クリスマス・イブ  −恋人たちの夜U−






「翔くん、明日のイブ、お休みもらったよ」
「ホントか? 今、忙しいんだろ?」
「うん。でも、叔母様がいいって」
「そうか。・・・じゃ、10時頃に迎えに行くよ」
「うん」
 2人はどちらともなく微笑みあった。



 麻衣を家まで送り届けた後、翔は自室のベッドに寝転がって彼女とのことを考えていた。
(麻衣とつき合い始めて2年半か・・・なんか、まだ2年半しか経ってないのかって気がするな・・・)
 彼女は戸籍上は『従姉妹』に当たり、8年くらい前 からは頻繁に顔を合わせているから、ずーっとつき合っていたようなものだった。実際、口には出さなかったが、お互いに想いを寄せ合ってきた。
 それが2年半前、麻衣が実は養女だったことが発覚し、それをきっかけに2人は気持ちを確かめ合うことが出来、 今日に至っている。
 現在、麻衣は助産婦として、翔の両親が経営する病院で働き、翔は大学生活の最後を迎えていた。春には、ピカピカの新米医師が誕生する予定だ。
 そして、彼は今、1つの決心をしていた。




 翌朝、翔が10時 過ぎに麻衣を迎えに行くと、彼女が笑顔で待っていてくれた。
 紺のワンピースを着て、黒のコートを抱えている。仕事をしている時の白衣姿もいいが、普段着の麻衣は、少女のような可愛らしさも備えていて、翔はとても好きだった。
「あ、悪いんだけど、 病院に寄ってくれる? 今日、退院の人に顔出すって約束してるものだから」
 シートベルトをしながら、麻衣が言った。
「ああ、いいよ」
 翔は走ってきた道をそのまま引き返す。彼の家は病院に隣接しているからだ。
 麻衣を病院の前で降ろす と、車を自宅のガレージへ入れて、翔も病棟へと向かった。
 彼女の仕事場は女ばかりの婦人病棟、それも大部分がお産、もしくはその関係の患者ばかりなので、なんとなくテレくさくて入りづらい場所ではある。これで、白衣を着ていればそうでもないのだが ・・・そんなことを思いながら、翔はナースステーション前のロビーで麻衣を待つことにした。

 しばらくすると、麻衣がおくるみにくるまった小さな赤ん坊を愛おしそうに抱いてやって来た。そして、その子の母親らしい人に手渡す。
 優しい、柔らかい 笑顔が天使のように見えて、翔の胸が高鳴る。
(本当に赤ん坊が好きなんだな・・・)
 他人の赤ん坊にあんないい表情を向けるのなら、自分の赤ん坊には更にいい表情をするのだろう・・・そう考えて、翔は軽く狼狽する。
(麻衣の子供ってことは、つまり ・・・)
「どうしたの? 翔くん。顔が赤いよ?」
 はっと気づくと、麻衣が目の前に立っている。翔は内心で焦りながらも、努めて平静を装った。
「・・・なんでもないよ」
「ウソ! 何なのよ」
 麻衣が悪戯っぽく笑いながら言う。
「本当だ よ。なんでもないんだ」
「本当かなぁ〜?」
 麻衣が更に追究しようとした時、緊張した面持ちの翔の母・歩美がナースステーションに駆け込んでいった。
 何事か、トラブルがあったことを察して、麻衣が後を追う。翔もつい、気になってそれに続い た。
「・・・・・え? 手術ですか」
「ええ。ベビーの心音が弱ってきてるの。今、用意してるんだけど、もう1人もそろそろなのよ・・・麻衣ちゃん、折角のデートなのに悪いんだけど、手伝ってくれる?」
「はい、勿論です。じゃあ、私は手術室の方に」
「ええ、そうしてちょうだい。あ、翔、あんたも手伝いなさい」
「はぁ? 何で俺が」
 急に矛先が自分に向いたので、翔は驚いた。
「今日が日曜で、人が少ないのは知ってるでしょ? あんたも医者の卵なら、ナースの助手くらい出来るでしょうが!  ほら、早く!」
 歩美は指示だけすると、さっさと分娩室の方へ走り去った。
「翔くん、こっち」
 手術室のほうへと足早に歩き出した麻衣の顔は、さっきまでの普段着姿ではなく、助産婦としてのそれだった。
(・・・よりによって今日でなくて も・・・)
 翔は溜息をつきながら麻衣の後を追った。




 手術は無事に済み、後片付けも終わって、翔が解放されたのはお昼過ぎだった。
 麻衣は生まれた赤ん坊と、術後のお母さんの看護を手伝っている。彼女の性格からしてそうなるこ とは明白だったので、翔は仕方なく家に戻ることにした。
 家では父・明が台所に立って昼食の用意をしていた。
「ん? 翔、お前、デートじゃなかったのか」
「・・・いきなり母さんに捕まってフラれたんだよ」
「そうか・・・まあ、仕方ないよな、仕事 じゃ」
 明はそれ以上は何も言わず、翔の前にピラフとサラダを置いてくれた。


