投稿第一一九

            六甲全山マラニックを初完走!
           2008年3月26日
芦屋浜アスリートクラブ

会員:恒松 秀志

         3月23日、AAC六甲全山マラニックに参加させて頂きました。以前から”六甲全山縦走”がやってみ
         たかったのと、”マラニック”がどの様なものか体験してみたかった私は、この募集を知ったとき、昨年
         AAC芦屋浜潮風ウルトラマラソンに参加(50キロの部ー45キロ地点関門クリアならず)したことも有
         り、早速申し込むことにしました。しかし内心、設定タイムが10時間に『ほんまに?』と思っていたので
         す。なぜなら、ハイキング関連の本とかには14-15時間と載っていたからです。


          早朝の須磨浦公園駅に男達が集まってきました。写真撮影の後、7時前「期待と不安」の中スタートし
         ました。鉢伏山の登りを歩いて行きました。そして下りや平坦な所では走るという感じでこれが”マラ
         ニック”かと思いました。最初のうちは遅れないよう前団に捕り着いていました。しかしこの事があとで
         裏目にでるとはこの時点で予想もしていませんでした。


         前半の西六甲コースは私にとっては未経験のゾーンで、先の事も分からず、『いつまで続くんや!こ
         の上り下りは!』と思っていました。すると経験者の方が『菊水山、摩耶山の天狗道がたいへんやで
         !』とおっしゃっていました。途中、息を切らせながらも着いていきましたが、ついに菊水山の登りで足
         に痙攣が起きてしまったのです。『やばい、まだまだ先は長いのに、参ったなーどーしょー。』 なんと
         か痛みに耐えて山頂に着いて、少しの間足を休ませ『何とか回復してくれ!』と思うばかりでした。


         休憩も終わり菊水山を出発するものの暫くするとまた再発、下りは耐えれるも上りが厳しくなってきま
         した。そして市ヶ原の桜茶屋までなんとかたどり着きました。暫しの休憩の間に掛けてもらった、『摩
         耶山まで行けば何とかなる』の言葉を信じて天狗道に挑んで行きました。 が、足がいうことを利かず
         少し歩いては止まりの繰り返しなって、 『もうあかん、リタイヤや!』という思いが込み上げて来まし
         た。必死の思いでようやく摩耶山頂に到着、少し安心しかも先行していたメンバーがまだ残っていた
         のです。『もう走れないけど歩きでいいから何とかしよう!』と気持ちを切り替えて、宝塚へ行こうと思
         いました。


         摩耶山出発、先頭グループはあっという間に見えなくなり、コースも不安になって地図を確かめようと
         した時、後方から一人やって来たのでコースが間違ってないか尋ねましたが、初参加ということではっ
         きり分からず、二人で地図を見ていると、「地獄で仏」ここでAAC今池氏に出会うのです。今池氏は去
         年このマラニックの担当をしていたということで、私と矢部氏は安心して付いていく事ができました。
         今池氏には、走って行きたいところ、抑えてもらって申し訳ありませんでした。最後は最後尾と合流し
         てシンガリグループとして行動したのが良かったのか、色々会話もあって足は痛いけど、気持ちはリラ
         ックスできて、無事宝塚に着く事ができました。これも皆さんのおかげです、ありがとうございました。
 
         結果、10時間40分でゴール出来て、最初の設定タイム10時間というのが”夢のタイム”ではないこ
         とが、改めて解りました。後で知りましたが、参加者の人たちがすごいメンバーだったという事を、そし
         てそのメンバーと一緒にマラニックに参加できてとても良かったです。来年は10時間以内を目指して
         トレーニングしていきたいと思います。改めて言うには及ばずゴール後のビールは実に美味かった。
         (大会開催日:平成20年3月23日)



投稿第一一八号
          大会報告・ 氷上トライアスロン小海!

         2008年2月12日
日本アイアンマンクラブ所属

神戸 嘉久

      1月27日、長野県小海町で開催されたこの大会、今回で19回目だ。競技の内容は、まず
      スキーで3.0kmのGスラローム、次に16.0km強の雪上RUN、最後に10.0km(400m×25周)
      のスケート。1人でやるエキスパート部門と複数人でやるリレー部門があり合わせて
      200人ぐらいとこじんまりしたat homeな大会だ。

      
なんと言ってもここの売りはレース前日のレセプション。スキー場内にある小海リエッ
      クスホテルのレストランにはスポンサー・サッポロビールからのビールがいっぱい、美
      味しい数々のホテル料理、更にはケーキバイキングなど、ハッキリ言ってIRONMANなど
      のパーティーとは比べ物にならない。

