投稿第一一一号
           11月 3度のマラソン参戦記!
         

2007年12月9日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:鎌苅 滝生

      《11月4日:あいの土山マラソン》
     10月中旬頃から腰に違和感があり、1週間前の「和歌浦ベイマラソンwithジャズ」では
     腰の痛みで最後の下り坂を歩くような速度で降りたこともあり、大きな不安を抱えながら
     のスタートであった。「ジャズマラソン」の後、針治療とマッサージで腰に痛みは出てい
     ないが、腰痛は10数年前からの持病で、最初の5
Kmは自重して様子見を心掛けてスター
     ト。この大会は初参加であるが、大会パンフレットによると高低差は約120mで、終始
     アップダウンがあるようで少し心配だが、元々フラットなコースよりもアップダウンのあ
     る変化に富んだコースの方が好きなので、久し振りの3時間30分切を目標に設定。この
     大会は、1歳刻みランキングの対象レースでもあり、頑張らねばと、前日は9時には床に
     着き睡眠十分、体調も万全。スタート時の気温も
12℃、風もほとんどなく「花粉」の影響
     もなさそうである。


     参加人数も800人程度で、スタート時のタイムロスもほとんどなし。スタートしてすぐ
     に下りとなるが、ゆっくり降りる。5
Km通過タイムは26分8秒。腰に異常もなく、やや
     スピードアップ。10
Kmまでは全体的に上りコースだが、快調に走れている。10Km
     過は50分31秒。この5
Kmは24分23秒。キロ5分を切る速度だ。10キロ過ぎから
     19キロまでは下りになるはずなので、もう少し貯金ができるはず。
15Km通過は1時間
     13分57秒。この5
Kmは23分26秒。調子は良い。19Kmから20Kmまでは、この
     コースで最も急な上りだが、この坂も快調。


     20Km通過が1時間37分46秒。この5Kmは23分49秒。20Kmを過ぎて約1Km
     はさっきとは逆に、最も急な下り。スピードに乗り過ぎないようにややセーブして、坂を
     降り、中間点を1時間42分31秒で通過。1週間前のジャズマラソンのゴールタイムが
     1時間49分なので6分以上も早い。残り半分を1時間47分で走破できれば、3時間3
     0分は切れる。調子も上々、29
Km位までは緩やかに下るはずなので、もう少し時間を
     稼げれば、30
Km以降の落ち込みもカバーできるはず。

     その後も体調は良く、腰も大丈夫、全く異常なし。25Km:2時間1分3秒、30Km
     2時間24秒39秒で通過。各々の5
Kmのスプリットは、23分17秒、23分36秒。
     30
Km位から上りになり、35Km通過は2時間48分3秒。この5Kmは24分24秒。
     やや落ちたが、キロ5分ペースであれば35
Kmは2時間55分なので7分近くのポケット
     があることになる。


        30Km過ぎから併走していた同年輩の男性から声を掛けられる。ご本人はこのコースで、
     去年は3時間25分少しでゴール。今年は25分を切りたいとのこと。「この先もう少し
     で下りになるのでタイムが稼げますよ。その後は大きな上りもないので3時間22〜23
     分で行けますよ。」と言いつつ、明らかにややスピードアップ。私も、『7年前の自己記
     録の更新は無理にしても、それに近いタイムでゴールは可能、59歳での1歳刻みランキ
     ングの100以内も間違いなし』と確信し、その方について行くべくスピードアップ。と
     ころがスピードをあげて20〜30m走った地点で、突然左腰に「電流」が走り、思わず
     「うっ」と声をあげ、立ち止まる。その後、あまりの痛さに膝に手をあてしゃがみこんだ
     が、顔をあげ前方右を見ると37
Kmの表示が目に入る。時計を見ると、2時間58分であ
     る。


     ゆっくり立ち上がり、ストレッチをするが、前に曲げると異常に痛い。残り5Km少し。
     キロ6分かかっても3時間30分と思い、走ろうとしたが無理。尋常ではない痛みで、全
     く走れそうにない。仕方なくとぼとぼ歩き始めるが、100〜200m歩いては立ち止ま
     り、腰を伸ばすの繰り返し。まさに「亀」の歩みほどの状態。あとからくるランナーに次
     から次と抜かれる。39
Km過ぎに最後のエイドステーションがあり、時計を見ると3時間
     30分を回っている。この約2
Kmをなんと30分以上かかっていることになる。汗は完全
     に引き、身体も冷えて来た。あまり飲む気にもなれず、水を少しだけ口に含むだけ。道端
     に腰を下ろして少し休憩しながら、『あと3
Kmか、長いなあ』と思いつつ、『体調が良か
     ったので無理をし過ぎたのかな。やっぱり腰は良くなっていなかったんだ。』と反省。


     後は「亀」の歩みで、ゴール。タイムは4時間22分50秒。残り5Km少しが、なんと1
     時間25分ほど掛かったことになる。順位は307位。歩いてゴールへ向かう間、ものす
     ごい数の人たちに抜かれたのでもっと順位は悪いと思っていたのだが・・・。ゴールして
     から、気候も良好、体調も良く絶好調だったのにと、無念・残念の思いがこみ上げる。


       《11月18日:チャレンジ九頭龍フルマラソン》
     福井県で唯一のフルマラソンであるこの大会も初参加のレースである。ほとんど高低差が
     なく、フラットなコースなので腰への負担は小さいはず。前回の「土山」から中2週間で、
     腰の痛みはほとんど消えている。針とマッサージの効果?


