それは小さな嵐のように








 5月に入って間もないころ。
 日本の天羽さんから、一通の封書が届いた。
 彼女からの封書はこれで3度目になるか。いずれも、俺や香穂子のスナップ写真を送ってきてくれた。
 今回も、そうなのだろうが・・・いつもより、封書の厚みが薄い。
 もしかしたら、写真ではないのか? ならば、何だ。
 考えているだけではどうしようもないので、俺はとにかく、それを開封することにした。
 中に入っていたのは、便箋と、やはり、写真だった。
 しかし。
「!!」
 その写真を見た俺は、言葉を失ってしまった。
 香穂子と、冬海さんが並んで写ったものと、香穂子1人のものの2枚だけだったが、そのどちらもが。
「・・・・・これは、一体・・・・・」
 呻くように呟いて、俺は、写真を包んであった便箋を持ち上げる。
 そこには、天羽さんの文字が並んでいた。


『やっほー、月森くん、元気? 
  3月に、香穂と冬海ちゃんと私の3人でバイトしたんだ。
 ケーキ屋さんの売り子だったんだけど。
 そのお店の制服が可愛かったので、写真にしました。
 土浦くんはなんでだか怒っちゃったらしいんだけど、
 こんな可愛い香穂を月森くんに見せないテはないと思って。
 香穂に感想言ってあげてね〜

 じゃあ、また              天羽 菜美』


「バイト先の、制服、だって・・・?」
 この、どう見てもメイドにしか見えない格好が?
 この姿で、お客の前に・・・?
 ケーキショップということは、女性客の方が多そうな気がするが、男の客だっていたはず。
 その男の客に、この姿で・・・?
 そう考えただけで、眩暈がしそうな気がする。
 天羽さんの言うとおり、確かに、可愛い、と思う。
 香穂子はあまりこういった感じの服を着ることはなかったように思うから、余計にそう感じるのかもしれないが。
 しかし、だ。
 だからこそ、こんな姿を俺以外の男の前で・・・と思うと、平静ではいられない。
「香穂子・・・」
 呟いて、溜息をつく。
 土浦が怒ったと書いてあったが、それも納得、という感じだ。冬海さんも、香穂子には及ばないものの、かなりのものだと思うから。
 いや、問題はそこじゃない。
 バイトをすることがいけないとは思わない。しかし、そんなことをしながらヴァイオリンを続けることが出来るのか?
 ましてや、音楽科に編入したのなら、そんな暇はない筈だ。
 ヴァイオリンの練習、楽典などの専門知識の勉強、音楽科の人間が2年間かけてやってきたことを、香穂子は短期間で習得しなければならない筈。
 殊に勉強はヴァイオリンのように才能で補える部分というのは多くはない筈だ。
 なのに、バイト? この可愛いメイドスタイルで、男の客にあの笑顔を・・・?
 そこまで考えて、はっと我に返る。
「・・・俺は、一体何を・・・」
 そうだ。
 何をしようと、香穂子の自由じゃないか。
 俺には、彼女を縛り付ける資格はないだろう? 好きだという気持ち以外、何もない俺には。
 まして、何の言葉もないまま、こうしてウィーンに来てしまった。
 そんな俺に、彼女の何を規制出来る?
 そもそも、好きであっても、恋人であっても、相手の行動を規制するような資格はないだろうから。
 俺は再び溜息をつくと、パソコンを立ち上げた。
 こんな気分じゃ、練習してもいい成果は出せそうにない。
 少し気分転換をしてからの方がいいだろう。
 そう思ったんだが。
 届いていたメールは、学校からの連絡と、王崎先輩のリサイタルの連絡、それと、香穂子からの定期便。
 学校からのは臨時休校の知らせで、王崎先輩からのメールには、出来るだけ予定を空けて聴きに行かせてもらう旨の返信をしておいた。
 そして、香穂子からのを開ける。


『蓮くん、お元気ですか?
 私はなんとか元気です。
 毎日、理論とか楽典に悩まされながら、ヴァイオリンを弾いてます。
 以前、蓮くんに注意されたことなんかを思い出しながら頑張ってるんだよ。
 土浦くんも頑張ってるみたいです。
 蓮くんは、だいぶそっちでの生活に慣れた?
 また、よかったら様子を教えて下さい。
 じゃあ、またメールするね。
                 香穂子』


