投稿第一二九号

          最高齢者でカヌーアスロン大会を完走!


         2008年5月27日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:中島 守之助氏

     2008年5月18日 役員およびボランティアの方々のお陰でハッピーな一日を頂け
     て、本当に有難うございました。まさかこの
芦屋浜浜風カヌーアスロン大会で最高齢者
     であったとは・・・? 私にとって記憶に残るハッピーデイーとなりました。

     思えば昨年の12月、宝塚ハーフマラソン大会レース終了後のこと、AAC(娘からクラ
     ブの事は耳にしていたのですが・・・)副会長の中川さんと初めて面会し、その時宗政会
     長さんを紹介して頂き、そして新年会にもお誘いをうけ、厚かましくも(入会届けと同時
     に)初対面の方々ばかりなのに出席させて頂きました。

     それから早や5ヵ月、それまでマイカー通勤の長時間勤務で休みも少ない仕事人間!昨年
     12月の定年退職を機に入会し(元来歩き走るのは好き)、毎週土曜日の練習会は予想通
     りというか半分走れたらいい方で、それはそれは大変な練習会でした。

     少しずつ走る楽しみが出て来たころ、宗政さんの『大分走れるようになってきましたネ!
     本物になってきたのかナ・・・』と上手に乗せられ調子に乗りすぎ、右足の次は左足と続
     けて痛め一ヶ月位走れず。家族にも『歳を考えず無理するからヨ!』と怒られつつも、若
     い方々のパワーをチョッピリ頂きながら今日に至っています。何しろ10km以上の距離
     を走るなんぞ40年ぶりのことなので、自分でもビックリです。

     このクラブのお陰で、新しい体験が次から次へと目の前にやってくるし、未だにどんどん
     進化していく自分がある。本当に皆様に感謝感謝です。有難うございます。
     これからもどうぞ宜しくお願いいたします!

    
(大会開催日:2008年5月18日)



投稿第一二八号

      芦屋浜浜風カヌーアスロン大会ボランティア体験記!


         2008年5月21日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:池上 雅之氏


       こんにちは、はじめまして、今年からAACに参加させてもらっています池上です。
 
      練習会ではなかなか皆さんのスピードについていけなくて苦労しながらも楽しく参加させ
       てもらっています。今年は高槻ハーフマラソンと芦屋国際ファンランを走りましたがまだフル
       マラソンの経験はありませんので今年は挑戦する予定です。


       先日の5月18日(日)はボランティアとしてカヌーアスロン大会に参加させてもらいました。
       1週間前からぐずついた天気だったのにもかかわらず、じょじょに天候も回復。前日の準備
       会から好天に恵まれ、自分が試合に出るわけでもないのに気分は盛り上がってきました。


       当日は朝6時に起床。更に好天に恵まれ絶好の大会日和!!7時に海洋体育館集
       合。比較的波も穏やかそう。会長、実行委員長はじめ大勢のAAC会員、ボランティア
       が一丸となってテントや横断幕、給水所の設置等の準備、一つの大会を開催するのに
       こんなに大勢の人が裏方として携わっているんだと感心。

       
準備も予定より早く終了し、8時からボランティアの役割説明。自分の役割はカヌーの折
       り返し地点でのチェック。その後続々と選手も集合し、全員で集合写真。Aの部、Bの
       部あわせて総勢80名の参加選手は過去最高とのこと。皆のやる気はもちろんのこと普
       通のマラソン大会等にはない、何か華やいだ楽しんでいる雰囲気が伝わってきます。


       10時からいよいよAの部スタート、カヌーの折り返しチェックポイントでチェック責任者の恒
       松さんとランの応援。速い!!5Kmのラン後いよいよカヌーへ。皆上手い!!でもさす
       がに3週目になると疲労の色が隠せない様子。そうこうしているうちに11時からBの部ス
       タート。カヌーチェックしながら3Kmランも気になるし。。。Aの部のカヌーが終わりBの部
       のカヌーがやってきました。Aの部と違って、カヌー初心者が多いせいか右に回ったり左に
       回ったり、一団で折り返し地点に入ってきてぶつかりあったり。ゼッケンがちょっと見にくい。
       皆必死の形相です、でもその中でも笑みがこぼれたり楽しそう。チンする選手も何人かい
       ましたが無事全員の通過を確認し、ゴール地点へ引き返しました。すでにAの部の選手
       とBの部の選手の一部もゴール。ゴールした選手もカヌーの引き上げ等を運営を手伝っ
       ていました。全員一丸で支えている大会であることを実感。


