Christmas Carol







「・・・コンサート、無事終わって良かったね、蓮くん」
「・・・ああ、そうだな・・・いい、コンサートだった」
 心地よい疲れを感じながら、香穂子と月森はゆっくりと手を繋いで歩いていた。
 澄んだ冷たい空気の中、繋がれていない方の手には、どちらもヴァイオリンケース。
 クリスマス・イブの夜、コンサートを成功させた充実感が2人を包んでいた。


「・・・でも、良かった。学院が2つにされずに済んで」
「そうだな。音楽科と普通科が同じ場所になければ、俺と香穂子が一緒にいることはなかっただろう」
「うん」
 理事長の吉羅が分割を思い直してくれて本当に良かったと香穂子は思う。
 音楽科と普通科が別々になってしまったら、折角知り合えた人たちと離れなくてはならなくなってしまうのだから。
「・・・香穂子」
「何? 蓮くん」
 月森は足を止めて、隣にいる香穂子を見つめた。
 香穂子も真っすぐに月森を見ている。口元にやさしい笑みを浮かべて。
「その・・・寒く、ないだろうか」
「ん? 別に、そう寒くはないよ」
「なら・・・少し、遠回りをしてもいいだろうか」
「あ、うん。いいよ」
 月森がどこかへ寄り道しようとしているのだということが判ったので、香穂子は承諾した。
 折角のクリスマス・イブの夜だ。演奏家同士としてではなく、恋人同士としての時間を過ごせるなら嬉しい。
 華やかなイルミネーションにいろどられた湾岸地区から、山手の方へと移動し始めていたが、少し横道の方、住宅街の中へと足を進める。
 住宅街にも、家によっては色鮮やかなイルミネーションが施されていて、賑やかな空気が漂っているところがある。
「・・・なんだか明るいね、この辺は」
「・・・少し、派手じゃないか」
「ん〜、蓮くんはこういうの、嫌い?」
「嫌いというわけではないが・・・落ち着いた雰囲気とは程遠いなと思っただけだ」
「あー、それは言えるねー」
 香穂子がクスクスと笑う。
 その無邪気ともいえる笑顔に、月森の表情も緩む。
「蓮くんはクリスマスは静かな方が好き?」
「そう、だな・・・」
 月森はこれまでを思い返してみた。
 幼少の頃は両親と一緒にパーティーなどに呼ばれることが多かったように思う。しかし、近年は自宅で静かに、というか、両親は相変わらずコンサートやパーティーで、1人で家にいてヴァイオリンの練習をしながら過ごしていた気がする。
 性格上、親しい友人もさほど多くない月森だから、友人と騒ぐ、などということもなかった。まして、恋人と過ごすなど、去年までの自分では考えもしなかったことだ。
「あまり騒がしいのは好きじゃないが・・・君と一緒に過ごすのは・・・いいと思う」
「蓮くん・・・」
 香穂子がふんわりと微笑んだ。
「私も・・・蓮くんと一緒に過ごせるの、嬉しいよ」
「香穂子・・・」
 月森もやさしい微笑みを向ける。
 こんなにも心惹かれる女性に巡り会えるとは、昨年のクリスマスには思いもしなかった。
 出会えたこと、共に音楽を奏でられることを、感謝したいと思う。
 やがて、遠く離れることになるのだとしても。
 住宅街を抜けると、公園がある。
 月森はその中へと香穂子を誘った。
 目に付いたベンチに、ヴァイオリンケースをそっと置く。そして、月森は香穂子を見つめた。
「・・・香穂子」
「何?」
「・・・君に、聞いておきたいことがある」
 月森の真摯な瞳に、香穂子も真顔になった。
「・・・俺は、君が好きだ。大切だと、思っている。・・・だが、俺にとって音楽はすべてだ。音楽も、俺のすべてを要求してくる。君が、俺のことを同じように想っていてくれても・・・そして、君を遠くに残すことになったとしても、俺は、やはり音楽を選ぶだろう。それでも、もしも君が音楽の道を歩んでくれるなら、同じ道を歩めるかもしれない。・・・勝手なことを言っていると、自分でも思うが・・・だが、信じてもいいだろうか? 君と俺とは、同じ音楽で結ばれていると」
「蓮くん・・・」
 偶然、話を聞いてしまった文化祭の前の一件から、なるべく考えないようにしていたこと。
 月森は、やがてウィーンに留学する。