     以前、吉見憲司さん(武庫川RC及びAACの会員)に「60歳でフルを4時間で走れば、
     上出来ですよ。それでも早い方なのだから。」と言われたことがあるが、2週間前の「土
     山」のこともあり、4時間を目標に設定。5
Km28分、キロ5分30〜40秒であれば4
     時間で走れるはずだ。レース当日は、日本海を低気圧が通過とのことで、朝から雷を伴う
     激しい風雨。天気予報は1日中雨で、最高気温は
10℃程度とのこと。体感温度はもっと低
     く、
5℃位?かな。

     スタートの少し前から冷たい雨が更に激しくなる。トイレに行きたいが、仮設トイレが少
     なく、待っている人が雨の中列をなしている。待っている間にびしょ濡れになるのは必至
     なので、トイレは諦め、プレハブの更衣室でスタートまで待機。更衣室の位置は、スター
     トゲートから150mほど後方にあり、スタートの号砲とともに、最後尾からゆっくり走
     り出す。
1周2Kmほどの公園を2周して、河川敷のコースに出るのだが、1周したところ
     で早くも5〜6人が棄権した。激しい風雨でスタート直後からずぶ濡れで、身体が冷たい。
     靴は水を吸って重いし、手袋もビショビショで指先は冷たく、全く手袋の意味をなさない。
     雨のレースは何度か経験あるが、これほど激しく、寒いのは初めてである。


     Kmで最初のエイドステーション(この大会では「茶屋」と呼んでいる)はパス。ほとん
     どの人は水分の補給はしないが、この寒さでは当然か。コース横のトイレに向かうが、既
     に3人待ち。溜まったものを放出、すっきりして走り出すが、手足が冷たい。5km通過
     は、28分54秒、以降10
Kmまで28分19秒、15Kmまで28分37秒、20Km
     まで28分41秒で20
Km通過が1時間54分31秒、中間点通過が2時間0分56秒。
     少し遅いかな。これでは4時間を越えそう。


     その後も風雨はおさまることはなく、それどころか35Km付近で「あられ」混じりの雨に
     なり、手足の指先は、冷たくて感覚がなくなっているほど。残り2kmの地点で時計を見
     ると、3時間48分7秒。このままのペースだと
4時間を切れないと思い、スピードアップ。
     ゴールタイムは3時間58分00秒。順位は164位。残りの2
Kmだけはキロ5分で走っ
     たことになる。ゴール後は指先がかじかんで、靴の紐がほどけない。係員に靴紐をほどい
     てもらい、チップを取ってもらう。最悪のコンディションではあったが、無理をしなかっ
     たのが良かったのか、腰の痛みは出なかったが、ゴール後若干の違和感というのか、いつ
     もと違う疲労感が腰にあるようだ。


    《11月23日:福知山マラソン》
     九頭竜マラソンから5日後、中4日のマラソンになる。前日マッサージに行ったが、少し
     腰に違和感が残っている。明らかに「九頭竜」の時よりは状態は良くない。走るか否か迷
     ったが、生来の貧乏性か、せっかくエントリーしているのだからと、出場することにした。
     前回同様4時間を目標に、特に最初はゆっくり入ることを念頭にスタート。


     しかし、いつものように出場者が多く、スタート直後の下りでは、周りに引っ張られてち
     ょっと早すぎる「入り」であることは自覚できるが、中々抑えることができない。5
Km
     通過がネットで26分32秒。28分位でと思っていたので、早すぎる。橋を渡って7
Km
       
 からの下りにかかり、また周りの人のスピードが上がる。自重せねばと思うが、ついつい
     自分もスピードアップしていることが、良くわかる。1
Kmほど経過して、左腰に痛みが走
     った。「しまった」と思うが、もうあとの祭り。不安がよぎる。


     折り返しが近づくにつれ、AACの人たちとすれ違うようになって来たが、皆さん調子が良
     さそう。腰の痛みが徐々に増して来て、どこで止めようかと思いつつ、なんとなく走り続
     ける。26
Km地点でバスに乗ろうかなと思ったが、やっぱり走り続けている。29Km
     近で腰の痛みが更に増して来る。「土山」の時ほどの痛みではないが、『これはヤバイ』、
     『26
Kmにいたバスに乗るべきだった』と反省。結局、30Kmのエイドステーションに
     止まっていたバスに乗り込んだ。

     バスに乗って暫くして時計を見ると、スタートしてから2時間40分ちょっと。30
Km
     では5
Kmのスプリットで26分30秒位で走っていたのかと確認、腰の状態を考えるとや
     はり無理のし過ぎは明らかと、再度反省。バスに乗り込み、出発するまで2時間近く待っ
     ていたが、
AACの人たちはもう既にゴールしているのだろうなと、惨めな思い。AACの方
     の多くが自己記録を更新されている中、途中棄権という結果に終わってしまい残念である
     が、それよりも年甲斐もなく己をコントロールできなかった自分が情けなくなる。


     そもそも1ヶ月に3つのフルにエントリーすること自体が、59歳とういう年齢や腰痛持
     ちという自分の身体の状況から判断して間違っていたのであろう。また、11月は出張や
     労働組合との冬の賞与の団体交渉やらで例月に比べ忙しく、知らず知らずの内に肉体的・
     精神的にも疲労が溜まっていたのかも知れない。殊に腰の状態を考えれば、もっと「ゆっ
     くり、のんびり」で行くべきで、4時間どころか、制限時間いっぱいを使って走るべきで
     あったのかもしれない。(翌日、膝が悪く走れるかどうか心配されていた吉見憲司さんに
     お会いしたが、ちゃんと制限時間内で完走したことをお聞きした。)


     今は、3時間30分も1歳刻みランキングも全く考えず、自分の身体の状況を踏まえて無
     理をしない。それが11月を終えての私の猛反省です。12月は23日の「加古川フル」
     にエントリーしているが、現時点では走るかどうかは未定。走るとしても、「ゆっくり、
     のんびり」たっぷり時間を掛けるつもりです。どうか皆様、私の轍を踏まないよう、身体
     に故障がある時は、無理をなさらないで下さい。途中棄権という極めて惨めで寂しい思い
     をするのは、「バカ」な私一人で十分でしょう
!


投稿第一一〇号
        フルマラソンの厳しさと自分の実力を知る!
         