       13時からは表彰式を兼ねた昼食会、1位の方は4連覇とのこと、すごい!!その後全
       員でジャンケン大会。全員賞品もらって帰りました。賞品は全て皆さんからの提供品との
       こと。その後スタッフ、ボランティア等で大会運営に関しての反省会を終え無事終了。
        好天にも恵まれ事故もなく楽しい一日となりました。会長、実行委員長を始めスタッフ、
       ボランティア、選手の皆さんお疲れ様でした。

      (大会開催日:2008年5月18日)




投稿第一二七号

          ALL.JAPAN.TRAIATHLON.MIYAKOZIMA!

           2008年5月10日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:的場 健一氏

     沖縄南約300Km琉球諸島宮古島大会に再挑戦、昨年初参加して素晴らしい
     景観に感激、出場決定通知書
No.977にて、24回全日本トライアスロン
     宮古島大会
に再挑戦。

     ○4/17神戸空港10:30発那覇経由し宮古島14:15到着「民宿ひららや」五泊
     六日の壱万円の激安素泊宿で、途中総合体育館に立寄り選手登録し宮古島
     市仲宗根の民宿に到着。
BIKE組立開始し大失敗シートポストボルト破損、
     近くの自転車屋にて道具屋を紹介されボルト探し、親切な店員と
AAC中川
     さんが色々と思考錯誤の結果、細めのボルトとナットにて固定締結が出来
     てほっとした。夕食はおふくろ亭。同行の三人で郷土料理ゴーヤと豚の唐
     揚・野菜サラダなどで満腹。上部に美人宿泊の下部二段ベットにて興奮し
     たが、旅の疲れのために熟睡する。


     ○4/18早朝RUN後に朝食を終える。マダム宮武さんのBIKEディレーラー調
     整不良、チェーンが脱落するので大会事務局で紹介された自転車屋で簡単
     に調整出来て、そのまま試走ツーリング「池間大橋」目差して軽く
BIKE調
     整がてら快調に走行。素晴らしいエメラルドグリーンの珊瑚礁のため、写
     真撮影してバイクコースゴールまでを快調
??に約40Kmの試走を終える。
     昼食は有名な宮古そば老舗「古謝本店」にて、美味しいウヤキ
(金持ち)
     そば
を頂ただく。昼から民宿にてSWIM・BIKR・RUN各バック内容の点検を各
     自終えて、夕方より総合体育館にて大会の説明会、ワイドパーティーと6
     0オーバーの会に出席。
1500名以上の盛大な立食パーティーで満腹、激安
     タクシーで帰宅して祝盃の後熟睡。

                    
     ○4/19早朝に軽くマダムとジョキングして朝食後、BIKEトランジションま
     で約
10Km自走搬送し、前浜ビーチにてにて試泳(SWIM-STRAT)コースを約
     
30分間泳ぐ。砂浜に漂着した珊瑚や美しい貝殻と白砂をお土産に採取して
     タクシーにて民宿へ。大会前の夕食は、縁起担ぎにヒレカツ定食を頂いて
     満腹。大会前夜なので早々の九時に就寝。


     ○4/203:30起床し4:00朝食をSWIM・BIKE・RUNバック点検し4:30民宿スタ
     ートし会場へ。選手登録で左腕に
No.977と記載し、ウエットスーツに着替
     え与那覇前浜ビーチに約
1500名の選手が集合。7:00スタート小泉純一郎
     元首相
の号砲にて、白砂よりエメラルドブルーの海域3000m遠泳に挑戦。
     海底の美しいサンゴと熱帯魚とダイバーと監視艇の登旗を目標に波静かな
     