 具体的な時期についてはまだ聞かされていないが、来年になれば確実にそれは訪れるだろう。
 だからこそ、こんな質問をしてきたのだと、香穂子は思った。
 香穂子はしばし、目を閉じる。
 自分の腕がまだまだ未熟なことは判っている。それでも、月森と同じところに立ちたくて、努力してきた。
 このまま努力を続ければ、演奏家になることも夢ではないだろうと、月森に言ってもらえる程には、なってきた。
 そして、何より。
 香穂子自身が、それを望んでいる。これからも、月森と同じ道を進んでいきたいと。
 瞼を開けて、香穂子は真っすぐに月森の瞳を見つめ返した。
「・・・うん。私も、信じてるよ、蓮くん。たとえ、遠く離れたって、私はヴァイオリンを続けていく。いつでも、いつまでも・・・蓮くんと同じように、音楽を奏でていたいと思う」
「・・・ありがとう」
 月森は安堵の笑みを浮かべて、香穂子に近づき、そっと抱きしめた。
 そして、額にやさしくキスを落とす。
「蓮、くん・・・」
 香穂子は頬を赤くして、月森を見上げた。
 月森も、少しテレたような笑みを浮かべて、ゆっくりと香穂子を開放した。
「・・・そうだ。香穂子、一緒に、弾かないか」
「え?」
「リリからもらった楽譜があるだろう? あの曲を、君と弾きたい」
 リリにもらった楽譜というのは、エルガーの『愛のあいさつ』。ヴァイオリン2本で弾けるように編曲されているものだ。
 2人はヴァイオリンを取り出して調弦を済ませ、ゆっくりと弓を乗せた。
 やさしく澄んだ音色が、夜空に溶けていく。
 互いの音を聴きあいながら、美しいハーモニーを創り出していく。こんな風に、ヴァイオリンを奏でられるのが嬉しい。
 最後の音を奏で終え、静かに弓を下ろす。
 どちらからともなく微笑みあう。
「・・ねえ、蓮くん。ウィーンに行く日までは、こうして一緒に弾いてくれる?」
「・・・ああ、勿論」
「私、もっともっと練習して、蓮くんみたいになれるよう、頑張るから。蓮くんと並んでいられるように」
「・・・香穂子」
 技術は確かにまだまだ向上させるべき点がある。だが、香穂子は演奏家としての必要な資質を充分に備えている。だからこそ、月森も共に歩みたいと願っているのだ。
 でも、それは本人にはあまり自覚がないらしい。
 無論、音楽にはここが到達点だと言えるところはない。高みへと、きわめていっても、終わりなど存在しない。
 時には多くの苦しみや痛みを伴うこともあるだろう。音楽を続けていく、ということは、そういうことだ。
 それでも、月森はこれからも音楽を求め続け、そして、きっと香穂子のことも、求め続ける。
 香穂子と過ごす時間の中で経験した様々な想いが、月森の音楽を形づくっていくのだから。
「香穂子、音楽をきわめる者はどこまでも孤独だ。音楽には、ここが到達点だと言えるところなどないのだから。だが、音楽こそが、俺と君を出会わせた。そのことに俺は、深い意味を感じる」
「蓮くん・・・」
 音楽が自分のすべてだという月森の言葉は、彼らしいと思う。けれど、その中で、音楽を通して香穂子と出会えて良かったと思ってもらえていることは素直に嬉しい。
 どこまでも高みを目指していこうとする真摯さも、確かな技術も、春よりずっと豊かになった音色も、月森のすべてが愛しい。
 近い将来に遠く離れなければならないけれど、それもきっと、自分たちにとっては必要なことなのではないだろうか。
 音楽に出会って、演奏を続けてきたからこそ、得られたものの何と多いことか。
 それはきっと、かけがえのないものばかり。
 大切な仲間、友人、誰よりも大切な、愛する人。
 月森に出会えて、本当に良かったと香穂子は思う。
「・・・蓮くん、大好きだよ」
「・・・香穂子、俺もだ」
 互いに微笑んで、月森はもう一度弓を構えた。
 澄み切った綺麗なクリスマスキャロルが響いていく。
 香穂子は目を閉じてうっとりとそれに聴き入った。


 聖なる夜の静けさに、どこまでも。
 香穂子への想いを乗せて。
 月森の奏でるヴァイオリンの音が響いていった。
 






END







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