投稿第一四九号
          芦屋浜潮風ウルトラマラソン50kmの部
             完走報告&自己紹介!

         
2008年10月19日
AAC会員
高原 徹氏

      今回のウルトラマラソン出場を機に、入会させていただいた高原 徹です。
      よろしくおねがいします。

      あいにくの天候で小雨が降り続く中、ビニル袋をかぶったまま走り続けなんとか50
      KMを4時間27分07秒で完走しました。もともとは、30KMぐらいまで走りきれればO
      Kというつもりでエントリーしたのですが、温かい応援にも励まされて前半は意外に
      も上位にいたため、途中棄権はもったいなく思い、ばてながらも完走までこぎつけた
      次第です。

      エントリーしたのも延長された締め切りの最終日の9月25日。ぎりぎりまで迷って
      いたのは福知山マラソンの練習のため、20KMから30KMを走ろうとする時期なので
      すが、調子が出ず15KMぐらいしか走りきれない状態。『適当なレースがないかな
      ?』
とランネットで探していてこの大会を見つけたのですが50KMにしり込みして
      いたためです。来年は、30KMを予定しているとのことですので迷わず30KMで出場
      するつもりです。なんせ家からジョギングで10分でいけるところで開催されるウル
      トラマラソンですから。

      さて自己紹介ですが、40歳体力の衰えと厄年を気にして2003年からジョギング
      をはじめ1年後のフルマラソン出場を目標に練習開始。市民ランナー暦は2003年
      の西宮国際ハーフが初レースで同年の福知山マラソンを初完走。(4時間12分)20
      03年雪の第24回篠山ABCマラソンで3時間34分をだすもそのあと3年間は、4時
      間〜4時間30分台。雑誌ランナーズの練習方法を刺激にしながら1人で芦屋浜周辺を週
      末のみ走っていたのですが、昨年アシックスの企画でランニング科学塾というのが開
      催されるのを知り、応募。「インターネットの専用サイトを使って、個人のレベ
      ルに応じた科学的なランニング・トレーニングをアシックス専門スタッフが指
      導・管理致します!
」という塾生になりわずか半年(実質3ヶ月)で一気にハーフ
      で1時間30分、フルを3時間30分以内で完走できるまでに開眼。
      (興味ある方はhttp://www.asics.co.jp/lab/jk/「4時間ランナーが3時間18分に!」
      という体験談は私のことです。)

      今年からは、「仲間と走る」という楽しみをもとめて、仕事で知り合った方に誘わ
      れ「関西明走会」http://www.meisoukai.jp/のメンバーになり芦屋国際ファンラン
      の花見バーベキューに参加したり(記憶ではAACの青い旗のすぐ近くでした。)
      しまなみ海道100KMに参加したりしています。さらに今はやりのトレイルランに興
      味をもっており8月のおんたけスカイレースに出場。来年は生駒登山競争や立山マラ
      ニックなどにもチャレンジできればと考えています。AACの皆様とこれから仲間と
      して楽しく刺激しあいながらレベルアップを図れるように頑張りますのでよろしくお
      願いします。
      (大会開催日:2008・10・5)




投稿第一四八号
          50kmの部で努力賞?をいただきました!


         
2008年10月19日
茨木市
山口 哲

          皆さん、はじめまして。大阪府茨木市在住の山口哲(やまぐちさとし)と申します。
      この度、芦屋浜
潮風ウルトラマラソン50kmの部に参加させていただきましたので感想
      を述べさせていただきます。

      まず、主催者側の皆様、雨降りの寒い中にもかかわらず、ランナーのサポートをして
      いただき本当にありがとうございました。私のモットーは「チャレンジ精神」です。
      小学校4年生の時の恩師から教わった言葉で、それ以後、常日頃から自分のキャパシ
      ティよりも少し高い壁にチャレンジし続けてきました。

      今回、芦屋浜
潮風ウルトラマラソンのお誘いを受け、50kmの部、70kmの部共に明らか
      に自分のキャパシティを超える距離でした。過去のマラソン経験は、毎年11月23日に
      川西一庫ダムで開催されますハーフマラソンに数回参加した程度で、しかも最後に参
      加したのは3年前、さらに今回の大会に向けて行った練習は10kmほどのジョギング2回
      という有様でした。しかしながら、走ることが基本的に好きですし、新しい世界にま
      たチャレンジしてみようという気持ちもあって最終的に参加を決めました。

      スタートから、あいにくの雨降りでしたが、芦屋浜の素晴らしい景色、なんとも落ち
      着いた雰囲気に気分は最高でした。10km、20kmまでは順調で、ちょうど良い感覚でエ
      イドを設置してくださっていたこともあり、『お?もしかして、このペースなら50
      kmいけるんじゃないか
』という気持ちがだんだんと湧いてきました。

      しかしながら、何事にも通じることで、人生そんなに甘いことはなく25kmを超えたあ
      たりで、以前から少し痛みのあった右膝に痛みが出はじめ、足も重くなってきました。
      雨あしもだんだんときつくなり、浜からの風が吹くことで濡れた体が冷やされ、カッ
      パを着ていても寒さを感じずにはいられない状況になってきました。

      この状態で、あと約半分あるのかと思ってしまったため、さらに精神的なつらさがの
      しかかり、そろそろリタイアかなと思っていると、すれ違うランナーの皆様が初対面
      にも関わらず『ファイト』『がんば』と私の精神状態を悟ったかのように応援して
      下さるではありませんか。さらに、エイドでは、『ここまで、来たら走らないと
      『途中でリタイアするのと完走するのとでは、自信の面で大きく違うよ』『
      た戻ってくるの待ってるよ
」などなどの背中を押してくれるお言葉。さらにさら
      に、スタート地点では、『山口さんがんばって』『はい、おめでとう』と10kmご
      との輪ゴムを手渡してくれます。すると、つらいつらいと思っていたのが自然と『
      し、ここまで来たら走りきってやる!
』という気持ちへと変わっていきました。

      45kmの時点で、16:00過ぎとなり、既にゴール地点では閉会式が始まっていました。
      スタッフの方にもタイムオーバであることを告げられたのですが、最初に時間を過ぎ
      ても走りたい方はゼッケンをはずして走って良いと説明されていたのを思い出し、気
      づけば、『ゼッケンをはずすので最後5km走ってきても良いですか?』と聞いて
      いました。『すぐに暗くなるので気をつけて下さいね。1時間後、帰ってきて
      も誰もいないかもしれませんよ
』と言われましたが、それは承知の上で、自分と
      の最後の戦いにチャレンジしました。

