恋人たちの夜



 12月24日、クリスマス・イブ。
 街には人が溢れていた。河原町三条にある喫茶店「モーツアルト」の窓際の席で、翔は1人でコーヒーを飲んでいた。
 他の席は 殆どがカップルで、皆仲良さそうにしゃべっている。女の子同士のグループからは、時折楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
 翔はそっと、目の前の空席を見やる。
 本当 なら、ここにはニコニコ笑った麻衣が座っている筈なのだが、彼女の姿はない。今頃はきっと、一生懸命産婦さんを励ましていることだろう。先輩の助産婦に叱られながら。
  麻衣から待ち合わせに遅れるかもしれないと連絡が入ったのが午後3時。急なことで驚いたが、それも彼女の勉強の1つなのだから仕方がない。
 もしもお産が゛長引けば今日 のデートはパァだな・・・などと思いながら、翔は腕時計に目を移した。午後8時を過ぎたところだった。
 もう、かれこれ1時間はここに座っていることになる。
(我ながら よく待てるもんだ)
 いつまでも動こうとしない翔に、ちょっと迷惑そうな顔をしたウエイトレスが2杯目のコーヒーを運んできた時、彼は思った。
 ふと窓の外を見ると、 腕を組んで歩いているカップルが多いのに気づく。吐く息が白く、相当寒そうだが、みんな暖かな雰囲気だ。ほんの少し、麻衣のぬくもりが恋しく思えて、翔は心の中で苦笑した。



 今日はさすがに客の回転が早い。
 いつの間にか、翔以外の客はみんな顔ぶれが変わっていた。
 時間は午後9時を回っている。普段ならだんだん客が少なくなっていく 時間なのだが、今日は満席のままだ。
 すっかりウエイトレスにも見放されたとみえて、翔のいる席には誰も近寄らなくなっていた。読みかけだった推理小説も終わり、完全に手持 ちぶさたになってしまった翔は、そろそろ帰ろうか・・・と思った。
 もう一度腕時計を確認すると、やがて9時半になろうとしている。
(・・・ま、しょうがないな)
 テーブル の上の本をカバンに入れて、翔が立ち上がろうとした時、ふと視界が翳る。見上げると、そこには麻衣が立っていた。軽く息を弾ませながら、それでもニッコリ笑って。
「ごめんな さい、遅れちゃって・・・・・随分待ってくれたんでしょ」
 コートを脱いで、麻衣は翔の前に座った。頬が赤い。きっと、冷たい風の中を駆けてきたのだろう。
 そんな麻衣を見て いると、自然に微笑んでしまう翔だった。
「ま、仕方ないさ。それで?元気に生まれたのか?」
「うん。可愛い女の子だったよ」
 自分のことのように嬉しそうに麻衣は言う。
「そうか。良かったな」
 注文を取りにきたウエイトレスに2人分のダージリン・ティーを頼むと、翔はそっと彼女の頬に手を当てた。
「冷たいな・・・外、相当寒いだろ?」
「う、うん・・・」
 翔の手のぬくもりと、その真摯な視線とで、麻衣の頬はだんだん熱くなってきた。
「・・・怒ってない?遅刻したこと」
 黙っているのがなんだか苦しく て、麻衣は翔に問いかけた。
「怒ってはいないよ。正直、待ちくたびれたけどな」
 手を離してテーブルの上に移すと、翔は小さく微笑んだ。
「麻衣は助産婦のタマゴなんだ から、お産に立ち会うのは当然だろ?それに、お産って奴が時間通りに進むもんじゃないってことはよく判ってるしな。それは、気にしなくていい」
「そう言ってもらえると、ちょっ と安心した」
 麻衣は安堵の笑みを浮かべ、運ばれてきたカップに口をつける。コクン、と一口飲むと、暖かさが体の中に広がった。
「おいしい」
 そう小さく呟くと、幸せ そうに笑う。翔もつられて笑顔になった。
 店の中が慌ただしくなってくる。
 閉店時間が迫ってきたのだ。あと10分で10時になろうとしていた。
「そろそろ出なきゃね」
「ああ」
 翔は伝票を持って立ち上がった。麻衣も一緒に席を立つ。
 会計を済ませると、2人は外に出た。冷たい風が頬を打つ。
 麻衣が甘えるように腕を組んできた。 彼女の温もりが心地よい。翔は暫し黙ってそのぬくもりに身を任せた。
「これから、どうしよう?」
 ゆっくりと並んで歩きながら、麻衣が翔に問いかけた。
「うーん、そう だな・・・本当はホテルでディナーといきたかったんだが・・・今からじゃ、とても無理だしな。居酒屋かファミレスってとこか。ムードはないけどな」
「いいよ、そんなの。私、実はおな かペコペコなの」
「・・・俺も」
 2人は顔を見合わせて笑った。