      更に此処はリピーターを大切にする趣旨から、5回、10回、15回など節目の連続出場
      者には豪華賞品がプレゼント。スポンサーである長野放送からは景品のほか美しいアナ
      ウンサーの派遣に加えて後日レースのテレビ放映まである。各種プレゼント、催し物も
      盛りだくさんで楽しめるのだが、のり過ぎての飲みすぎには気をつけよう。
      (当方、それで何回も痛い目に遭っている)

      
さて、レース当日の朝、今年は寒いと予測されていたが、宿でマイナス18度(スキー
      場ではマイナス21度)。ひぃえ〜ってな感じでスキー場に到着。リフトに乗って上まで
      行ってからスタートまで待つ間の寒さ痛さ!スキー靴で走り、スキー板を付けてまた
      登る。心臓をパク付かせながら最上部をターンし、スラローム、最下部まで気持ちよく
      滑り降り、今度はRUNトランジットまで登る。ヒ〜ヒ〜、この辺で身体が温まる。
      (16:10、57位)

      
16km強のランの90%は雪道、7割が下り坂。凍って滑りやすくなっている所は砂を撒い
      てくれてあるので助かる。昨年来の踵痛・膝痛に加え痔ろうの手術による練習不足で残
      り4〜5km でヘロヘロとなったが、絶対負けたくないとマークしていた長野マラソンク
      ラブ会長の杉山氏(71歳)に僅かに先着スケートに入る。(1:31:47、56位)

      リンクは混雑の真っ最中という感じだったが、都合11回も練習した足さばきでス〜ィス
      イ。杉山氏を追い抜きながら『なんちゅう滑りしとんのや』と思うがまた『あれで10
      kmやるんか!』と、その根性に感じ入る。無事25周を滑り終わった時は咳き込むし足
      腰もフラフラ状態。(31:28、44位)ホットレモンジュースを頂き人心地。(おむすび、
      とん汁、うどん有り。)

      総合は2:19:25、46位。60歳以上のシニアの部2位だったが、なんと杉山氏も3位(し
      ぶとい!!  60歳代結構いてるのに)。IRONMAN の常連で強豪(の)だった道向さんも
      参加されていて50位だった。(氏はスケート30年ぶりとか。難病の子供を救う支援の一
      環で参加されたとのこと。その活動もしてました。)

      当方6回目の出場だったが連続は今回で4回目。いよいよ来年は5回連続で何があって
      も外せないのだ〜。(たとえIRONMAN出られなくとも・・・・?)
      来年はこの大会も20回記念となる。興味ある方は参加してみてはいかがか。IRONMANに
      感じられなくなった『冒険』的な要素もあるのよね〜。高知あたりから出かけてくる物
      好きなの(山本某)もいるんだよ(スキー・スケートとも一年一回、ここだけだって。)
      もう終りの頃になると『高知の山本さん!ガンバッテー!』なんて、そこらじゅうから
      声掛けられて大外廻って声援に応えてましたけど・・。

      
閉会式での豪華賞品(旅行券・スキーセット・スラップスケートなどなど)は当方には
      無縁なんだが、この日最後のジャンケン勝負でなんとナイキのゴアテックスハイキング
      シューズゲットしちゃったのだ。で、めでたしめでたし。




投稿第一一七号
       天候もよく爽やかな陽射しのなかをスタート!
           2008年2月5日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:
額田 陽子

     AACの皆さん、こんにちは 額田(ぬかだ)陽子と申します。1月19日から参加させて頂
     いてます。これからみな様と楽しみながら走らさせていただければと、思っております。
     よろしくお願いします。参加させていただくようになったきっかけは、 ダンディな的場さ
     んに誘っていただいたことからです(^-^)。

     子どもの頃から走ることが大好きで、そうだ!大好きだった走ることを再び始めよう!と
     10月から毎朝夙川でジョキングを始めました。何か目標が有った方が私の性格からしてさ
     ぼらないな・・・と、西宮の広報で見つけた1月13日武庫川新春ロードレース5キロにエン
     トリーしました。

     何年もレースに出た事はないし、5キロ完走する自信もない時に夙川で的場さんと出逢い
     あの満身の笑顔(*^o^)とパワーで『僕も参加するから 向こうで逢おうね!』と不安な私
     を勇気付けてくださり、アドバイスも頂きました!

     当日は天候もよく爽やかな陽射しのなかのスタートでした。周りの方に引っ張られるかた
     ちで、毎朝走るペースより早いスピードで折り返しました。後、半分、でもまだ半分ある
     ・・・。後、1キロ、まだ1キロある。などと苦しみながらも走れる悦びをかみしめながら
     最後の百メートルでは全力を出しきろう!と決意してラストスパートしました。死にそう
     に成りながらゴールを目指して走ってると『陽子ちゃん頑張れ!』と 的場さんのあの笑顔
     と声援!名前を呼んで頂いて励まされ最後に全力が出せました。(^-^)!

