醒めない夢.2
麻衣が家を飛び出したと、翔の家に連絡が入ったのは6時過ぎだった。 「翔!麻衣ちゃんが家を飛び出したんですって。心当たりを探して欲しいって、今電話が」
「何だって?なんでまた・・・」 母から連絡を受けた翔は、読んでいた本をバサッと床に落としてしまった。そして、母の困惑した表情を見て、怪訝な顔になる。 「母さん?」
「麻衣ちゃんは・・・・・養女なんだそうよ。偶然、知られてしまったって、お義姉さんが言ってた」 「・・・・・養女?」 予測もしていなかった母の言葉に、翔は驚愕する。 そし
て、彼の心の中で何かがパチン、と弾け飛んだ。 「詳しいことはまだ聞いてないんだけど・・・でも、とにかく麻衣ちゃんを探してちょうだい」 「・・・判った。ちょっと行ってく
る」 翔は机の上のキーを無造作に掴むと急いで車庫へ行き、エンジンをスタートさせた。ほんの一時間程前、麻衣が座っていた助手席に目がいく。 (麻衣・・・何処にいる・・・?)
明るくて素直な年下の従姉妹。屈託のない笑顔がよく似合う、そんな彼女にいつの頃からか惹かれ、好意を持っていたということに、翔はようやく気づいた。いや、ずっと気づかない
フリをしていたのだ。「従姉妹」だということが、翔の心にストップをかけていただけ。 (麻衣・・・!) 今ごろ、たった一人で居るであろう彼女を思うと、心が痛い。 とにか
く、彼女の家の方向へと車を走らせる。 しかし、日曜日の夕刻ともなると、車の量は多い。翔も、程なく渋滞の中に巻き込まれた。 (くそっ、こんな時に・・・!) 迂回しよう
にも、あと1キロ先の交差点まで進まないことにはどうしようもない。イライラしながら、それでも歩道を行き来する人々に目を配る。 麻衣の姿は、見つからない。 (・・・とりあ
えず信号を右折するか・・・) そう考えながら、ようやく交差点の手前100メートルの辺りまで車を進めることが出来た時、道路より少し下手に走るJRの列車が過ぎていった。何気
なく通り過ぎた列車の方を見た翔は、線路の向こうに1人の女性の姿を捉えた。 (麻衣!) 薄暗くなりつつある上に距離があるので、はっきりと見えた訳ではないが、翔には確信
があった。 それからの5分程が、翔には異様に長く感じられた。信号が青になると、無謀とも言えるような乱暴な右折をして、彼は急いでK駅前に車を止め、遊歩道に向かって走り
出した。 (麻衣・・・!) 人影がだんだん近づいてきて、それがやはり麻衣だと判ると、翔は息を整えるために歩いて彼女のすぐ傍まで進んだ。麻衣はじっと俯いたままだ。
「麻衣・・・」 まだ心持ち荒い息づかいで、翔は麻衣に声をかけた。 虚ろな目をした麻衣が、ぼんやりと顔をあげ、翔の姿を見上げる。翔は息を呑むように彼女の仕草を凝視して
、虚を見つめていた瞳に力が甦っていくのを確認した。 「・・・・・翔くん」 麻衣の顔に生気が戻ったのを見て、翔はほっとした。麻衣の方は、突然翔が目の前に現れたことに茫然と
している。 「どうして、ここに・・・?」 「バカ野郎・・・心配させて・・・探したんだぞ、随分。みんなで」 「みんな、って・・・?」 「伯父さんも伯母さんも心配してるぞ。・・・
送ってやるから、家に帰ろう」 翔は麻衣の瞳を真っすぐに見つめる。彼女は悲しそうに目を伏せ、ゆっくりと首を振った。 「ダメ・・・私には帰る家なんて・・・無いんだもん」
「麻衣・・・」 「翔くんも知ってるんでしょ・・・私が養女だって・・・翔くんとだって、イトコでも何でもないって」 「・・・・・麻衣!」 翔は思わず麻衣を抱き寄せていた。 「翔、
くん・・・?」 突然の出来事に麻衣は目を瞠る。けれど、彼の腕から逃れようとはしなかった。いや、動けなかったのだ。 翔は堰を切ったように告白する。 「麻衣、俺は・・・