「・・・頑張って弾いているんだな」
 努力している様子が見えるようで、つい、微笑んでしまう。
 そう、香穂子はヴァイオリンを弾くことを楽しんでいるからな。
 ヴァイオリンが好きだと、だから続けていきたいのだと、そう話していた。
 返信をしようと、ふと、視線を手元へ移すと、視界の端に、問題の写真が見えて。
 俺の眉間の皺が復活した。
 『3月に』と書かれているから、おそらく、短期間のバイトだったんだろうが・・・それにしても、この姿はあんまりだろう。
 何故バイトなどをすることになったのか。それを聞いてみたくなった。


『香穂子、メールをありがとう。
 俺は元気でやっている。君も、頑張っているようだな。
 ところで、今日、天羽さんから手紙と写真が届いた。
 冬海さんと君が、メイドのような格好をしているものだ。
 バイト先の制服だと書かれていたが、何故、バイトを?
 良かったら、教えてくれないか。
                月森 蓮』


 そう打ち込んで送信した。
 送ってしまってから、少し後悔する。
 あんな・・・ただ、感情に任せただけの、詰問するような内容のものを、香穂子はどう思うだろう。
 俺がこんなに落ち着かないのは、おそらく、土浦が怒ったという理由と同じ。
 独占欲と嫉妬。
 今の俺には、こんな感情を抱く資格はないというのに。
 それでも。
 俺は、香穂子の心が今も、俺にあると、信じたいんだと思う。それを切望している。
 遠く離れていても、俺の心は、香穂子のものだから。
 パソコンの側のフォトフレームの中の香穂子に目を向ける。俺の好きな、明るい笑顔。


 機械音が、俺の思考を断ち切った。
 メールが届いたようだ。
 予感に、僅かな緊張を伴いつつ、それを開く。
 差出人はやはり香穂子だった。


『蓮くん、メールありがとう。
 菜美ったら、バイトの時の写真、蓮くんに送ったんだね。
 あれは、音楽科に転科するための課題に行き詰ってた時に、1日だけって
 ことで引き受けたの。笙子ちゃんがバイトしてみたいって言ってたのもあって。
 もしかして、蓮くんも、あの格好はダメって、言う?
 土浦くんが笙子ちゃんのを見て、凄く怒ってて。
 だいぶしてから理由聞いたら、あの格好はダメだ、なんて言ったから。
 ・・・でも、なんでかな?
 蓮くん、どう思う?
                    香穂子』


 どう思う? と言われても・・・。
 素直に答えられる筈ないだろう。
 可愛すぎるから、他の男に見せたくない、なんて。
 それに、1日だけの限定だったのなら、今更蒸し返してもどうにもならない。
 だが。
 今後また、あんな格好のバイトをされては困るのは確かだから。
 俺は少し考えて、キーボードに向かった。


『香穂子、まだ起きていたんだな。
 返事がもらえて嬉しいが、あまり無理はしないでくれ。
 バイトのことだが、土浦が怒った理由は、推測は出来るが、正解かどうかは
 判らないので答えられない。
 だが、俺も、出来れば君にああいう格好はしてほしくないな。
 そう思うことは、やはり勝手だろうか。
                      月森 蓮』


 これの返信も程なく届いた。


『なんだかよく判らないけど、蓮くんも土浦くんもあの格好はダメってことだね。
 結構可愛いと思うんだけどな・・・。
 もしも次にバイトすることがあったら、普通の格好で出来るところを探すね。
 まあ、当分は無理だと思うけど。
 でも、バイトして、いつか、蓮くんのところまで行けたらいいな、とも思うよ。
 それもダメ、なんて言わないでね。
                       香穂子』



 ああ・・・そういう理由でのバイトなら、反対は出来ないな。
 君が、このウィーンに来てくれるというのなら。
 だが、やはり、あのメイドさんの格好だけはしないで欲しい。
 君にこちらへ来てもらえるよう、俺もバイトを探さなければならないかもしれないな。
 勿論、当分は無理な話だが。

 それでも、いつか、君と。
 このウィーンで会えるといい。


『香穂子、いつか、君が会いに来てくれるのを楽しみにしている。
 だが、無理だけはしないでくれ。
 俺も、精一杯の努力をしよう。
 君に、恥じない俺でいられるように。
 
 おやすみ、香穂子
                     月森 蓮』



 こちらはまだ夕刻だが。
 そろそろ日付が変わるであろう、日本にいる君。
 突然訪れた嵐のような写真だったが、君とメールで話せたことは、その嵐のお陰だな。
 俺は写真を机の引き出しに収め、ヴァイオリンを取り出した。
 
 
 奏でるのは『ロマンス 第2番』。
 誰よりも愛しい香穂子を思いながら。 




END








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