      最後の5kmはエイドも撤収されており、折り返し地点にはもちろん誰もいません。す
      れ違うランナーもいません。ここからは本当に自分との戦いでした。重い足をひきづ
      りながら一歩一歩「ラスト、ラスト」と小さな声を出しながら進みました。ここで、
      奇跡が起こりました。

      折り返した後、あと少しだと思い最後の直線でふと顔をあげると皆さんがゴール地点
      で待ってくださっているではありませんか。これで一気に元気が戻りました。これま
      でひきづりながら進めていた足も自然に走り出し、最高のラストスパートが出来まし
      た。ゴールは既に片付けられていましたが、皆さんの温かい拍手につつまれ、自分の
      中でイメージしたゴールテープを切ってゴールしました。

      ゴール直後には、すぐに水を渡していただき、さらに、努力賞としてバナナ、参加賞
      は二ついただきました。ありがとうございました。次回はしっかりと練習をして、時
      間制限内に完走できるようにがんばりたいと思います。今後ともよろしくお願い申し
      上げます。

      (大会開催日:2008・10・5) 



投稿第一四七号
      2008年10月5日芦屋浜潮風ウルトラマラソン50キロ!

         
2008年10月19日
大阪市
八津川 陽子

         今まで走ったこともない未知の距離、正直、まさか走りきれるとは思いませんでした。

      小心者の私はいつもレースの前夜、不安で眠れず、今回も睡眠不足で初めての芦屋と
      いう場所に緊張の面持ちでたどり着きました。そもそも何故このレースにエントリー
      したかというと、海が何よりも大好きなので、海を見ながら走れるコースということ
      で、すぐに飛びついてしまったのです。完走出来る自信は全くなかったので、誰にも
      内緒でエントリ−し、参加しました。あいにくの天気でしたが、私は雨はあんまりイ
      ヤではないのです。初レースの東京マラソンもずっと雨が降っていました。痛めてい
      る膝が雨で冷やされてちょうどいいかなー。。。などと素人考えでノーテンキな感じ
      なんですが。

      いざ、スタートです。ユニホームだけはばっちり(?)雨仕様ということで、いくら
      濡れてもいい水着兼用のハワイアンユニホームで、いかにも速そうに見える完全に見
      かけ倒しな感じでした。実際はというと、陸上経験も全くなしのずぶの素人です。走
      歴2年半位で、自己流で走ってきました。このスタートの独特の緊張感が大好きにな
      ってしまって、知らない間にはまってしまっていました。走り出すと、初めてのコー
      スということで、一体どんな景色が見えてくるんだろう?ここを曲がるとどうなって
      るんだろう?などと色々楽しくて仕方なくて、というのも20キロくらいまでですが
      ・・・さすがに同じ景色が5回(10回かな?)繰り返されるので、今度は興味の矛
      先が食べ物になって、なんかおいしものあるかな?お腹がすいてきて何度もエイドに
      よってました。ボランティアの方達とのおしゃべりが楽しくて、ちょっと休憩しすぎ
      との噂(?)があるほどでしたが。

      とうとう魔の30キロから35キロがやってきてしまいました。脚が自分のものでは
      ないみたいで、思ったように動いてくれない・・・本当は泣きそうなのに無理に笑顔
      を作って、もう必死でした。そんな時、ボランティアの方々、そしてランナーの方ま
      でもが『がんばって!』がんばろう!』『もうちょっと!』と温かい声をかけ
      て下さり、どれだけ励まされたことでしょう!みんなきっとしんどいのに、ボランテ
      ィアの方たちも寒かっただろうに、なんてみんな優しいんだろうと感激しました。人
      間って不思議なもので、励まされると、隠されてた力がみなぎってくるんですね。動
      かないはずの足が一歩ずつ、ゆっくりではありますが、何とか前へ出てくれました。

      人に言うとバカにされるのですが、私はレースの時いつも、呼吸が苦しかったり、脚
      が痛くて、もうイヤ、もう無理。と思ってしまうんですが、リタイアしてくやし泣き
      するのがイヤで、それやったらもうこのまま死んでもいいから完走しよう!と思って
      頑張ってしまうのです。そして今回も初リタイアになるのがどうしてもイヤで、あり
      とあらゆる力を振り絞って足をひきずりながらのゴール!!となったわけです。

      私の周囲にはランニングに興味のある人はおらず、いつも非難ばかりされ、バカにさ
      れています。こんなに楽しくて、達成感、充実感が味わえて、健康にもいいし、私は
      ぜひみんなにおすすめしたいと思っているのですが、全然とりあってもらえません。
      確かに走り出してから、膝も腰も故障し色々大変な部分もありますが、だからといっ
      てやめてしまうのではなく、弱い部分を強化し、無理しすぎず自分のペースで続けて
      いけばいいんだと自分に言い聞かせています。

      このレースへのエントリーがきっかけで芦屋浜アスリートクラブの存在を知りました。

      いつも一人で走っているので、ぜひ私もクラブの練習会に参加させていただきたいと
      いう旨のメールを会長さんに送り、詳細を教えていただいたのですが、一人で行く勇
      気がなく、レース本番となってしまったのです。でも、レースの日にAACとロゴの
      入ったユニホームを着た方たちが色々声をかけて下さって、心強くなったので、ぜひ
      参加させて下さいね!あまり速く走れないので、どうかお手柔らかにお願い致します。

      今回、無事完走することが出来、自分にとって大きな自信になりました。これをきっ
      かけにもっとランニングの輪、そして人の輪も広がっていったらいいなーと思います。
      雨の中、皆さん、本当にお疲れ様でした。そして、お世話になった方々、本当にあり
      がとうございました。心より感謝申し上げます。
    (大会開催日:2008・10・5) 



投稿第一四六号
             初めてのウルトラ100`マラソン!