 比較的小奇麗なファミレスで空腹を満たした2人がそこを出たのは、もう11時を過ぎた頃だった。辺りはだんだん静けさを取り戻しつつある。
 翔の車が置いてある市営駐車場 まで、2人は足早に歩いた。灯りが消えかけた街は冷え冷えとしていて寒さを増す。
 街灯だけがボーッと浮かび上がった駐車場の入り口に着くと、2人は小走りで翔の車まで行き、中 に滑り込んだ。
 ふうっと息をついてから、翔はエンジンをかける。
「今日は?家と寮のどっちだ?」
 隣でシートベルトをしようとしている麻衣の方を向いて、翔は尋ねた。
「うーんとね、どっちでもいいんだけど・・・ま、家、にしようかな」
「ん。・・・じゃ、行くか」
 翔はゆっくりと車をスタートさせる。
 東山通りを南に向けて走る。さすがに 車の量は少ない。
 清水坂から国道1号線に入る頃、麻衣が「あっ!」と小さな声を上げた。
「どうした?」
「もうすぐイブが終わっちゃう!!・・・ね、どこかで止まれないかな?」
「ええ!?・・・・・そうだな、将軍塚にでも行くか」
「うん」
 車は左に曲がり、山道へと入った。急なカーブが繰り返され、どんどんと上って行き、やがて頂上に着く。
 ここ の駐車スペースに翔は車を止めた。
 あと2分で12時。12月24日が終わる。
「ごめんね、今日は」
 麻衣が足元に置いていたカバンから、綺麗な包みを取り出して翔に差し 出した。
「はい、プレゼント」
「サンキュ。じゃ、これは俺から」
 翔はポケットの中から小さな包みを出して麻衣に渡した。
 その時、カーステレオが12時を告げる。
「あ〜、イブが終わっちゃった・・・」
「・・・クリスマスは始まったんだからいいんじゃないか?」
「・・・そう言えばそうだよね」
 翔の言葉に、麻衣はニッコリ笑うと明るく言 った。
「じゃあ、デートもやり直そうか」
「おいおい、夜中だぞ、今」
「・・・冗談よ」
「!!・・・あのなぁ・・・」
 翔が麻衣を軽く叩く真似をして、2人はほぼ同時にクスッと 笑った。
「ねぇ、これ、開けてみてもいい?」
「ああ。俺も開けるよ」
 2人はそれぞれの包みを解いた。
 麻衣から贈られたのは生成りのセーター。翔からのは小さなパー ルのイヤリング。
「あったかそうだな」
「可愛くてステキ」
2人はお互いに「ありがとう」を言いあい、微笑みあった。
「来年は・・・」
「翔くんったら、気が早いね」
 麻衣がふふっと笑うと、翔は真面目な顔をして、彼女の耳元で囁いた。
「出来れば、指輪を贈れるといいけどな」
「翔くん・・・」
 左手を指され、麻衣の頬がほんのりと赤く染 まる。そんな彼女を、翔はそっと抱きしめる。
「出来たら、だけどな」
「・・・・・うん」
 麻衣はそのまま目を閉じた。
 とてもやさしい夜が更けていく・・・・・。

fin.




 



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