手を繋いで







 クリスマスコンサートは大成功だった。
 市民ホールは多くの生徒と関係者で埋め尽くされ、理事長の吉羅も学院分割案を撤回してくれた。
 メンバーたちでの打ち上げパーティの後、こうして土浦と冬海は並んで帰途についている。
「・・・お疲れさん、笙子」
「いえ・・・梁太郎先輩こそ、お疲れ様でした」
「いい、コンサートだったな」
「はい。香穂先輩も、月森先輩も・・・加地先輩も、綺麗な音を、出しておられましたよね」
「・・・ああ。一時はどうなるかと思ったこともあったが・・・日野も月森も、落ち着いたようだな」
「はい。・・・やっぱり、香穂先輩は、ああして、笑ってくださってるのが、1番です」
 文化祭前、月森が留学するということが明らかになった時は、ギクシャクしかけていた香穂子たちだが、文化祭当日の演奏も、今夜のコンサートでも、いい演奏をしていた。
 2人の間にどんなやり取りがあったのかは知らないが、2人なりに気持ちに整理をつけたのだろう。
「・・・お前の音も、良くなったな、笙子」
 土浦が微かな笑みを浮かべて言うと、冬海はポッと頬を染めた。
「そ、そうで、しょうか・・・私、梁太郎先輩や、香穂先輩や、みなさんに・・・色々、ご迷惑を・・・」
 こちらも一時期ではあったが、冬海と同級生の間でギクシャクした空気が流れて、冬海が涙する、などということがあった。
 上級生と一緒にアンサンブルを組んで色々なところで演奏することになった冬海への、嫉妬心から派生したものではあったが、生真面目で気弱だった冬海には、堪えたらしい。
 けれど、香穂子や土浦、そして仲間たちに支えられ、時には叱咤されて、冬海は前を向いて歩いてきた。迷いながら、傷つきながら、それでも、自分の持てる力を最大限に活かせるようにと。
 クリスマスコンサート前には、その同級生たちとも無事和解出来て、冬海らしい音が戻ってきた。
「そんなことないぜ、笙子。こうしてお前がちゃんと上を向いて頑張ったんだ、それで充分だよ、俺も、みんなもな」
「梁太郎先輩・・・」
 冬海はますます顔を赤くして、それでも、ふわりと微笑んだ。
 土浦曰く『他の男には絶対に見せたくない、心臓に悪い笑顔』だ。
「ありがとう、ございます・・・先輩の、ピアノも、ステキでした・・・一緒に、演奏が出来て、嬉しかったです」
「・・・そ、そうか? サンキュー、笙子」
 彼女の笑顔にドキッとさせられていることを悟られぬよう、土浦は努めて何気ない風を装った。
 コンサートホールのある湾岸地域は、クリスマス・イブということもあって、たくさんのカップルたちが肩を寄せ合い、腕を組んだりしながら笑顔で歩いている。
 美しいイルミネーションも、その効果に一役買っているのだろう。
 けれど、土浦はこういう『いかにも』な雰囲気は正直なところ、苦手だった。
 しかし、このまま冬海と別れてしまうのも味気ない。
「・・・なあ、笙子」
「はい」
「お前・・・まだ、時間、大丈夫か? 大丈夫なら、少し、ついてきてほしい所があるんだが・・・」
「あ、はい・・・大丈夫です。まだ、そんなに遅くはないですから」
 このまますんなりと帰宅してしまうのが惜しいのは土浦だけではなかった。冬海も、折角のクリスマス・イブの時間、もう少し、土浦と過ごせたらいいと思っていた。
 土浦の進む方に、冬海はついていく。
 駅の近くを過ぎて、更に山手の住宅地の中にある、小さな公園へ、2人はやってきた。
 小さな砂場とブランコとベンチが1つだけの、本当に小さな公園。だが、そのお陰で他の人影はない。
「・・・海の方向、見てみろよ、笙子」
「あ・・・」
 公園は少し高台に位置しているので、湾岸地区のイルミネーションを見下ろすような形になり、逆に綺麗だった。
「綺麗・・・近くで見るより、ステキですね」
「・・・だろ?」
 冬海の嬉しそうな横顔に、土浦も笑みを浮かべる。
「・・・どうやって、見つけたんですか? 先輩」
「・・・お前を駅まで送った後、ちょっとこっちの方に寄ったことがあってな。その時、気づいたんだ」
「・・・嬉しいです・・・こんな、綺麗な景色、先輩と見られて」
 ニッコリと微笑んだ冬海は、まるで天使のようで。
 土浦は何かに魅かれるように、冬海の細い身体をそっと抱きしめた。
「せ、先輩?」
 耳まで真っ赤になって、冬海はどうしていいか判らず固まってしまう。
 土浦ははっと我に返ったが、あまりの細さと、柔らかな温もりに、腕を解くことは出来なかった。
「笙子・・・お前、無自覚すぎ」
「・・・え?」
「お前の笑顔・・・ヤバイから、かなり。絶対、他の男(ヤツ)に見せんなよ?」
「え・・・えっと・・・それ・・・どういう、意味ですか? ヤバイ、って・・・」
 腕の中の冬海の頬が赤から青く変わる。