          2008年9月24日
AAC会員

堀内 信弘氏

       今まで自分には縁のなかったトライアスロンやマラソンを始め、早や三シーズン目
       となる。大会に出場し始めてすぐに気づいたことは自分のセンスのなさ。少々努力
       をしたくらいでは、たとえ年代別であっても自分には入賞というようなものに縁が
       ないということを悟った。

       しかし、AACに所属していると錯覚してしまう面があるが、実はほとんどの人が表
       彰台などに縁がない中、健康目的、或いはなんらかのやり甲斐をみいだしてこの
       スポーツを楽しんでいる訳で、単に自分もそのマジョリティーに属していたというだ
       けのことである。

       ・・・それでは自分のやり甲斐とは何か。

       色々とあるにはあるのだが、残念ながら成績では人を驚かすことができない(いや、
       東京マラソンラストランナーでは驚かせたかな (^。^; ) )ので、完走するだけで世間
       が驚いてくれるような大会をチョイスして出場する・・・ということがひとつ挙げられる。

       なんともミーハーな話ではあるが、トライアスロンに関してもそんな思いでアイアン
       マン、宮古島、皆生と果敢にチャレンジしてきた。トライアスロンでも、やはり“ロン
       グもの”は完走するだけで、ある一定の評価を得られる傾向があるからだ。

       さて、前置きが長くなったが100`マラソンもそのひとつ。ミーハーな私からすると
       絶対に外せないタイトルだった。

       アスリート仲間同士なら完走したくらいで大した自慢にもならないが、世間一般か
       らすると100`マラソンを完走したとなるとスーパーマン的存在。 o(o|o)/ シュワ
       ッチ!

       そんな不真面目な動機で、今回は丹後ウルトラ100`マラソンに挑戦してきた。

       それでは私のレースの詳細など皆の関心事ではないと思われるので、簡単に大
       会の特徴を説明しておくと、ここのコースは標高差180b約10`の峠を二回越え
       ることと、標高差400bの約20`の高原を一回越えるところにあり、これらの起
       伏が選手達を苦しめる。
                      
       感想としては、この大会は峠越えのインパクトが強いため、100`マラソンである
       ことは単なるオマケであって、本当はこれら三回に亘る峠越えを、時間内に果たせ
       るかどうかを問う大会のように思えた。(ちなみに途中棄権者は35%)

       まぁ、折角なので私の走りっぷりついてもひとことだけ記しておくと、約60`までは
       比較的楽に走り、そこから80`までは上述の大きい方の峠越えがあるのでそれ
       なりに苦しみ、90`辺りで脱水症状に陥り嘔吐し、そこからのラスト10`は地獄の
       思いで走りきった…というあんばい。ゴール付近では頭痛も伴い蛇行し始めていた
       ので少々危い状態だった。

       しかし念願かなって無事完走!結果は11時間57分01秒 男女総合173/837位
       で、とても欲しかった100`マラソンのタイトル獲得することができた。
                    
       ゴール後、やはり熱中症との診断を受け点滴治療を受けようとするが、脱水症状に
       陥ると血管が腕の表面から全く見当たらなくなっている。腕を縛って血管を浮き出
       させるも、血管がぺったんこにへしゃげているらしく針もなかなかヒットしない。左右
       の腕、ともに三回ずつつくらい失敗注射され(^▽^;)、さすがに看護士も悪がって「ゴ
       メンナサイ、ゴメンナサイ」と繰り返すので、「さっき(レース)の苦しさに比べたら、な
       んともないので大丈夫。何回でも練習台に使って下さい!」 と伝えてリラックスし
       ていただき、やっとこさヒットした針で点滴を受け体調も回復。。。連休だったので、
       もう一泊ゆっくりと温泉に浸かって疲れを癒し、丹後半島を後にした。

       それでは最後に、、、この度の大会でも多くの方々のご協力をいただいたが、取り
       分け今年で三年連続出場となるベテラン山崎氏には、色々とアドバイスとパワーを
       頂戴した。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。
       (大会開催日2008・9・14)



投稿第一四五号
           08年佐渡国際トライアスロン大会参戦記!

          2008年9月18日静岡TRC
石井 英機


       01年以来7年ぶり9回目になる佐渡(20周年記念)大会に参加してきました。年代
       別で1分37秒という僅差で1位となりラッキーでした。しかし7年の加齢で2時間遅く
       なったことになりがっくりです。バイクで一時大雨にあいましたが1時間6分遅れ、ラ
       ンでアップダウンが増えましたが47分遅れでした。
       会場から5Km離れた旅館で6名の選手とお仲間になれて大変楽しく過ごすことで
       きました。宿の食事も豪華で地魚の刺身や新潟米のご飯はとてもおいしかったです。
       大会の運営、役員やボラの皆さんのサポートもすばらしく安全で楽しいレースでした。
       かみさん、バイクショップの親父さん、カイロプラクテイックの先生、直前のバイク事
       故で腕を怪我しましたが適切に治療してくれた先生や応援してくれた皆さんに深く感
       謝致したいと思います。
       今後県トラ協最後主管の9月28日サンライズイワタ大会のボラをした後12月7日
       のアイアンマン西オーストラリア大会をめざして新たな取り組みをしてゆきたいと思
       います。
 
       9月4日(木)晴れ 
       自宅8:30AM発〜東京、新潟、佐渡両津経由 佐渡真野町着4:00PM
       上越新幹線で越後平野に来ると黄金色の稲穂が続く。周りはビジネス客、恐縮です
       が持参したおにぎりとビールで昼食をとらしてもらいました。 新潟港からはジェット
       フオイル、風がやや強いが波はそれほどでもなし。1時間で両津着。宿までバス。
       稲はまだ真黄色でなし。1時間弱で宿着。今日のトライアスリートは自分1人。風呂
       に入りバイクの組み立ても順調に済んだ。1人だったが豪華夕食、鯛のかま、親子
       鍋、刺身、コロッケ、サラダ、ジャガイモとたけのこの汁などでビールと冷酒天領盃を
       飲み大満足。ご飯がおいしい。歩いて数分で真野新町海水浴場、真っ暗で人は全
       くいない。海岸沿いの人家の明かりは見える。時間帯は違うがこの近くで曽我ひと
       みさんが誘拐されたのだ。
 