     タイムは私には大満足の25分18秒でした。やっぱり 走る喜びを共感出来る仲間が欲しい
     な・・・と思っていたところ、的場さんが誘って下さってたAACに1月19日初めて行って
     みました。あいにく的場さんは欠席のようだしもう帰ろうかと思ってた所に、会長の宗政
     さんが素敵な笑顔で一緒に走りましょう!と誘って下さりました。

     皆さんとても気さくで優しい方々ばかりで声をかけて下さり、早く走れない私に付いて下
     さったりとスマートに気遣っていただきとても感謝してます。皆さんと走れる悦びに感謝
     し無理せず楽しみながら続けて行ければと思ってます。
     これからもどうぞよろしくお願いいたします。
      (大会開催日:平成20年1月13日)



投稿第一一六号
            マ ラ ソ ン 初 陣 !
           2008年1月30日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:矢部 雄一

     はじめまして。昨年の11月よりAACメンバーに加えていただきました
     矢部と申します。どうぞよろしくお願いします。

     さて、去る1月20日、初マラソンとして高槻ハーフマラソンに参加して
     きました。雪もちらつく寒空の中、熱い気持ちで挑んだ初マラソンでした
     が、練習不足の私にとっては非常に厳しい洗礼を受ける結果となりました。

     当日はいつもより早めに起床し、会場までの電車の中もそわそわ。平常心
     とは思いつつも、初めての大会。気持ちは昂っていました。会場では早速、
     宗政さんよりAACのユニフォームを渡され、モチベーションはさらにア
     ップ。気持ちだけはスタート前から最高潮でしたが、肝心のスタート位置
     もよくわからぬまま、気付けば号砲の音です。

     最初の5kmは人ごみをかき分けての超スローペース。ようやく堤防に上
     った後は向かい風にやられ、寒さに手足は悴んでなかなか思うように走れ
     ませんでした。

     さすがに遅すぎるのではと、5kmを過ぎた時点でちょっとペースアップ。
     自分でも速いかなと思うぐらいのペースで走りました。キロ何分という感
     覚が自分の体にないため、ペースメーカーとなりそうな人を見つけては追
     走する繰り返しだったように思います。不思議と途中からは体も軽くなっ
     て、景色を眺めながら鼻歌まじり♪ 気分上々!のはずでした。

     ところが快調に飛ばしていた下半身に突然異変が・・・。右股関節に力の
     抜けるような痛み。何とかペースを維持して折り返したものの、しばらく
     すると右ひざ外側にも痛みが出はじめました。ゴールまで5kmを切った
     ところで右足のまめがつぶれ、右脹脛も攣る始末。ついに脚が前に出なく
     なってしまいました。やっぱり練習不足がたたったなと思った瞬間です。

     それでも絶対に歩くまいと走った5kmは本当に長かったです。序盤抜か
     したはずの人にどんどん抜かれ、走りたくても前に進めないもどかしさ。
     励みになったのは沿道の子供達の声援。“がんばれぇ〜!”“絶対あきら
     めるな〜!”ここで大人が負ける訳にはいきませんよと。熱い声援に何度
     も励まされ、クタクタになりながらも、何とかゴールまで走りきることが
     できました。ラストスパートはゴボウ抜きでゴォーーーール!というイメ
     ージでいたので全く正反対。満身創痍の現実でした。

     1時間42分と目標の1時間30分には程遠い結果でしたが、初ハーフマラソン
     完走で程よい満足感。良い一日となりました。(ちなみに宗政さんは年代
     別1位で表彰されてました。さすが!)ただ大会に臨むスタンスとして、
     明らかな練習不足(月間30kmぐらいしか…)。練習がそのままレース
     結果につながるのだと痛感、反省もさせられました。

     今年はマラソンをはじめトライアスロンにも挑戦したいと思っています。
     今回の反省を踏まえ、しっかりと練習をして挑戦を継続させていきたいで
     す。まずは少しでも走る習慣を身につけることから。体一つでできるスポ
     ーツの醍醐味をもっと味わいたいなと思います。宗政さんをはじめAAC
     の皆さん、若輩者ですがこれからもよろしくお願いします。

        (大会開催日:平成20年1月20日)



投稿第一一五号
       今 年 最 初 の レ ー ス は 終 盤 失 速 !

