君という色彩







「・・・あの、梁太郎先輩・・・これ、を・・・」
 アンサンブルコンサートを終えて、お互いに制服に着替えてしまってから。
 冬海は土浦に、用意していたプレゼントを差し出した。
「・・・俺にか?」
 土浦は軽く瞠目して、頬を薔薇色に染めた可愛い恋人を見つめる。
「はい。受け取って、いただけますか・・・?」
 少しはにかんだ笑みを浮かべている冬海を見つめながら、土浦はこのプレゼントの意味を考えた。
 今日は2月14日。
 ・・・ということは。
「・・・そうか。バレンタインデーだからか」
「・・・はい」
 こくん、と頷いた冬海に、土浦は納得し、そしてそれに手を伸ばす。
「・・・サンキュ。ありがたく受け取っておく」
 土浦が受け取ってくれたので、冬海は安堵の息をついた。
 それを見て、土浦は僅かに苦笑する。
「なんだ、笙子・・・その溜息は」
「あ、いえ、あの・・・先輩が、受け取って下さるかどうか、ちょっと心配だったんです」
 素直にそう告白してくる冬海に、ますます苦笑いしか出来なくなる。
「おいおい・・・俺がお前からのプレゼントを拒否するとでも思ってたのか?」
「あ、いえ、そんなことは・・・ただ、ご迷惑じゃ、ないかなって、思って・・・」
 遠慮がちの言葉に、土浦はやれやれ・・・と肩を竦める。
「・・・笙子」
「・・・はい」
「・・・もっと自信持てよ。俺が、お前からのプレゼントを拒否するわけないだろ? お前が俺のために、一生懸命考えてくれたものだからな」
「梁太郎先輩・・・」
 冬海はほんのりと頬を染めて、こくん、と頷いた。
「ありがとうございます。私・・・先輩といると、まだ、ドキドキするんですけど・・・でも、私、先輩と一緒にいられることが、嬉しいんです。だから、あの・・・頑張ります」
 冬海の素直さに、土浦も笑みを浮かべて頷く。
「・・・ああ。・・・なあ、まだ、時間、大丈夫か? ちょっと落ち着いて話せるところに行こう」
「あ、はい。私も・・・もう少し、先輩といたいです」
 冬海の同意をもらって、土浦は彼女を伴い、駅の方に向かってゆっくりと歩き、途中にあった喫茶店の一角に落ち着いた。
 土浦はコーヒーを、冬海はミルクティーを注文する。
「・・・さっき貰ったやつ、開けてもいいか?」
「あ、はい。・・・どうぞ」
 冬海の了承を得て、土浦は貰った紙袋をテーブルの上に置き、中身を取り出した。
「これはチョコだろ・・・こっちは・・・サロンエプロン?」
 シンプルな黒のエプロンは使いやすそうなデザインだった。
「あの、梁太郎先輩は、お料理もされるって、聞いてましたから・・・そういうのも、いいかと思ったんですけど・・・」
 冬海が少し心配そうに説明するのを聞いて、土浦はまた苦笑した。
「・・・あのな、笙子、さっきも言ったろ? もっと自信持てって。・・・こういうシンプルなのは俺もいいと思うぜ。大事に使わせてもらうな。サンキュー」
「・・・よかった」
 冬海は心底ホッとしたように微笑む。
 土浦へのプレゼントは、香穂子や天羽と一緒に買いに行ったのだが、何をあげて良いか迷う冬海に、香穂子がエプロンはどうかとアドバイスしてくれたのだ。
 確かに、実用的だし、どうせなら使ってもらえそうなものがいいと納得し、色やデザインは冬海自身が選んだ。
 ただ、本当にそんなものをプレゼントしても良いのかという躊躇いも少しあったので、自分の見立てが間違っていなかったことに安堵したのだった。 
「・・・ホワイトデーには、ちゃんとお返ししないとな」
 土浦が笑みを浮かべると、冬海は頬を桜色に染めた。
「あ、いえ、そんな・・・気を、使わないで下さい。私の方が、よっぽど、先輩に、お世話になってますし・・・」
「お世話って・・・そうか?」
「はい。いつも、駅まで送ってもらったり・・・練習に、つき合っていただいたり・・・」
「いや・・・それは別に無理にって訳じゃないし。それに・・・」
 練習を一緒にしたり、帰り道に駅まで送るのは、そうしないと、冬海と一緒の時間を過ごすことが出来ないからだ。
 土浦と冬海は学年が違うだけでなく、普通科と音楽科で、授業などにも共通点がない。
 今日までは、アンサンブルの練習という共通点があったが、明日からは、意識して時間を作らないと一緒にはいられないということだ。
 冬海は、それをちゃんと解っているのだろうか?
 土浦は僅かに眉根を寄せた。
「なあ、笙子。一応、聞いておくが・・・お前、俺と、その・・・一緒に練習したり、こうやって帰り道に一緒にいるのが嫌だ、ってことはないよな?」