2007年12月4日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:藤井 政徳

        はじめまして。今年の4月よりチームメンバーに加えて頂きました藤井と申します。
        この度、初マラソンとして福知山マラソンに挑戦しましたので報告させて頂きます。
        去る1123日、微風晴天の絶好のコンディションのなか、ほぼベストの体調で
        臨んだ私の初マラソンのゴールタイムは3時間2537秒でした。

        インフルエンザのため棄権した今年3月の篠山マラソンからお預けになっていた
        こともあり、満を持して挑んだ初マラソンでしたが、レースは想像を絶する苦しい
        ものでした。完走したというより、何とかゴールまで辿り着いたというのが率直な
        感想で、ゴール直後は満足感も湧かないほど疲労困憊でした。

        レースを振り返ると、序盤は順調そのものでした。苦手なスタート直後のペース
        配分が最大の課題でしたが、スタート位置が後方だったお陰で先へ進もうにも
        人混みで停滞して思うように進めず、それが結果的にマイルドなスタートにつな
        がったように思います。最初の1キロこそやや時間を要しましたが、それ以降は
        ほぼ一定のキロ4分ペース。今までにない良好な立ち上がりに前半はルンルン
        気分で距離を伸ばすことができ、ハーフをペース維持のまま1時間25分で通過
        することができました。

        ところがこの直後、このまま行けば30キロを2時間ちょっとで通過、もしかすると
        サブスリー?などと甘いことを考え始めたとき、突然異変がやってきました。左ふ
        くらはぎに違和感を感じ少しスピードを緩めた直後、一気に足が攣って走行不能
        に。たまらず地面に倒れこみ、治まってから再度走り出すもピクピク感が消えま
        せん。そうこうしているうちに今度は右足が同じような症状に。たまらず30キロ近
        くの給水所地点で一時停止し、水を掛けるなどして回復を待ちましたが好転せず。
        沿道の小さい子供達からも声援を送られ、休んでいられず鞭打って再スタートし
        ましたが、この後は痛みと痙攣を誤魔化しながら走って歩くの繰り返しとなってし
        まいました。残り10キロ地点に差し掛かったとき、ゴールまでの遠さに途方もない
        絶望感を感じたのは忘れられません。これ以降のことはあまり覚えていないので
        すが、次々と抜き去っていくAACメンバーの方から声を掛けて頂いたのだけは心
        に残っています。

        このように、私の初マラソンは散々たるもので苦い思い出となりましたが、フルマ
        ラソンの厳しさと自分の実力を知ることができ、非常にいい経験になったと満足し
        ています。この悔しさをばねにして、更なる練習を積んで次回は篠山マラソンに
        挑戦しようと思っています。AACメンバーの皆さん、これからも叱咤激励よろしく
        お願い致します。最後に、応援に駆けつけて頂いた皆さん、寒い中ご声援ありが
        とうございました。
             (大会開催日:平成19年11月23日)


投稿第一〇九号
       私の心と体に大変化をもたらしてくれた初マラソン!

         

2007年12月4日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:平井 勝
         はじめまして! 平井 勝と申します。よろしくお願いします。
       
 今回、福知山マラソンに出るきっかけはスポーツクラブで知り合った堀内さ
     んに誘っていただいたからです。それまで目標もなくスポーツクラブに通っ
     ていたので、目標が出来たのと何となくフルマラソンにチャレンジしたいと
     いう気持ちもあったので参加することを決めました。それが8月の終わり頃
     です。


       
 9月の練習は5〜7キロを1〜2日置きに走りました。10月に入ると焦り
     が出てきて10キロに増やして計160キロ程走りました。そして11月の
     初め西宮ハーフマラソンにエントリーしました。ハーフですらその時が初め
     てで練習不足を痛感しました。タイムは1時間41分57秒でした。


       
 それからは、3週間もない福知山に向け長距離ランの練習と不安解消の為、
     堀内さんに相談しAACの練習会を紹介して頂き参加させてもらいました。
         普段の練習は平日の仕事帰りばかりの為に休日の午前中の芦屋浜のランは爽
     快でしたので2週続けて参加させていただきました。


       
 いよいよ福知山マラソン当日、現地まではAACの方々に便乗させていただ
     き、いざ出陣です。マラソン会場に到着、AACチームの中にいましたので
     リラックス状態、早くスタートせんかなーと思っていました。そしていざス
     タート!

     今回の目標は、3時間45分以内でした1キロ何分とか、5キロ何分とか、
     一応漠然とした目標はありました。10キロも走ると時計よりも、自分にと
     ってのペースメーカーみたいな人を探して走っていました。しかしこの作戦
     もあえなく失敗、結局、いつもの練習のペースで走り行ける所までいこうと
     決めました。25キロまではしんどいながらいつものようにはしれたと思う
     のですが、ついにきました!30キロからの本格的なスピードダウン・・・
     脚もだんだん動かなくなって来ました。


       
 ここでリタイヤしたら色んな人に…特に妻に後から何を言われるか〜と思い
     脚を前へ前へと出しますがまだその時で37キロのところです。ここからは
     とりあえず『絶対に歩かないぞ』という気持ちだけで進んでいました。最後
     の2〜3キロの記憶があまり無く、よく覚えていません。


       
 とりあえず何とかゴール。3時間51分19秒。ネット3時間48分44秒。
         目標には届きませんでしたが、私の心と体に大変化をもたらしてくれた初マ
     ラソンでした。もし、次のマラソンに参加する機会があったら今度は計画を
     たてしっかり意識を持って走りぬきたい。最後になりましたがこのような機
     会を与えていただいた堀内さん、そして宗政会長、AACチームのみなさん
     ありがとうございました。

        (大会開催日:平成19年11月23日)


投稿第一〇八号
              超初心者の琵琶湖1周ロングライド・234km!
         

2007年11月24日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:寺川 博

     芦屋浜ACのみなさん初めまして、今年の春よりお世話になっています寺川
     博と申します。今までママチャリしか乗った事の無かった私ですが、芦屋浜
     ACのみなさんの自転車姿に憧れ10月の初めに自転車(ロードレーサー)
     を買いました。初めて乗った時、タイヤが細く空気圧が高い為パンクしてる
     のかと思うくらいのゴツゴツ感と慣れない前傾姿勢に、何やこれ〜自転車=
     快適な乗り物と言うイメージが見事なまでに崩れ去りました。その後2度程
     自転車屋さんの練習会に参加させて頂き、約
100キロ程走った時に琵琶湖1
     周ロングライドがあると聞きました。琵琶湖
1周となるので途中棄権して走
     れなくなっても何とかスタート地点まで自力で帰らないといけない事、又未
     知の距離に走りきれるのか凄く不安も有りましたが無謀にも参加させて貰う
     こにしました。


