまう。空はいつの間にか青空へ
         と変化していた。走路には、ヤブつつじの花が点々と落ちており、風情を感じる。
         風が吹くとアセビの花がバラバラと落ちてきて、大粒の雨と勘違いさせる。山の
         桜はほとんどのガクから2輪ずつ花を咲かせている。また小さい赤色の葉もガ
         クから出ていて普段見る桜とは違うため驚かせる。走っていると足元ばかりを
         見ているため、ちいさなスミレもよく見る。トレイルランの醍醐味を感じながらど
         うにか塩尾寺に到着した。塩尾寺からは膝の痛みもかなりきつくなっていたた
         め、下りきるまでのほとんどを後ろ向きで走りようやくゴールに到着した。 本来
         なら 3月半ば ここまで走りきる予定だった場所に1ヶ月違いでようやくゴー
         ルができた。また、暇があれば縦走したいと思いました。

          6:20 須磨浦公園 スタート
          6:50 おらが茶屋 到着
          7:05 横尾山 到着
          7:17 馬の背 到着
          8:00 高取山 休憩場所 到着
          8:58 菊水山 到着
          9:48 布引の川原(休憩場所) 到着
         10:35 摩耶山 到着
         12:00 六甲最高峰 到着
         13:20 宝塚 ゴール



投稿第一七〇号

           
曇りのち晴れのち雨、時々突風・・・だった東京マラソン!

2009年4月2日
AAC会員
堀内 信弘氏


       走ってきました、東京マラソン!

       ところで東京マラソンというと、第一回大会は妻と走って最終ランナーとなり、テレビ
       ・新聞・雑誌等で騒がれたりしたものだから、第二回大会も優先的に走らせてもらえ
       るのかと密かに期待していたら、完全無視されあっさりと落選。。。(・△・)

       そして今回の第三回大会は妻と運良く参加できることになったが、第一回大会とは
       異なり、妻もそれなりの練習を積み、完走というレベルでは憂いがなくなっていたの
       で、それぞれ自分のペースで別々に走ることにした。


       結果から先に述べると、小生のタイムは3時間13分44秒(グロス)と、今シーズンの
       目標であった3時間10分未満という領域にはタッチすることができなかったが、自
       己ベストとしては2分10秒の更新。
                   
       まぁ、死に物狂いで走って自己ベストを僅か15秒しか更新できなかった前回の篠
       山マラソンに比べると、比較的楽に走って、しかもグロスタイムで混雑の東京マラソ
       ンを2分更新した訳だから、一応は“ヨシ”ということにしておこう。

       それでは以下簡単に、レースダイジェスト。。。
       天候は曇りでスタート、途中晴れ間が広がり 後半は小雨&突風…と、バラエティー
       に富んでいた。  (^▽^; )

       スタートブロックはBブロックであったが、そのブロック内ではほぼ最前列を陣取れた
       ので、結果はエリートランナーも含まれるAブロックの最後尾に並んだようなポジショ
       ンからのスタートとなった。

       それでもスタートラインを通過するまでには1分15秒を要し、さらにスタートラインを
       通過してからも混雑でまともに走れず、石原知事の号砲とともに押した小生のストッ
       プウォッチは 2`通過地点で11分15秒を指していた。

       いつもなら最初の2`は抑えて走っても9分程度で走れる区間なので、2分以上の
       タイムロスに顔は引き攣りかけていた ( ̄Д ̄; ) が、ここで焦ってリズムを崩すとろ
       くなことがないし、約2分のタイムロスはある程度予想していた“織り込み済み”の範
       囲内のもの。

       走りながら『このタイムロスは取り戻す必要なし!切り捨てるのじゃ!』…と 己にい
       い聞かせ、無神論者なのに『神様、小生に賢いフルマラソンをお与え下さい!』…と
       繰り返し唱えて暗示にかけ、舞い上がらぬよう走った。

       最初の5`は混雑していたので5分/`ほどかかったが、30`地点までは4分30秒
.       /`前後で走れ、その後も“潰れる”というほどのペースダウンには陥らず、結果3時
       間13分44秒のフィニッシュとなった。今回も “とばし過ぎ注意” を信条として走った
       が、そういう観点からは80点くらいの走りができたような気がする。

       また、まだ発表はされていないが恐らく今回のネットタイムは3時間12分30秒程度、
       また、ネットタイムにも反映されないスタートラインを通過してからの混雑によるロス
       タイムも1分以上あると思われるが、それら配慮したところで3時間10分には及ばず、
       結局 今のところ3時間10分切りする実力は備わっていないように思われる。

       今シーズン始めに立てたフルマラソンの目標は3時間10分を切ること。そしてそれ
       が達成できたら、来シーズン「サブスリーを狙う!」と公言するつもりだったが、この
       タイムでそんなことほざくのはちゃんちゃらおかしい話。。。それに記録が3時間に近
       づけば近づくほど、反対にサブスリーの難しさを実感する。 
       C= (-。- ) フゥー 神業じゃ!

       それでは最後に・・・どんな大会にもそれぞれの良さがあるので、「東京マラソンが
       一番!」なんてランキングするのは好きではないが、他の国内マラソン大会に比べ
       て規模が大きいことだけは間違いなく、よって沿道の応援などは尋常ではない。

       42.195`という距離を走るからには当然辛い局面もある訳だが、なんだか興奮と
       感動しているうち、気がつけばゴールがあっという間に訪れ、「楽しかった!」 「また
       ここで走りたい!」という好印象だけが強く余韻として残るのがこの東京マラソンな
       のだ。

       そんな訳で第3回東京マラソン、、、とても楽しかった!ありがとう!

       追記  妻もネットタイムでは、ちょこっとだけ記録更新したようです。。。