SWIM、快調に泳げて1:03:14順調にBIKEスタート。東急リゾートホテルよ
     り時計回りで西海岸沿いに池間大橋
37.9Km1:20:15通過し、東海岸沿いに東
     平安名崎経て南海岸沿い中間地点の七又風力発電
77.5Km2:51:33通過し、来
     間大橋を経て二周回目の池間大橋
136.4Kmより総合体育館BIKEゴール。
     
155Km-5:43:33予定を17分も短縮。 最後RUNスタート順調に中間地点
    
 2:08:10より悪夢の30Km体調不良にて何とか42.195K-4:29:52無事完走。
                   
      総計
200.2K-11:16:39 万歳目標12時間
44分短縮
        SWIM(3.0Km)1:03:14  BIKE(155.0Km)5:43:33  RUN(42.195Km)4:29:52

      総合順位474/1398人中   60歳以上の年齢別10/62人中
      (大会開催日:2008年4月20日)



投稿第一二六号

          宮古島の大会は一生忘れられない!

           2008年5月7日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:片岡 慶子氏


      早いもので宮古島トライアスロン大会から2週間経ちました。私にとっては初めての
      ロングの大会、初めての宮古島でした。横浜に住んでいた頃に神奈川の大会で知り合
      った方と同じマリンロッジマレアに宿をとり、一緒に行動しました。

      まず前日に海で泳いで、その透明度の高さに驚きました。熱帯魚が泳いでいて、沖に
      行くと珊瑚礁がはっきりと見え、こんなにも美しい海で泳いだのは初めてでした。

      レース本番はバトルのひどいスイムに苦戦したものの、58分位でスイムを終え、バ
      イクに移りほとんどの選手達に抜かれました。ランの前半は頑張って何人か抜いたの
      ですが、後半はもうばてばてでした。ロングのペース配分は難しいですね?

      結局私は13時間5分もかかってやっとゴールしました。でも仕事や家事の合間をぬ
      ってプールでちょこちょこ泳ぎ、自宅近くの住吉川をジョギングし、土曜日や日曜日
      の昼食後に六甲アイランドへポタリングに行き、自分なりにトレーニングをしてきて
      の結果なので、まあこんなもんかな?と思っております。

      私はもう歳なんでいつか宮古島を完走したいと思い続け、1?年経ってやっと願いが
      かないました。かかえているものがいろいろあり、好きな大会にいつでも出られる環
      境にはない私にとって、宮古島の大会は一生忘れられないと思います。

      あの空の高さ、強かった紫外線、ハイビスカス、浜百合の咲いていたバイクコース、
      初めて飲んだドラゴンフルーツジュース、マングローブ、ランコースでの沿道の方達
      の応援、ヨロヨロしながら必死で走ったゴール近くの陸上競技場、良いお天気にも恵
      まれ私は幸せでした。

      いろいろアドバイスをして下さった会長様や丸岡みちよ様にもこの場を借りて御礼申
      上げたいと存じます。これからも細く長くトライアスロンを続けていきたいとは思っ
      ております。

      (大会開催日:2008年4月20日)




投稿第一二五号

         宮古島大会を目指して見えてきたもの!

           2008年5月2日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:宮武 智恵子氏

        『こんな私にも出来た!』素直にそう思ったら涙が出た!私がトライアスロンにチャレン
        ジしようと思ったのは、今から3年程前で、夫と二人の子供にも恵まれ、平凡な毎日で
        はあったが、子供の成長と共に、やかましく叱り付ける私自身には何が出来るのか?
        自信をもって子供に伝え、残せるものはあるのかと考えるようになった。何一つ満足いく
        ものはなく、自暴自棄になることが度々あった。

        そんな時、毎年家族旅行で訪れていた宮古島で、トライアスロンバイクコースと書か
        れた看板を見た瞬間、『これだ!』と思った。この時はよくわからなかったが、何か自分
        の中に見つけることが出来ると思いチャレンジしょうと決めた。そして大好きな宮古島で
        の大会を目標にすることにした。
 