          

2008年1月28日
芦屋浜アスリートクラブ
会員 : 目堅 孝


        
昨年の12月29日の練習から参加してます目堅孝(めかたたかし)です。32年間東京で学生
       ・社会人生活を送り、平成18年3月から芦屋市翠ヶ丘町(JR芦屋駅北口下車徒歩10分)
       に住んでいます。


       元々本年の参加レース予定は、福知山マラソン→三田国際マスターズ→木津川マラソン(ハ
       ーフ)→篠山ABCマラソンでした。

       初マラソンの福知山の後も調子に乗って毎朝ジョギングしていたところ、膝裏を痛めてしまい、
       三田に出場できなくなりました。代わりに他のランナーから一度刺激をもらっておこうと高槻シテ
       ィに参加しました。(昨年高槻クロスカントリーに出走したのですが、つまらないレースだったので

       高槻はあまり良い印象は持っていませんが・・・。)

       最初の数KMは混んでいて、思うように走れませんでしたが、その後は順調でした。時計を見
       てもペースを上下できる腕をしていないので、ほとんど時計は見ないタイプです(運任せ、早く
       言えばいい加減なんです)。

       折り返し点でタイムをチェックするつもりで10KMを過ぎても、折り返し点がでてこないので(折り
       返し点がなかった)、15KMでチェックすると66分10秒でした。前半飛ばしていないつもりだった
       ので自己ベスト(1時間34分2秒)更新できると思いましたが、意外と後半失速し34分57秒
       に終わりました。練習不足なのか、久しぶりにハーフがしんどくゴールが遠く感じたレースでした。


       木津川でハーフを走りますが、篠山が目標レースですので、せめて自己新で走りたいと思って
       います。AACのメンバーも数人高槻にでて居られたようなので、今後レース場でAACのメンバー
       を捜すようにします(最初は気がつかないケースも多いと思いますが・・)。

       今後とも皆さんとランニングを楽しみたいと思ってます。
       (大会開催日:平成20年1月20日)



投稿第一一四号
            真のアイアンマンを目指して
      〜トライアスロン18シーズン目を迎えて思うこと〜

          

2008年1月11日
MIGHTY TRIATHLON CLUB 所属
内藤 聡之助

      あけましておめでとうございます。
    大阪は池田市にあるアトリエ・ドゥ・キャファ主宰のメーリングリストの投稿を
    きっかけに、宗政様から貴クラブHPへの投稿依頼を受けました。
    トライアスロンだけにとどまらず、日々の生活のなかでスポーツを大いに楽しん
    でおられます大先輩方のHPに、小生の駄文をご掲載いただくことはイササカ気
    が引けますが、せっかくのご縁と割り切って投稿させていただきます。

    欧米を中心に年々盛り上がりを見せている我らが憧れのIronman大会は、アジア
    地区においてはさほど火がついてこないのか、ハタマタ政治力・財力で不利なの
    か、長らく開催されてきたIM.Koreaが中止となり、日本や韓国、近隣アジアの選
    手には非常に残念なニュースとなりました。 韓国では、 15-20年ほど前の日本
    と同じような盛 り上がりを見せ始めてきている・・・と伺っておりましたので、
    ご当地では日本以上に残念であろうと思います。

    小生、今年の11月で45歳になります。
    競泳は中学生から初めて28歳になるまでの約16年間続け、「長いことやったなぁ」
    と感じておりましたが、トライアスロンの方はそれ上まわり、今年で18シーズ
    ン目を迎えることになります。 結構飽きやすく、多趣味で、「極地で露天風呂
    に入りながらオーロラを見たい!」 「自転車で世界3周旅行をしたい!」、「
    日本百名居酒屋以上に酒肴料理を極めたい!」、「世界で親友100人作りたい!」
    、「そのまえに英語を話せるようになりたい!(ならねば!)」・・・と、死ぬ
    までにやりたいことが他にもたくさんある自分としては、よくもまぁこんなに長
    く続いたもんだとひとり感心しております。

    競技キャリアはベテランの部類に入ってきてはいるものの、実力は国内ショート
    では「中の中級」、ロングでは「中の上級」といったところ。 元専門のスイム
    は、最初の5-6年はどんなレースでもトップ集団で上がって来れましたが、い
    まはバトルとパニック症候群がオソロシくて・・・というよりも、度重なる練習
    ブランクですっかり「錨(いかり)」になってしまいました。カナヅチよりも重
    たいです。初めの7年間は、もっぱら51.5kmとミドル・タイプ専門で、ロング、
    アイアンマンといった超長距離レースは、自分向きではないと勝手に思い込んで、
    ロケーション優先の宮古島大会以外は全く出場しませんでした。

    そんな私に、ついに「IRONMAN」の世界に入らざるを得ない「人生を変えた一言」
    を聞かされました。「51.5kmのレースや宮古島大会を何回完走しても、たとえ間
    違って優勝したとしても、IRONMANを完走しない限りIRONMANにはなれないんだよ
    」。忘れもしない1998年9月の佐渡大会。ITUロング世界選手権を兼ねて開催され
    たこのレースで、結構満足のいく走りをし、ルク・ヴァン・リルデと一緒に写真
    に納まって喜んでいたワタシは、IRONMAN Championship出場を目指して日々努力
    を重ねている地元の先輩アスリートに、ついに言われてしまいました。

