奏でる旋律






「・・・冬海」
 土浦に呼ばれ、冬海は振り向いた。
「先輩、何か・・・?」
 昼休みの練習室。土浦と冬海は月森や香穂子と並んで、ここの常連となっている。
 今日も一緒に練習をしようと約束していて、早めに昼食を済ませてやってきたのだった。
 冬海は土浦の顔を見て、少し身構えた。微妙に怒っているような、厳しい目つきになっている。
「お前、今日、誕生日なんだって?」
「あ・・・・・はい。でも、どうして・・・?」
 今日、11月3日は冬海の誕生日だった。
 しかし、土浦には、そんな話はしていなかった筈だ。
「・・・日野に聞いた」
「香穂先輩に・・・?」
 確かに、香穂子や天羽とは、互いの誕生日の話をした覚えがあった。けれど、土浦にそれを教えたということは、彼女が自分の誕生日のことを覚えてくれていたということで。
 冬海はほんのりと頬を染めた。
「香穂先輩・・・覚えてて、下さったんですね・・・」
「・・・・・お前なぁ」
 土浦はますます眉根を寄せる。
「誕生日なんて大事なことを何故言わなかった」
「えっ、えっ、と・・・その・・・」
 不機嫌さを隠そうともしない土浦の様子に、冬海は気後れして俯いてしまう。
 土浦に話さなかったのは、話す機会がなかったから、というのが一番の理由だ。コンサートの準備などで忙しいことも手伝って、そういう話題になったことは一度もない。
 それと、自分からそれを言い出すと、祝ってもらうことを強要してしまうようで、躊躇いが生まれたせいだ。
 こうして想いが重なるようになってから、まだ日も浅いというのに。
「・・・冬海」
 怒ったような土浦の声に、冬海はびくん、と肩を震わせた。
「ご、ごめんなさい」
「・・・ったく・・・!」
 土浦は大きな溜息をついて、冬海の髪をわしゃわしゃと乱暴に掻き回した。
「きゃっ・・・!」
「俺もお前も、お互いにまだ知らないことが多いだろ? 確かに、今はコンサートやなんやで忙しいけどな、誕生日とか、そういう大事なことはちゃんと言え。いいな?」
「・・・先輩・・・」
 冬海が恐る恐る顔を上げると、土浦は苦笑していた。
 そう。冬海と知り合ったのは春のことだが、音楽科と普通科で、学年まで違う自分たちだから、互いについて、実は知らないことのほうが多い。
 つき合い始めてからもそう時間が経っている訳ではないから、当然と言えば当然なのだ。
 だからこそ、互いのことを話して、知る必要があると土浦は思う。あまり、自分のことを話すのは得意ではないが、冬海に対してなら、話せると思えるから。
「俺もなるべく、自分のことを話すようにするから。お前も、話してくれよ?」
「・・・はい」
 冬海が微かな笑みを浮かべて頷くと、土浦は彼女の頭をごく軽くポンポン、と叩いた。
「・・・ま、プレゼントは後日ってことでまけといてくれ。とりあえず、お前のリクエストを聞いてやるから、聞きたい曲があったら言ってみろよ」
「えっ・・・い、いいんですか?」
 指を組んで、手首をならす仕草をした土浦に、冬海は目を瞠った。
「俺に弾けるものなら何でも弾いてやるから。今日のところはそれで勘弁してくれ」
 土浦は苦笑しているが、冬海はぶんぶんと首を振った。
「か、勘弁だなんて・・・そんな・・・先輩が、私だけのために演奏して下さるなんて・・・嬉しいです、とても」
 そう。
 土浦の演奏を独り占め出来るなんて、そんな贅沢なことをしてしまっていいのだろうかと思ってしまう。
 どんな豪華な品物をもらうよりも、彼が自分のためだけにピアノを奏でてくれることの方が高価で嬉しい。
「冬海・・・」
 頬を染めながら、はにかんだ笑みを浮かべる冬海に、土浦の鼓動が速度を増した。
「あ、あの・・・私、先輩の、ショパンが、聞きたいです・・・」
「ショパン、ね・・・了解」
 土浦は僅かの間逡巡して、スッと指を鍵盤の上へと滑らせ、演奏を始めた。
 軽めのタッチで始まったのは『子犬のワルツ』。
 コロコロとした、可愛らしい音色が冬海の耳に心地よく響く。
 土浦の奏でる音は、どこまでも軽快で、愛くるしい子犬の姿すら浮かんでくるようだ。
 冬海は微笑みながら演奏に聞き入った。
 最後の旋律が響くと、土浦は続けて次の曲を奏で始める。
 冬海が目を瞠った。
 そのメロディーはサティの『ジュ・トゥ・ヴ』。
 冬海はこの曲が大好きだった。聴くのは勿論、自分で演奏するのも好きで、よく練習する。
 やさしい旋律と音色。冬海はうっとりと目を閉じてその演奏に聞き入っていた。
 土浦が弾いているというだけで、こんなにも柔らかな、そしてどこか甘い音に聞こえてくるのは何故だろう。
 パッと見た外見は無骨な感じなのに、その指から紡ぎだされる音の、なんと繊細なことか。
 演奏が終わって、土浦がそっと鍵盤から指を離しても、冬海はまだ目を閉じたままで、音色の余韻に浸っていた。
「・・・・・冬、海?」
 少しだけ心配そうな声音で呼ばれ、冬海ははっとして目を開けた。
 土浦がピアノの前から、冬海の近くに移動して、顔を覗きこんでいた。
「どうかしたか?」
「・・・あ、あの・・・す、凄く、ステキでした・・・嬉しいです、土浦先輩・・・」
 頬を染め、ニッコリと笑った冬海に、土浦は彼女を抱きしめたくなる衝動に駆られそうになり、僅かに視線を上へと逸らせた。
「あ、ああ・・・お前が、気に入ってくれたんなら、良かった」
「こんな・・・ステキなプレゼントもらえて、何よりです。ありがとうございます、先輩」
「・・・こんなので良かったら、いつでも弾いてやるから、言えよ?」
「そんな・・・先輩の演奏を独り占めだなんて・・・贅沢すぎます・・・!」
 冬海はふるふると首を横に振るが、土浦はその言葉にフッと笑みを浮かべた。
「・・・贅沢なんてことはないだろ。お前だから・・・お前には、その権利があるだろ? 冬海」
「えっ・・・あ、の・・・?」
 冬海が僅かに首を傾げる。土浦は一瞬言葉に詰まり、それからまた、少しだけ視線を逸らす。
「・・・お前は、俺の・・・大事な奴、だからな」
「土浦、先輩・・・!」
 冬海は嬉しさのあまり、瞳を潤ませた。
 大好きな男性(ひと)に大切だと、大事だと言われることほど、嬉しいことはない。
「ありがとう、ございます、土浦先輩・・・好き、です」
「冬海・・・」
 土浦は軽く瞠目しながら視線を戻して、はにかんだ笑みを浮かべて自分を見上げている冬海に、笑みを向けた。
「ああ、俺も、な。・・・誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます、先輩」
「もう少し、時間があるな・・・もう一度、弾くか」
 時計を見ながら、土浦は再びピアノの前へと移動する。 
「何がいい? 冬海」
「じゃあ・・・さっきの『ジュ・トゥ・ヴ』を」
「了解」
 そっと、土浦は指を乗せた。
 奏でる旋律に、誕生日を祝う気持ちを込めて。






END







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