木漏れ日の午後







 判っていた。
 日野が月森を好きなんだということは。
 俺のことは、友達だとしか意識してないってことも、最初から判っていた。
 告げようと思えば告げられないことはなかったと思うが、俺はそれをしないまま、失恋した。



 それに。
 夏の終わりごろから、どうしてだか気になるヤツがいる。
 春よりはかなりマシになったが、今でも大人しくて、内向的で、あまり話さない。正直、俺の苦手なタイプの筈だった。
 だが、日野や天羽の前ではよく笑うし、オケ部に入ったりもして、硬さは取れてきた。
 それだけに、男子の間での人気は更に上がり、言い寄られることも増えたらしい。
 この前も、普通科の2年男子に告白されてた。
 その時は丁度天羽が通りがかって助けてたな。必死で断ってるつもりだったらしいが、如何せん、強い調子で拒絶なんて出来ない奴だから、男の方は図に乗っちまう。
 天羽ほど、ハッキリスッパリでなくてもいいと思うが、なんつーか、もうちょっとハッキリ言わねーと通じない。
 とは言っても、難しいんだろうけどな。



「・・・冬海、どうした?」
 昼休みの購買に並ぶ列の一番後ろに、小さな後姿を見つけて、声をかけた。
 一瞬びくっと肩を震わせて、冬海は振り向く。
「・・・土浦、先輩・・・」
 いきなり俺が声をかけたのと、どう見てもこの列に臆していたんだろう、と思える、少し怯えたような様子で、冬海は僅かに俯いた。
「凄い数だよな・・・何を買いに来たんだ」
「あ、あの・・・・・その・・・消しゴム、を・・・」
 消え入りそうな声で答えた冬海に、俺は悟られぬほどの微かな溜息をついた。
「消しゴムだけか? 他には?」
「あ・・・い、いえ、あの・・・消しゴムだけ、です」
「判った。ここで待ってろ」
 この列に突っ込んでったら潰されかねない冬海の代わりに、俺は列を掻き分け、消しゴムと、自分の分のパンを3つほど確保して後ろに戻った。
「これでいいか」
 消しゴムを差し出すと、冬海はおずおずとそれを掴んだ。
「あ、あの・・・・・ありがとう、ございます」
「俺の買い物のついでだ。気にするな」
 なるべく穏やかに言ってみるが、冬海の緊張は全く解けないらしく、やっぱり俯いている。
「・・・冬海?」
「せ、先輩・・・あの・・・これ、おいくらでしたか?」
「あ、ああ・・・多分、100円だったと思うぜ」
 冬海は手に持っていた財布を開けて、代金を探していたが、どうやら、100円玉はなかったらしい。
「あ、あの・・・放課後、お返しするのでも・・・いいでしょうか」
「いいぜ。急ぐ訳じゃないからな」
「じゃあ・・・あの、それまでに、用意します」
「判った」
 俺が頷くと、冬海はぺこり、と頭を下げて小走りで去っていった。
 結局、俺の目を一度も見なかったな、冬海の奴。
 コンクールの後、暫くはそんなことはなかった。学院内で会うことは少なくなったが、会えば、ちゃんと俺を真っすぐに見て挨拶してくれてたのに。
 あれは・・・そうだ。王崎先輩に声をかけられたとかで、教会のバザーでのコンサートに日野や月森、志水たちと一緒に出ることが決まったとかで、冬海も一生懸命練習していた。
 それを知った俺は「頑張れよ。聞きにいくからな」って声をかけた。そして「手伝えることがあったら手伝うから、声をかけてくれ」って、日野に話して。
 その後、何度か練習を耳にする機会があったから、その度に感想を言ったり、合わないところを指摘したりしてて。
 その辺りから、だよな・・・冬海が、俺を避けてるような感じになったのは。
 だが、俺には避けられる理由が判らない。
 俺、あいつに何かしたか? そんな覚えはないんだが。
「・・・土浦くん? 何してるの?」
 いきなり声をかけられてぎょっとなる。目の前には、怪訝な表情をした日野と、相変わらず気難しそうな表情をした月森が立っていた。
「ひ、日野・・・なんだよ、いきなり」
「それは私のセリフだよ? もうじき昼休み終わっちゃうよ? ご飯、まだなんでしょ? パン持ってるってことは」
「何っ? もうそんな時間か」
「こんな人通りの多いところで不必要に立ち止まっていては迷惑だと思うが?」
 月森に呆れたような口調で言われ、ムッとする。
「・・・お前に言われる筋合いはねーよ」
「珍しいよね、土浦くんが考え事してお昼ご飯の存在忘れちゃうなんて」
 日野の苦笑いに、俺は溜息をついた。
「・・・全くだ。・・・まあ、自分で確かめるか」
「え? 何か、あったの?」
「・・・いや。日野、月森、また放課後に」
 この2人とは現在、創立祭のための練習をしている。
 日野だけなら、冬海のことを聞いてみてもよかったんだが、月森の前では聞きづらかった。
 どうせ放課後本人に会うんだ。その時に直接聞けばいい。
 どういう答えが返ってくるかは、判らないけどな。