    トライアスリートであることを少なからず自負しているものにとって「IRONMAN
    になること」は最大の目標であり、D.スコットは命、S.ティンリーが師匠の自分
    にとって「ナイトー君は、IRONMANではないね」ということは、イコール「トラ
    イアスリートではない!」といわれたも同然で、強烈なショックを覚えました。
    それから更に10年。トライアスロンがこんなに長く続いている理由のひとつは、
    この競技(という表現がしっくりきません。“イベント”のほうが合うでしょう
    か?)をやっている人達が、殆ど一様におおらかで、野生的でアウトドア・自然
    好き、ほかの競技の愛好者たちとは一味もふた味も違う、いい意味で「クセモノ」
    であるところが大きいように思います。


    海外でも国内でも、互いに「トライアスリート、もしくはその関係者」という理
    由だけで、トップ選手もそれ以外の選手でも、初めて会ったその日から旧知の友
    のように接することができる、接してもらえる、というのがとても魅力的で不思
    議です。また、「完走者は、みな勝利者である」というアイアンマン黎明期の競
    技精神が、いまもって世界中でもっとも大切にされている、という事実も中年(
    中〜中下級?)アスリートの自分にとっては非常に大事な要素です。この一言を
    唱えて、「自分もIRONMANの一員なんだ」と自覚しただけで、いつも体が熱くな
    ってきます。それらに加え、個人的には「頑張ればできるはずの(と思っている)
    目標が、なかなか達成できない」こと、「年齢相応で世界レベルの目標を目指し
    て頑張っている」という、ちょっとナルシスティックな感じもしますが、そんな
    ところも長く続いている理由のようです。
 
    そして第1回の長崎IRONMAN出場、完走を経てその魅力にようやく目覚め(しっ
    かし暑い熱いレースでしたスねー!)、その後も宮古島、佐渡A、第4回 I.M.
    Japanとキャリアを重ね、ようやく40歳頃からKona行きを目標にしてもいいかな?
    と思うようになりました。ハワイ出場の気持ちは、’05年の第1回Honu大会出
    場(Konaで、Queen K Highwayを使って開催)で完全に覚醒しました。
    「BigIslandがワシを呼んじょるわい!」と本気で思いました。
    (感じた、という方が正しいでしょうか)

    しかし、なにせそれまでもそれ以降も、旅を楽しむような感覚でトライアスロン
    を続けてきましたゆえ、Hawaii大会出場権獲得の目標達成は、そう簡単なもので
    はありません(当たり前ですが!)。友人知人でHawaii行きを決める人達のブロ
    グを開いて、どんなトレーニングをしているのかと観てみると・・・とても常人
    とは思えない、驚愕にして更に腰を抜かしてしまいそうな質・量です。自分が同
    じトレーニングをしたら、二日と体が持たないでしょうね。

    自分も、毎日の仕事や家族との生活の中で、体調を見ながら結構頑張っているつ
    もりではありますが、彼・彼女らのようなトレーニングをこなせるレベルには、
    まだまだそう簡単に届きそうにありません。今更ながらに、チャンピォンシップ
    に出場するアイアンマンの身体/心態(?)を作り上げるには、それ相応の努力
    と時間をかけて地道に積み重ねなければならないのだと気づくとき、あらためて
    身が引き締まる思いにかられます。

    また、そう思うとなお更のこと、単に「速い」だけでHawaii 出場権を獲得する
    のではなく、それだけの努力を重ねてきたことに見合う人間的魅力を備えた選手
    こそが、アイアンマンとしてそこに出ることを認められるのではないか、と思う
    のです。 そして、自分もいつかそういう選手になりたいなぁ、と思わずにいら
    れないのです。

    I.M.KOREAは今年中止、4/20のCHINAには出場申し込みをすませていますがこ
    ちらも希望者はまだ少なく、開催も危ういとのこと。 Ironmanは益々欧米化!?
    しているようですね。まだ申し込みは済ませていませんが、今年はI.M.Japanに
    出場するとしても、それ以降はいつまでも日本とその周辺のレースに固執せず、
    ¥と時間と体力(と、家族)の許す限り、まだ見ぬ魅力的な海外の様々なIRONMAN
    の出場も検討したいと思います。今年は、そういう想いのスタートの年にしよう
    と考えています。

    今朝の松山市は、久しぶりに明るい空が見えます。
    芦屋アスリートクラブと日本アイアンマンクラブの皆様にとって、今年が最高に
    いい1年であり、これからも益々発展されることを祈っております。
    今年もよろしくお願いいたします。




投稿第一一三号
          読売防府マラソンに向けてのチャレンジ

          