       9月5日(金)晴れ 
       5AM起床、軽くストレッチ後海岸へ。持参した温度計では気温24℃、水温24.5℃、
       波うねり全くなしウエットスーツを着て20分位泳ぐ。遠浅、魚影なし、たまにチクリと
       したのはくらげだ。朝食後バイクで近くの観光案内センターに行きお勧めスポットを
       教えていただく。大膳寺では能舞台がいい雰囲気、妙宣寺五重塔では小牧から来
       た御夫婦と話し込む、国分寺、6年連続金賞の真野鶴酒造、順徳天皇の御火葬塚
       のある真野御陵などを見学した。この間約25Km。
       新町から会場まで5Km約15分だ。当日はバスでなく自走としよう。バイクラック、海
       はブイなどの準備ができていた。アミューズメントセンターではテント村が並んでい
       る。MS社のON氏がバイクのチューンアップをしており早速お願いした。おかげでレ
       ースではノートラブルだった。1PMから選手登録、ギアーバッグなどスムースに受け
       取った。スーパーで弁当、ビールなどを買って海岸で昼食。おばちゃん(元海女さん
       か?)が現われパンツいっちょで水浴びを始めた。次は一人のトライアスリートが現
       われ脇を通って沖に向かって泳いでいった。戻ってきた彼と4PM近くまで話し込ん
       だ。
       4PMから競技説明会に参加。初参加者のための追加説明会をパスしてしまい(パ
       ンフレットにも書いてあった)レースバンドを使用した場合でもレースNO.はラン時
       には前後2枚付けることとあったのを無視して1枚で済ませようとしたがトランジショ
       ンでマーシャルにしっかり警告を受けてしまった。22回のIM大会では全て1枚でO
       Kだったがローカルルールでやむを得ないか?宿では同室のA氏(相模大野からの
       41歳)が来ていた。佐渡は初、サンライズイワタに出場しているという。一緒に夕食、
       彼はアルコール抜きえらい。豆乳の鍋、刺身などビール1本(中ビン)で我慢した。
 
       9月6日(土)晴れ 
       5AM起床。再び15分位試泳、水温24.5℃、べたなぎで全く泳ぎ易い。朝食後同宿
       の選手とバイク談義。近くのスーパーへA氏と行き弁当を買い昼食は宿でとる。午
       後は開会式も欠席し読書をしたりのんびり過ごす。ギアーの点検を済ませアルコー
       ルなしの夕食をとる。レトルトの赤飯を厨房でチンしてもらいバイクで食べるむすび
       をつくる。さしたる緊張もなく9PM前には就寝。
 
       9月7日(日) レースデイ 曇り 一時大雨 後曇り
       5AM起床。よく眠れた。いびきをかいたか自分にはわかりません。既に暖かいご飯
       と味噌汁、おかずが用意されており全くありがたい。出すものを出して4AM過ぎ5名
       で会場へ自走、懐中電灯は必携です。4:30AM会場着。ちょうど登録開始だ。写真
       付IDカードを見せバイクラックに行きPボックス内にバイク、ランギアーを格納する。
       一般的にはバイクやギアーは前日に預託するが当日持込みは主催者側の負担が
       軽くなりいいことだと思う。腕にレースNO.をマーキングしてもらう。一般的には脚に
       エイジを示すアルフアベットもしてもらうのだが2枚のNO.プレートで代用するのだろ
       う。エコをテーマにしていることだしもったいないと思うが。タイミングバンドを支給さ
       れ試泳、水温25℃とアナウンスされた。べたなぎでありがたい。腕をくらげに刺され
       ている選手がいた。以前電気くらげに絡まれて大変痛い目にあった。フルウエットが
       お勧めだ。
 
       スイム:1°22′49″総合420位/742人 年代別3位/10人 
                (年代別トップとの差:▼7′31″01年との差:▼2′56″)

       時計回りに1.3Km沖へ、平行に1.1Km、帰り1.4Kmの逆三角形のコース。ブ
       イ(距離が表示されている)やロープがしっかり張られているところがありがたい。自
       信のある選手は前に、自分は最終列に位置し6AM号砲一発浜からスタートする。遠
       浅のため2分位走る(?)ことになる。直後はかなりバトルがあったが幸い蹴られた
       りゴーグルをとばされたりすることはなかった。曇りで太陽のまぶしさがなかったの
       で少しは早く進める左オープンを続けた。ドラフテイングを意識したが相手も曲がっ
       てしまうなどしてなかなかうまくいかない。塩水とウエットスーツのためよく浮き自分
       のバランスの悪さがよくわかる(左脚のビ―トが足りない)。いつも右へ右へ曲がる
       のだが今回は左へ曲がるロスをしたのは修正オーバーだったか? 心配したくらげ
       にあわずよかった。最後はバテバテでフイニッシュ。1時間22分台は上出来だ。トラ
       ンジションでは雨に備え長袖着用。首、腕が出るように穴を開けたポリのごみ袋も
       持った。
 
       バイク:8°09′37″総合598位/716人  年代別4位/9人 
           (年代別トップとの差:▼48′30″01年との差:▼1°05′40″)

        ドンドン抜かれる。リザルトによると159人に抜かれ420位から579位になった。
        5〜10Km地点で予報どうり大雨となった。以前雨にあい気管支炎になりランでつ
        ぶれており用意したポリ袋を早速かぶった。バタバタ音がするが雨をはじいてくれ
        いい感じだ。左手は自然が作った奇岩、怪石と真青な海が続く。大野亀手前と大
        野亀(いつ見てもすばらしい景観だ)の2箇所の100mの上りが前半の山だ。なん
        とかクリアーする。両津市内ではおまわりさんが交通規制をしてくれており市民の
        盛んな応援がうれしい。雨も止み村(?)毎におじいちゃん、おばあちゃんらが鐘、
        太鼓を鳴らして応援してくれる。持参した赤飯のむすび、ゆべし、羊羹、飴をしっか
        り食べた。エイドステーションでは中高生がドリンク、水、バナナ、パン、オレンジな
        ど上手に供給してくれる。小木からは140mと90mの後半の上り。お互いに励ま
        しあって何とかクリアーする。この辺りでは平均時速24.2Km/h、7年前には28
        .5Km/hでありがっくり。会場近くに来ると既に多くの選手が走っている。8時間
        かかってやれやれのフイニッシュ。
 
       ラン:4°30′25″総合185位/635人  年代別1位/5人 
              (年代別2位との差:△57′38″01年との差:▼47′35″)
       計:14°02′51″総合357位/635人  年代別1位/5人
             (年代別2位との差:△1′37″01年との差:▼1°56′09″)

