投稿第七十九号
                 初フルマラソンを走り終えて

                         

2007年3月18日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:藤本 一成氏

           AACの皆さん 初めまして! 3月より会員に加えていただきました藤本です。
       
 マラソン初心者ですが頑張っていきたいと思ってます。どうぞよろしくお願いします。

       
 さて平成19年3月4日という日は私にとり、大変記念すべき日となりました。
        なぜなら、篠山ABCマラソンに出場し、完走することができたからです。半年前、
        いや、ほんの3か月前まではフルマラソンを完走するなどとは思いもかけないこ
        とでした。私は趣味でサーフィンをやっているので週末は波があれば毎週のよう
        に海に通うような生活で、マラソンとは全く縁のない人生を送ってきました。
        『マラソンはテレビで観戦するもの』であって、決して自ら参加するものでは
        なかったのです。

        そんな私でしたが日頃の食べ過ぎ・呑みすぎが祟り、お腹がぽっこりしてくるにお
        よび、これではいかんとダイエットを決意。昨年10月より毎朝5時半に起床。自
        宅から芦屋川河口までの往復約5kmを妻とともに走るようになりました。毎日走
        っていると不思議なもので肩こり・腰痛もなくなり頭もスッキリ!走らないと身体が
        ムズムズするようになってきました。

        そして週末のある日、たまたま芦屋浜を走っているとAACの練習会に参加してい
        た堀内氏にバッタリ会い、それを契機に『来年3月に篠山でフルマラソンがあるの
        で一緒に参加しましょう!』と心にマラソンのお誘いを受けるようになりま
        した。昨年12月の中頃の話だったと思います。

        最初はダイエット目的のジョギング程度の経験しかなく、しかもフルマラソンまで
        3か月くらいしか練習する期間もなかったので、全く走れる自信もなく『そうですね
        〜』などと生返事をしていましたが、絶対大丈夫ですよと言われ続けるうちにだん
        だんその気になり、『よし、これも何かの縁かもしれない。やってみよう
      !』
と挑戦することにしました。

        そうと決めると後は練習と実践あるのみ!残り少ない練習期間を有効に
        使うためサーフィンはマラソンが終わるまで封印するとサーファー仲間にマラソン
        挑戦を宣言。堀内氏のアドバイスで正月のAACの5社1寺参拝ランを皮切りに、
        1月に武庫川新春ロードレース(10km)、長居公園フルマラソン駅伝(2.8km
        ×3回)、2月に神戸バレンタインラブラン(ハーフ)に夫婦共々参加し、少しずつ
        大会の雰囲気に慣れるようにしました。

        また普段の練習として朝のジョギング(5km)に加え、仕事帰りにジムに通い、
        5km〜10kmを走り、週末は10km〜15km走るようにしました。途中昔痛めた
        膝の靭帯が痛み出し、2週間程度全く走れず、やっぱり無理かと諦めかけたとき
        もありましたが、なんとか1月に145km、2月に245km走り込みました。

        そしていよいよ本番当日。堀内氏の車に我が夫婦も便乗させてもらい一路篠山
        へ。今回妻は堀内氏の奥さんと応援組です。

        とにかく初めてのフルマラソン。途中ガソリンが切れたらいけないと今回のマラソ
        ンのために購入したポーチに飴やブドウ糖、携帯の補助食品(ゼリー)等詰めこ
        めるだけ詰めこみ、スタート地点へ。あまりの人の多さに圧倒されながらラインナ
        ップ。そして11時にスタートの号砲!とにかく完走することが目標だったの
        で5km30分のペースを目処に走り始めました。そして10km0:56、20
        km1:55、30km2:56とほぼ予定どおりにラップを重ね、残り10kmを
        切った32km〜33km辺りで完走を確信


         そうなれば頑張れば4時間切れるかもしれないとの考えが頭をもたげ、
        ここで一気にペースを上げる。途中歩き出した人を尻目に快調に飛ばし
        ながら、これなら行けるかもと思った矢先、37kmを通過した辺りから
        に足が鉛のように重くなり
、それからの1kmがあまりに長く感じる!
        これが35kmの壁というものかな〜などと考えながらとにかく最後まで
        歩ず走りきろうと重たい足を引きずるように走る。あと3キロ、あと2キロ、
        あと1キロ、あと500m、あと100m、あと50m、あと10m・・
そしてゴー
       ル!!
4時間は切れなかったものの4時間7分45秒(ネット)で完走。

        最後の5kmは本当にきつかった。しかし走り切った充実感・達成感はここ何
        年も味わったことのないものだった。猪鍋もしっかりいただいた。大変 美
       味であった


        今回のマラソン挑戦を通していろいろ貴重な経験ができました。大袈裟ですが
       
 ちょと世界も広がった
ような気がします。結婚して初めて夫婦で共通の趣
        味ができ、夫婦の会話も増えました。職場ではフルマラソン経験者が実は何
        人もいたのを始めて知り、篠山マラソンの話題で一気に距離が縮まりました。
        中には痩せているので病気かなと思っていた人が実はサブスリーの実力者だと
        知り驚いたりもしました。マラソンやる前ならサブスリーと聞いてもなんだそれは?
        という程度だったでしょう。マラソンは年齢に関係のないスポーツということも実感
        しました。これからの楽しみが一つ増えました。ずっと続けていきたいと思い
        ます。

        最後に今回のフルマラソン挑戦を薦めていただき、貴重なアドバイスと全面的な
        バックアップを頂いた堀内氏に心から感謝いたします。ありがとう!
     (大会開催日:2007年3月4日)

投稿第七十八号
    最終ランナーとなった第一回東京マラソン“迫りくる収容バスの恐怖”

              

2007年3月7日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:堀内 信弘氏

        夫婦で初めて一緒に走ることになった第一回東京マラソン。
        今回は妻と運命共同体。妻と一緒に走り、妻が完走できなければ私もそれに付
        き合いリタイアすると決めての出場だった。

        コースの概略やその経緯については、妻が先の投稿で既に紹介済みなので、
        私のほうは少し高慢な言い方にはなるが、妻をサポートする立場でどんな思い
        でこの東京マラソンを走って(歩いて?)きたのかを綴らせて頂くことにしよう。

        それでは苦戦を強いられることとなった大会終盤を中心に以下。
        25`付近までは『おっ、なかなかやるな!』と感心していた妻の力走も、股関節
        や腰に疲労と故障が発生しはじめ徐々に失速。
                       
        35`付近に至っては、妻はびっこ(使っちゃいけない言葉だが代替用語が見当
        たらないので失敬!)をひき、もはや誰がみても健康な人間の歩行状態ではなく
        なっていた。このときで1`15分ペース。

        『こりゃもう駄目かな。』 焦る気持ちは徐々に落胆の気持ちへ。万事休すか。
        プレッシャーを与えてはならないと思いつつも、後になって「ちゃんと教えてくれて
        たらもう少し頑張れたのに!」といわれても困るので、