        当時、泳げなかった私は、幼稚園に通う息子と同じ水中に潜ることから始め、3年が
        かりでどうにか泳げる様になった。ランニングも、1キロから距離を延ばし、ゆっくりではあ
        るがいろんな大会で少しずつ自信をつけてきた。そしてバイクは、ママチャリしか乗ったこ
        とがない私にとって、ペダルを固定する恐怖からなかなか抜け出せずに手こずった。何
        度も車の行き交う路上にこけて、『死ぬんじゃないか?』と思うような怖い思いを味わ
        った。

        ふんだり、けったり、四苦八苦しながら何とか昨年、青垣・グリンピア三木・ひわさうみ
        がめ大会を完走し、今年運よく夢に見たこの宮古島大会に出場することが出来た。
        思っていたよりも早く夢が現実のものとなり、大会当日までは、喜びと不安の入り混じ
        る何とも言えない複雑な心境の中を過ごした。

        スタート直前は、心臓がドキドキし『今すぐ帰りたい!』と思ったぐらい怖かった。スタ
        ートの合図がなってからは、何も考えず無心に前だけを見て、ひたすら泳ぎ・こぎ・走っ
        た。時々苦しく、つらい時もあったが、私をこれまで支え、導いてくれた多くの人達の顔
        が浮かんだ。そして何より地元の人や宿泊先で知り合った人達が、自分の兄弟や子
        供の様に名前で呼び励ましてくれた。みんなが暖かくてうれしかった。今ここにいる自分
        がすごく幸せだと思った。

        ゴールの瞬間『出来た!ありがとう!』素直に思えた。こんなふうにわき目もくれず、
        我がものにがむしゃらに突っ走ってきた私だが、思えば1年前、初レースで転倒し、血だ
        らけでゴールした。この時は家族の応援もあり、私自身頑張っている姿を子供に見せた
        くて一生懸命だった。でも、この時の頑張りは、子供には押し付けだった様である。
        というのは、この時息子は、私の痛々しい姿を見て『ママはバカだ!』と言い、陰で泣
        いていたと後になって聞かされた。ショックだった。『私は何がしたかったのだろう?』よく
        わからなくなった。子供のためと意地を張っていた思いは、単なる親としてのエゴでしか
        なかったことに気付かされた。宮古島から戻り、『おかえりなさい』と抱きついた息子は、
        レースの話でも、完走メダルでもなく、この元気な私の姿を見れたことが何よりうれしか
        った様である。これまで、どれぐらいの心配をかけたのだろう?こんなママに言いたいこと
        は何?

        でもね
 夢の様に駆け抜けた宮古島でのレース。今でも完走した実感のないままだ
        が、これまで日々のトレーニングの中で常に自分と正面から向き合い、頑張っている自
        分がいとおしく、大好きになった。だからこそ今は、『一生懸命になれることはす・て・
       き!
』だと子供に自信を持って伝えたい。わかってもらえるだろうか?いつか伝わる時
        が来ると信じて、今は何より愛する家族や、この元気な身体をくれた両親、これまで
        私を支え導いてくれたクラブの方々に日々感謝の気持ちで頑張りたい。

        今大会で宮古島を訪れ、自然を全身で感じ、暖かい人達と触れ合うことで、忘れか
        けていた思いを新たにすることが出来た。何よりも今はトライアスロンと出会い、以前と
        は違う自分を見つけたことで、つらい事も前向きに頑張れる。そう胸を張って言える。
       (大会開催日:2008年4月20日)



投稿第一二四号

        いろんな出来事があった宮古島トライアスロン大会!

