空白を埋める言葉








「・・・・・先輩・・・・・」
 冬海は困っていた。
 土浦はずっと、不機嫌そうな表情のまま、押し黙っている。


 この、妙な沈黙の時間がどうにも重苦しい。
 徒に、空白の時間(とき)が流れていく。

「・・・土浦先輩・・・」
 冬海はおろおろしながら、この空白の時間を埋めるための言葉を必死で探していた。




 元々のコトの起こりは、天羽と香穂子との3人で引き受けた臨時のアルバイトだった。
 月森がウィーンへ旅立ち、離れ離れになった寂しさを味わうヒマもない程に香穂子に課せられた課題。
 土浦と共に4月から音楽科への編入が決まっている彼女らには、春休みに音楽論などの学術的な部分を補うための宿題が出されていた。
 そんな香穂子の気晴らしを兼ねた天羽のお誘い。
 それに、冬海も乗る形になったのだ。
 香穂子同様、土浦も課題に取り組んでいて、ここのところ、たまにしか会えていない。
 冬海は、少し時間を持て余していた。
 それに、天羽がバイト先で生き生きと働く姿を見て、自分も働いてみたい、と思ったせいでもある。
 生まれて初めてのアルバイトは、接客業。ケーキの売り子さんだった。
 可愛らしい、メイドさん風の制服を着て、香穂子、天羽と共に、ケーキショップの売り子を任されることになる。
「えっと・・・私、が、頑張ります」
「あはは、冬海ちゃん、そんなに緊張しないで、笑顔だよ、え・が・お」
 天羽にニコニコと声をかけられ、冬海はごくん、と息を呑む。
「笙子ちゃん、大丈夫。私も初めてだけど、一緒に頑張ろ?」
 香穂子の笑顔にも励まされ、冬海はこくん、と頷いた。
 制服に着替える前に、天羽と練習した声の大きさ、言葉遣いを思い出しながら、冬海は香穂子たちとショーケースの前に並んで売り子を務めた。
「いらっしゃいませ! イチゴフェア開催中でーす」
 元気な天羽の声に、店に入ってきたお客さんたちがショーケースを覗き込む。
「美味しいケーキですよー」
 香穂子も笑顔でそう売り込む。
 何人かの人が、あれこれと注文をしてくれた。
 天羽と香穂子がてきぱきと注文を受け、ケーキを箱に詰めて代金を受け取る。
 冬海もそれを手伝いながら、一生懸命に働いた。
 いつもは苦手な大きな声も出し、出来るだけはっきりと話せるように努め、頑張った。
 ケーキはそこそこ順調に売れ、約束のバイトの時間が残り30分となった時だった。
「・・・いらっしゃいませ。ケーキは、いかがですかー」
 店のドアが開いて、冬海がその日、何度目となるのか判らない声を上げた時。
「・・・冬海?」
 聞きなれた声が響いて、冬海ははっとしてショーケースの向かいを見上げる。
 絶句したかのように立ち尽くす、土浦がそこにいた。
「先、輩・・・え・・・っ、あ、あの・・・」
「・・・土浦くん?」
「あ?・・・日野? それに天羽まで・・・何やってんだ、お前ら」
「何って・・・バイト。菜美の紹介で、今日だけなんだけどね」
 香穂子が笑顔で応える。
 土浦は香穂子と冬海を交互に見て、不機嫌そうな表情になった。
「日野・・・お前、課題は? こんなことしてる暇、あんのか」
「・・・頑張ってるよ。だけど、今日は息抜き。・・・いいじゃない、息抜きくらい。それより、笙子ちゃん、可愛いでしょ? ん?」
「か、香穂先輩・・・」
 冬海は赤くなって俯く。
 しかし、土浦の表情は不機嫌なままだった。
「土浦くん?」
「・・・何時までだ」
「あと3・・・ううん、20分ってとこかな。・・・ところで、土浦くんこそ、課題は?」
「俺は8割がた終わらせた。・・・判った。20分だな」
「えっ、ちょっと、土浦くん?」
 香穂子が問いかける暇もなく、土浦は店から出ていった。
「・・・なになに? 土浦くん、えらく不機嫌だったね」
 天羽が眉根を寄せる。
「うん・・・どうしたんだろ? 笙子ちゃん、こんなに可愛いのに、何も言わずに行っちゃった・・・」
 香穂子は首を捻る。
「・・・土浦、先輩・・・」
 冬海にも、土浦の不機嫌そうな表情と声に心当たりがなく、なんだか不安になってくる。
 土浦は一体何故、あんな怒ったような口調で話していたんだろう。
 気づかないうちにまた、土浦を怒らせてしまうような態度を取っていたのだろうか。
 考え出すと、不安はどんどん大きくなっていく。
「・・・冬海ちゃん? 大丈夫?」
 天羽に顔を覗き込まれ、冬海はふるふると首を振った。
「な、何でも・・・ありません・・・」
「笙子ちゃん、土浦くん、もしかしたら課題で疲れてるのかも。電話ででも、話してみたら? バイト済んだら」
 香穂子がそう声をかけたら、またお客さんが来たので、3人は仕事に戻る。
 それから程なく、時間がきて、3人は仕事を終えて着替えてから店を出た。
「お疲れ〜、香穂、冬海ちゃん」
「疲れたけど、なかなか楽しかったよ。菜美、誘ってくれてありがとう」
「いやいや、私も楽しかったからいーよ。冬海ちゃんは? どうだった?」
「・・・あ、はい・・・まだ、ドキドキしてます・・・」
「・・・そうだね、ドキドキもしたね」
 香穂子が微笑んで冬海を見つめて、天羽とも微笑みあうと。
「・・・冬海」
 前方に不機嫌な表情のままの土浦が立っていた。
「土浦くん・・・」
「・・・日野、天羽、悪いがこいつ、借りてくぞ」
「えっ・・・えっ、あ、あの、あの・・・・・」
 訳が判らないまま、冬海は土浦に腕を掴まれ、半ば引きずるようにして香穂子たちから離された。
 土浦は海辺近くの公園へと移動すると、やっと冬海から手を離し。