        私:「あのねぇ、、、現実的な話するようで悪いねんけど。。。」
        妻:「なに?」
        私:「このままのペースでいったら時間内完走は無理やよ。」
        妻:「・・・」
        私:「いや、それはそれで別にいーねんよ。無理なもんは無理やねんからさ。」
        妻:「・・・」
        
        しかし、こんなメッセージを発信しても、それに対して妻が無言であったことから
        彼女も現状で精一杯、どうすることもできない状態であることが窺えた。

        そうこうしているうちに制限時間をオーバーするランナーを回収する収容バスの
        姿がチラチラと目に入るようになってきた。
        今まで収容バスをこんなに脅威に感じたことはない。私達の後ろで待機するよう
        にゆっくり走っては追い越し、追い越してはまた徐行する。
        バス会社は“はとバス”であったが、私達にとっては“はと”どころか“禿げ鷹”に
        狙われた息絶え絶えの獲物の心境であった。

        エイドステーションで費やすロスタイムさえ時間内完走に大きな影響を与えるほ
        どの微妙な時間になってきていたが、どうせこの状態で歩いていても時間内完
        走は見込み薄となっていたので、ここは一か八かの勝負でエイドステーションの
        治療による回復に望みを繋げることにした。
        幸いマッサージやアイシング等を施してもらうことで、その後暫らくは早歩きが可
        能となり、私なりの計算では半ば諦めかけていた時間内ゴールに一陣の光が
        射してきた。

        ちょうどその頃には雨があがり、現実の世界でも光が射しはじめ、観客の方々か
        ら「急げばまだ間に合う!」と条件付きの声援を頂き、そんな声援も味方にして
        頑張った。
        そして“あと1`”の看板をみた妻が、急に息を吹き返したように元気になって早
        歩きのラストスパート!

        ゴールまであと数十bほどのところで、妻に「走れる?」と聞いてみたら「うん!」
        という返事が返ってきたので、そこからは恥ずかしげもなく手を取り合って、観客
        やスタッフの大声援を受けながら最後のラン!そしてぎりぎりのゴール!
        制限時間の7時間まで、僅か8秒を残して6時間59分52秒のゴールだった。
        結局タイムリミットぎりぎりでゴールしたものの、私達のすぐ背後にもランナーの
        気配を感じていたので、そのときは最終ランナーだと思っていなかった。
                    
        ゴール直後に記者らしき方に、「最終でゴールなさいましたね!」といわれて初め
        て『あれ、そうなの?』と思ったが、実は今回の東京マラソン、仕事の忙しい時期
        に明確な理由も示さず土曜日に休暇をとって抜け出してきていたものだから『こ
        りゃやばいっ!』と思い、咄嗟に「いえ、違います!私達の後にゴールした方がお
        られました!」といったのだが、その記者は「いえ、あなた達が最後でした。
        私、ちゃんとみてました。」としっかり口調でニコニコ笑顔。

        そんなやり取りをしているうちに大勢の報道陣に瞬く間に取り囲まれてしまい、そ
        うなるともうあとの祭り。
        『まっ、いいか!職場ではちょっと気まずいけど、犯罪をスクープされた訳でもな
        し!』と気持ちを切り替えるほかなかった。

        ついでに馬鹿話をすると、大会前、妻が冗談ながらに「どうせ遅いんだったら、い
        っそ最終ランナーになって脚光を浴びたら?って実家の母にいわれた。」…とい
        ったので「そんなアホなこと考えとる奴はどうせ一杯おるやろ!」と二人で笑った
        こと記憶に新しい。

        しかしタイムリミットぎりぎりのところでゴールしたのでよくわかったが、最終ランナ
        ーになろうとタイミングを見計らっているようなアホな奴など一人もいなかった。
        皆、死ぬか生き残るのかの真剣勝負だった。

        さて、帰りの新幹線までそれほど時間にゆとりもなく、なにがなにやら分からぬ状
        態でバタバタと二人で列車に乗り込むことに。。。
        二人とも取り合えずは駅弁にがっつき、ようやく落ち着いたところで夫婦でゆっく
        り無事に終わった大会のことでも語らおうかと、ふと妻のほうをみると、妻は既に
        寝息を立ててスヤスヤと眠っていた。

        そんな妻の寝顔を横目にみながら『よく頑張ってくれたなぁ…。』と思った途端、張
        り詰めていた緊張から解き放たれ、涙が溢れでた。
                     
        ☆,。:*第一回東京マラソン 25,130/25,130位  堀内信弘 真理*:。.☆
     (大会開催日:2007年2月18日)

投稿第七十七号
        記念すべき第一回東京マラソン完走! ですが・・・

              

2007年2月24日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:堀内 真理氏

     12年前にホノルルマラソンで初めてマラソンを経験し、6時間という長時間で
     完走。楽しかったけれど、それが人生最初で最後のマラソンだと思っていまし
     た。


       夫に誘われ、3万人募集に対しかなりの競争率になるだろうと聞き、「当たる
     はずないわ」と軽く応募に賛同。それが、それが、何と夫婦で当選!
     ♪い〜ぬは喜び♪ではないけれど、夫は喜び部屋駆け回り、私はベッドで丸く
     なってしまいました。

        この12年間、ウオーキングはしてもランは全くしていないし、運動も軽くエア
     ロビクスに参加する程度。始めは当選ハガキをヤフーオークションに出品しよ
     うかと考えたが(^^;)、本人でないと出場できないよと夫に睨まれ断念、
     出場を覚悟。しかしトレーニング無しに月日だけが経っていく。

       ついに夫がしびれを切らし始め、目先の目標として加古川マラソン10`、長居
     公園での駅伝、神戸バレンタイン・ラブラン
10`に私をエントリー。それに向
     けて、私もようやくトレーニングらしきものを開始し、神戸での
10`では余力
     を残して自己タイムを更新、走ることが楽しく感じるようになってきたのでし
     た。

       結局10`以上のトレーニングをすることもなく東京マラソン当日を迎える。

       スタート時の気温は5度と寒い上に、天候はあいにくの雨。整列しているラン
     ナーもガタガタと震えが止まらない様子。でも、気分は高揚し何だかお祭り気
     分!
910分、石原知事の号砲とともに、紙吹雪が舞う中、25千人が徐々に
     出走。いよいよだ!