 日野や月森との練習の前に、俺はまず個人の練習をする。
 そして今日はそれの前に、冬海を掴まえようと思った。冬海も、ここのところずっと練習室を予約しているようだし、その辺で待っていたら掴まえられるだろうと思った。
 何人かの音楽科の生徒を見送って、ようやく目当ての小さな姿を捉えた。
「冬海」
「あ・・・先輩・・・」
 俺の姿を認めると、やはり視線を逸らしてしまう。
 だんだん、俺は腹が立ってきた。
「・・・冬海、ちょっと来い」
「え?・・・あ、あの?・・・えっ・・・」
 細い腕を掴んで、外へと連れ出す。
 強くなりすぎない程度に、でも決して逃げられないような力で冬海の手を引いて森の広場へと連れて行った。
 あまり目立たない木陰に入ると、掴んでいた手を離した。
「なあ、冬海。どうして俺を避ける」
 冬海の正面に立ち、尋ねてみる。
「・・・・・そんな、つもりは・・・」
 肩と声を震わせて、全く俺の目を見ようとしない。
「言葉と動作がちぐはぐだぞ? 俺、お前に何かしたか? お前が嫌がるようなこと」
「い、いえ・・・そんなことは・・・ありません」
 一瞬、顔を上げて俺を見たが、また、俯いてしまって。
 否定してはくれたが、本当に何もしてないとは思えないような避け方としか取れねえぞ、これじゃ。
「・・・俺って、そんなに恐いか?」
 自分で言うのも何だが、俺は冬海よりも20cm以上背は高いし、体格もいい。
 目つきも、口調もあまり良くないってことは判ってる。
 だが、春のコンクール以降、冬海を睨みつけたり威圧したりしたことはない筈だ。
 とはいえ、自覚のないうちに恐がらせているんだとしたら、言ってもらわないと判らない。
 そういう意味での問いかけだったんだが、冬海はやはり俯いたままで、ふるふると首を振った。
「そんな、こと・・・恐い、なんて・・・そんな、ことは、ないです」
「・・・なら、顔上げろ。そんな風に俯かれてちゃ、怯えさせてんのかと思うだろ」
 なるべくキツくならないように言って、俺は冬海を見守った。
 おずおずと、何度か上げようとしては俯くことを繰り返し、いい加減こっちがイライラしそうになった時にふと、気づく。
 俺からはどうしても見下ろす形になってしまう冬海の耳の辺りが赤くなっていることに。
 これは・・・テレなのか? それとも、やっぱ、恐がられてんのか?
 本当に恐がられてるとしたら、やっぱへこむよな。
 気になる奴に避けられてるんだとしたら。
「あ、あの・・・私・・・ご、ごめんなさい・・・」
 謝られたってことは、やっぱ、恐がられてるってことかよ。
 予測よりもショックが大きくて、自分でも驚いた。
 それだけ、冬海が気になってたのか、俺は。
「・・・あの、私・・・先輩のピアノ、好きです」
 茫然としかけてた俺の耳に飛び込んできた、小さな声が、意識を冬海へと戻してくれた。
「・・・俺の、ピアノ?」
「はい・・・あの、力強くて、でも、とても繊細な感じで・・・だから、先輩が恐い、なんてこと、本当になくて・・・ただ・・・やっぱり・・・恥ずかし、くて・・・」
 視線は下に向けていても、顔はさっきよりも上がってる。だが、その頬も耳同様、赤く染まっていた。
 ヤバイ。何だか俺まで気恥ずかしくなってきた。
「・・・まあ・・・その、なんだ・・・恐がられてないんなら、良かったぜ」
「あ・・・そうだ」
 冬海はポケットから小さな封筒のようなものを取り出した。
「あの・・・お昼休みは、ありがとうございました。・・・土浦先輩が助けて下さって、嬉しかったです」
 そう言って、はにかんだ笑みを浮かべた冬海を見た俺は、心拍数が上がったのを感じた。
 反則だろ、それは。
 この笑顔で他の男を見て欲しくない。そう強く感じ、俺は自身の気持ちに気がついた。
「・・・冬海」
「・・・はい?」
 差し出された封筒を受け取り、俺は冬海を真っすぐに見つめた。
 微妙に泳いでいる視線は俺から離れていても、顔はちゃんとこっちを向いてくれている。相変わらず、頬は赤いままだ。
「その・・・いきなり、みたいだが・・・俺は、お前が・・・好きだ、冬海」
「えっ・・・え、あの・・・ええっ?」
 冬海の大きな瞳が更に見開かれる。
「あ、あの・・・あの、先輩・・・わ、私を、ですか? 本当、に・・・?」
「・・・冗談でこんなこと言えるかよ・・・」
 気恥ずかしくて、今度は俺が視線を逸らす。
 考えたら、自分から告白するの、初めてだよな、俺。
 こんなに緊張するもんなんだと、妙に感心しながら冬海の返事を待つ。
「・・・・あの・・・嬉しい、です・・・わ、私も・・・先輩のこと、好き、です」
 はにかんだ笑みとその言葉に、今度は俺が瞠目した。
 頬の赤は更に鮮やかになっていて、視線はやはり下向きだが、笑みは本物で。
 冬海の意思だと実感して、俺は心底から安堵した。
「・・・俺は、ベタベタしたりすんのは苦手だし、マメでもないが・・・よろしくな? これから」
「・・・はい。あの・・・私も、頑張ります。まだ、少し、恥ずかしいですけど・・・ちゃんと、先輩の顔を見て、話せるように」
 恥ずかしそうに、それでも笑みで応える冬海は、可愛い、と思う。
 相当にイカレてるな、と思いながら、俺は何気ない素振りですっと顔を上げた。
 柔らかい木漏れ日が俺たちを包むように照らしている。
「・・・今日、練習が終わったら途中まで一緒に帰るか」
「・・・はい」
 微笑んだ冬海に、俺も笑みを向けた。





END







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