2008年1月10日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:金本 順也

      これまで参加した大会やレースを見直してみるとまだ参加していないレースがある。
      「誰もが参加出来ないマラソンにチャレンジ!」 が課題でした。夏から秋にかけトレー
      ニングは順調で芦屋浜潮風ウルトラマラソンでも3位でゴール。走り込みの効果が現れ
      ていました。

      【レース前日】
      午後2時過ぎに現地に到着。既に試走をしている選手も見られ気合負けしないように
      ホテルにチェックイン後は8キロ程コースを試走したが風の冷たさと強さで翌日の天気
      が気になるところであった。
      受付がホテル会場で、こんな時ジャージ姿で入れるのは選手の特権だろう。
      38回と歴史ある防府マラソンで、ホテルでの受付レセプション。
                   

      主催側は読売新聞社長、山口放送社長、防府市長、日本陸連のトップ等・・・
      重要な役職の方々を数え上げただけでも40数名は着席してました。
      珍しくプレッシャーがかかり今週はよく眠れない日が続いていた。 
                   

      【レース当日】
       とりあえず、関門リミットの確認の為の準備もしました。
      しかし一変して気象条件は最高というしかない。
      気温12度 風速1m やや雲ありのコンディション。
                   
      選手は僅かに450名程度。スタート、4分前に全員がゾロゾロ集まる。
      このあたりの雰囲気はまるで「小さな町の運動会」みたいでした。
      でもちゃんとマスコミ?も取材が来ていて思わずパッチリ!
      アナウンサーに見とれてしまったから? ※イヤイヤちゃいます(^^;
                   
      ■前半
      レースは5キロまでは調子がわからずペースはキロ3分50秒。
      途中、苦しくなり少し落としたが結局また同じペースに戻りました。
      しかし…これが後半負担に変わります。
                   
      ■25キロ過ぎより
      坂道による足の痙攣現象が出て来ました。
      本当はこの対策をやるべぎたったが25キロ過ぎまで我慢して以後、カ−ボショッツ
      (蜂蜜みたいなゼリー状のもの)を思いっきり口に入れた。
      やはり即効性はあります。 少しは楽になったけど自分自身分かってました。
      やっぱり、ハンガーノックに近い。 ←朝飯はたんまり食ったんですけど・・・?

      ■ラスト後半
      35キロ以後のラップは4分40秒から5分位まで落ちましたが、会場に近付く度にペー
      スは上がり予想タイムよりは1分速かった。スプリット&ラップタイムは防府マラソンで
      の公表通りです。

                  スプリット    ラップ
                    5k  :  0:18:58   18:58
                   10k  :  0:38:17   19:59
                   15k  :  0:57:29   19:12
                   20k  :  1:17:22   19:93
                   ハーフ :  1:21:51
                   25k  :  1:38:07   18:44
                   30k  :  1:59:25   21:18
                   35k  :  2:21:34   22:19
                   40k  :  2:45:23   23:89
                   ゴール :  2:55:33  (198位)

      今までの自己記録と大差ないので自慢できるタイムではないですが老舗の大会であ
      ることや、トライアスロン、市民マラソンではない雰囲気が新鮮でした。
      ゴールした後、トラックフィールドを見渡して久しぶりに「神聖なる場所」であると思いま
      した。次は一緒に参加できる競技仲間がいて欲しいですね。(仲間募集中・・・)
    
(大会開催日:平成19年12月9日)



投稿第一一二号
          生 活 習 慣 病 か ら の 脱 出 体 験

          

2008年1月6日
芦屋浜アスリートクラブ
浜松支部:葛下 弘和

    浜松への転勤を機会に、生活習慣病からの脱出に成功した体験談を紹介しよう。
       AACの皆さんには無縁かもしれないが・・・

    1.浜松への転勤
    平成1841日付けで、浜松への転勤命令が出た。まず女房が心配したのが小
    職の健康である。ありがたいことである。早速健康診断を受けた。予想どおり
    「生活習慣病」である。血糖値、コレステロールなどが標準値を超えている。
    特に血糖値は糖尿病の領域で、このままの状態が続けば危ないが、「食事療法」
    と「運動療法」だけで回復可能なレベルとのこと。ちなみに血糖値は、空腹時

       139
、食事後215、ヘモグロビンA1C6.2であった。

    実はこの6年ほど前(平成12年春の検診時)にも「生活習慣病」の指摘を受け、食
    事療法と運動療法を行った。その頃は、毎年一回はフルマラソンを走っていた
    ので、運動量は十分であったが、暴飲暴食の傾向はあった。お袋も糖尿病で、
    元々インシュリンの働きが悪いのも原因のようである。その時も全体の摂取カ
    ロリーを減らし、健康ジョギングに切り替えることで、体重が
67kg62kgに落
    ち、一時的に血糖値も下がり標準値に入った。そこで安心してしまったのが悪
    かった。その後体重だけは
62kg程度を維持していたが、徐々に悪化して、血糖
    値とコレステロールは標準値を超えた状態が続いていたのである。