       大勢の報道陣のカメラや沿道の応援者の雄叫びに似た声援、それに応えるラン
     ナー達の興奮が、東京マラソンが尋常のマラソンでないことを実感させる。
     このイベントに参加できた幸運を今になって噛みしめ、この機会を作ってくれ
     た夫に感謝であった。

       新宿→神楽坂→皇居を右手に見ながら10`地点まで雨も忘れて快走。
     ここからは
12年ぶりで未知の世界に等しい。リセットのつもりでストレッチを
     する。夫は冷えからかトイレに駆け込むが既に長蛇の列。ここで
20分も費やし、
     再スタート。右手に東京タワーが見えてきたが霧でかすみ、下半分だけのお目
     見えだった。13`地点で靴の中に違和感を覚える。脱いでみると、ランナー
     ズソックスに穴が開き、親指が突き出ているではないか!しかも既に白い水ぶ
     くれが・・・。何がランナーズソックスよ!訴えてやる!と息巻きながらワセ
     リンを塗って、ソックスの位置をずらし応急処置をして再スタート。
15`付近
     の品川
を過ぎ20`の銀座辺りも気持ちよくペースを落とさず快走、銀座・和光
     前
では義姉が手を振ってくれた。もうすぐハーフだ!正直、このようなペース
     がゴールまで続くと錯覚していた。


       しかし、ハーフを過ぎてから急に太ももが張り出し足が重くなり、まるで足か
     せを掛けられたかのような感覚に陥る。
22.5`地点のエイドSTでスプレーを
     振ってもらい、軽いマッサージを受ける。すると嘘のようにまた快調に走り出
     せたので、とりあえず次の
25`地点のエイドSTまで頑張ることに。

       エイドSTごとに同じ処置を受けて走り続けようと目論んでいたら、何とスプレ
     ー切れで処置が受けられないことに。愕然としたと同時に、足が、足が・・・
     こわばって思うように走れなくなってしまった。本当に突然の変化としか思え
     ない。徐々に足が動けなくなったというのではなく、魔法にかかったかのごと
     く急に足が棒になってしまったのだ
25`過ぎからは、走りではなく早歩き。
     あれだけ短く感じた
1`が長い距離に感じるようになってきた。

       ストレッチと夫によるマッサージを受けながら28キロ付近の浅草・雷門までよ
     うやく到達。ここでお約束の記念撮影。浅草伝統の連獅子の舞がランナーを迎
     えてくれていた。気持ちは励まされるが、足の復活には繋がらない。
323`
     地点
まで早歩きの状態を続け、ここから何とか走り出す。あの信号まで、そし
     て次の信号まで、また次の信号までと自分に言い聞かせながら走り続けるも
1
       
 `ももたなかった。しかも、それがたたったのか、今度は右坐骨に痛みが走り
     出し、歩行さえ困難に感じるようになってきた。
35`付近の歌舞伎座も朦朧と
     目にしただけだった。


       沿道から同情に近い声援を受けながら、足を引き摺り、右手で坐骨神経を押さ
     えながら一歩一歩進む。今度は
100bさえ、とてつもなく長い距離に感じ始め
     る。しかも悪循環で走っていれば身体も温まるが、まさしく“牛歩”なので冷
     え切って一層神経や関節が痛む。気づけば1`に
15分もかかり始めたので、夫
     が真剣に制限時間のことを気にし始めるようになった。

       36`近く、ここで既に5時間半以上

       途中のドラッグストアでエアーサロンパスを夫が購入、スプレーしてくれたが、
     それでも痛みに耐え切れず、38`地点のエイド
STに駆け込む。今度はベッド
     で整体を施してくれた。「極楽〜♪」なんて思っていると、38.1`地点の
     第8関門閉鎖まで残り3分、収容バスの話が!
夫の顔の焦りの色が一層濃くな
     っている。本当はもっと整体を受けていたかったのだが、そそくさと靴を履き、
     お礼を述べて再スタート。さすがはエイド
ST、先ほどの坐骨の痛みが嘘のよう
     に軽減され、少し走れるようになった。が、しばらくすると電池切れかのよう
     にスローダウン。また痛みが走り出した。

                    
       後、3`、2`、既に制限時間のカウントダウンが始まっている。沿道のボラン
     ティアの方も「急げば間に合いますよ」と声をかけてくれる。急ぎたいのです
     が・・・急げない。それでも“
1` to go”の看板を見るとホッとしたと同時に
     火事場の底力?
とでも言うのか急に早歩きに、ゴール手前ではランに切り替え
     
6時間5952と残り8秒を残してのギリギリでゴールができた。
                    
       ゴールの余韻も束の間、「完走最終ランナーとしてのお気持ちは?」と気づけ
     ば驚くほどの取材陣に取り囲まれているではありませんか。「え?最後だった
     の?」知らなかった。とは言え、疲れも忘れて、最終ランナーなのにまるでト
     ップで完走したかのように得意気にインタビューに答えている夫婦であった。


       ハーフ以降の身体の異変にトレーニング不足をひしひしと痛感、フルマラソン
     の偉大さを思い知らされた。またノー天気な私ではきっとゴールできていなか
     ったでしょうが、常に励ましてくれて、マッサージを施してくれながらゴール
     に導いてくれた夫にこの場を借りて感謝を述べたいと思います。また沿道でチ
     ョコや飴、温かい飲み物を提供して応援して下さった方々、本当にありがとう
     ございました。

     (大会開催日:2007年2月18日)

投稿第七十六号
      本年初レース紀州口熊野マラソン”幻のフルの先に光を見た”!

                  

2007年2月17日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:岡本 暁氏

        これまでは、年明け初レースは2月の第一週の木津川マラソンであったが、
     今年は目先を変え紀州口熊野マラソン(2/4)へ遠征することとした。勿論、
     種目はフルマラソン。12月末の加古川マラソン以降、この日に向けてトレー
     ニングと調整を行い、手ごたえのあるなかなかの仕上がりであった。


        前泊の為2月3日の12時頃自宅を出て、急ぐ旅でもないこともあり快速と
     各停を使いたっぷりと
5時間かけて現地の民宿に入った。この間、列車の中
     では愛用のiPodで好きな音楽を聴きながら4日のレースの走り方を思い浮か
     べ気持ちを高めていた。夕食は同室の岩本さん(奈良)と他の部屋の大原
     さん(神戸)、三木さん(滋賀)、女性の松本さん、中山さんと6人でマラ
     ソン談議に花を咲かせながら、約2時間かけてゆっくりと楽しんだ。驚くこ
     とに、6人中5人がウルトラマラソンレースに出ているということで話もは
     ずみに弾んだ。食後は特にすることも無く、早めに床につき4日のレースに
     備えた。

     4日は6時半頃目覚め、外を眺めると風はややあるものの天気は良好。
     そこでますます気分も高揚。朝食を済ませ同室の岩本さんと820分頃宿を
     出発に会場に向かった。会場までは歩いて10分程度。ナンバーカードをも
     らうべく、早速受付に向かった。ここからが問題・・・。

        岩本さんは6000番台の受付へ、私は4000番台の受付へ。(同じフルにエン
     トリーしているのに何で受付が違うんかなぁーと若干の疑問を持ちながら)
     でも、いつものように、「ありがとうございます。今日はお世話になりま
     す。よろしくお願いします。」と声をかけてナンバーカードを受け取った。
     ナンーカードはフルのカードと思い込んでいるのできちっとチェックもせず、
     (ただ、岩本さんのナンバーカードは青色なのに、私のカードは橙色・・・
     何かおかしな大会やなぁーと)二人で更衣室へ向かった。