     10月20日(土)晴れ。午前9時に名神高速、桂川SAに今回お世話にな
     る宗政会長、中川さん、正圓さん、谷口さんと集合、10時頃に宿泊のお世
     話になるエース(株)さんの志賀にあります保養所に到着、休む間もなく志
     賀の保養所(出発)〜湖西を大津まで南下〜瀬田の唐橋〜湖東を北上〜琵琶
     湖大橋を渡り〜志賀(到着)。今日のコースは大津市内を通行するため、車
     の交通量も多く恐い思いもしましたが、初日なので初心者に気を使っていた
     だき、途中観光地等で休憩を多めにとってもらいながら、後半はお尻の痛み
     と向かい風に苦しみながらも、約67キロ5時間半(休憩含む)で走りきる
     ことができました。夜は、近くの温泉で疲れを癒し、鍋をかこみつつ宴会と
     なり少々飲み過ぎと普段に無い疲れで早々に就寝しました。


     21日(日)曇り。午前5時半起床、6時半出発(既にお尻に痛み有り)気
     温10度。志賀の保養所(出発)〜湖西を南下し琵琶湖大橋を渡り湖東を北
     上〜(曇っていて気温があがらず足先が痺れる)〜彦根城〜長浜城〜木之
     本〜奥琵琶湖パークウェイ(山登り)〜下った処で昼食〜湖西を南下〜マキ
     ノ〜近江高島〜志賀(到着)、約167キロ8時間半(休憩含む)初めての
     登りにアップアップし、立ちゴケも1度有りました。後半はお尻の痛みに耐
     えきれず何度か休憩をしてもらいながらも何とか無事完走できました。


     幸いにして2日間天候に恵まれ予定通り完走することが出来ました。期間中
     皆さんに車輪の脱着の仕方からペダリングの仕方と色々な事を教えて頂きな
     がら完走することが出来た事、この
日間行動を共にして頂いたメンバーの
     方々に心から感謝しお礼申し上げます。



投稿第一〇七号
         3年ぶりのハーフマラソンを走り終えて!

         

2007年11月21日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:志井 秀樹

     はじめまして。10月からAACに入会させていただきました、神戸市の消防
     士です。
20歳で走り始めて走暦は33年と長いのですが、何となく練習して気
     が向いたら
5kmからフルのレースに年に数回出場していただけで、これと
     いった記録のないランナーです。

     特にこの
10年ほどは、二人の息子の野球の追っかけに土・日曜日を費やして
     おり、毎月
150kmは走ってましたが、レースは年に1回出場する程度でした。
     それも今年の
7月で、二男も無事夏の高校野球予選を二回戦で敗退してくれ
     て、やっと追っかけ生活に一応のピリオドを打つことができました。

     週末に時間が取れるようになったので、ここらで走ることに力を入れ直して、
     いろんなレースにも出てみようと思い、それには一人で走るよりも仲間がい
     た方が励みになると、以前からホームページを見せてもらっていたAACの
     10月13日の練習会にオズオズと参加し、仲間入りさせてもらいました。会長
     の激励や、広井さんの『ここで練習すれば記録は良くなるよ』の言葉を信じ
     て走りたいと思います。

     まず、目標となるレースがないと練習する気が起こらないので、11月に西宮
     国際ハーフマラソン、12月に西脇子午線ハーフマラソン、1月に石垣島フルマ
     ラソンと矢継ぎ早に申し込みました。

     第1弾となった西宮ハーフは、キロ5分30秒、トータル1時間55分を目標にス
     タートし、好天にも恵まれて1時間53分43秒とほぼ目標どおりのタイムでゴー
     ルできました。後で、ホームページを見たらクラブの皆さんも多数参加して
     おられて、次からは私もクラブのユニフォームを着て、一緒に走るほど早く
     はありませんが一緒に写真に納まりたいものです。

     第2弾の西脇ハーフは、キロ5分15秒ペースを目指して走りたいと企んでおり
     ます。勤務の関係で、練習会に参加できるのは月1回程度になると思います
     が、打ち上げ、宴会等も大好きなので、トータルでの参加率の向上を目標に
     頑張りますので、よろしくお願いいたします。
         (大会開催日:平成19年11月4日)


投稿第一〇六号
        『なんちゃってアスリート』のつぶやき・・・

         

2007年11月13日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:横山 啓子

     海と山と川…今、思えば、ランナーにとって絶好のロケーションの地、夙川
     に住んでいながら、学生時代から走る事が大嫌いだった私は、気持ち良さげ
     に夙川沿いをジョギングする人たちを横目に、時間のある時にwalkingをす
     る程度で、来るべきシルバーエイジを健康に過ごしていけたらいいなぁ…と、
     ばく然と考え生活していました。

     
ですが、そんな私に2004年7月転機が訪れランナーの仲間入り…とは言って
     も、初めは1キロもゼェ〜ゼェ〜でよぅ走られへん、へなちょこランナーで
     した。その後も自己流の練習を続け、いろんな人からアドバイスをもらいな
     がら、やっと今年の3月に10キロが走れるようになり、半年後、無謀にも念
     願の大会エントリーにこぎつけました。

     
そんな私ですから、今年の西宮国際ハーフマラソンのスタートラインに立っ
     ている…それだけで十分感動のレースデビューでした。タイムではなく、制
     限時間内完走を目標に大会を楽しみたい…そんな思いで臨んだ大会でしたが、
     家を出る時から既に心拍数は上がり気味…受付も着替えも何もかもが初めて
     の経験でドキドキ…。平静を取り戻そうと、ウォームアップにたっぷり時間
     をかけ体を温めて、なんとか平常心を取り戻しスタートラインに立つ事が出
     来ました。

     
そして、スタートの号砲を聞き、いよいよマラソンスタート…この3年間の
     思い出が頭の中を駆け巡り…と、ドラマのような余裕はなく…最初の5キロ
     は、周りのランナーの速いペースに惑わされないように、自分のペースを保
     つ事に専念、そうしているうちに、遅いペースながらも、他のランナーを抜
     く事はあっても抜かれる事が少なくなり、自分のペースで最後まで走りきる
     事が出来ました。ただ、ゴールが見え始めた残り2キロからがキツく、頭で
     描いていた『かっよくラストスパートしてゴール!』は出来ず…自分自身の
     力不足を思い知らされたゴールとなりました。