           2008年4月29日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:北 健太朗氏

           今回の大会の出場1週間前に古傷のひざを痛めてしまい、まともに走れなくなっていました。
           しかし、エアーチケットは取ってあるし行かない訳にもいかず『とりあえずスイムはできるし、バイ
           クもちんたらこいであかんかったらリタイアしたらいいわ。。。』と思いつつ宮古に向かいました。


           大会の前日ある方から『宮古島にいい整形外科の病院があるよ』と教えていただきました。
           あまり期待もせずだめもとで痛み止めの注射でもしてもらいに行こうということで診察に行きま
           した。診察室に入ると真っ黒に日に焼けた男前の先生が座られていました。すぐに膝を見て
           いただいたのですが、びっくりしたのが過去の私の膝の怪我を的確に言い当てられました。
           その時点でこの先生ただものではないと思い、一瞬にして信用いたしました。そして親身にな
           って翌日の大会に向けて、診察・処置をしていただきました。

           
ここで終わるかと思いきや、私の今後の選手寿命も気にかけてくださり『月曜日にスタッフから
           今後のトレーニング方法をお伝えしますから、診察にきてください』と島から帰った後の計画ま
           でしていただきました。 そのあとスポーツ選手に対して、詳しく対応のできる理学療法士の
           方からリハビリとテーピングの講習と完走に向けてのアドバイスをいただき、至れり尽くせりでし
           た。大阪からきてふらっと立ち寄った人間に対して、ここまで真剣に考えてくれるのかと、涙が
           出るくらいうれしかったです。こんな離島にもかかわらず 非常にレベルの高い医療を提供さ
           れている先生とスタッフの方に驚かされたとのと同時に、ほんとうに感動しました。


           当日はこのような手厚いサポートもあり何とか完走をすることができました。大会翌日、再度
           診察に行きました。そうしましたら先生のほうから『完走おめでとう!』といっていただけました。
           チョー感動しました。(なんで知ってるんだろうと思いつつ。。。) 先生ご自身も2年前からトラ
           イアスロンをはじめられ、完走されました。すごいの一言です。ここ宮古島の一般のトライアス
           ロン選手は(その他の競技もそうだと思いますが)コーチ・トレーナー(理学療法士)・ドクターに
           サポートされて競技をされているそうです。離島でもすばらしい環境で最先端の医療も受けら
           れるほんとすばらしいですよね。 宮古島 最高 !!!


           診察の終わりに『「北さんこれからもがんばってください』と先生から握手をしていただきました。
           このときばかりは
宮古島に住みたいーこの先生にずっと診てもらいたいー』と心の中で叫ん
           でいました。また来年も絶対に宮古島に行きたいと思います。宮古島で怪我等々何かあれ
           ば「くらはし整形外科クリニック」の倉橋先生を訪ねてみてください。すばらし先生です。すばら
           しい病院です。倉橋先生・鈴木先生ありがとうございました。

       (大会開催日:2008年4月20日)




投稿第一二三号

         アイアンマン/チャイナ レース報告!
           2008年4月28日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:宗政 義仁氏

       過去2年間、開催予告・中止を繰り返してきていたが、今年の8月から開催される
       オリンピック大会に後押しされてか、ヤット開催されたこの大会であった。開催場
       所は観光地として有名な人口720万人の海南島(九州と同じくらい)、人口16
       0万人の海口市だった。市中心街は高層ビル・マンションが林立する大都会だった
       ので大変びっくりした。

       『どんな事があっても驚かないゾ!』と心に決めて臨んだが、いきなり台風1号
       の直撃を受けた。幸いにもレース前日に通過したのでレース当日は「台風一過」の
       下、カンカン照りのなかで開催される事になり選手たちを苦しめた。その結果完走
       率は82%と低調に。私は股関節痛と脱水症状に見舞われ思うように走れず、IM
       ワースト記録の情けない記録に終わった。だが結果的にハワイをゲットできたのは
       ラッキーそのものだった。暑さのため全選手の記録が通常より1〜2時間(多分)
       多くかかった事が幸いしたようだ。心の底から喜べない・・・複雑な気持ちだが、
       これも「努力してきた成果」として素直に受け止めている。
                
       何処でもそうだが、第1回目の開催には何らかの大きな問題が発生するが、この大
       会においてはスイムパートに有った。1900mを2周回するコースの片道900
       mの途中にブイが一個だけ、だからコース上に全部で4個しかない。しかもコース
       ロープが無いから前の人に付いていくしかない。そして潮の流れが有ったので折り
       返し付近では往きかえりの選手でニアミス状態が多発した。