       更衣室での2人の会話
     岩本 : 「岡本さんのナンバーカードの色は自分のと違っとるですやん」
     岡本 : 「何かを区別するためかなぁー」
     岩本 : 「そうかなぁー」
     岩本 : 「岡本さん、それはやっぱりハーフのナンバーカードやでー
           そこに書いてあるやないか」

     岡本 : 「えっ!!! ほんまやぁー (どうして???????)」
     私はここでようやく自分のエントリー間違いということに気がつき愕然。
     (今までこの1ヶ月やって来たのはなんやったんや)
     これまで、高揚していた気分も一気に沈み、シュン太郎。時にフルスタート
     1
時間20分前。ここで、いつに無く入念に準備してきたフルマラソンは幻と
     消え去ったのである。(それにしても思い込みの怖さを痛切に感じた次第)


       そうこうしている内に昨夜夕食を一緒にした大原さん、三木さんも同じ更衣
     室に来た。わざわざ前泊し遠い所をここまで来たのにと思う気持ちも大きい
     が、ここで悔やんでいても何も始まらない。気持ちを取り直し、「健闘を祈
     ります」と3人をスタート地点に送り出したのが9時半頃。
     その後、間もなく完全に気持ちの切り替えを終え、また逆に、ハーフのスタ
     ートは11時なので時間が有り余ることとなったため、「どうせなら60歳以上
     の部で入賞をしたろー」とタイム設定に取り掛かった。電卓を持っているわ
     けでもないため、裏紙を使って鉛筆で何回も何回も筆算しながら目標ラップ
     の設定を行った。目標ゴールタイムを1時間30分〜35分の間とし、出来るだ
     け30分に近い所を狙うこととした。その為に、10kmまではゴールタイム1
     時間35分狙いのラップタイム(430/km、2230/5km)設定、10
     km
以降はゴールタイム1時間30分狙いのラップタイム(415/km、21
     15/5km)設定した。(時に1020分頃)


       その後20分ほどエアロビクス体操のウオーミングアップに参加し、スター
     ト20分前にスタート地点へ移動した。11時、いよいよ、いやいや、ようや
     くハーフのスタート。沿道には昔懐かしい田園風景。名物の梅は暖冬の影響
     で例年より早い3〜5分咲き。1kmのラップは428秒とほぼ予定通り。
     家々が点在している農村地帯であるが、それぞれの家からおじいちゃん、
     おばあちゃん、お父さん、お母さん、お孫さんと家族総ぐるみで応援に出て
     きていただき感謝、感激。「ありがとう」を連発しながらの激走。5km通
     過も2220秒とほぼ予定通り。その後も順調に走り、510kmは2215
     と予定通り。


        この辺りは上り坂であるが身体は軽やか、そこで予定していたギアチェンジ
     を敢行すると難なくペースアップが出来、7km辺りから併走して来た若者
     2人を一気に突き放すことが出来た。あとは前方を走っているランナーに接
     近しては追い抜くの繰り返しで、1015kmを2114秒、1520kmを20
     分44秒のラップで通過、全体としても目標通りのレースが出来た。そしてゴ
     ールタイムは1時間3115秒と13ヵ月ぶりの自己ベスト(約2分短縮)であ
     った。また、記録証をアウトプットしてもらうと、60歳以上の部で2位とい
     う嬉しい結果が待っていて、スタート前のあの落ち込みとは全く逆のルンル
     ン気分。


        そうこうしている内に表彰式となり、マラソンを始めて初めて壇上に上げて
     もらうこととなった。せっかくの機会だから記念写真をと思ったが仲間がい
     ないため頼むことも出来ず、やむなく地元の心優しそうな高校生に「私のデ
     ジカメで記念写真を撮ってくれないか」と頼んだところ、快く引き受けてく
     れた。壇上では記念写真を意識して出来る限りにこやかな表情で振る舞い、
     表彰式は無事終了。無理なお願いを聞いてくれた心優しい高校生にお礼を言
     いつつ、デジカメの写り具合を確認しないまま更衣室に戻った。


       それからしばらくして帰り支度の合間を見て、表彰式の写真の出来具合を見
     ようと思ってデジカメのスイッチを入れたところが、「ウッウッゥゥ−−−
     何も写っていないではないか!!!」 何かの操作間違いで表彰式の記念写
     真は幻となったのである。今から考えると、心優しい高校生の前で写真の写
     り具合を確認しなくてよかったなーとつくづく思っている。もし、その場で
     写っていないことが判れば、あの心優しい高校生に心苦しく思わせるだけで
     あったろうから。


        このように200724日は、幻のフルマラソンから始まり、幻の表彰式記念
     写真に終わったが、その先には大きな明るい光を見た1日であったような気
     がする。

     (大会開催日:2007年2月4日)

投稿第七十五号
        「大阪国際女子マラソン記念」市民ハーフマラソン奮戦記

                  

2007年2月8日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:野上 亨氏

        1月28日、真冬と言うのに暖かく、正にマラソン日和の中、「大阪国際
     女子マラソン記念」
市民ハーフマラソンに参加しました。
コースは女子マ
     ラソンのコースとほぼ同じ、本格的都市型ハーフマラソンです。
私にとっ
     て、途中関門の制限時間が厳しい大会で、
知り合いに乗せられてエントリ
     ーしてから後悔しながらも、今シーズンのメインレースと位置づけて準備
     し臨みました。

        それには訳があります。平成14年11月に芦屋に移り住むまでの約45
     年間、長居公園近くの実家に住み、公園周回道路は練習のホームグランド
     でしたし、女子マラソンのコースは、JR新大阪駅近くの会社から帰宅ラ
     ンのコースの一部でもありました。もちろん当時から「大阪国際女子マラ
     ソン」は冬の風物詩でした。古くは力強い走りをしていたカトリン・ドー
     レや小さいながらも速かった阿部友恵など、数々の名ランナーの走りを間
     近で見ていた私が、その同じコースを体験することになったからです。

        さて、準備は体の面と練習の面に分けて行いました。まず体の面では、昨
     年10月末に会社の産業医の先生から減量をするよう言われたのをきっか
     けに作戦開始。当時は70kg前後もの体重(ランナーにあらざる体型?)
     を如何に減量するか、脂肪の多いものを制限したり、量を減らすなど、我
     慢の日々が続きました。

        次に練習の面。幸い、このクラブに入会させていただいて、定例の練習会
     でメリハリの利いた練習に参加し、いつも遅れながらも最後まで頑張れる
     ようになれました。さらに、久しぶりに10kmレースにも参加すること
     にしました。ハーフを走りきるには、まずは10kmから、という原点に
     戻り、忘れかけていたペースの感覚を思い起こしました。

        年が変わり、体重も65kg台になった1月14日、仮想「市民ハーフ」
     として参加した「武庫川新春ロードレース」で、10年以上ぶりに「市民
     ハーフ」のゴール制限2時間を切り、上手く行けば完走も可能なところま
     できました。(1時間52分51秒)