       リザルトによると579位から357位になり222人を抜いたことになる。前半はまだ
       明るく気持ちよく走れる。国仲平野の稲穂はたわわだがまだ刈り入れには早い。8
       Km先いつもの私設エイドではしっかり冷えたおいしいスイカをいただいた。7年前と
       はコースが変わっておりアップダウンがかなり増えた。ほぼ5Km間隔で表示がでて
       おり25Kmまでは28分〜31分ペースだったが以降35分ペースに落ちてしまった。
       暗くなってから渡されたたすきは自発光タイプでなく先行者がわかりずらかった。ペ
       ンライトなど自発光タイプを採用したいものだ。エイドステーションではおばちゃんた
       ちが頑張ってくれていた。お茶や小さなむすびなどが有難かった。河原田本町の街
       中では両側から盛んな声援がありうれしい。アナウンサーに紹介されながら14時
       間2分でなんとかフイニッシュ。メダルとタオルをかけてもらいやれやれ。寒さもなく
       ストレッチをして重いバッグを背にして5Km先の宿へ自走。宿ではまず入浴、幸い
       豆もできていない。先着していたA選手と遅い夕食、IMでは全く飲めなかったが集ま
       ってきた5名の選手と健闘を祝いながらビールと焼酎のお湯割り2杯を飲むことがで
       きた。内臓疲労は少なかったようだ。バイクのパッキングを済ませて0:30AM就寝し
       た。
 
       9月8日(月)晴れ
       佐渡真野町発8:30AM〜佐渡両津、新潟、東京経由 自宅着 7:00PM
       晴れ、暑くなった。レースでこんなに日差しが強かったら大変だった。同宿のお仲間
       と集合写真をとり再開を楽しみにお別れした。バスで会場へ行きリザルトを見るとな
       んと2分弱差の1位に驚いた。2位選手には気の毒した。佐渡では2位、3位が何度
       かあるが1位は初めて。新潟産コシヒカリが楽しみだ。壇上では日本選手権、リレー
       やエージトップなど大勢が表彰される。日本選手権女子3位でJICメンバーのKB選
       手にご挨拶した。20周年記念大会が事故なく盛大に行われたことに大会関係者、
       ボラや住民の皆さんにお祝いを申し上げ 深く感謝致します。
       今後30、40周年とますます発展されることをご祈念申し上げます。



投稿第一四四号
               北京オリンピック報告!
          2008年9月7日
チームブレイブ

監督:八尾 彰一

   日頃から私達の活動にご理解と御支援をいただき感謝申し上げます。
   このたびの北京オリンピックの参加に際しまして、私達が全力で戦え
   るようにと格別のご高配をいただき嬉しく思っております。簡単では
   ございますが標記大会の帯同報告をさせていただきます。

   日本代表チームは今回、8 位以内を目指し北京に入りました。女子は
   井出5位、庭田9位、上田17位と素晴らしい成績が残せましたが男
   子につきましては、山本30位、田山48位とアテネオリンピックよ
   りも順位を大きく下げ皆様の期待に応えることができなかったと反省
   し、悔しい思いでいっぱいになりました。

   田山は、アテネオリンピック以降、苦手種目を克服する為に海外合宿、
   ワールドカップ転戦などを経験し肉体的・身体的には著しく成長した
   事が認められます。その事は、昨年のワールドカップ・エイラート大
   会で日本人初の優勝で実証されました。

   オリンピックまでの練習において更に強化を積み上げるためチームや
   多くの方の支援を受けて仲間が一丸となって合宿を繰り返しました。
   その間、杉本宏樹を軸とした練習パートナーの存在がより田山の身体
   能力を高め、最終調整合宿においては、地元の支援を受け心の部分に
   おいても充実した練習ができました。

   北京に入ってからは村上、小原両コーチ、吉田トレーナー、尾山メン
   タルトレーナーのお陰で大きな怪我や故障を未然に防ぎながら肉体的
   ・身体的に万全の仕上がりで本番の朝を迎えることができました。
   にもかかわらず48位の結果には、田山本人はもちろん誰もが納得で
   きず私やコーチ達は、なぜこんな結果になったのか、その原因につい
   て理解できない期間を過ごしておりました。

   今一度、冷静にアテネからの4 年間を振返ってみたところ、やはり身
   体的・技術的な面の強化では明らかな成長が見受けられたものの、こ
   こ一番の試合で大きな力を発揮するために必要な精神的な部分の強化
   においては、まだまだ世界レベルに達していなかったのが、今回の結
   果に至った原因と考えております。

   今後につきましては、田山は母校の流通経済大学の職員として選手活
   動を続けることが決まりました。まだ移籍先(就職先)が決まってな
   い者もおりますので当面は支援者、支援企業を探してから再スタート
   したいと考えております。

   最後になりますが、情熱と誇りを持って戦えたのも皆様からのご支援
   があってのことと御礼を申し上げます。また、廃部に当たり支援金や
   励ましのお言葉を頂き元気に毎日が過ごせましたことご報告申し上げ
   オリンピックの帯同報告ならびに感謝の気持ちといたします。
   みなさま本当にありがとうございました。

     男子結果
      1 位 ヤン・フロデノ(ドイツ)/1:48:53.28
      2 位 サイモン・ウィットフィールド(カナダ)/1:48:58.47
      3 位 ベバン・ドカティ(ニュージーランド)/1:49:05.59
      30 位 山本良介(トヨタ車体)/1:52:11.98
      48 位 田山寛豪(流通経済大学職員・チームブレイブ)/1:56:13

     八尾彰一 連絡先
      666−0115 兵庫県川西市向陽台3−6−31
      メイルアドレス:dada2@jttk.zaq.ne.jp
      携帯電話:090−9049−4181

       事務局より:これからは、ロンドンオリンピックそして東京オリンピックで国民
       の期待に応えられるよう、選手強化の出来る実業団としてトライアスロンチーム
       を創ってくれる支援企業を探されています。
       素晴らしいスポーツのトライアスロンに興味をもたれ、チームブレイブを応援し
       てくださる会社経営者がおられましたらご支援してください。




投稿第一四三号

           先人の伝説を追体験して〜夜叉ヶ池伝説マラニック〜

          2008年8月23日
AAC
会員:野上 亨氏


     7月26日(土)〜27日(日)にかけて、岐阜県西美濃地方で「夜叉ヶ池伝説
     マラニック」が開催されました。今年で16回目を迎える大会は、神戸(ご
     うど)町役場をスタート、池田町・揖斐川町を舞台に、福井県境にそびえる
     三国岳山頂の「夜叉ヶ池」(標高 1,105m)を目指した後、神戸町役場へゴー
     ルするものです。大会理念は、地元に伝わる「夜叉ヶ池伝説(雨乞い伝説)」
     で苦労した先人の思いを追体験して、水・自然の大切さを考えようとするも
     のです。