       バイクコースはハイウエーあり、田舎のガタガタコンクリート道あり、中心街の雑
       踏路ありと変化に富んでいてた。ハイウエーでは片側3車線をレースに開放し、そ
       の反対側ではトラックが何kmも渋滞し、クラクションを鳴らしてるのを聞くと大
       変気の毒に思った。

       ランコースは海岸線に沿って途中の公園や海水浴場をへて、街の中心地公園のゴー
       ルを目指す。特に印象深かったのは橋や公園を飾る電飾の美しさであった。さすが
       観光に力を入れてる様子が伺えた。そして圧巻なるものはゴール約1km前位から
       始まる大観衆だ。老街(昔からある古い街)の大歓声の中を走る時は、感動のため
       全身が震えるほど感激し笑顔でそれに応えた!
       (大会開催日:2008年4月20日)
                 
        完走記録
         日 時:2008年4月20日(日) 7:00〜
         場 所:中国/海南島/海口市
         天 候:快晴
         気 温:30数℃
         距 離:SWIM3.8km BIKE180km RUN42.2km
          参加者:434名     完走者:357名    完走率:82.2%
         完走時間:14:00:35(IMレースワースト記録達成)  
         総 合 順位:213位/434人中
         年代別順位:3位



投稿第一二二号


        雑談/IM China!「キャファ通信より転載」

           2008年4月26日
アトリエ ドゥ キャファ
辻本 誠氏

     3度目の正直というべきしょうか、今度こそ本当に開催されました。
     直前まで「ホントにやるの?」という疑問がつきまとっていましたが、時節はずれの台
     風が来るというおまけまで付いて、レース当日の朝を迎えるまで気をもまされました。
     大会の詳細は参加された方からの投稿にお任せするとして、スタッフとして参加した私
     が感じたことを書いてみます。

     ○ 交通規制
     第一回のIM ASIA(済州)を思い出すような完全規制が行われ、一般道、高速道を完全封
     鎖して行われました。そのため対向車線や支線で大渋滞が発生、甚大な被害を伴うこと
     になりました。

     17日、18日は台風の影響でフェリーが運航を中止したために、野菜や果物を運ぶトラッ
     クが荷物を積んだまま路上に並ぶ姿を見ましたが、それに引き続き大会の規制で道路を
     封鎖したため、野菜や果物を積んだ車が炎天下にさらされることになりました。かなり
     の被害が出ているものと思われます。

     また交通規制について事前の予告がなく、当日に突然規制したことも災いしたようです。
     私が聞いた所によると、役所へは抗議のメールや電話が殺到したようです。

     コースを変更する、規制の方法を変えるなど、かなり思い切った改善が為されない限り、
     2回目の開催は無理なのではないでしょうか。

     中国で行われたアメリカ人によるアメリカの大会、路上で行われたボランティア活動(規
     制やエイド、メディカルなど)以外は全て白人(何人かは知りませんが)の手で行われ
     ていました。私の目には、アメリカ人が中国でやったアメリカの大会に見えました。
     IM AMERIKA in CHINAです。会場ではアメリカ人が中国人を大声で叱りつける姿も見まし
     た。これは悲しい出来事です。

     ○ 私の仕事
     レース当日だけですが、私はメカニックサービスとして参加しました。いつもIM Langkawi
     でメカニックをされているZulailyさん(kijafaで修業したいと言っているAzmil君のお
     父さんです)と同じ車でコースを回りました。英語が上手なので、私とのコミニケーシ
     ョンはもちろん、選手とのコミニケーションは彼が中心にやってくれました。

     運転手さんは地元の人(市役所の人らしい)で英語が全然駄目。通じたのは、「Go!、
     Stop!、Slow!」これも身振りを交えてやっと通じるようになったのです。シンガポー
     ルから来たメカニックが中国系だったので、すれちがう時や電話で中国語通訳をしても
     らいました。しかし良く考えると、ここは中国です。次の大会までに私たちが中国語を
     覚えてこようとZulailyさんと約束しました。