     
『初レース完走!』の目標はなんとか達成…と同時に、50歳目前の私にとっ
     ての『元気で楽しい中高年期突入計画!?』は、この大会を機に、長いロー
     ドへ向かってスタートを切ったといえるのかもしれません。自分のペースを
     守り、年だからと諦めず、一度しかない人生、いろんな可能性に挑戦して、
     これからの『ロード』を楽しく走り続けていきたい…と思っています。また、
     ランニングを始めた事で、今までとは違った人種(ごめんなさい!)の方々と
     の出会いもあり、海へ山へと活動範囲も広がり、今後の人生における『スパ
     イス』になってくれるのではと、楽しみにも思っています。

     
鉄人揃いの芦屋浜アスリートクラブには似つかわしくない、格好だけは一人
     前の、自称『なんちゃってアスリート』の私ですが、いつかは他のメンバー
     の皆さんと肩を並べて走っていけるように、今は大好きになったランニング
     練習に精をだし、2'04'17(ネットタイム)を更新すべく、黙々と走り続けて
     いきたいと思っています。

     
今後ともどうぞよろしくお願いします!そして、ここまでの私に育ててくだ
     さった皆さま、本当にありがとうございました!合掌…

          (大会開催日:平成19年11月4日)



投稿第一〇五号
         初のハーフマラソン/和歌浦ベイマラソンwithジャズ!
         

2007年11月1日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:碇井 康子

        ロードに出て練習して4回目に、初めてハーフマラソンに出ました。その週は体調
       が不良で前日には熱があり、走れるかな〜とも思いましたが、エントリーするときも、
       10キロじゃもったいないな、15キロじゃ足りないなと、走ったことがないから、距離
       感が全くないので、まあ、自分が完走はしようと決めさえすれば、体調悪くても、初
       めてでも、何とかなるだろうと思って参加しました。

       その日は、天気もよくて、走っていて本当に楽しかったです。景色もよかったし、コ
       ースもよかったし、初めてのハーフがこの和歌浦でよかったなと思いました。3キロ
       ぐらいまで、全く練習してなかったので、ちょっとしんどいかなあと思ったのですが、
       12キロぐらいから慣れてきました。最後の1キロが一番長かったように思います。

       マラソンのいいところは、前にしか進まないし、走ってれば、ゴールにつくし、人との
       競争じゃないし、自分が走りきろうと決めたら、それですむスポーツだということで
       す。走っていて、しんどいかなあーという時もありましたが、辛いとかは思いません
       でした。景色がきれいだなあとか、どうやったら、うまく給水がとれるのだろうとか考
       えてました。

       次の日、階段を下るとき足が痛くて、次の日に痛みがでるということは、私もまだま
       だ若いなと満足しました。物凄く多くの人々に抜かれて、誰一人抜くことなく謙虚に
       走っていた私は、走りながら、ひとつ悟ったことがあります。マラソンって人生みた
       いなもので、長いけど、走ってればいつかはつくし、まあ、抜かれてもあせることな
       いかなあ、ぼちぼちいこうということです。私は本当にアスリートには向いていない
       でしょう。

       ハーフマラソン2時間1分16秒で、217人中69位でした。マイペースなので1時間
       10キロペースで走ってました。タイムはいいとして、初のマラソン大会を楽しめて走
       れてよかったです。これからも、楽しく走ってたくさんのいい思い出を作っていきた
       いです。最後に、一緒に行ってくださった、宗政会長さん、車に乗せてくださった藤
       本さん、応援に来てくださった市瀬さんに、心から感謝いたします。ありがとうござい
       ました。
          (大会開催日:平成19年11月1日)


投稿第一〇四号
       
   芦屋浜潮風ウルトラマラソンを走り終えて!
         

2007年10月27日
兵庫県神戸市
受川 知代

       初めて夫婦で参加させていただきました受川です。遅くなりましたが、主催
     者・サポートしていただいた皆様、大変暑い中お世話になり有難うございま
     した。おかげで何とか完走することができました。

     周回コースということで当初不安に感じていましたが、走ってみれば海側の
     景色はとても綺麗でバーベキューをしている人、様々なマリンスポーツをし
     ている人など休日を楽しんでいるのんびりとした風景の中楽しく走ることが
     出来ました。

     もちろん10キロX7周ということで最後は景色を眺める余裕なんて無かっ
     た様に思いますが・・・3周目までは1周の距離が短く感じられたのですが、
     3周目以降気温も上がり『まだ半分以上ある〜』って考えてしまい1周が長
     く感じられる様になりました。4周目以降はタイムもガタ落ち、給水ではた
     っぷり休憩しては励まされ、折り返してはすれ違う選手と声を掛け合い、元
     気をもらいました。最後の半周は、先にゴールした主人にも伴走してもらい、
     なんとかゴールすることが出来ました。

     自分のイメージ通りにならないのがウルトラマラソンですよね。終わってみ
     れば、長丁場なのでその時々の状況、自分のモチベーションの変化すべてが
     良い思いでです。それが魅力なのかも・・・これからも マイペースで走っ
     ていきます。またぜひ参加させていただきたいと思います。その時は、よろ
     しくお願いします。有難うございました。

          (大会開催日:平成19年10月7日)


投稿第一〇三号

         
カメさんの芦屋浜潮風ウルトラマラソン参戦記!

         

2007年10月24日
兵庫県丹波市
垂水 恵光

     10月7日(日) JR、阪急、阪神に乗り継いで芦屋駅に降り立った。そこから歩いて
     30分、潮風大橋からの眺めも素晴らしく、早くも感嘆の声を上げました。本日の会場
     となる芦屋総合公園に着いたのは9時ごろ、すでに70kmのランナーたちは走行のま
     っただ中。私たちは10時スタートに合わせて方々からランナーたちは集まってくる。
     この時にはまさかあれ程気温が上昇するとは知らずに・・・10月は月間どれだけ走っ
     たかを競うオクトーバーラン、私もその参加者の一人です。その延長にこのウルトラマ
     ラソンの参加を決めた。

     10時、まるで短距離のようにスタートダッシュを見せるランナーたち。その尻目に私
     はただ一人ぼちぼちマイペース、あわてず焦らず行きます。参加者は50km70km
     合わせて55人、このくらいのこじんまりした大会になると、コース上を走るランナー
     もまばらで、迷路になりやすいものです。このコースは折り返しを2回経て縫うように
     1往復したらちょうど10kmに設定されている。
            