 麻衣と歩美が昼食を取りに家に戻ってきたのは2時半過ぎだった。
 自室で本を読みながら暇を潰していた翔のところに、歩美が顔を出す。
「翔、お陰で助か ったわ。折角のデート、ぶち壊して悪かったわね。麻衣ちゃんには今、ご飯を食べてもらってるから、それからでも出掛けていらっしゃいな」
「言われなくてもそのつもりだよ。仕方ないこととはいえ・・・恨むぞ、母さん」
 翔に睨まれ、歩美は肩を竦める。
「・・・判ってるわよ。今度、何かの形でお詫びするわ」
 歩美が出て行くと、翔は食事が済む頃合いを見計らって階下へと移動し、麻衣を連れ出した。
 車に乗って暫くは沈黙の時が流れていたが、やがて麻衣が口を開く。
「ごめんね、翔くん・・・折角 誘ってくれたのに、こんなことになっちゃって」
「まー、仕方ないさ。・・・けど、俺たちって、余程お産に好かれてるんだな。去年も・・・」
「うん・・・去年もお産でデードが短くなっちゃったのよね・・・ごめんね、本当に・・・」
 麻衣がしょんぼりしているの で、翔はこれ以上、何も言わなかった。
 交差点の赤信号で車が止まった時、翔は適当なカセットをセットする。クリスマスソングが流れ出し、重い沈黙を少し和らげてくれた。
 麻衣はその曲たちに黙って耳を傾ける。
 やがて、目的の駐車場に着くと、 2人は車を降りて外へ出た。
 晴れてはいるが風が強く、かなり寒く感じる。
 麻衣は翔の腕にしがみつくようにして寄り添った。
「4時半か・・・食事をするには早すぎるし、映画を見るには中途半端だし・・・どうする?」
「うーん、そうね・・・とりあえ ず、買い物、つきあってくれる?」
「ああ」
 麻衣は両親と翔へのプレゼントを選んだ。あれこれと随分迷ったので、買い物が済むと5時半を回っていた。
 外は暗くなり、華やかな光が煌き、ジングル・ベルが鳴り響いていた。クリスマス・イブの、し かも日曜日とあって、すごい人出だ。2人は人の波を掻き分けるように河原町通りを北に向かって歩いた。
 途中の店を覗きながら歩いたので、目的地に着いたのが6時を少し過ぎていて、程よい時間となっていた。
「翔、くん?」
 麻衣は連れてこられた ホテルのロビーに足を踏み入れて、なんとなくドキドキしていた。
「どうした? 麻衣」
「う、うん・・・あの・・・」
「・・・行くぞ?」
 僅かに苦笑しながら、翔は麻衣を伴い、最上階のレストランへと移動した。
「予約している森島ですが」
 翔 がこう告げると、ボーイが窓際の席へと2人を案内してくれた。テーブルの上のキャンドルと小さなポインセチアが抑えた照明によく映えている。
 コートとバッグを置いて席につくと、麻衣は小声で正面に座る翔に話しかける。
「・・・こんなトコでディナーな んて・・・いいの?」
「ああ。たまには、いいんじゃないか」
「うん・・・でも、なんだか緊張しちゃって・・・それに、ここ、高そうだし・・・」
「心配すんなよ。今日は特別」
 翔が軽くウインクした時、グラスワインが運ばれてきた。
「乾杯しよう、麻衣。 ・・・メリークリスマス」
「・・・メリークリスマス、翔くん」
 2つのグラスがカシャン、と軽い音を立てる。
 微笑みあって、2人はまず、食事を楽しんだ。最近聞いた音楽のことや、今日見た綺麗な品物のこと、そんな何気ない話をしながら、美しく彩られ た一品、一品を堪能する。
 デザートを食べ終えて、コーヒーが運ばれてくると、翔は上着のポケットから、リボンの掛かった小さな包みを取り出して、テーブルの上に置いた。
「これを、麻衣に」
「あー、ありがとう・・・開けてみてもいい?」
「ああ」
 麻衣がリボンを解きだすと、翔は自然と緊張した面持ちになっていった。中身を見た時の麻衣の反応が少しだけ恐い。
 麻衣は丁寧に包装紙を外し、箱の中の小箱を取り出した。
「わぁ、またアクセサリーね。何かな・・・?」
 小箱の蓋を開けて中を 見た時。麻衣はごくん、と息を呑んで、しばらくそれを見つめていた。
 中に収められていたのは、小さなダイヤモンドの指輪だった。
「翔くん・・・これ、もしかして・・・」
 驚いたままの表情でじっと見つめてきた麻衣に、翔はゆっくりと頷いた。
「俺 と結婚して欲しい。受け取って、くれるかい?」
 真摯な表情の翔の言葉を聞いて、麻衣は僅かに俯き、はにかんだ笑みを浮かべてこくん、と頷いた。
 それを見て、翔はふう・・と安堵の息をつく。そして、いつもの笑顔になった。
「良かった・・・断られた らどうしようかと思ったよ」
「そんな・・・私が断る訳ないじゃない。ずーっと、夢見てたんだもの。・・・・でも、いいの? 私なんかで・・・」
「麻衣しか考えられないからプロポースしたんだ。駄目な訳ないよ」
 それを聞いて、麻衣はニッコリと笑った。瞳は うっすらと潤んでいる。
「ありがとう・・・うふ、今日は嬉しいことが重なったわ。可愛い赤ちゃんたちは無事に生まれたし、翔くんからはステキなものを貰ったし・・・」
 麻衣の言葉を聞いて、翔は今日の昼間の出来事を恨みに思ったことが少し恥ずかしかった。
 確かに2人でいる時間は邪魔されたが、これで良かったと、心から思った。
「・・・ねえ、これ、はめてみてもいい?」
 麻衣が箱を持ち上げて聞いてきたので、翔はそれを取り上げて指輪を取り出し、彼女の手にはめた。
 左手の薬指にキラリと輝く それを見て、麻衣はとても嬉しそうだ。
「麻衣、2人で幸せになろうな」
「翔くん・・・」
 麻衣は幸福そうに微笑んで、ゆっくりと頷いた。
 それを見て、翔は全身にじんわりと幸せな気持ちが広がっていくのを感じる。
 誰よりも大切な麻衣と2 人でこれからも歩いていく。
 改めて決意し、翔は麻衣の手をそっと握った。


 

fin.







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