        そして迎えた1月28日午前11時10分。関大阪市長の号砲でレース開
     始。夏の「世界陸上大阪大会」へ向けて新装なった長居スタジアムのトラ
     ックを踏みしめスタート。後方からのスタートで、1分10秒のロスタイ
     ムでした。トラック約半周のあと、慣れ親しんだ周回道路は、3000人
     のランナーで溢れ、人・人・人。なかなか前へ進めないうちに1周半して、
     長居公園南口から通称「長居公園通」と呼ばれる一般道へ出て東へ。5k
     mを過ぎ、ようやく走り易くなり、少々速い感じがしましたが、流れに身
     を任せることにして、湯里6丁目から今里筋を北上。道路の幅の広さや両
     側に建ち並ぶマンション群などを見ると気分が高揚してきます。

     
JR関西線「東部市場前」駅を過ぎるとすぐに10km表示。52分45
     秒。この5kmは、かなりペースアップ。ポイントの一つは、桃谷高校前
     の関門。12.2km地点で1時間8分。まずはクリアが確実になって一
     安心です。沿道を見る余裕も出てきて、大池橋から勝山通へ入り西進。下
     町の雰囲気が漂う街並みの沿道には、多くの観衆が旗を振ってくれていま
     す。

        ここから大阪城内に至るまでは、細かなアップダウンがあります。桃谷高
     校前、閉鎖4分前。JR環状線をくぐって勝山4丁目で右折し玉造筋を北
     上。スタート時の気温は10.1℃と発表されましたが、現在はさらに気
     温が上がっているようです。そこで給水を摂って先を目指します。
        下り坂の向こうに近鉄線の高架が見えてきました。ん?なんと、高架の先
     の下味原交差点(鶴橋駅前)は、いっぱいの人だかり!!警察官の笛が鳴
     り、一種騒然とも思える交差点を渡る気分は、ドラマの主役になったよう。
     (不謹慎?)

     
「やっぱり大阪国際って大イベントなんやぁ」と感じながら15km表示
     を通過。1時間18分28秒。もう一つのポイントは、森ノ宮駅前の関門。
     15.9km地点で1時間28分。阪神高速の高架が見えて来て森ノ宮駅
     前。閉鎖5分前にクリアして、完走が見えてきたような気が。しかし、
     これから踏ん張りどころ。鶴橋駅前同様、人でごったがえす森ノ宮駅前に
     驚きながら、左折して馬場町方面へ抜ける道路は、折り返しまでの約60
     0mのうちの大半が上り坂。左側の沿道からは子供の声援が聞こえ、それ
     が元気となって一歩一歩頑張ってようやく折り返し。気分を変えて下り、
     いよいよ大阪城内へ。

     
左手に見える大阪城に向かって上り、そして梅林横を下り、最終関門が残
     り3km。お堀端を走っているうちに、右足ふくらはぎに痛みが。無理し
     ていたのか、足に負担だったのかもしれません。京橋口から外堀沿いに東
     へ。正面にOBPの高層ビル、大阪城ホールが見えて、残り2km。昨年
     から準備して、そして長居からここまで頑張ってきた甲斐がありました。
     20km表示を通過して、森ノ宮口の噴水を周回すれば、残りはわずか。

        最後までなんとか走りきってゴール。1時間52分23秒。大阪市内の真
     ん中で交通規制された幹線道路を走らせてもらい、想像以上の観衆に元気
     をもらって気分は最高でしたし、幸せでした。人生の大半を過ごした我が
     長居から、エリートランナーが集うコースを辿って目指したゴールは、ハ
     ーフとはいえ新鮮な感動を与えてくれました。また一つ、印象に残った大
     会のページが増えた1日でした。
        そして最後に、クラブの皆さんにも練習の面でお世話になり、ありがとう
     ございました。これからも、よろしくお願いいたします。

     (大会開催日:2007年1月28日)

投稿第七十四号
         ホームタウン神戸芦屋 2月前半号芦屋浜アスリートクラブ!

                 

2007年2月4日
J-COM神戸・芦屋
東 真由美氏

          いよいよ2月!毎年新しい年がスタートする度、月の経つ早さを実感します。
         暖冬から一変、真冬の寒さが戻ってきました。冷たい風が吹くこの季節、つい
         ついお休みの日は、お家でゆっくり・・・。という方もいらっしゃるのではないでし
         ょうか?私も完璧な!?インドア派になってしまいます!が!!今回のロケで
         すっかり!?アウトドア派に変貌しました!

         今月、前半ご紹介するのは、芦屋浜アスリートクラブの皆様です。こよなく愛す
         るスポーツを仲間同士で楽んでいらっしゃいます!
私も皆様と共にランニング
         に参加しました! 気合いは十分でしたが、日頃のインドア派を発揮してしまい、
         皆さんの速さについていけなかった事をご報告します。

         日頃、体の為に何かスポーツをしなきゃ!と思いながらズルズルと月日が経っ
         てしまいましたが、体を動かす楽しさを実感しました。不思議ですね!気持ちが
         爽やかになってきて、一日やるぞ〜という気合いが沸いてくるんです!芦屋浜
         アスリートクラブの皆様、素敵なキラキラ笑顔と共に撮影にご協力頂き本当に
         有難うございました。

         大会に挑戦されている方、ご夫婦で参加されている方。様々な方々が参加され
         ていましたが、共通しているのは、年令を感じさせないはつらつとした表情!!
         こちらまで凛としたパワーを頂きました。純粋に楽しむ事が一番の目的!だか
         ら会費・会則をあえて設けていないそうです。クラブの皆様の素敵なコメントは、
         ぜひ、番組で御覧くださいね!

         日々の体の為に出来る事、楽しみながら体を動かす習慣を生涯大切にしたい!
         今回の取材以来、私らしくウォーキングから始めています!これからもアスリー
         トの皆様の活躍を番組でご紹介していければと思っています!地域密着!今後
         のホームタウン神戸芦屋もどうぞお楽しみに!!
         ホームタウン神戸芦屋は、J:COM 9CH で2/1〜15絶賛放送中です!
         http://blog.zaq.ne.jp/jcom9/category/25/
         月〜金曜日  9:00〜 14:00〜 23:00〜
         土 ・日曜日  9:00〜 15:00〜 23:00〜
     (テレビ取材日:2007年1月20日)
投稿第七十三号
             今年で2回目の出場となった大阪実業団駅伝!

