星に願いを







 クラリネットの練習を終えて、ひと息ついた。
 防音室を出てリビングに行くと、お母さんが紅茶を入れてくれる。
「笙子、練習お疲れさま」
「・・・ありがとう、お母さん」
 少し甘い、温かい飲み物は疲れた身体を癒してくれるようで、私は自然と笑顔になる。
 そして、同時に思い出す。
 
 夢のような、今日の午後の出来事を。



 最初は、恐い人なのかと思ってた。
 ジロッと睨まれたりしたこともあったし、背が高くてがっしりした感じだから、凄く大きく見える。
 言葉使いも、男の人って感じで、近寄りがたい雰囲気で。
 それでなくても、私は男の人が苦手で、話をするなんてとんでもなくて。
 だけど。
 その指から生まれる音楽は、力強くも繊細で、時にやさしくて、温かい。
 だから、解ったの。
 恐いだけの人じゃなくて、本当はやさしい人なんだってことが。
 香穂先輩のようにいつも、どんな時でも顔をしっかり上げて歩く、なんてことが出来ない私は、つい、俯いてしまいがちで、時々呆れたような溜息をつかれたりしていたけど、それでも、会えばいつも挨拶をしてくれて、ささやかでも声をかけてくれて。
 そんな人だから、気がついたら、恐い、じゃなくてステキな人だと思うようになってた。
 学内コンクールが終わって、あまり顔を合わせることもなくなったけど、それでも、たまにエントランスや通学路で顔を合わせると、やっぱりちゃんと声をかけてくれてて。
 秋になって、香穂先輩や月森先輩、志水くんとアンサンブルを組むことになって、それを応援してくれたり、演奏を聞いて、色々意見を言ってくれたり、そんな風に接しているうちに、私は自分の気持ちに気がついた。
 男の人を好きになるなんて、私には縁がないことかと思ってたのに、好きに、なって。
 でも、好きって気持ちを自覚したら、余計に意識して、話せなくなって、挨拶すら、普通には出来なくなってしまって。
 今日も、あまりにも混雑している購買に怯んでたら、声をかけてくれて、私の代わりに人ごみに入って、消しゴムを買ってきてくれた。
 凄く嬉しかったのに、私はまともに顔を上げられなくて、満足にお礼も言えないままだった。
 そんなんじゃダメだって、そのうち呆れられて嫌われてしまうって思うのに、ドキドキしすぎてどうしようもなかった。
 立て替えてもらった消しゴムの代金がその時に返せなくて、放課後、もう一度会うことになったけど。
 いざ、放課後になって、練習室への扉ところに佇む姿を見たら、やっぱりドキドキしちゃって、俯いてしまって。
 そうしたら、私が恐がって避けてるんだと誤解させてしまってみたいで、「俺って、そんなに恐いか?」と聞かれて。
 恐いなんて思ってない。そうじゃなくて、好きだから、あまりにもドキドキするから、顔が見られないだけ。
「そんな、こと・・・恐い、なんて・・・そんな、ことは、ないです」って、首を振りながら、やっとの思いで答えると、「・・・なら、顔上げろ。そんな風に俯かれてちゃ、怯えさせてんのかと思うだろ」って、少しだけ呆れたような、でも、決して責める感じじゃない、やさしい口調で言われた。 
 恐いんじゃないって伝えるために、私は必死で顔を上げようと思った。でも、やっぱり恥ずかしくて、真っすぐに見つめ返すなんてことは無理で。
 ごめんなさいって謝って、でも、その指で奏でられるピアノが大好きで、だから恐いってことはない、と伝えると、少しホッとして、肝心の用件を思い出した。
 立て替えてもらった消しゴム代を入れた封筒を差し出して、笑みを浮かべる。それでも、恥ずかしくて真っすぐには見つめられなかったんだけど。
 そうしたら。
「俺は、お前が・・・好きだ、冬海」って、告白された。
 信じられなくて、目を見開いて、まじまじと顔を見つめると、今度は向こうが視線を外して、少しだけ、目元を赤くしてて。
「本当に?」と問うと、「冗談でこんなこと言えるかよ」って答えてもらって。
 嬉しくて、凄く嬉しくて、恥ずかしかったけど「私も、好きです」って伝えたら、ホッとした表情で微笑んでくれて。
 それにますますドキドキしたけど、そんな風にやさしく見つめられたら、やっぱり嬉しい。
 学院からの帰り、駅まで送ってもらって家に帰ってきた。
 その間も、あまり話は出来なかったけど、いつもよりは歩く速度も私に合わせてくれていた。
 そんな些細なやさしさがまた、嬉しくて。
 あの指から生まれるピアノの音色のように、温かい。そしてどこか、夢のようでもあって。


 土浦先輩・・・。
 本当に、私は、先輩と気持ちを重ねることが出来たんでしょうか?



「・・・笙子、携帯電話が鳴ってるわよ」
 お母さんに言われて、はっとした。
 短めで途切れたメロディーは、メールの着信を知らせるもの。
 そっと開いてみて、また、ドキッとした。
 
『冬海、明日の朝、駅で待ってる。電車に乗ったらメールしてくれ』

 土浦先輩からのメールは、用件だけだけど、それでも、私にとっては凄く嬉しいお誘いで。
 今日の出来事が夢じゃなかったんだってことを、私に教えてくれる。
 私はやっぱりドキドキしながら、返事を送った。

『はい、判りました。また、明日』

 駅から学院まで、また先輩と一緒に歩けるんだと思ったら、嬉しいけど、きっとまたドキドキしすぎて何も話せなくなっちゃうかもしれない。
 でも。
 少しずつでも、話せるようになりたい。
 私も、土浦先輩も、きっと、お互いのことはあまり知らないから。
 先輩のこと、もっと知りたいと思う。


 そっと立ち上がって窓から空を見上げたら、星が見えた。
 明るく煌くひとつの星。
 暗い夜空を照らすその輝きは力強さとやさしさを表しているようにも見えて、私は土浦先輩を思い出した。
 
 香穂先輩のように、ちゃんと土浦先輩と話が出来るように。
 そしていつか、香穂先輩と月森先輩のように、土浦先輩と仲良くなれたら、いいな、と思う。
 まだまだ、難しいだろうけど。
 もう少しだけでも、勇気が持てたらいいなと思う。


 土浦先輩。
 ずっと、先輩に、好きって言ってもらえる女の子でありたいです。


 星を見つめてそう願った。
 やさしいピアノの音色を思い出しながら。





END







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