     私たちは移動中はじっと座っているだけですが、運転手さんはマニュアルシフトの運転
     しにくそうな車をずっと操っていた訳ですから大変なご苦労です。しかもわがままな私
     たちの言うことを文句一つ言わずにずっと付きあってくれました。本当に有り難いと思
     いました。

     車はこの大会のスポンサーが提供してくれた新車のSUV。いわゆるピックアップバンです。
     空気圧が高すぎるのか、タイヤが固いのか、はたまたサスペンションが固すぎるのか、
     乗り心地は最悪。これに朝8時から夕方5時まで、延々9時間(ちょっと休憩しました
     が)も乗っていました。しかも室内には内装から発生していると思われる化学物質の臭
     気が鼻を刺します。昔の日本の車でも同じような匂いがしてたことを思い出しました。
     スピードメーター(距離計)が止まってましたから、大会が終わったら新車で売るんだ
     ろうなと勝手に想像しておりました。

     メカニックとしては大きなトラブルもなく、タイヤ交換のお手伝いが主な仕事で、レー
     ス後半はリタイヤした人をゴールまで搬送するのに追われました。車が5人乗りなので、
     二人しか載せられません。載ったのは、メキシコ人、アメリカ人、韓国人、フランス人。
     いつも5カ国の人が狭い車内でガヤガヤ喋ってました。運転手さんは聞いているだけで
     したが。

     ○ ボランティア
     会場内、コース上には大勢の学生ボランティアが動員されていました。不確かですが、
     2,000人以上と聞きました。コースで活動していた人は長時間、多分水だけしか口にして
     いなかったのではないかと思います。実は私たちも水しか口にすることは出来ませんで
     した。私たちは動いている車の中でしたが、彼らはテントも傘もない直射日光の下での
     長時間ボランティアは真に過酷だったに違いありません。

     ○ パク・ビュンフン
     宮古島では二連覇しており、今年勝てば三連勝。しかし強豪の揃うチャイナへ行きたい、
     しかも入賞すれば賞金を手にすることが出来る。パク・ビュンフンがチャイナを選択し
     た理由はこんな所にあったようです。

     レース前日、私はバイクのメンテナンスのために会場になっているSheratonホテルで彼
     と会いましたが、肌艶がいつになく良くていかにも体調が良さそうでした。結果的に2
     位という高順位でフィニッシュしましたが、スイムがもう少し速ければトップに肉薄し
     たのではないかと残念です。一方、日本人エリートの姿を見かけませんでした。
     (大会開催日:2008年4月20日)




投稿第一二一号


       ちょっぴりホロ苦デビューとなった宮古島トライアスロン!
           2008年4月25日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:堀内 信弘氏

       今シーズン一発目のトライアスロンは、憧れの全日本トライアスロン宮古島大会!
       ここの大会の特徴は、まずは簡単には出場させてくれないこと。年齢、性別、住民
       票所在地等によってまちまちではあるが、首都圏や大阪、兵庫からの申し込みで
       は、通常2〜3年は当然のように落選通知がくるといわれている。

       だから宮古島大会の出場権を初めて獲得したトライアスリートは、その時点で取り
       あえず興奮状態となってはしゃぎ、少し落ち着いたところで不安に陥り、次いで黙
       々と練習する・・・といったパターンが多いのではないだろうか。今回の小生もその
       ひとりだった。

       コースの特徴としては通常スイムは波穏やか、バイクはフラット、ランのみ若干ヘ
       ビーコース・・・ということで、比較的ランだけに憂いの少ない小生にとって、「この
       大会こそが自分のためにつくられた大会!」と密かに期待と闘志を膨らませてい
       た。
                   
       しかし、そんな思いが実力不相応の目標タイムを設定してしまうこととなり、本来の
       “マイペース”を見失うこととなる。バイク中盤辺りから目標のタイムが崩れようとし
       ているにも拘わらず、『なんとか予定通りのタイムで!』と必死に食らいつこうとし
       た結果、随分と疲労が蓄積・・・最後のランでは悲劇が待ち受けていた。