君と血の繋がりがなくてむしろ、良かったと思ってる。こんな時に不謹慎かもしれないけど、俺は、いつの間にか、麻衣のことを従姉妹じゃなく、1人の女性として好きになってた。・・・麻
衣が、好きなんだ」 翔の言葉を聞いて、麻衣は体が微かに震えるのを感じた。何か、言おうとするのに、唇がわなないて言葉にならない。視界が、ぼやけ始める。 「・・・・・ほんと
・・・?」 ようやくの思いで、麻衣はこれだけを絞りだした。翔は少しテレたように言葉を継ぐ。 「本当だよ。好きでなきゃ、こんな週末毎に麻衣に付き合える訳ないだろ?・・・俺、
日曜の午後だけは、麻衣の為に友達の誘いも全部断ってたんだぞ?」 この言葉を聞いて、麻衣はごく自然に彼を抱きしめていた。涙が、するりと流れて落ちる。 「好き・・・翔くん
が好き。ずっと、ずっと好きだったの・・・」 「麻衣・・・!」 二人は暫し、想いが通じ合った喜びと、互いの温もりの確かさを感じていた。 それでも、麻衣にはこれが夢の中の
ことの様に思えた。ずっと欲しかった、いつも夢の中でしか得ることの出来なかった言葉が現実になるなんて・・・。 「麻衣」 翔の右手が頬に触れた。麻衣は目を上げて彼を見つめる。
翔の瞳はとてもやさしく、そして真っすぐだ。 翔の顔がゆっくりと近づいてきて、麻衣もゆっくりと目を閉じる。唇がそっと覆われた時、彼女の目からもう一度涙が零れた。
もうすっかり陽が落ちて、夜のとばりが辺りを包もうとしていた。 翔と麻衣は彼の車へと移動した。列車が駅に着いて人々を吐き出す。左右に別れ、足早に去っていく人々の姿を、
二人はなんとなく眺めていたが、その流れが収まってしまった頃、翔がゆっくりとした調子で口を開いた。 「なぁ、麻衣」 「えっ・・?」 麻衣は翔の方を見る。彼は駅を見つめた
ままだが、とても穏やかな表情をしている。 「今までの21年間・・・麻衣を育ててきてくれたのは伯父さんと伯母さんだよな・・・たとえ、血が繋がってなくても」 「・・・・・」 優しい
口調に、麻衣は少し俯いた。翔は尚も、ゆっくりと語りかける。 「21年かけて築いてきた、伯父さん、伯母さんと麻衣との関係は、血の繋がりよりも大切で、確かなものなんじゃないの
か・・・?血が繋がってるかどうかってことより、今日まで麻衣を愛して、叱って、励ましてきてくれたって事実の方が、真実なんじゃないのか?」 麻衣の胸がきゅん、と痛んだ。
「そして、俺が好きになったのは、血が繋がってなくても従姉妹に当たる佐藤 麻衣っていう女の子だ。伯父さんと伯母さんの次女として育てられてきた君だよ。他の誰でもなく。今の麻衣を
造ってきたのは、麻衣自身と伯父さん・伯母さんだよな。それでも・・・麻衣は、血の繋がりにこだわるのか?」 ゆっくりと、翔は麻衣の方へと視線を移し、真摯な瞳で見つめてくる。
麻衣の頬にはまた、新たな涙が伝っていた。 「私・・・私・・・」 言葉が出せず、しゃくりあげている麻衣の頭を、翔は優しくポンポンと叩く。 「送るよ。・・・・・帰るよな?家に」
そう言いながら、翔はエンジンをスタートさせた。麻衣はただ、頷いた。 10分程走ると佐藤家に到着した。翔に促され、麻衣はおずおずと門を開く。 その音を聞きつけて、麻衣
の両親が飛び出してきた。 「麻衣・・・!!」 母が力一杯に抱きしめてくれた。麻衣は、母の温もりと愛を感じて心が震えるのを感じ取る。 「私・・・ただいまって・・・ここへ帰ってき
ても、いいの・・・?お父さん、お母さんって呼んでも、いいの・・・?」 「勿論よ・・・!」 「当たり前だろう?麻衣・・・」 母の目にも、父の目にも、うっすらと涙が滲んでいるのを見
て、麻衣の目にも涙が浮かんだ。 「お父さん!お母さん!」 「麻衣!!」 しっかりと抱きあう親娘を、翔はホッとして見つめた。
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