                

2007年1月27日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:本地 敏行氏

         今年で2回目の出場となった大阪実業団駅伝。今回この大会に参加するまでの
         経緯を説明すると 昨年はこの大会と4月半ばに走った駅伝のみで大会参加
         経験はなし。この大会は私にとって 半年ぶり以上の大会参加となる。また、
         ここ最近月間走行距離が50kmから100km程度のため、走力には自信がな
         い。このような状況での大会参加となった。

         朝は、7時15分に起床。前日 インターネットで電車の時刻を確認していたた
         め、ゆっくりと準備をする。電車はJR東海道線から環状線を乗り継ぎ、JR長
         居駅まで行く予定だったが、いろいろとあり朝 家を出る時間が遅くなった結
         果、最短時間コースの大阪市営地下鉄を利用せざるを得なくなった。こちらで
         いくと大阪環状線を利用するよりも20分程度短縮ができる。

         時間がないため 自宅から駅まで自転車で飛ばしていくが、ほほを切る風(空
         気の壁)はとても冷たく、手が予想以上にかじかむ。駅の構内は休日のため乗
         客はほとんどなくガラガラだ。電車には偶然にも待つことなく、すぐに乗り込むこ
         とができた。平日と休日では乗車人数が断然ちがう。JRが休日の客を稼ぐた
         めに 休日専用のキップを売り出すことにも納得できる。大阪駅から地下鉄御
         堂筋線に乗り込み、長居に着いた。

         長居駅には約9時20分に到着することができた。公園内は朝早いにも関わら
         ず、スポーツに時間を費やす人がとても多く感じる。見ているといろいろなファ
         ッションでさまざまなスポーツを楽しんでいる人がいて 見ているだけで楽しく感
         じた。ただのジョグにしても走っている人の数だけ個性が出ていると思う。
         ただ今日は大阪実業団駅伝の開催のため 日ごろの休日よりもランナーの数
         は多いのだろう。私は所用を済ませ、長居第二陸上競技場へ向かった。陸上
         競技場にはすぐに着いた為、集合時間までの 時間つぶしのため 近くのライ
         フに立ち寄り、ドリンクとパンを購入してから 再度競技場へ向った。

         昨年は メンバーが陣を張っているところを 探すことにとても苦労したことを覚
         えている。今年は 前回の陣を張っていたところを参考にしたため メンバーが
         陣を張っている場所を 昨年よりも容易に見つけることができた。メンバーに会
         い、新年の挨拶等を交わし、会場を見回し また、プログラム等を見て確認した。
         私が参加するチームは今回初参加のため(出場枠を増やす為)、昼過ぎのス
         タートとなる(第6部での参加となる)。朝の集合時間が10時で 私の参加する
         チームは13時50分スタート。私の予想出走時間は15時。スタート時間までま
         だ5時間くらいある。今日の会場の気温はとても寒く、時折、雪のようなものが
         舞っていることを確認できるくらいだ。いてつく寒さの中、ただ時間が過ぎるのを
         まっているように感じる。そうそう、本当は私自身の出走時間を13時50分だと
         ずっと勘違いをしていた。理由は、今年も第2組で走ると思っていたためだ。
         しかし本当の出走時間が その2時間後ということを知り、少し呆然となった。
         体は寒さのため凍えている。どうしよう?不安ばかりが募る。余りの寒さに耐え
         かね、歩けば少しは体も温まるだろうそう思い、少しウォーキングをすることにし
         た。軽く1km程度歩き、わずかに温まった体を武器にまた寒いメインスタンドへ
         座りこみ 寒さに戦いを挑む。今回、駅伝と同じくらい寒さに耐えることがつらく
         感じた。

         今回の私が走るチームの目標は第6部から第2組に昇進することだ。さらに入
         賞も狙いたい。第2組に上がるためには組順位で 6位までに入ることが条件
         だ。ただし、6位外でも記録さえ良ければ、上の組に昇進することができる。
         よって 記録次第では 2階級や3階級の昇進も可能らしい。また聞くところによ
         ると 隠れたルールでは 最下位の組(6部)以外で その組内であまりに遅い
         と 一つ下の組への降格もあるらしい。この大阪実業団駅伝には色々と裏のル
         ールがあることに驚いた。

         メインスタンドで 亀のように丸くなり、なるべく熱を体の外へ逃がさないようにす
         るため工夫をしようとする。たまに見え隠れする太陽が雲から顔を出すと小春
         日和と思えるくらいに温かい。私の左後ろでは警察関係の応援団が気合の入
         った応援をしている。寒い。寒い。ただ寒いの一言しか考えられない状況でした。
         3度程度だろうか、あまりの寒さのため近くの公園内を散歩する。近くのファー
         ストフードへ駆け込みたいという気持ちを何度も押さえ、競技場 メインスタンド
         で走っている他チームの選手をみていた。

         1組目のゴールを見届け、2組目(3部4部)のスタートが始まる。所属チームの
         メンバーがこの部に4組参加しているというが、コンタクトレンズをつけていない
         私にとっては、スタート地点に並んでいる人を識別できる能力はなく、誰が誰な
         のか全くわからない。走り方や着ている服の色がぼんやりと見える程度。誰が
         どこを走っているのか分からないが、とりあえず、「あれ」と隣の人に教えてもら
         うと、その人の応援をする。この3組、4組のスタート時間になると それまでガ
         ラガラだったメインスタンドの席は人で埋め尽くされてきたように感じる。恐らく、
         朝の部、今走っているチームの人たち、それと14時スタートの部の全部門の選
         手が競技場に集っているためだろう。1組目も2組目も観戦していて感じたが、
         トップが独走のため、1位がほぼ決定。見ている側にとっては面白みのない展
         開でした。(参加選手の方々にはすみません。) 私個人的には競り合い等が
         好きだからです。その後 見ているとゴールされる選手達がトラックに入ってか
         らゴールのテープを切るまでの100mを競り合う光景が多く見られた。知らない
         人同士 ただ意地の張り合いだが 一つのゴールをめざし、競り合う光景は見
         ていても気持ちよく感じた。メンバーの人とその光景をみながら 私は 自分だ
         ったらラストは50m程度手前からでないとスパートはできない。そう伝え、彼ら
         のラストスパートの距離の長さにとても驚きながら観戦していた。

         自分の部門のスタート時間に近くなると 私は下はジーパン 上はジャンパー
         姿で亀のように丸くなっていた服装を、上下ウインドブレーカーに着替え、アッ
         プの準備をした。アップはコース上(長居運動公園内の外周)を2周。1周目は
         キロあたり9分くらいをかけ、ゆっくりと走った。理由は、この大会に参加するま
         での数ヶ月間は月間走行距離がだいたい80km程度のため、練習不足状態。
         アップだけで疲れないため、必要な時間と距離をアップするため、できるだけゆ
         っくりのアップを行い、体を芯から温めることを考えた。2周目も同じくらいのペ
         ースで走り、終りの1km程度をキロあたりギリギリ4分台程度で走って 体を慣
         らした。アップ途中、同じチームの人とすれ違うことが確認できたときは、応援を
         行い、応援をすることにより自分の気持ちを引き締めていく。久しぶり(4月以降
         大会には参加していない。)のため、少し緊張する。たった3.3kmというのに 
         緊張をしている。以前の私なら3.3kmという短い距離は物足りなく感じただろう。
         しかし、今はちょどいい距離だ。