        前半のハーフはなんとか2時間で走れたが、後半のハーフに入ってからというもの、
        まずはふくらはぎが攣り、太ももが攣り、次いで上腕までが攣り、絶望感とともに呆
        然と立ち尽くすほかない状態となってしまった。 Ω\ζ゜)チーン

        そこからは今までマラソンでもトライアスロンでもやったことのない、屈辱の“歩き”
        を交えてのヨレヨレのラン。。。 (T△T)泣きっ面に蜂とはこのことで、さらに吐き気
        にも襲われコース脇にゲロッパ。その拍子に腹筋まで攣ってしまい、咄嗟のリカバ
       リーに海老反りストレッチでイナバウアー。悲惨な状態で後半のハーフには約3時
       間も費やすことになった。

       来年の出場権にも影響するので、リタイアだけは回避するつもりでなんとか頑張り、
       一日応援してくれた妻と一緒になんとかゴールは果たしたが、今回のレースばか
       りは本当に辛いものだった。
                     
       そんな訳で今回はちょっぴりホロ苦い宮古デビューとなってしまったが、この宮古
        島のトライアスロン、やはり多くのトライアスリートが騒ぐだけのことはあって、空と
       海は強烈に青く、島人の応援は熱く、そしてなによりも活気の強い大会であり、ト
       ライアスリートを最高に気持ちよくさせてくれる大会でもあった。いうまでもないが、
       来年は必ずリベンジさせていただく。 ( ̄ー+ ̄)キラン
       (大会開催日:2008年4月20日)



投稿第一二〇号


           めちゃくちゃ楽しいライドでした!

           2008年4月7日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:横尾 秀雄氏

         昨日のロングライドも、またまた参加させていただき、新参者にもかかわらず
         ずっと今までメンバーだったごとく、皆さんと本当に親しくさせていただいたり、
         自分でできる範囲で楽しみながらがんばっていらっしゃるお話など聞かせて
         いただき、ほんとーに、楽しく(結構きつかったですが)色々とべんきょーにな
         りました。 「トライアスロン」、ひょっとして、まじで自分にもできるかも?と、な
         にやら一歩づつ近づいたような気がします。  昨日は、天気もメンバーもあっ
         たかくて、桜満開のサイコーのロングライドでした。

          『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く』
         もしかすると、もうじき引退するかもしれません、日本を代表する選手の言葉
         です。1998年、名古屋転勤時代に瑞穂陸上競技場近くに住んでいて、沿道
         に立って初めてマラソンを見たときの優勝選手で、それからテレビで見るたび
         大活躍している選手です。

         自分はそれから、松江、広島、大阪と2-3年ごと転勤しましたが、また名古屋
         に転勤となりました。まだランニングを始めたばっかりでしたが、一般の人が
         普通にあの同じコースを走れることができることができる名古屋シティーマラ
         ソンなるものがあることを知り、2006年11月、めちゃくちゃに広い名古屋の
         道を7000人のうちの一人のランナーとして走ったのが、マラソンテビューです。

         また、ある夏の日、家族と鳥取の大山にドライブに行った時の事。 いつもな
         ら静かな田舎道なのに、ひっきりなしの自転車の大集団。 色とりどりのバイ
         クにウエア。女性らしき人もすごいスピードで走っていく。 『な・なんや・これ
         は!』といってると、妻の一言。『トライアスロンじゃない!』。妻はこっちの地
         方出身で、そういうのがあることは知ってたらしい。規制の無い山道、邪魔に
         ならないよう車で併走していると、ジェットコースターと呼ばれるものすごい坂
         道を、日ごろの練習で鍛えられた選手たちが次々に超えていく。『ス・ゴ・イ』
         というほかありません。普通の人にはできるとは思えませんでした。でも、今
         は違います。ちょっとは自分にもできそうです。同じ趣味を持った人たちの仲
         間になれたことで。

         練習してるときはキツイけど、休憩や終わってから、皆さんと談笑していると
         なにやら、勇気がわいてきます。『楽しくなければ仲間は増やせない!』・・・
         このモットーを続けたいです。ぜひ、今後ともよろしくお願いします。