 それを見て、土浦は軽い溜息をついて、腕を解き、冬海の両肩を軽く掴んで目線を合わせて膝を屈めた。
「・・・要するに、だ。その・・・」
 説明しかけて、土浦は言葉に詰まった。
 抱きしめたくなる程可愛い、などということを正直に口に出来る筈がない。
「えっと、だな・・・つまりだ、ヤバイってのは、悪いって意味じゃなくて、だな・・・」
 目を泳がせながら、しどろもどろになる土浦に、冬海はますますしおれていく。
「・・・いい、です・・・慰めて、くれなくても・・・」
「・・・笙子」
 土浦はぎゅっと冬海の両手を握った。
「悪い意味じゃないって、言ってるだろ? そうやってすぐに悪い方に考えるのはお前の・・・って、元凶は、俺、だな・・・悪い」
「先、輩・・・」
 冬海が顔を上げた。
 不安そうな大きな瞳が、土浦を真っすぐに見つめてくる。
 清純で、一途な冬海の瞳の中にいるのが誰なのか。そんなことはよくよく解っている筈、なのに。
 土浦は苦笑して、それからテレたように目元を微かに赤くして目線を僅かに下げた。
「・・・俺の勝手な思い、だよな。お前の笑顔を、誰にも見せたくないなんて。独り占め、しておきたいんだよ・・・お前を」
「梁太郎、先輩・・・」
 冬海は目を瞠って、まじまじと土浦のテレた顔を見つめ、その言葉に嘘がないらしいことを感じ取ると、はにかんだように微笑みを浮かべた。
「・・・私・・・あの、お友達、とか、香穂先輩とか・・・は、大事にしたいと、思ってますけど・・・あの、男の人、なら・・・先輩だけに、独り占め、して欲しいです・・・」
「しょ、笙子・・・!」
 紡がれた言葉に、土浦は目を剥いた。
 おそらく、深い意味はないのだろうと思う。しかし、これはまさに『爆弾発言』ではないか。
「あ、あのなぁ・・・! お前、ほんっとにヤバイって・・・」
 勘弁してくれ、と叫びたい心境の土浦だ。
「えっ・・・え、あ、あの、私・・・また、何か、失敗、しましたか・・・?」
 おろおろする冬海に、土浦ははあ、と重い溜息をついた。
「・・・・・いや、そうじゃないが・・・さっきの言葉、絶対俺以外の前で言うなよ? お前なんて、すぐに『お持ち帰り』されるぞ」
「『お持ち帰り』って・・・何ですか? 先輩」
「・・・要するに、こういうことだ」
 土浦は手を放して、再び冬海の腰を強く抱きよせる。
「笙子、今夜は家に帰さないぜ」
「えっ・・・? ええっ? あ、あの、そ、それは、あの・・・!」
 さすがの冬海も意味が解ったらしい。
 耳まで真っ赤になって、おたおたする様子が可愛らしくて、土浦はククッと笑った。
「冗談だって。そんなことはしないさ、俺はな。だが、俺以外の男(ヤツ)はこんなことを考えてる連中も多いから、気をつけろよ?」
 『今はまだ』という限定つきの保証ではあるが、とにかく、現在の土浦にそのつもりはない。
 ただ、抱きしめるだけで真っ赤になってしまうような純情な女の子に、手出しなど出来はしないのだから。
 別の意味でそそられる部分もあるにはあるのだが。
 この秋からのアンサンブルの経験を通して、冬海は綺麗になったと思う。
 コンサートを開く毎に、香穂子と共に男子生徒の注目度は高まっていっていた。
 可能な限り、牽制してはきたつもりだが、楽観は出来ないだろう。
 土浦は腕の力を緩めて、冬海がある程度自由に動けるようにしてやる。
「・・・笙子・・・好きだぜ」
 耳元で、ごく小さく囁く。
 面と向かって、はテレくさくてとても言えそうにないから。
「せ、先輩・・・!」
 冬海は、全身から湯気が立つのではないかという程、真っ赤になっていた。
「・・・笙子?」
「・・・せ、先輩の、声が・・・! だ、ダメ、です・・・こんなの・・・!」
 ぎゅっと硬く目を閉じて、恥ずかしくて堪らないらしい冬海の左手を、土浦は自分の右手でしっかりと握ってやった。
「・・・ったく・・・! お前は・・・」
 可愛くてしょうがない、という言葉は告げないでおく。
 代わりに、ポケットに入れていた小さな包みを取り出して、冬海に差し出した。
「笙子、メリー・クリスマス。これを、お前に」
「・・・先輩・・・?」
 ようやく、冬海が目を開けた。
 差し出された包みを見て、一瞬目を瞠った後、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、ございます、先輩・・・!」
 土浦には、既にプレゼントを渡していた冬海なので、遠慮なく受け取る。
「・・・さて、あんまり遅くなるのはまずいだろうから、そろそろ、帰るか」
「・・・はい」
 静かな澄んだ空気の夜の中へと、2人は歩きだした。
 しっかりと、手を繋いで。


       




END







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