     私は、第1回から参加しており、途中ボランティアスタッフも経験、昨年か
     ら再びランナーとして復活、今年で9回目の挑戦でした。今までの8回は、
     幸い全て完踏しています。知り合いに騙され無謀にもウルトラ初挑戦したの
     が超過酷なこの大会であり、またAACとの出会いのきっかけになったのも
     この大会ということで、私にとっては特別な思いがある大会です。
     (AACとの出会いについては、投稿第63号を参照ください)


     今年は、途中池田山を経由するスペシャルコース(144km)に63人が、池田
     山を経由しない通常コース(135km)に301人が参加しました。梅雨明け直
     後の最高に暑い季節で、前日は岐阜県地方が猛暑に見舞われ、揖斐川町では
     観測史上最高の38.1℃で全国3位を記録しました。第一ステージの翌26日
     も、それに匹敵する猛暑の中、今まででは一番過酷なレースとなりました。


     私が参加した通常コースは、午前11時にスタート。第一ステージは、揖斐
     川町坂内の「遊らんど」で当日開催されている[道中祭り]会場がゴールの
     45km。序盤から暑さに悩まされ、給水所での給水だけでは追いつかず、
     自販機で購入して持って行かないと熱中症になりそうなほどでした。揖斐川
     沿いへ入ると日陰ができるところもあり、少々楽にはなりましたが、確実に
     体力が消耗していくのが実感されました。夕方5時を過ぎても33℃の気温
     を記録する中ゴールしました。


     27日の第二ステージは、午前3時半スタートして、夜叉ヶ池を折り返して
     神戸町役場までの90km。いつもならの涼しいスタートですが、今年は気
     温が下がりきっておらず、蒸し暑さが残る中をスタートしましたが、林道を
     経由して登山道入口(標高 752m)までは快調に進みました。


     ここから夜叉ヶ池までの片道3kmは未舗装の登山道です。狭い登山道の終
     盤、上りと下りの参加者が入り混じってラッシュアワーの様相を呈します。
     最後の「夜叉壁」をロープを頼りに上り、標高 1,105mの伝説の夜叉ヶ池に
     到着。神秘的な雰囲気の漂う池は正に伝説を感じさせます。周りの木々には
     モリアオガエルの白い卵があり、池の中には夜叉ヶ池固有種で国の特別天然
     記念物、ヤシャゲンゴロウが生息します。それまでの苦労や疲れを忘れさせ
     てくれる不思議な力が夜叉ヶ池にはあり、これからの帰路へのエネルギーを
     もらえる気がします。


     登山道下りを慎重にこなして、そして林道をしっかり下りて国道に出ました
     が、この頃から晴れて気温が上がり始め前日の疲れも加わって厳しいレース
     になりました。坂内小中学校関門(通算 93.4km:閉鎖12時)を11時34分に通過
     して、残りの関門を気にしなければならない状況になり、益々厳しいものに
     追い込まれました。とにかく行ける所までと歩を進めるうちに、午後1時を
     過ぎて天候が急変しました。

     揖斐川の谷沿いに吹き下ろす強風とともに雷雨になり、一時は前が霞むほど
     の雨になりました。この雷雨が幸いしました。同時に気温が一気に下がり、
     走りも一気に蘇りペースアップ。その後晴れて、気分も晴々。最後は神戸町
     商店街で開催されている縁日の中、「お帰り」の声援を受けながら午後5時
     55分に無事神戸町役場へゴールしました。

     2日間合計で21時間36分18秒と昨年より約1時間多くかかりましたが、前日
     の暑さを考えれば、なんとか9回目の完踏できただけで大いに満足していま
     す。あの雷雨が無ければ、恐らくはリタイアしていたと思います。正に、雨
     乞い伝説による雷雨に救われた大会でした。


     岐阜新聞によれば、参加364人のうち、ゴールしたのは195人(54%)で
     した。ウルトラマラソン経験豊富な参加者が集まる大会としては完踏者が少
     なかったと感じます。やはり気象条件が過酷だった証明だと思います。私に
     とっては、来年が10回参加の節目。なんとか完踏して区切りを付け、その
     後はまたボランティアスタッフとして活動するつもりです。AAC会員の皆
     さんも神秘の池「夜叉ヶ池」を目指してみてください。挑戦をお待ちしてい
     ます。 (開催は毎年7月最終の土日です)


     ※夜叉ヶ池伝説
     美濃の国神戸(ごうど)にいた郡司安八太夫が夜叉ヶ池の龍神に雨乞いを行い、
     恵みの雨に返礼として娘の夜叉姫を龍神に嫁がせたという物語です。その後
     は、日照りになると地元の農民が夜叉ヶ池へ参り、雨乞いしたということで
     す。この物語は泉鏡花が戯曲として作品に仕上げており、その中に「花は人
     の目を誘う、水は人の心を引く、君も夜叉ヶ池を見に来たという」という一
     節があります。以上ですが、結局長い文章になりました。申し訳ありません。

       (夜叉ヶ池伝説マラニック完走記録)
       135kmの部 総合タイム:21時間36分18秒 順位:139/156


投稿第一四二号

                         山行二題!

       
         2008年8月21日 AAC 会員:的場 健一氏

                  夏山立山剣岳縦走登山の報告!

