素顔で笑っていたい.9
あきのはどこをどう走ったのか判らないまま、気づくと自宅の前にいた。 門を開けて、玄関の鍵を開ける。 静まり返った家の中に入ると、鍵をかけて、のろのろと自室に向かい、ベッドに突っ伏して声を上げて泣いた。 智史の気持ちが判らない。 落ち込んでいたあきのを心配してくれたのは伝わっていた。けれど、お見合いの件については、まるで自分には関係ない、と言いたげな言葉と態度しか見えなかった。 智史にとって、あきのは取るに足らない、
現在が楽しければそれで良い、という程度の軽い存在でしかないということなのだろうか。出来ることならずっと一緒に、というのはやはり、あきのの側だけの思いだったということか。 近くにいた筈なのに。お互いがお互いの特別なのだと思っていたのはあきのの錯覚に過ぎないのだろうか。 そう考えれば考えるほど、あきのの涙は溢れて止まることを知らぬかのようだ。 智史が好きだからこそ、その心が見えないことが悲しい。 やがて、疲れて眠ってしまうまで・・・あきのは泣き続けた。
一方、智史は。 あきのを見送ってから、無性に暴れたくて仕方がなかった。 こんなにムシャクシャした気持ちは随分久しぶりだ。あきのと付き合いだす前は、時折暴れて喧嘩をしたものだが、彼女と過ごすようになってからは
そんなことは無くなっていたのだ。 智史は鋭い目で周囲を威嚇しながら黙々と駅前の方へと歩いていった。 その辺りでなら、喧嘩を吹っかける相手に巡り会えそうな気がした。俗に言う不良なら、相手は誰でも構わない。そう思っていたのだが。 「・・・よう。智史じゃないか」 「伸治、それに・・・紺谷」 智史の友人である山根 伸治と、あきのの親友である実香子が、ファーストフード店に入ろうかというところで声をかけて来たのだ。 「智史・・・えらく機嫌悪そうだな。あんまり睨むなよ」 伸治に笑顔で肩を叩かれたことにより、智史の苛立ちが削がれる。 「・・・・・悪い。ちょっと、な・・・」 智史が肩の力を抜くと、それまで黙っていた実香子が恐る恐るという感じで話しかけてきた。 「・・・あのさ、大麻。・・・話、聞いてくれた?
その、あきのの」 智史は再びぐっと眉根を寄せる。 あきのの名前を聞いた途端に、苛立ちが募ってくる。それは、直接彼女に対してのものではない。何も出来ない子供の自分と、大人の都合を押し付けようとしているとしか思えない、彼女の父親に対してのものだ。 しかし、このことを実香子に話すのも躊躇われる。 「・・・聞くには聞いたが・・・何も言えなかった」 「は?・・・何、それ」 「・・・あいつに直接聞いてくれ、紺谷。俺は今、まともに話せるような状態じゃねえからな」 智史は素っ気ない言葉で実香子をじろり、と睨んだ。 その瞳の勢いに、実香子は息を呑む。 これ以上踏み込むことを許さない、と言いたげな智史の様子に、言葉が返せなかった。 「智史・・・お前、喧嘩でもしようってんじゃないだろうな?」 不
穏な空気を纏う智史に、伸治はぐっと歩み寄る。 「止めとけ、喧嘩なんて。何があったか知らないが、高3の時期に喧嘩はマズイだろ。何に苛ついてんだ、お前」 「伸治・・・」 いつになく冷静な伸治の瞳が、真摯に智史を射抜く。 俊也ほどではないにせよ、伸治ともそれなりに長い付き合いだからか、彼は今の智史の状態を正確に把握している。 ふと、実香子という彼女がいる伸治になら、あきのから投げつけられた言葉に対する質問をしてもいいかもしれない、と思いつき、智史は真剣な瞳になる。 「・・・紺谷」 「・・・何?」 「・・・あきのんち、行ってやってくれねーか。・・・多分、あいつ、泣いてると思うんだ・・・」 「はい? 何なのよ、それは!」 今度は実香子が眉を吊り上げて智史を睨んだ。 「大麻が泣かせたってこと!?」