     ところがです。1往復目、大橋のたもとから右折する矢印を見落として、こんな所通っ
     たかな?とおもいながら、まっすぐ、まっすぐ大通りまででていたのです。その後、間
     違いに気づいて逆走してなんとかもとのコースに戻ることはできたのですが、この1往
     復の10kmは1時間50分を要していました。
                
     2往復目以降は30度近くの暑さも加わり、歩く頻度も多くなり、ついにはほとんどが
     ウォークになっていました。私は殊の外、暑さに弱くすっかりばてていました。でも、
     たとえ1歩ずつでも前へ前へ止まりさえしなければ、少しずつゴールへの距離は狭まっ
     てきます。

     こんな状態なのに決して弱音を吐かなかったのは、コースの芦屋浜が見せてくれた景観
     のよさが私を引っ張ってくれたように思います。並んで釣り糸を垂れてる人たち、バー
     ベキューを楽しんでる人たち、そして、ヨット、カヌー、水上スキー、あらゆる海のス
     ポーツも見ることができました。その中でも私が目で追い続けたのは水上スキーでした。
     やってみたい?とは思わないけれど、見ているだけで、すっかり引っ張り込まれていま
     したね。
                  
     3時にもなると日も次第に傾き始め、身体的にも少し涼しくなってきたかな?と感じら
     れるようになった頃です。『このままでは30kmでおわってしまうよ』と言う心の叫
     び声がきこえてきました。それからです。今まで1往復2時間ほどかけて歩いていたも
     のが駆け足にになり、そしてついには普段のペース(これが私のペースです)まで戻し
     ていけたのです。気持ちの力は大きかった!目指すは関門地点を6時間以内に通過して
     もう半分行きたい!でした。思惑通り通過できたのは関門閉鎖の10分前で、あと半分
     行けたのは実に大きかったです。

     私はまだフルマラソンを7時間切ってゴールしたことがないランナーです。そんな私に
     とって制限時間は大きく立ちはだかります。このウルトラマラソンもなかなか完走させ
     てもらえないかもしれない。だけど、ひるむことなく何度も何度もトライしていくつも
     りです。ランナーの背中が遠く離れたって目標は決まっています。一歩でも二歩でも前
     へ進むことです。

     今回このウルトラマラソンに参加して、完走記を書く機会を与えられました。あーこん
     なカメさんもいるのかなあ、と読んでいただければうれしいです。お世話になったスタ
     ッフの皆さん本当にありがとうございました。これからもランナーに愛され続けるウル
     トラマラソン大会を目指していってください。ありがとうございました。
        (大会開催日:平成19年10月7日)


投稿第一〇二号
        六甲山の山並みを眺めながら退屈することなく楽しく走る!
         

2007年10月22日
大阪府箕面市
荘村 泰治

       大阪府箕面市荘村です。どうぞよろしくお願い申し上げます。10月7日の芦屋浜潮風ウルト
       ラマラソンでは大変お世話になりありがとうございました。今回初めて参加しましたが、70kmの
       制限時間内に自分で予定していた50kmは走ることができたので、私なりに”完走”できて満
       足しています。

       
ウルトラマラソンで同じところを周回するのは、退屈するだろうと周回型の大会には出ていなか
       ったのですが、今回のマラソンは、結構景色も変わり、海や川で楽しんでおられる人たちや六
       甲山の山並みを眺めながら退屈することなく非常に楽しく走ることができました。

       あの日は走るにはとても暑かったですが、アットホームな雰囲気のサポートも多くあり、十分に
       ケアーしてもらえたので非常に満足しています。長距離のウルトラマラソンになると、途中での
       サポートが気になり、いつも飲み物や食べ物を詰めたポーチを下げて走るのですが、距離とと
       もにそれも結構負担になってきます。 今回はサポートが十分でしたので、その不安も全くな
       く、途中でポーチも置いて走れましたので、サポートしていただいた方々には心より感謝して
       おります。

       
また、浜風大橋を渡った北側のコースのそばに愛し家という老人ケアーハウスがあります。そこ
       に私の恩師が入っておられたので、途中たずねていきましたところ、とても喜んでいただけて、
       これもいい思い出になりました。

       
60歳を過ぎて、このごろ参加する大会ではワースト記録が出て、関門閉鎖でとめられることが
       多くなってきていますが、今大会でも60歳を越えた方々が元気に走っておられました。 来年
       もこの大会にぜひ参加させていただきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げ
       ます。最後に、宗政様をはじめ、大会の運営やサポートをしていただいた芦屋浜アスリートク
       ラブの皆様に心よりお礼申し上げます。 また、阪神デパートの社長様からのおいしいお菓子
       のプレゼントにも合わせてお礼申し上げます。

       
ひとつだけお願いですが、私以外にも完走できなかった方がおられたことと思いますが、ウルト
       ラマラソンに出た貴重な記念になりますので完走証ではなく記録証の発行を考慮していただ
       ければと思います。 どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
       (大会開催日:平成19年10月7日)



投稿第一〇一

      丹後ウルトラ100kmマラソンを走り終えて!
        

2007年10月1日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:上田 敦之氏
       最後にゴールが見えた時、無意識うちに走っていました。雨に濡れながらゴールした
       時、感動よりも案外冷静な気持ちでした。しかし、あとから達成感と感動、そして帰り
       のバスでは、もう少し頑張っていればという反省感も滲み出てきました。実を言うと、
       私は残りの40kmはすべて歩いてしまったのです。足の爪の痛みに耐えられなかっ
       たのです。しかし、一日もたたないうちに悔しくなってくる。人間は欲張りな動物だな
       と思いました。

       スタート地点でニューバランスのシューズ店のスタッフの人に、今使っているランニン
       グシューズを見せたところ、靴底がだいぶ磨り減っていてソールも薄かったことから
       足への反発が大きいと100km用のシューズを勧められました。不安になりましたが、
       現金も持ち合わせていなかったため、自分のシューズを信じ、断念しました。

       ツアーで申し込み、民宿で三人相部屋の六畳ほどの部屋に宿泊しました。夕食の席
       につくと一緒に食事をした人はビールジョッキを2本も飲んでいて驚きました。しかし、
       知らない人と話すことは楽しかったですし、一人部屋にしなくて良かったなと思いまし
       た。でも夜は、興奮もあってか、隣の部屋の人の声が筒抜けで耳について、なかな
       か寝付けませんでした。

