帰る道







 文化祭へ向けての練習は進みつつあった。
 今回、俺と冬海が一緒の曲を演奏することはないが、別々にはアンサンブルメンバーに入ってるから、こうして帰りは駅まで送る、を続けている。
 秋も深くなると、日暮れが早くなる。
 徐々に寒くもなっていく時期なので、小柄の冬海は余計に頼りなさそうに見えちまう。
「寒くないか? 冬海」
「・・・あ、はい・・・大丈夫、です」
 相変わらず、あまり俺の方を見ようとはしない。
 だが、それが冬海の恥じらいから出ていることだということは判っている。
 俺自身も、甘い空気とかは苦手だから、特に何かをする訳でもなく。
 とはいえ、たまに気にかかることがある。本当に、ただこれだけで冬海はいいと思ってんのかってことだ。
「・・・・・あの、土浦、先輩」
「ん? どうかしたか?」
「・・・あの、いつも・・・こうやって、駅まで、送って下さって・・・私、先輩の、邪魔に、なってませんか」
「冬海・・・」
 俺は溜息をつく。
「邪魔になんてなってるわけないだろ? 気にするな」
 俺が送ってやるのは駅までで、そこから冬海は電車に乗り、最寄り駅から更に歩いて家に帰る。
 本当なら、家まで送ってやるのが彼氏ってもんなんだろうが、さすがにそこまでは俺には無理だ。
 だからせめて、駅まではと思ってるだけだ。
 学院から俺の家までよりは、確かに遠回りになっちまうが、俺が冬海にしてやれることはこのくらいしかない。しかも、ただの自己満足だって言われても文句 も言えねえ程度のことだ。
「・・・・・私は・・・先輩と、こうやって、一緒に歩けるだけで・・・嬉しいですけど。先輩の、練習の邪魔になってたらと思うと・・・」
「全く・・・」
 俺は遠慮がちに小さく言う冬海の頭をごく軽く、ポンポンと叩いた。
「お前を駅まで送ってから帰っても、お前が家に帰るよりは早く帰り着くんだぜ? 俺は。だから、余計な気は回さなくていい。お前を1人で帰らせたりした ら、日野にも怒られるからな」
 そう。
 日野の奴も冬海のことを心配してる。あいつは、毎日といっていいほど、月森と帰ってるから問題はないが、冬海の家が学院からは遠いことを知ってるだけ に、気になるらしい。
 言われるまでもなく、俺だって冬海を1人で帰らせるのは心配なんだ。色々な意味で。
「先輩・・・」
 冬海がふと立ち止まって俺を見上げてくる。
 俺も足を止めて冬海を見下ろした。
「香穂先輩・・・少し、元気がないような、気がしたんですけど・・・土浦先輩は、気がつかれてませんか」
「・・・・・ああ、確かにな・・・」
 日野の奴、表面上は元気そうにしてるが、時折重い溜息をついてることがある。
 小耳に挟んだ、月森のことが原因なのかもしれない。
 それか、あいつだけ3曲ともに参加してるが故の疲れか。
 いずれにせよ、アンサンブルの要はあいつなんだ。嫌でも頑張ってもらうしかない。
「冬海、音楽科の方では、何か噂になってないか? 月森の、ことなんだが」
「月森、先輩の?」
 冬海は小首を傾げて、少し考え、はっとしたような表情に変化した。
「・・・あの、噂、になっているどうかは、判らないんですけど・・・志水くんが、チラッと、言ってたこと、でしょうか。月森先輩、留学の、準備をされてい る、って」
「志水が?」
「はい。前に、図書室で、申請書類を、書かれているのを、見たって、言ってました」
「・・・そうか」
 なら、月森がいずれ留学するってのは確かなことなんだろうな。
 日野もそれを知ってるってことか。もしかしたら。
「先輩・・・もしかして、香穂先輩、それを・・・?」
「もしかしたら、な。まあ、聞けそうなら、まず月森の奴に確かめて、日野のことはそれから、だろ。いずれにしても、俺たちに口出しできることじゃないが」
「そう、ですね・・・」
 冬海が僅かに俯く。
 日野のことを相当慕ってるからな、冬海は。きっと、あいつのことを考えて心を痛めてるに違いない。
 そう思ったら、ちょっとだけ日野が妬ましくなるな。
 って、それは俺が相当冬海に入れ込んじまってるってコトかよ。
 それはそれで情けないというか、恥ずかしいというか・・・カッコ悪いよな。
「・・・香穂先輩も、ですけど・・・月森先輩も・・・少し、辛そう、というか、音が、違いますよね・・・」
「月森の?」
 冬海が言い出したことに、俺は瞠目した。