    「この新しい生活を機会に、生活習慣病から脱出しよう」と心に決めた。

    2.健康的生活のスタート
    まずは「食事療法」である。管理栄養士による食事指導を受けた。
       @ 1日の摂取カロリーは1800kcalにすること: カロリーの計算表を渡された。
    その当時の食事で簡単に計算してみると
2500kcal以上は食べている。酒類とつ
    まみのカロリーが大きく、夜の摂取量が非常に多い。
1800kcalに抑えることは
    とても無理だと思った。とりあえず平均的な成人男性の摂取量(
2300kcal)以
    下に抑えることとした。朝
500kcal、昼800kcal、夜1000kcalのイメージである。

       A酒類は控えること: 日本酒換算で11合(1週間で7合、1ヶ月間で30合)
    以内にするよう指導されたが、飲んではだめとは言われなかった。宴会などで
    多く飲んでも週単位や月単位で管理すれば
OKとのこと。これはひと安心。適量
    の飲酒は「百薬の長」なのである。毎日の晩酌を低カロリーの淡麗グリーンラ
    ベル
(350ml缶で約100kcal、日本酒換算0.5)に変え、酒と「つまみ」もカロリ
    ー計算に加えた。休肝日を設けることと、宴会の時は二次会を控えることも節
    酒目標とした。
(参考までに各種酒類のカロリーと日本酒換算表を表1に示す)

       B野菜や海草をたっぷり食べること: これは意識して実行に移した。朝食は
    山盛りの生野菜サラダを食べることとした。


       C肉類(特に脂身)を控え、魚類や大豆類を摂ること: 魚はむしろ脂肪の多い
    ものが良いとのこと。以外であったが、これも美味しいので好都合。豆腐や枝
    豆も大好物である。


       D栄養のバランスを考えること: これは今まで食事を作ったことのない小職
    には難しい。職場での昼食は弁当である。栄養バランスは配慮されているよう
    である。料理が面倒なのと栄養バランスを考えて、夕食も職場手配の弁当とし
    た。またこれが安い!
(290円、夜400) 野菜類の補給には冷凍食品も活用
    している。


       E夕食から睡眠まで3時間開けること: 従来はこれが難しかった。夜遅く帰
    って、晩酌と量もカロリーも多い夕食、そしてバタンキューの毎日であった。
    幸い今回の職場では通勤時間が短く
(20)、早く帰れそうである。目標に加
    えることとした。次に「運動療法」である。


    実は20年ほど前からジョギングを続けている。10年ほど前までは、毎年一回は
    フルマラソンにも参加しており、月
300kmを目標に走り込んでいた時もあった。
    自分は健康だと過信し、良く飲み良く食べた。お袋が糖尿病で遺伝的に弱い面
    もあるが、この暴飲暴食が悪かった。また長距離走のスタミナに必要なグリコ
    ーゲンを貯めるためと考え、食事前に走っていたのも逆効果であった。健康の
    ためには、食後
1時間後くらいから軽い運動をするのが良いとのこと。これか
    らは、健康ジョギングに徹することとした。⇒「食後1時間後くらいにゆっく
    り走る」


    幸い今回の職場は素晴らしい自然環境に恵まれている。目の前は緑豊かな自然
    公園である。 ここで約
4kmのジョギングコースを設けた。昼休みが45分しか
    ないことと、通勤時間が短く
(20)、始業時間(840)が早くないことから
    、朝始業前に走ることとした。寮の近くにも「緑のネットワーク」と称する歩
    行者専用ルートが整備されている。種々の樹木が植えられ快適である。ここに
    約
6kmのジョギングコースを設定した。休みの日は、朝食の1時間後くらいにこ
    のコースを走ることとした。


    また今回の職場にはテニスコートがあり、毎朝職員がテニスをしている。テニ
    スは入社した時、寮でやっていたことがある。素人であるが、何とかなりそう
    である。朝の勤務前に走った後、テニスをすることとした。ジョギング
(4km
    
25)とテニス(30)でのカロリー消費量は約450kcalと推定している。ほぼ
    朝食での摂取カロリーであり、一日の摂取量
(2300kcal)からこの消費量を差し
    引くと、指導された
1800kcalにほぼ等しくなる。(参考までに各種運動のカロリ
    ー消費量を表
2に示す)

    3.浜松での一日

      浜松での一日を紹介しよう。朝5時に起床。目覚まし時計をかけているが、大
    抵は鳴る前に目が覚める。早速朝食の準備に取り掛かる。9種類の野菜を切り、
    山盛りのサラダを作る。また食パンにチーズ、玉ねぎ、ピーマン、トマトを乗
    せ、ピザトースト風に仕上げる。料理はこれだけだが結構時間はかかる。早朝
    のテレビニュースを見ながらゆっくりと朝食を済ませ、身支度をして
6時半に
    寮を出る。この時間帯では道路も空いているので、約
8.5kmの快適ドライブであ
    る。
15分程度で職場に着く。