 そして、現在に至っている。




 こんな風に険しい表情(かお)のままで押し黙っている土浦を前にしていると、冬海はどんどん不安になっていく。
 土浦が怒っているらしいのは判るが、その原因が思いつかない。
 けれど、彼が口を開かない限り、冬海は戸惑うばかりで、不安が更に増大していく。
「・・・・・どう、して・・・私・・・判らないんです。どうして、先輩が、そんなに・・・・・怒って、いるのか」
 泣きそうになりながら、冬海は必死で言葉を押し出した。
 土浦は、涙混じりのその声にはっと目を瞠って、それからばつが悪そうに少し視線を逸らした。
「・・・・・お前、なんでバイトしようと思ったんだ?」
「え・・・えっと・・・天羽、先輩に誘われて・・・ケーキショップの、お仕事って、聞いたので・・・やって、みようかなって」
「・・・・・何時間あそこにいたんだ」
「・・・半日くらい、というお約束だったので・・・10時から、3時まで、です」
 交代で昼休みを30分もらったから、実質は4時間半だった。
「・・・・・おおかた5時間、か」
 土浦は重い溜息をついた。
 その間、冬海はずっと日野、天羽と一緒にあの姿だったわけで。
 あのケーキショップに入ったのは、偶然だった。
 課題のめどをつけて、息抜きも兼ねて久しぶりに冬海の声を聞こうかと電話をしたら、留守電になっていた。
 少し落胆して、気晴らしにと街へ出て、あの店の近くを見て回っていたら、以前に姉が『美味しいケーキショップがある』と話していたのを思い出し、その品揃えを見てみるためにふらりと店内に足を踏み入れたら、そこに冬海がいたわけだ。
 しかも、あんな可愛らしい、メイド服を着て。
 驚愕と共に、強烈な怒りと嫉妬を覚えた。
 香穂子が言っていたように、メイドの格好をした冬海は物凄く可愛らしかった。
 あの姿で、自分以外の男(きゃく)たちに微笑んでいたのかと思うと、どうしようもなくイライラして。
 香穂子も、天羽もそれなりに可愛かったが、冬海のは、土浦にとってその比ではなかった。
 だからこそ、ムッとしてしまったのだ。
「・・・笙子」
「は、はい」
 びくっと肩を震わせて、怯えたように見上げてくる冬海に、土浦は溜息をつきながらはっきりと言い放つ。
「もう、あんな格好でバイトするなよ」
「・・・・・あ、あの・・・・・ヘン、でしたか・・・? やっぱり、香穂先輩や、天羽先輩みたいには、可愛くなかった、ですね・・・」
 見るからにしおれてしまった冬海に、土浦は再びの溜息をつく。
「・・・違う。逆だから、するなって言ってんだ」
「・・・えっ・・・えっ?」
「・・・日野も、それなりだったけどな。お前のは・・・」
 言いかけはしたものの、面と向かって可愛い、とは照れくさくて口に出来ない。
「と、とにかく、あれは禁止だ。・・・それから」
 土浦は冬海の手を、今度はそっと掴んで木陰へと連れて行き、ふわりと抱きしめた。
「せ、先輩?」
「・・・俺も息抜きしようと思ってお前に電話したんだぜ? そうしたら、留守電になって、仕方なく買い物にでも、と思って来てみたら・・・ってヤツだ」
「あ・・・」
 一転して苦笑したような声音に変わった土浦が自分と話したいと、会いたいと思ってくれていたことが、冬海は嬉しかった。
「あ、あの・・・私も・・・先輩に、会いたかった、です」
「・・・笙子」
 抱きしめる土浦の腕の力が少し増した。
 それは言葉よりも雄弁に土浦の気持ちを伝えてくれる。
 何故ケーキショップの制服にクレームがついたのかは謎のままだが、冬海の不安は解消された。
「・・・・・好き、です・・・梁太郎、先輩・・・」
 赤くなりながらも、小さな声で冬海は土浦に告げた。
 気配で、土浦が息を呑んだのが伝わる。
 反射的に見上げると、土浦は目元を染めて視線を逸らしていた。
「お、お前・・・・・それも、反則だろ・・・」
「・・・え?」
 冬海は訳が判らなくて首を傾げる。
 土浦はちらり、と冬海を見ると、彼女の身体を自分に密着させるかのように抱き込み、耳元でぼそり、と呟いた。
「俺も、お前が好きだぜ、笙子」
「先輩・・・」
 冬海は耳まで真っ赤になった。


 気まずい空白を埋める言葉は、互いを好きな気持ち。
 そんなことを思う冬海だった。





END







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