       北アルプス立山剣岳を美女軍団縦走八名♀あけみ・とみこ・.じゅんこ・ひろこ・み
       つよ
♂ひでお・なすお・けん・
快晴の中岩稜と戦い、美しい多くの高山植物に癒さ
       れて、全員無事に縦走し下山、立山山麓温泉で酒宴して、翌日は「立山カルデラ砂
       防博物館」を見学して北陸道の富山ICより帰西する。

       ○ 立山は雄山(3003m)と主峰の大汝山(3013m)富士の折立の総称として、また雄
       山、浄土山、別山を立山三山と呼んで、昔から「信仰
登山」として山頂に雄山神社と
       祠が祀られて
現在でも山岳信仰の霊山として有名であり、山頂を極めて天候に恵
       まれた縦走でした。

       ○ 剱岳(2999m)は北アルプスの重鎮で、山頂からの幾重にも鋭い岩稜を連ねた
       服剣、前剣
と鎖場の難所が多くて、特に平蔵谷のコル「蟹の縦這い」等の危険な岩
        場が連続し緊張する稜線で、近代アルピニズムの絶好の岩登り中級以上のコースが
        多くて「日本でも有数の危険な岩場」を無事に登頂出来た。

       剱岳 点の記」 日本地図完成のため三角点設置に命を賭けた男達の記録映画
       で、原作は「新田次郎」明治40年に陸軍参謀本部
陸地測量部隊が、針の山、未踏
       峰の剱岳に挑んだ日本人の心の物語で10億円も投じて来年に放映が予定され、ク
       ライマーの方々
是非ともご覧下さい。 また、立山駅前の「立山カルデラ砂防博物
      
 館」は火山活動と侵食による立山カルデラの砂防の全容が、多量の崩壊土砂が堆
       積して常願寺川流域の土砂災害をもたらして、日本屈指の砂防事業が進められて
        「知られざるもうひとつの立山」
が紹介されています。今回の登山は天候と日程等
       全てが順調に進んだのは市職高井山岳部長の企画力に全員が絶賛、感謝し感激。


           7/31(金) 西宮発トヨタレンタ13:30名神(西宮)-北陸(立山)-千寿ヶ原17:30 千寿荘泊 
          8/01(木)
立山駅6:20(ケーブル)美女平6:30(バス)室堂8:30-浄土山8:50一の越9:35
                  雄山10:40-11:55大汝山12:30-13:00富士の折立13:30別山14:20
                  剣沢小屋15:10剣山荘15:50(自炊素泊) 
          8/02(土)
剣山荘5:35位地服剣6:00前剣6:50剱岳8:20-8:45くろゆりのコル11:10
                  剣御前小屋13:30新室堂乗野14:10地獄谷15:10室堂15:30
                  バス立山山麓温泉(里の湯)ロッジ雷鳥(宿泊) 
          8/03(日)
ロッジ雷鳥8:30称名滝 9:30立山カルデラ砂防博物館11:30-
                  富山蕎麦屋(昼飯)12:30―西宮帰着17:20


       
           2008年8月21日 AAC 会員:中川 隆二氏

             北アルプス黒部渓谷へ行く!

     81日〜83
     
23日で黒部下の廊下の一部を歩く。コースは欅平、阿曾原、仙人ダム、S
     字峡、十字峡まで行って、欅平まで引き返す。メンバーは4人、平均年齢
60
     歳。(前期高齢者)


     81日(金) 
     午前
7時、車で尼崎を出発し、午後1時過ぎ黒部渓谷鉄道宇奈月駅に到着。車
     からリユックなどを取り出し、山登りの支度をしてトロッコ列車に乗り込む、
     宇奈月駅から欅平駅まで
1時間22分(20.1Km)のトロッコ列車の旅。

     宇奈月駅出発してすぐに宇奈月発電ダム湖、さらに黒薙温泉へとトロッコ列
     車は大きなキシミ音をたてながら、渓谷のパノラマの旅、奥へ奥へと進む。
     鐘釣温泉そして欅平駅に到着し一泊目の山小屋、欅平駅から徒歩
30分のとこ
     ろの祖母温泉(露天風呂かけ流し)へと行きました。


     私は鐘釣温泉には思い出がある。42年前(22歳のとき)、後立山連峰唐松岳
     から欅平駅に下山し、トロッコに乗らず鐘釣温泉まで、線路ずたいに歩いた
     のどかな記憶が思い出された。今は線路ずたいに歩くことは出来ません。


     82日(土)
     午前
430分そとは薄暗い中、皆元気に黒部下の廊下、十字峡をめざして山小
     屋を出発する。欅平駅から
30分位は急な登り、それからは水平歩道を歩く。
     水平歩道は関西電力が黒部第3発電所第4発電所を建設するときに、従来の
     登山道が通行できなくなるため、関西電力が登山道として整備したものです。

     登山中足を踏み外せば命はないだろうと思うところが多くあり、足元に注意
     しながら進んでゆく。沢に入ると大きな雪渓はところどころにあり、大きな
     口を広げていた。そこに落ちると命はないでしょう。V字形の黒部渓谷はス
     ケールが大きく、沢の岩肌はあらあらしく、また高さ
100m位の滝は、水量豊
     富で周りを圧倒します。また上を見れば
5年位前に縦走した、後立山連峰の山
     々見えて嬉しくなった。

     山はいいな〜と感じながら阿曾原小屋を目指して歩く。阿曾原小屋に着いた
     ときO氏の片方の靴底が剥がれてしまった。阿曾原小屋から十字峡行くには
     片道
2.5時間かかるので、O氏は十字峡行に行かず阿曾原小屋で待つことにし
     た。そしてK氏も足の調子がよくないので2名は小屋止まり。I氏と私は十
     字峡に向けて出発、
40分位歩いたところでI氏の右足の膝が痛みだしてきた
     ので、大事を取って阿曾原小屋に引き返す。

     83日(日)
     出発前O氏の登山靴にテーピングをグルグル巻いて補強、山小屋の主人は
6
     間は持つだろうといってくれた。O氏の靴がどこまで耐えられるか、またI
     氏の右膝がひどくならないか、心配しながら午前
7時トロッコ欅平駅をめざし
     て山小屋を出発する。I氏は昨日温泉に入り休養したので右膝の痛みは和ら
     いでいたが、アップダウンの登山道を
1時間位行ったところで、右膝の痛みが
     増したので休憩を多くとりながら水平道を進む。下り坂の時右膝が曲がると
     激痛するとゆうことで、右膝が動かないように木とテーピングで膝を固定し、
     一歩一歩登山道をI氏は頑張って進む。やっと午後
330分頃トロッコ欅平駅
     に着いた。無事下山できた、良かった。トライアスロンじゃないけれどゴー
     ル、ヤッター、勝利者の気持ちになる。

      今回はいろいろとトラブルがあったが、古い山の仲間、トラブルがあればあるほど仲間
      意識が深くなるものです。



投稿第一四一号

        IRONMAN.JAPAN.TRIATHLON.GOTO.NAGASAKI
          2008年8月18日
AAC
会員:的場 健一氏

        ヤッター遂に憧れていた栄光のアイアンマン・ハワイ世界大会の挑戦権四年目
       やっと獲得。長崎県五島市福江大会は10月11日ハワイのアイアンマンワールドチ
       ャンピオンシップ
挑戦権を
獲得するため日本屈指の大変過酷な226.2Kmロングレ
       ースで制限15時間設定に挑戦する。