         私がアップを終了したころには、3区と4区の人のタスキ受け渡しだった。本当
         は、時間的に4区と5区とのタスキの受け渡しを想定していたが、メンバーの人
         にそのことを教えてもらい、体を冷やさないために 下の温室(室内練習場兼
         着替え場所)へいった。観客席は吹きさらしのため、とても寒いが、ここは暖房
         をかけてくれているため、何もせず じっとしていても温かい。私はとりあえず、
         自分の残された時間を把握するため、メンバーの4区と5区とのタスキのリレー
         を温室内から確認。自分の予想スタート時間を今から12分後と設定し、それま
         での限られた時間を計算しながら 何をするわけでもなく過ごしていた。私がじ
         っとしていると4区を走られた会長が私にエールを送ってくれた。私もお疲れさ
         まと声をかけ、少し会話をした。

         予想出走時間まで残り4分を切った。室内で十分に温まった体で競技場内へ
         でた。外は午前よりも少し暖かく感じる。軽く200m程度ジョグを行い、屈伸等
         を行いながら 自分のチームが陣を取っている場所を確認。次にその視線の
         先を400mトラックの先へ向ける。5区を走っている人を確認するが、まだ来な
         い。予想出走時間まで1分をきった。もう見えてくるだろう。トラックを見ていると
         予想どうり5走のメンバーを確認をすることができた。私は補助員の人から自分
         のチームの番号を呼ばれたので、コース(トラック内)へとでた。5走のメンバー
         は最後のコーナーを曲がって 幾分走るペースが上がっていた。ラストスパー
         トを見届け、無事私はタスキを受けることができた。タスキは汗でぬれておらず
         、乾いていたことに驚いた。

         スタート直後、今日はどういった走りを行うべきだろうかを考えた。とりあえず、
         練習不足で大会のスタートを行った場合、一番考えられる可能性としては ス
         タート直後 足があまりに軽く感じるため、ペースが上がりすぎることだと思う。
         それを注意するため、タスキを自分にかけた後、自分をリラックスさせるため、
         両腕の力を抜くことにした。ちょっと遅いのでは? それくらいに感じるペースで
         入ることを頭で描く。(結果からすると 始めの入りのペースは それでも速かっ
         たようでした。)次に足のストライドは小刻みに。練習不足のためストライドを大
         きくとると すぐに足に疲れがでるだろう。そういう理由からこのような考えが浮
         かんだ。このプランで今日の走り方が決まり、景色を見ながら余裕の気持ちで
         走っていたが、1km程度走ったころには、息が上がっていた。足には余裕があ
         るが息が持たない。過呼吸になる人はこんな状況の人だろうか。とりあえず足
         は動くので前を目指す。

         前には多くの人が走っているのを確認できた。アンカーのゼッケンは青色。よっ
         て青色のゼッケンを抜かすことにより、チームの順位が一つずつ上がる。初め
         の1kmでは男性と女性の2人くらい抜かしたと思うが、その後 なかなか青色
         のゼッケンが見えてこない。目線の先には 青色のゼッケンがたくさん見える
         のだが、どんどん近づいてくるくと青色だったゼッケンがどんどん白色に見えて
         くる。私は色盲になったのだろうか?そう思えるくらい不思議に感じた。自分の
         走っている場所(距離)は分からず、ただ公園内の雑木林の道を走っている。
         前の選手に追いついているということはペースが落ちていないということだろう。

         余談だが あまりに呼吸が激しいと人は舌をだすのだろうか?どうしてこのよう
         なことを書くのかを説明すると、後にわかったことだが、足の次に筋肉痛になっ
         た場所が舌だったからだ。私は舌をだしながら もしくは舌を口の中で巻きな
         がら走っていたと思う。

         呼吸がとても荒い。肺が痛いのか心臓が痛いのか分からないが胸がとても痛
         いが、足が動くので前を目指す。半分くらいが過ぎ、長居第一陸上競技場が見
         えたころには足も重くなり動きも悪くなっていた。しかし私はこの第一陸上競技
         場が見えることを距離(ラスト1km地点)の目印に頑張っていたので、気持ち
         的には少し楽になった。また、前に青色のゼッケンをつけた男性と女性のラン
         ナーを確認できたので、苦しいながらも一つの目標ができた。追いつくペース
         は初めのころよりも遅くなっていたが、確実に彼らに近づいている。第二競技
         場に入る前には2人を越すことができ、そのまま競技場へ入ることができた。
         競技場内では私の前を走る選手が100mくらい先だったため、このまま順位
         が変らないのならペースを落としてもいいのではないだろうか。という甘えの気
         持ちになったが、どうでもいいが もう一人抜かそうという気持ちも捨てきれず、
         やっぱり最後まで走り抜こう。そう思い、実際は少しペースが落ちながらも競技
         場の300m強を納得できる走りをした。ラストスパートの力はほとんどなかった
         ため、ゴール手前の50mだけだったが、全体的に自分なりに満足できる走り
         となった。

         終わった後は 息が苦しいという気持ちもあったが、心臓(?)肺が痛いという
         気持ちが強く、少しの間 くの字になり トラック内に居た。その後ランナーの切
         れ目を見つけ、トラックから室内練習場へと入り メインスタンドへ戻った。スタ
         ンドへ戻るとメンバー人が迎えてくれた。時間も昼下がりのため、次の行事が
         迫っているということで スタンドで記念写真を撮り 私は急いで着がえること
         になった。

         帰りは大阪市営地下鉄を利用し、大阪のお初天神にある「ゆかり」というお好
         み焼き屋へ行くことになった。この場所で2次会を行うことは恒例のようで、大
         阪実業団駅伝の後はお好み焼きパーティーというくらいだ。大阪駅に着くと、
         週末の市街地なので、人がとても多い。人の波を上手く分けながら、お初天神
         の通りへと入っていった。私達が「ゆかり」に到着したのは、だいたい夕食前の
         ため、店内にはあまり人がいない。1階席はある程度人がいたので、私達は2
         階席へと招かれた。2階席は私達以外に2カップルだけという寂しい感じだった。
         その中 本日の大会の第2部が始まった。
         (大会開催日:2007年1月14日)
投稿第七十二号
                  ハイチ援助/ランニング貯金

                               

2007年1月10日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:小林 留美子氏

     “ムネムネの貧困なる精神4”の投稿で紹介させてもらいましたクリスト・
      ロア修道女会「ハイチ援助会」へ、今年もランニング貯金を送りました。
         折り返しハイチで活動するシスターから、ハイチでの活動を知らせる礼状
      が届きました。

         ハイチといってもご存じない方もおられるでしょう。カリブ海にある島国
      で黒人国家です。フランスの植民地から独立・独裁政権・アメリカの侵攻
      など複雑な政治情勢の、現在は共和国を目指す国です。
      (「ハイチ目覚めたカリブの黒人共和国」佐藤文則著、凱風社。写真家が
      現地のスラムで住民と生活しながら書いたルポ。ハイチのことを知るのに
      お勧めの本です)

         そんな中でシスターたちは竹の植林をして竹酢をとり、土地の改善と食料
      増産を図ろうという活動を始めたりしています。

         なんの関係も無い遠い島国での話しですが、もし私のささやかなランニン
      グ貯金に興味を持って一人でも賛同してくださり、小さな輪が広まればい
      いと思います。

         長年一人で続けてきた行動ですが、たまたまAACのホームページ上で「ハ
      イチ援助会」のことボランティアのことを紹介する機会がありましたので、
      声をかけてみようと思い立ちました。

         直接クリスト・ロア宣教修道女会の「ハイチ援助会」に寄付金を送ってい
      ただいてもいいですし、私を窓口としてくださっても結構です。
      ご協力の程よろしくお願いいたします。
             
       〒202−0015  東京都西東京市保谷町4丁目10番26号
                  クリスト・ロア宣教修道女会 ハイチ援助会
                  郵便振替口座  00120-4-29007

投稿第七十一号
                     二 度 と 走 る も ん か !