「はい・・・王崎先輩に頼まれて演奏した、あのバザーコンサートの時と、この前の創立祭の時の演奏は・・・とても、伸びやかな、感じがしてたんですけ ど・・・この頃、少し、哀しそう、というか・・・なんだか、ちょっと・・・」
 そうか。
 今回、俺は月森と同じアンサンブルに入ってる訳じゃないから、あいつの演奏を直接聞いてないんだよな。
 でも、冬海は一緒に演奏することになってて、当然、練習も一緒にしてる。
 だからこそ、感じるものがあるんだろう。
 けど、あの、いつも腹立たしいほど冷静な月森が? 音を変化させるなんて、そんなことがあるのか?
 留学ってことだって、おそらくあいつのことだ、自分から言い出したんだろうに。
「あいつが感情に左右されるような演奏をするとは思えないが・・・冬海が言うんなら、そうなのかもな。ミスをするとかじゃないんだろ? 月森のことだか ら」
「はい。・・・だから、今は・・・『モルダウ』って、雄大なイメージがある曲だと、私は思うんですけど・・・なんだか、哀しげな曲に、なっちゃって て・・・ヴァイオリンが、2本とも、そうなので」
「・・・成程な」
「あの、土浦先輩たちの『展覧会の絵』はどうですか? 香穂先輩は、あの・・・」
「・・・俺たちの時は、落ち込んだりしてないぜ? 日野も。メンバーがメンバーだってのも、あるのかもしれないが」
「土浦先輩と、火原先輩と・・・加地、先輩、ですよね・・・確かに、そうかも、しれませんね」
 冬海がふわっと微笑む。
 それを見て、俺の鼓動が跳ね上がる。
 マジ、こいつの笑顔は・・・ヤバイ。
 なんつーかこう、思わず抱き寄せたくなるような・・・本人は全く判ってねえだろうが。
「あ、ああ・・・火原先輩はあの通りだし、加地の奴も・・・やたら、日野のこと構いたがってるが、基本的に明るい奴だしな。暗くなってるヒマもないだろ」
「・・・香穂先輩と、月森先輩・・・大丈夫でしょうか・・・」
 しゅん、と沈んだ表情になった冬海の頭を、俺は軽くポンポン、と叩いた。
「・・・お前が落ち込んでもどうしようもないだろ? 冬海。結局は、あいつらが自分の気持ちとの折り合いをつけるしかないんだ。俺たちに出来ることは、話 を聞いてやることくらいだろうしな」
「土浦先輩・・・」
 どこか縋るような瞳で、冬海は俺を見上げてくる。
 さっきの笑顔といい、このひたむきな瞳といい・・・こいつって、ホント、ヤバイよな・・・。
 物凄く自制心を試されてる気がする。
「・・・冬海」
「はい」
「お前・・・」
 俺を試してんのか? と聞きかけて、言葉を飲み込んだ。
 そんなコト、こいつが考えてる筈がないよな、冷静に考えたら。
「・・・ヘンなこと、聞いても、いいか」
「ヘンなこと、ですか?」
「その・・・お前って、今までに、誰かとつき合ったことって、あんのか?」
「え? そ、そんな・・・あの・・・!」
 冬海は真っ赤になって首をぶんぶんと振って否定した。
 だろうな。そこは予想通りだ。
 ならやっぱ、自制しとかないとヤバイってことだ。
 下手なことして、恐がらせたりしちゃ、どうしようもねえ。
 折角、こうやって笑ってくれるようになったんだ。以前に比べたら、話も、随分出来るようになってきてる。
 それだけでも相当な進歩だからな、こいつにしちゃ。
「判った。・・・とにかく、日野と月森のことは、暫く見守ってやるしかないだろ。あんまりひどいようだったら言えよ。月森や日野と話してみるから」
「・・・はい」
 そうやって話してるうちに、駅が見えてきた。
 今日はいつになく話したな・・・それが殆ど、日野と月森のことだってのは、どうかと思うが。
 けど、今日、ひとつはっきり判ったことがある。
 頭で考えているよりずっと、俺は冬海に惹かれてるらしいってこと。
 俺らしくないって気もするが、これが『惚れた弱み』って奴なのかもしれない。
「冬海、家に着いたら、メールしろよ」
 改札の前で、俺はそう声をかけた。
 すると、冬海はほんのりと頬を染めて嬉しそうに微笑む。
「はい。先輩、また、明日」
 その笑顔は・・・だからヤバイって。
 頼むから、他の男(ヤツ)には見せんなよ?
 動揺を悟られないように手を上げてその背中を見送りながら、俺は溜息をついた。



 信じられないほど、冬海にホレちまってる。
 そんなことを自覚した、帰り道、になった。





END







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