「え? 嫌だなんて、そんなこと・・・」
 あまりにも意外なことを聞いた、というように目を見開いて、冬海はふるふると首を振る。
「わ、私・・・先輩と、一緒に、練習するの、好きです。あの、こうして、途中まで、一緒に帰るのも・・・ただ、いつも、遠回りをさせてしまうのは、申し訳ないなって、思ってますけど・・・」
「・・・そうか」
 あからさまに安堵の息をついて、土浦は苦笑いを浮かべた。
「・・・いや、お前があまりにも遠慮した言い方するから・・・もしかしたら無理強いしてんのかと思った」
「そ、そんな・・・そんなつもりじゃ・・・ただ、私・・・本当に、先輩には、お世話になってるなあって・・・だから・・・」
 一生懸命になって否定しようとする冬海に、土浦はやっぱり苦笑いになってしまう。
「判ったって。・・・明日からは、アンサンブルの練習はないが・・・オケ部の練習日じゃない日は、一緒に練習しようぜ? いいだろ?」
「・・・はい! 嬉しいです、梁太郎先輩」
 満面の笑みを浮かべた冬海に、土浦はまたしても鼓動が跳ね上がるのを感じる。
 いつ見ても、心が騒ぐ。
 あまりにも愛らしくて、可憐で。
 冬海の魅力に囚われてしまう己を突きつけられて、土浦は内心で溜息をついた。
「・・・ところで、今日の演奏だが」
 土浦はコーヒーをひと口飲んでから、冬海に穏やかな笑みを向ける。
「良かったぜ、お前の音。一緒にやった『ルスランとリュドミラ』の方は軽快な雰囲気が出てたし、『中央アジアの』の方は、お前らしい、澄んだ音が出てた。曲の感じによく合ってたと思う」
「・・・本当ですか?」
 冬海が瞳を輝かせた。
「・・・ああ。日野も、よく頑張ってたし、理事長や理事たちも、文句はなかっただろうさ。・・・俺自身も、いい勉強をさせてもらったと思う」
「私も、凄く、楽しかったです・・・香穂先輩や、梁太郎先輩と・・・みなさんと、演奏出来て。私、これからも、頑張ってクラリネットを続けていきたいです」
「・・・出会った頃に比べたら、随分しっかりしたよな、笙子」
「先輩・・・」
 土浦の言葉に、冬海は目を見開く。
 けれど、土浦の穏やかな瞳と笑みには嘘は感じられない。それが彼の、心からの言葉であることを感じ取って、冬海は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、梁太郎先輩。嬉しい、です」
 しっかりと前を向いて微笑む冬海は、その存在自体が清らかで可憐な色彩のようだと土浦は思った。
 この笑顔を、独り占めしたい思いは依然として湧いて出てくる。けれど、同時に、どこまで輝きを増すかを見て見たい気もする。
 内気なだけだった冬海が、少しずつ前へ進み、演奏のためになら他人の前に立てるまでに成長した。
 きっと、これからも成長を続けていくであろう彼女をずっと見守っていきたい。
 そして、常に、隣に立てる唯一の男でありたい。
 土浦は改めて、強くそう願った。
「なあ、笙子」
「・・・はい」
「今まで黙っていたが・・・4月から、俺は音楽科に転科することにした」
「本当ですか?」
 再び、冬海が目を見開く。
 土浦はゆっくりと頷いた。
「ああ。文化祭の前くらいに、金やんから話をもらって・・・11月中には決めてたんだ。ちょっと、本気でやってみようってな。ピアノだけじゃなく、他にやりたいこともみつかったし」
「えっと・・・指揮、ですね」
 土浦は頷いた。
「まあ、どこまで出来るかはやってみなきゃってとこだが、やるからには上を目指すつもりだ」
「・・・いつか、聴いてみたいです。梁太郎先輩の、指揮されるオケ」
 冬海が祈るように手を握り合わせ、そっと微笑む。
 土浦もやさしい笑みを向けた。
「・・・俺はむしろ、聴きに来るんじゃなくて、クラリネットの席に座っててもらいたいけどな」
 冬海は一瞬瞠目し、それから、花がふわりと綻ぶような笑みを浮かべた。
「・・・素適ですね、それ。私も、頑張ります。演奏家に、なれるように。・・・いつか、梁太郎先輩と、一緒に舞台に立てるようになりたいです」
「お互いに、頑張ろうぜ?」
「はい」
 しっかりと頷いた冬海の笑顔は、鮮やかな色彩のように、土浦の心に染み込んでいった。
 道を同じくする同士として。
 そして、誰よりも大切な愛しい存在として。







END







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