       6月22日
       7:00スイムウェーブスタート900名がスタートで小雨模様になり、沖合のブイ950
       mを往
復し3800m波穏やか海水温23℃と絶好の気象条件でのやっとフィニッシュ1:
       36:15
トランジション
でウェットスーツ脱着。

       8:36:15バイクスタート霧雨と濃霧の中、全身に鞭打ち福江町より岐宿町交差点二
       本楠約50km玉之浦町84km12:00、エイドスティション(選手の補給食と休憩)でバナナ
       
かんころ餅、梅干にぎりを走行しながら、少しずつ食べ急坂二本楠90km通過、向
       風にてスピード一向に上がらず美人追尾したが追いつけずに、1周目三井楽町の海
       岸沿いで天候も少し回復して素晴らしい景観を望みながら、しかし2周目二本楠約13
       0km
より三井楽町経て急坂で疲れ
て来たところ美脚美人と並走して追越二本楠1
       60km
以降上り下りでフラフラ、福江町中央公園
180.2km7:26:15目標16:00を2分
       超過。


       16:02:34ランスタートフルマラソンで福江空港側道より鬼岳(315)山麓浜町17:01:11
        10km(58:37)崎山小中経て福江城石垣の武家屋敷18:06:38 22 -21Km
(2:04:05)手前
       で芦屋マダムを励まして、鎧瀬公園19:07:08 32km(3:04:34)日没となり筋肉痛
で座り
       込み歩き始めた選手を横目に津元交差点20:19:02 40km(4:16:28)やっと地獄の暗闇
       よりフ
ニッシャーとして、福江城石橋と城門通過「篝火の演出」と、両側から多数の応
       援と歓声のなかにスポットライトを浴びながら、到着ふらふらで無事完走出来た。
      目標時間の21:00を約30分短縮


       20:33:02 42.2km(4:30:23)到着万歳三唱、ホテルにフラフラで帰着途中に芦屋マ
       ダムと逢う宗政会長に連絡してから、早速大浴場で汗を流してから洗濯して筋肉痛
       マッサージ、早々に豪華五島牛弁当を食べ22:00疲れはてて和室にて熟睡する。


       6月23日
       5:00 起床入浴し早朝福江港と福江城散策7:00朝食帰宅の準備をする、7:00 バイク
       回収
と写真購入、自走ホテル着BIKE解体梱包し宅配に預ける。10:00アイアンマンハ
       ワイ世界大会
の参加資格の選手発表とロールダウン(繰上)登録に参加する。今回は
       10スロットのロールダウンでエイジ(60-64)が2名の1-7位までを呼び出されて1名七
       位
以外の参加者が会場に不在で幸運にもロールダウンの最後に私が舞台に呼び出
       されて、サイン
登録し念願のアイアンマン・ハワイ・コナ・ワールド・チャンピオンシ
       ップ(2008.10.11)
世界大会開催登録費用$500を支払い出場資格確定。

       芦屋浜アスリートクラブの皆さんの応援に感謝し感激でーす。
           Total-13:33:02    Swim-1:36:15   Bike-7:26:19   Ran-4:30:28
                    (年齢別順位12/24総合順位 602/814)



投稿第一四〇号

              スポーツと偽薬効果について!

          2008年8月18日
AAC
会員:宗政 義仁氏


      
 あまり聞きなれない言葉だが偽薬効果とは、医療・医薬品業界では患者自ら効果が
       あると思い込むことにより、
偽薬(にせくすり)を飲んだとしても薬だと信じ込む事によ
       って何らかの効果が有る事をいい、非常に重要視されてる。

       医学的には臨床試験などでその効果を認められるべきであると言う意見や、症状を
       改善する効果はないとか、倫理的に認められないと言う意見が対立していて、現在
       でもなお標準的な治療法とはなり得ていない状況にある。

       ひるがえってこの効果をわれわれスポーツの世界で評価すると、どうなるでだろうか?
        昔から言われる諺のように「気は心」「病は気から」との自己暗示や、また「喜怒哀
       楽
」による改善などもこの偽薬効果と言えるのではないか。 「何々を食べたから
       「何々を飲んだから」「願を掛けたから」「占い師に暗示を掛けられたから」「
       起かつぎ
」などと、運動能力の向上とはあまり直接関係ないと思われる事なのに、
       思いの外精神が安定したり突然に記録が良くなったりすることもあって、全く無意味
       とも思えない。

       だがそれ以上の効果向上を願って「困ったときの神頼み」「信ずれば救われる」と
       いくら願を掛けてみても、根本的には解決できる訳けではない。重要なことは多くの
       貴重な体験による学習効果や、裏打ちされた努力の積み重ねによる運動能力の向
       上、そしてそれらの繰り返しによってこそ精神的な安定や満足のいく結果が得られる
       のであると・・・

       スポーツに接し記録に挑戦し目標を達成する事は大きな励みであり喜びではあるが、
       先ずは心からスポーツを楽しむ気持ちが大切である。そのめには目標に向かって楽
       しみながら繰り返しながらの努力が最も大切であると考える!
       <<でも本音としては・・・少しだけ偽薬効果に期待したい気持ちも捨てがたいのだが(^ム^)・・・>>

           余談では有るが・・・
           「音楽・匂い・カウセリング・森林浴・マッサージ」等五感を刺激する
           ことによったり、我々がランニング中に時々経験する「ランニングハイ
           等によっても癒し効果があり、運動能力の向上に繋がっていると思わ
           れる事を経験している。

           また、学生(実業団)のときクラブ活動に熱中し「寝食を忘れるくらい
           努力し、時には「ヘドを吐くくらい」一生懸命にやり、中には素晴らし
           実力を持つに至ったにも拘らず、社会人に成ったとたんに止めてしまう
           人が殆どである。これって「本当のスポーツの楽しみ方」なのかよく考
           えてみて欲しい!
           「楽しみながら」「健康を維持しながら」「生涯継続していく」スポーツ
           こそ、真のスポーツの有り方と言えるのではないか!

                 (参考)偽薬効果とはプラセボ効果とも言い、ラテン語placeboで
              「私は気に入るでしょう」の意味。