智史はばつが悪そうに視線を逸らす。 「・・・多分、俺のせいだ」 「どういうことよ!・・・・泣かせたら承知しないって、言っといたはずだよね?」 実香子は智史を前に強い姿勢を崩さない。つい先程、智史が睨みつけた時には怯えたような瞳をしていたのに、現在はあきののために、純粋に怒っているからなのだろう。 何も言うことが出来なくて、結果、あきのを傷つけてしまった、のだと思う。しかし、智史が彼女を追ったところで、やはり何も言ってやれない。ならば、同性の友人である実香子に、彼女の様子を見に行ってもらうのが妥当だろう。 あきのの話いかんによっては、智史は更に実香子に罵られることになるだろうが。それはそれで仕方がないと思うから。 「判ってる。だが・・・俺には、何も言えねーんだ、今は。あきのに、かけて
やる言葉がない。だから、お前に頼みたい。紺谷、頼む」 智史は実香子に頭を下げた。 その仕草に、実香子は勿論、伸治も瞠目する。 「大麻・・・・・判った。あんたを叩くかどうかは、あきのに話聞いてからにする。・・・山根、悪いけど、私、行くね」 「ああ。気をつけて行けよ、実香子。また明日な」 「うん」 実香子が去ると、伸治は智史の肩をポン、と叩いた。 「・・・俺、腹へってんだけど、智史」 「・・・判ったよ」 智史は伸治にハンバーガーのセットを奢ることにし、自分はコーヒーを買って、一緒に店内へと移動した。 あまり混雑していない、2階の隅の席に収まると、智史は早速伸治に質問を投げかけた。 「なあ、伸治、お前ってさ・・・紺谷と付き合ってっけど、結婚したい、とかって考えたこと、あるか?」 「は?
何だよ、いきなり」 ハンバーガーの包みを解いて、それを齧ろうとしていた伸治は、唐突な質問に唖然となった。 「悪い。けど、教えてくれ。どうなんだ?」 あまりにも智史が真剣な瞳をしているので、伸治は正直に答えることにする。 「そんな先のこと、考えたことないぜ。・・・まあ、もしもこのまんま、実香子と付き合ってったら、そういう話も出てくるかもしれないけどな。今の時点では無理だろ」 「・・・だよな・・・それで普通だよな」 智史が安堵の息をつくのを見て、伸治はとりあえずハンバーガーを一口齧って飲み込んだ。 「どうしたんだよ、智史。・・・まさか、椋平さんと関係あるのか? 今の話」 「ああ・・・まあ、そうだ」 「・・・椋平さんはお前と結婚したい、とか?」 「いや・・・そう、かどうかは・・・正直、判らねえ」
智史もコーヒーを一口飲んだ。 そして、伸治から目を逸らすように少し俯く。 「・・・紺谷があきのに会えたら、あいつから聞くだろうけど、伸治、一応、誰にも言わないでくれるか?」 「・・・ああ。いいぜ」 「・・・あきのの奴・・・親父さんの命令で『見合い』したらしいんだ」 「・・・は? マジで?」 「・・・ああ。それで、結婚がどーのって話が出て・・・」 「はあ・・・成程・・・」 伸治は茫然としたまま、無意識にハンバーガーを齧る。とにかく、食べて、少し頭の中を整理しようと思った。 ハンバーガーを全部食べ終えると、伸治はその包装紙をくしゃっと丸めて、トレイの上に置く。そして、ポテトをひとつ、摘まんで口に入れ、コーラを飲んだ。 「・・・椋平さんって、そういや、どっかの銀行のエライさんの娘なんだっけ」 「・・・ああ。
親父さんは頭取だ。あきのは『お嬢様』って奴、なんだよな・・・」 口にして、改めて智史は思う。あきのと自分は、色々な意味でかなり『違う』のだ。 あきのの家が代々続く名家、という訳ではないようだが、少なくとも曽祖父の代からは大きな会社の社長などを務めるような家柄らしい。そういったことは、最近になってあきのから聞かされていた。 けれど、少なくとも、あきの自身は財産があることが幸せなどとは考えていない人間だから、今まで付き合ってこれたのだ。 しかし、現状だけ見れば、明らかに身分、というか、家柄が『違う』のだと突きつけられているような気がしてくる。 「・・・普段の椋平さん見てると、あんましお嬢様って感じしないけどな」 「・・・そうなんだよな・・・だから、俺もあんまし気にしてなかったんだ。それと、あい
つ・・・ちょっと、家庭内が微妙でな・・・別に、親の仲が悪いとかってんじゃねえけど」 「お袋さん、継母なんだろ? 実香子が言ってた」 「ああ。けど、問題はそっちじゃねえよ。継母でも、お袋さんとはいい関係らしいからな」 「はあ・・・そういうことか」 伸治は納得して頷いた。
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