       朝食は2時ごろから用意されていました。私は細い体だから、耐えられるように、とに
       かく食べておこうとお茶碗三倍食べました。民宿を出てスタート地点に着いた時、今
       からつらいであろう未知のレースが始まるんだなあと非常に緊張してました。そして
       スタート地点でスタートの合図を待っている時はその緊張はさらに強くなっていました。
       今までのハーフマラソンやフルマラソンとは全く異なるものだったことを覚えています。

       レースが始まると大体5km毎にあるバナナやあんぱん、黒糖、スポーツドリンクをた
       くさん食べました。とにかく最初から完走することだけを考えて何としてもメダルを持っ
       て帰ろうと決心して望んでいたので、歩きながら水分補給し距離を稼ぎました。私は
       多分月間走行距離は150kmに満たなかったでしょう。宗政さんや中川さんに丹後に
       出場することを伝えたとき、多分完走は出来ないだろうと感じたと思います。実際、最
       初はRUNNETで60kmの部にエントリーしていました。しかし、大会名は丹後『100
       km』だったので、これでは丹後を走って来たとは言えないと思い、100kmの部にエ
       ントリーしました。

       私の大会までの練習内容はまずウルトラは朝が早いので朝は毎日5時に起床するよ
       うにして、それから約1時間半の筋トレ、30分の坂道のジョギングを続けました。大会
       までは、エレベーターやエスカレーターなどは利用せず、どこに出向くにしても階段を
       利用するようにしました。理由は、アキレス腱を痛めていた為、なるべく足に負担を掛
       けずに回復させながら体力を維持させようと思ったのと、去年完走した大学の先輩か
       ら丹後の坂道の厳しさを聞いていたからです。

       私が芦屋浜アスリートクラブの練習に初めて参加したのは今年の5月頃でした。大学
       のサークルでは少し物足りなさを感じていて、AACのホームページから直接宗政さん
       に入会したい意向をメールで送らせて頂きました。初めて練習に参加した感想は私よ
       りも数倍、走るのが速いな、という印象でした。皆さんはこんな細い私が100kmなん
       て走れるわけがないと思ったと思いますが、私が今感じることはこの夏に、大学生活
       の最後の年にウルトラマラソンを完走できたことは自信になりました。

       来年4月から社会人になり、今よりも身体を鍛える時間が少なくなってくると思います
       が、これからもマラソン、そしてロードバイクにも挑戦したいので、日々精進していくつ
       もりです。宗政さん、そしてAACのみなさん、こんな細い私ですがこれからも宜しくおね
       がいします!!
    (大会開催日:平成19年9月16日)



投稿第一〇〇
        ランニング! それは我が余生の楽しみ
        

2007年9月29日
芦屋浜アスリートクラブ
会員:鎌苅 滝生

    AACとの出会い》
       6月23日の練習から参加させて頂くようになりました鎌苅滝生(かまかり
     たきお)と申します。現在59歳、職業は会社役員。
    (ある上場会社の子会社の社長をしております)

       これまでは一人で芦屋浜を走っておりましたが、ここ数年加齢のためかマラソ
     ンのタイムが徐々に落ちてきたこと、一人で走っているため練習がマンネリ化
     してきたこと、6月から小さな会社ですが社長に就任し日々のストレスをやや
     感じるようになり、この解消のためにも気分一新を図りたかったこと、同じス
     ポーツクラブの山崎直基さんの勧めもあったこと、等々で
AACに入会させて頂
     きました。入会後3ヶ月経ち、以下私の自己紹介をさせて頂きます。少し御付
     き合い下さい。

      《スポーツ歴と走歴》
       子供の頃からどちらかと言えば運動神経はあまり良くなく、運動オンチの方だ
     と思いますが、中学時代は柔道、高校時代は空手、大学時代はサッカーをやっ
     ておりました。しかしながら、いずれも中途半端に終わっております。柔道、
     空手はともに2年間だけ、サッカーはサークルでの活動で全くの遊びでした。
     観戦するのは大好きで、特にサッカー、ラグビー、マラソン中継は必ずと言っ
     て良い位見ています。サラリーマンになってからは、運動らしい運動はしてい
     なく、年数回のゴルフのみ。

     そんな私が走り始めたのは40歳後半からです。従って、走歴は10年強。
    (走るようになってからは、元来あまり好きでなかったゴルフはやめました)
     初めてレースに出たのは51歳の時。スポーツクラブのインストラクターに誘
     われて神戸バレンタイン・ラブランの駅伝が最初で、5.2
Kmを22分少々
     だったと思います。

     その後、芦屋ファンランのハーフ、西宮のハーフを走り、初フルは今は廃止さ
     れた尼崎シティ国際マラソン。この初フルは3時間42分38秒で、当時52
     歳6ヶ月ですのでまあまあのタイムかなと思っております。その次のレースは、
     2回目のフルマラソンで、紀州口熊野マラソンで、初フルの記録を20分短縮
     の3時間22分8秒。これが今までのベストタイム。この大会はその後毎年出
     場しております。(紀州口熊野マラソンの42歳以上の部の第1回優勝者は、
     確か宗政会長ですよね。)その後は年間にフルが6〜7回、ハーフが3〜4回、
     その他併せて10数回のレースに出場しております。但し、ここ数年は自分の
     イメージするタイムが出せず、フルは3時間40〜50分、ハーフは1時間4
     0分〜45分というところです。

       《本当はマラソンに不向きな体質》
     私は生まれつきアレルギー体質で、子供の頃は気管が弱く冬場はよく風邪をひ
     いておりました。寒い季節に乾燥した冷たい空気を吸うと喉が腫れて苦しくな
     り、小学校時代は冬場の体育の授業はいつも辛い思いをしておりました。高校
     時代は、1月に10
Kmの耐寒マラソンがありましたが、3年間ビリから数え
     て早い方というのが私の定位置。(当時、短距離は比較的早かったのですが)
     大人になって気管は多少強くなりましたが、それでもまだまだ普通の人に比べ
     ると弱く、その影響で気温が低いマラソンでは後半、特に30
Km以降は喉が痛
     くなり、それに伴い呼吸が苦しくなり、ペースダウンしてしまいます。加古川
     マラソンはフルができてから毎年出ていますが、記録が良くないのは、私にと
     って気温が低く過ぎる?のではと思います。