    ジョギングスタイルに着替え、7時から4kmのジョギングに出発する。朝食後
    約
1時間が経っており、目標どおりである。都田公園は各種の樹木や草花が植え
    られており、今は紅葉であるが、花の季節は花が咲き、鳥や虫が鳴き、季節感
    もたっぷりである。公園の中にある池では釣りをしている人もいる。ジョギン
    グと体操で約
30分。職場に戻ってからは、7時半から8時まで仲間とテニスを
    する。いつも数人が参加し、レベルも似通っているので楽しくプレイしている。
    快適でさわやかな汗を掻く。その後シャワーを浴び、心身ともリフレッシュし
    た状態でその日の業務に備える。
840分から業務開始である。まずは朝礼と
    ラジオ体操。ラジオ体操も各部位の筋を伸ばすことを意識しながら行うと結構
    良い運動になる。これも気持ち良い。
1215分から13時までの昼休みを挟み、
    
1720分までが就業時間である。

    この日は18時に職場を出た。途中食品スーパーに寄り、野菜などの食料品を調
    達した。もちろんビール
(発泡酒:淡麗クリーンラベル)やつまみも購入する。
    
19時前に寮に着き、弁当を受け取って部屋で夕食。もちろん晩酌付きである。
    自宅
(兵庫県三田市)ではなかなか自分の好きなようにテレビを見ることもでき
    なかったが、誰に気兼ねする事もなくマイペースで楽しめる。この日は風呂
(
    際はシャワー
)の後に洗濯もした。洗濯は3日に一回のペースである。アイロン
    もかける。
22時過ぎには床に入る。夕食後3時間近く経過しているので、目標ク
    リアである。


    4.「生活習慣病」からの脱出に成功
    カロリー摂取量は指導された量よりかなり多い2300kcal程度だが、適切に運動し
    ていることもあり、
3ヶ月ほどで体重がみるみる減って62kg55kgになった。
    痩せ過ぎではないかと医者に相談してみた。体調が悪くなければ気にしなくて
    良いとのこと。現在は
55kgで安定している。

       3ヶ月毎に血液検査をしているが、9ヶ月後(H1812)の血液検査では全ての
    項目が標準値に入った。「生活習慣病」からの脱出成功である。生活習慣を変
    えることにより体質を改善できることが検証できた。あとはこの生活を維持す
    れば良い。その後の検査でも良好な値をキープしており、現在の血糖値は朝食
    後でも
95程度、ヘモグロビンA1C5.5である。歯医者にも通っている。悪いと
    ころを順番に治している。歯磨きも歯間ブラシの使用など丁寧に行うようにな
    った。こちらも快調である。浜松には、山あり、湖あり、緑豊かな町がある。
    「緑のネットワーク」や自然公園が整備され、そのメンテナンスもきっちり行
    われている。小職にとっては至れり尽くせりである。

    今回の「生活習慣の改善」は、このような新しい勤務先と浜松の恵まれた環境
    だからこそできたのかもしれない。いやそうではあるまい。その時々の環境に
    合わせた「健康的な生活」があるはずである。ダーウィンの言葉に「強い者が
    生き延びるのではなく、環境の変化に対応できるよう変化
(進化)できた者のみ
    が生き延びる」とある。今の勤務は3年間の予定なので、あと
1年数ヶ月でま
    た新しい生活が始まる。「新たな変化」への挑戦が楽しみである。
  以上

表1.各種酒類のカロリーと日本酒換算

種類

アルコール度

カロリー(kcal)

日本酒換算

ビール(大瓶:633ml)

5.0%

270

1合

ビール(500ml)

5.0%

215

0.8合

ビール(350ml)

5.0%

150

0.6合

グリーンラベル(500ml)

4.5%

145

0.7合

グリーンラベル(350ml)

4.5%

100

0.5合

日本酒(1合:180ml)

15%

200

1合

焼酎(1合:180ml)

25%

250

1合

赤ワイン(100ml)

12%

70

0.5合

ウィスキー(1杯:37ml)

40%

80

1合




表2.運動でのカロリー消費量

項目

消費量(Kcal)

備考

ジョギング(普通)

80/10分

体重60kg

ジョギング(速い)

110/10分

体重60kg

テニス

70/10分

体重60kg

歩き(普通)

40/10分

体重60kg

歩き(速い)

60/10分

体重60kg

サイクリング(普通)

50/10分

体重60kg

サイクリング(速い)

80/10分

体重60kg