                       

2007年1月2日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:花谷 陽子氏

         『二度と走るもんか・・・』と岩石のように心を固めゴールしたのは、約10年前。
         忘れもしない、いぶすき菜の花マラソンでのことでした。当時、学生だった私は
         友人3人と勢いだけでフルマラソンに参加。前夜は、温泉につかり、節約のた
         めハイエースに車中泊で旅気分も満喫。しかし、大会当日は、予報どおりの雨。
         何せ寒くテンションも下がりっぱなし。

         スタート直後から、沿道は冷えきった男性ランナーの立位トイレと化し、その
         光景に驚愕しながらも、ただただ寒く、『自分は何やってるんだろう・・・』という
         思いにかられながら、冬空の雨の中、ひたすら上っては下り、下っては上りを
         数時間繰り返していたのでした。

         さて、やっとの思いでゴールした私は、心底、ホッとしたのを覚えています。あの
         安堵感と言ったら・・・そして、あんなに決心したにも関わらず、また走りたくなり、
         3年前から、ボチボチではありますが、時間を見つけて走ってます。

         ただ、何の因果か天候に恵まれたのは、今回の宝塚ハーフマラソンが初めて。
         天気が良いと気分も全然違いますね。その後のAACの方たちとの打ち上げも
         初参加でしたが、趣味を共にするだけに楽しいひとときでした。マイペースでは
         ありますが、これからもマラソンを楽しんでいきたいと思います。 ・・・なんて、
         真剣に考えてる自分がいるなんて、10年前のあの日には全く想像できなかっ
         たことで、不思議なものですね、ほんと。終わり!
      (大会開催日:2006年12月23日)
        
投稿第七十号
            大きく変化した2006年のランニング
          宝塚シティーマラソンで締めくくる!

                             

2007年1月1日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:正圓 光男氏

         2000年から本格的にいろいろな大会に参加し、それなりの結果を出して来た
         小生にとって、(自慢は初参加から全て大会で完走の実績を残す)6月よりAAC
         にメンバーの西川氏のご紹介で入会させて頂き、強烈な刺激を受ける事になり
         ました。
         宗政会長を始め、芦屋浜で普段練習し、走る事が大好きな方々が週1回の練
         習会に集い、それぞれのジャンル(トライアスロン・ウルトラマラソン・フルマラソ
         ン)に目標を置かれ共に大会に参加され絆を強めて行く、素晴しいクラブであり
         ました。
         当然クラブの方達のモチベーションは高く、小生にとって全てが”目から鱗”でし
         た。強制的な指導・制約は一切無く、仲間と集う練習会は楽しくもあり、スキル
         アップの為に週末の練習会に豊中から進んで参加する様になりました。

         刺激を受けた小生は会社から帰宅後の練習量も増やして行き、11月5日の”
         丹波・もみじの里”ハーフでは1時間40分40秒、11月19日の”びわ湖男女駅伝”
         では8.7kmを38分27秒、11月23日の”福知山マラソン”では3時間43分28秒で
         完走しこの時期、練習の成果として加齢にも拘らずタイムがどんどん伸びて行
         く事に驚きを覚えながらも、今までの記録(*ハーフ・1時間45分11秒, *フル・3
         時間55分16秒)を大幅にクリアー出来る迄に成っていました。

         2006年を締めくくる”第二回宝塚ハーフマラソン”はこの時期には珍しく温和な
         気候に恵まれた。昨年の第一回大会は前日の大雪とコースに残った残雪の中
         を走ったとの思い出が交錯する中、中川副会長、山崎氏の2人と宝塚歌劇場の
         前のスタートラインに着く。
         ***本年最後を締めくくる本大会の目標(1時間40分を切る)を心に***
         午前10時15分気持ちの高ぶりと思いを秘めてスタート。足も順調に動き身体も
         思いのほか軽くスタートから飛ばす。1km過ぎで中川副会長は軽やかな足取り
         で、”お先に”の声を残して追い抜かれ、付いて行きたい気力はあるが実力の
         差は歴然。−−− 身の程知らずを痛感−−−

         気持ちを切り替え手袋に記した1時間40分切りのラップタイム(5kmごと)を考え
         ながら走る。2km過ぎで後を走っていると思っていた、山崎氏の後姿を前に見る。
         (km)毎のラップタイムも目標をクリアーしていたが、出来るだけ前半でタイムを
         稼ごうと追いかける気持ちとは裏腹に追いかけても追いかけても差は広がるば
         かり。4kmを過ぎた所で”正圓さーん”と、なんと思いもがけないAACメンバーの”
         丸岡さんの奥様”に応援して頂く。声援に送られその後5kmを22分46秒で通過し、
         何時も河川敷コースで悩まされる”風”を友達にしながら、10kmも46分16秒と47
         分の目標タイムをクリアー。

         11km過ぎと思うが、折り返されて来た怪物宗政会長の力強い走りを右に見て”
         頑張らねば”と。またもや14kmあたりで”正圓さーん”丸岡さんとハイタッチ。13
         km過ぎから若干足が重くなり始め、厳しい状況の中で勇気付けられる。15kmラ
         ップタイムも30秒程クリアー(行ける)、今までの走りを無駄にしないようスキル
         アップを図る。”キロ表示”もゴールまでの表示に切り替わり気持ちも時間との
         戦い。

         ラスト2km−−−タイムを見れば39分を切れるペース。しかし直線コースは思い
         のほかきつくペースが伸びない。ここで無理をして痙攣でも起こせば今迄が全
         て無になると心の中で葛藤。ラスト1km−−−目標通りに”40分切り”に気持ち
         を切り換えラストラン。ゴールが見えて目標達成の喜びがこみ上げてくる。
         ”ゴール”  1時間39分32秒

         今大会はいろいろな面で小生の数ある参戦した大会の中でも思い出に残る深
         い大会になり2006年のランニングを締めくくる事が出来た。
         《AACの皆さん本当に有難うございました》
         2007年に向かって『走ることを楽しむ人生が待っている”58歳”、加齢とも
        に記録は大きく伸びないだろうが足元をしっかり見つめながら、”早く走る”
        ことよりも”強く走る”ことを目指して

      (大会開催日:2006年12月23日)