       マラソンに不向きではと思うのは、花粉アレルギーの症状がでる時期です。
       私は重度の花粉アレルギーで、春先はスギ、ヒノキ、秋口はヨモギ、ブタクサ
     に強いアレルギー反応を起こします。これ以外にイネ科の植物もダメで、極端
     に言うとすべての植物の花粉に対し、アレルギー反応を起こすようです。
     特にスギ、ヒノキには敏感で毎年2月初旬から(早い年は1月下旬から)4月
     中旬頃まで鼻水、鼻づまりできちんと呼吸できず、くしゃみの連続、眼は痒く
     なるはで苦労しております。毎年この期間は、ほとんど屋外での練習ができな
     いのですが、それでも篠山、神戸ラブラン、芦屋ファンラン、津山加茂郷
or
     川と出場しております。いずれの大会も鼻をグチュグチュさせながらのスター
     トとなります。

       今年の篠山は、30数回のフルマラソン歴で(初期の頃のいくつかの記録証を
     紛失しており、正確な出場回数不明)、初めて途中棄権しました。朝から鼻が
     つまり、大きな不安を抱えながらのスタートでしたが、20
Km手前で苦しく
     なり走ることを断念しました。芦屋ファンランでも3年前にハーフのレースで、
     花粉の影響で苦しくなり半分走ってリタイア。これが、ハーフにおける唯一の
     途中棄権で、2年前から10
Kmに変更しました。10Kmでも苦しく、後半が
     バテバテですが・・・。春のレースでは、エイドステーションで立ち止まって、
     鼻から水を吸い込んで洗浄することもしばしばあります。

       毎年出場している紀州口熊野マラソンは、比較的記録が良いのは、この大会が
     2月の第1日曜日に開催されるので、まだほとんど花粉の影響を受けないから、
     また極端に気温が下がらないから、だと思われます。これからの秋のレースは、
     春ほどひどくはありませんが、ヨモギ、ブタクサの影響を受けることになりま
     す。最近既に少し影響あり、朝起きるとすぐに立て続けにくしゃみが出ていま
     す。30年来の花粉アレルギーは薬でその症状をある程度抑えることは可能で
     すが、マラソンを走る上では大きなハンディキャップです。でも、これは生ま
     れつきですから致し方ないことだと諦めています。

       春は2〜4月、秋は10〜11月に花粉の影響、真冬は乾燥した冷たい空気が
     ダメ。ベストコンディションで走れるのは
1年の内、極く限られた時期のみ。
     だから本当はマラソンには向いていないと思うのですが、でも「走ることが好
     き」ですから、これからも続けるつもりです。

       その代わりと言うべきか、夏には強い?夏場に食欲が落ちることは全くなく、
     逆に夏の方がよく食べるのではと思います。(食べ物に対するアレルギーは全
     くありません)
     小学生の頃は、大阪府堺市に住んでいましたが、まだ工業地帯の埋立てがされ
     ていない頃で、夏休みは毎日海で泳いでいました。ですから私の最も得意なス
     ポーツは、実は水泳なのですが、ここ30年位はほとんど泳いでおりません。
     海で泳げなくなり、今はプールしかないのですが、このプールの水が良くない。
     塩素に対しもアレルギー反応を起こすようで、プールで泳ぐと、後でいくら丹
     念に風呂で洗っても身体中が痒くなり、また鼻水が出て止まらなくなります。

       更に、私は腰痛持ちなのです。40歳半ばに腰痛がでて、医者からプールで歩
     くことを勧められましたが、これができずに、芦屋川の河川敷を歩きました。
     歩くことがあまりに単調に感じられ、軽いジョギングを始め、やがて徐々に距
     離が伸び、速度も少しづつ上がり、やがてマラソンを走るまでになったと言う
         のが、真相です。腰痛は、今でも時々その症状が出ます。私の場合、第四腰椎
     が先天的に異形で、少し左側に出っ張っているとのこと。したがって、常に腹
     筋・背筋を鍛えて、骨を筋肉で包み込むことが必要なのです。年齢的なことも
     あり、スピードがありませんので、10
Kmよりはハーフ、ハーフよりはフル
     の方が向いているような気がします。距離の短いレースの方が苦しいのが実情
     です。

       ウルトラにも興味があり、以前から出場したいと思っていますが、二の足を踏
     んでいるのが、この「腰痛」にあります。来年60歳を迎えるのを期に、ウル
     トラにチャレンジしようかなと思案しているのですが、どうなることやら。
        何しろ、「気管が弱い」、「花粉症」、「腰痛」の三重苦ですから!

      《これからの人生とランニング》
       私自身、あと4〜5年働くことになると思いますが、今までは世の中の団塊の
     世代と同様に仕事中心の人生を過ごしてきました。現在は、小さいながらも一
     応会社の経営を任されており、その責務を全うせねばならない立場にあります
     が、これからは日々の生活の軸足を趣味=「ランニング」に置きたいと思って
     おります。妻も数年前からランニングに興味を持ち、ハーフマラソンまで走れ
     るようになっており、年に数回は旅行も兼ねて各地のレースに出場しておりま
     す。今は子供も独立し、妻と二人の暮らしですので、これからは海外も含めて
     未知のレースに参加したいものです。(でも先立つものが少し心配!)

      《最後に》
       楽しみながら走ること、それをモットーにこれからもランニングを続けたいも
     のです。でも、一つ目標もあります。一歳刻みランキングの100位以内の
     達成です。このランキングが発表されるようになってから、毎年あと5〜10
     分程度で圏外というのが、私の実績です。過去の実績からみて60歳になって
     3時間30分で走れば、100位内は間違いないと思うのですが、是非達成し
     たいものです。前述の通り最近は良くて3時間40分位ですから、あと10分
     の短縮で可能です。10分と言えば、キロ当り15秒の短縮です。この歳にな
     って、それは「言うは易く、行いは難し」で困難なことかも知れませんが、自
     己ベストの更新ならいざ知らず、10分位なら十分可能ではと思っていますが、
     甘いかも・・・。それに60歳を過ぎると「花粉症が治る、症状が軽くなると
     いう説(?)」もありますので・・・。これからもできるだけ時間を作って、
     ご一緒させて頂きたいと思っておりますので、どうぞ皆様宜しくお願い致しま
     す。
(平成19年9月27日記)