海へ行こう!.2








 伸治と実香子は既に脇下辺りまで水に浸かっている。
 智史とあきのも軽く身体をほぐし、水に入った。
「あ、思ってるより温かい」
「温いな・・・まあ、日差しが強いからこんなもんか」
 腰辺りまでの深さまで来ると、智史はゆっくりと先へ進む。プールと違い、海はいきなり深さが増すことがあるから、そこは慎重に見極めておく必要があるからだ。
「智史?」
「お前、身長いくつだった?」
「私? えっと・・・162、かな」
「・・・そうか」
 智史は頷くと、自分の胸辺りのところまで進んで止まった。
「ここまでなら足がつくだろ? この先に少しだけ進んでみろ」
「うん・・・?」
 言われるままに、あきのは更に先へ進もうとして、いきなり足元が沈んで驚愕した。
「きゃあっ!」
「おっと!」
 智史がぐい、と脇の下から掬い上げてくれる。
「び、吃驚した・・・」
「悪い。けど、ここがお前の限界点だから、ここより深いトコへは行くなよ? 周囲の感じ見て、覚えといた方がいいぜ」
「あ、うん。解った」
 あきのは頷いて、砂浜の方を見る。海の家が立ち並ぶ様子と、自分の位置との距離関係を、なんとなくではあるが頭に入れた。
「・・・海って、不思議な感じ」
「ん? なんで」
 智史はじっとあきのの瞳を見つめる。
「うん・・・砂浜から見てるのと、こうして中に入ってみるのとで印象が違うもの。見てる分には、中がこんな風にだんだん深くなっていくのも想像つかないじゃない? 波の力が見てるのよりずっと強いとか。だから、不思議」
「お前・・・海水浴も初めてだって言ってたな、そういえば」
「うん、そう。・・・水着になるのはちょっと抵抗あったんだけど、初めてだから、興味もあったの。それで」
 あきののちょっと特殊な生い立ちは理解しているつもりだったが、一般の子供が普通に体験している筈のことが未経験になっている部分があまりにも多いことを、智史は改めて知る。
 昨秋の遊園地もしかり。さすがに、動物園には行ったことがあるらしいが、それも学校の遠足でと聞いた。
 家族との、当たり前の思い出がなさすぎるのだ、彼女には。
 弟の悠一郎が生まれ、少しは家族の時間も増えるかと思われたが、総一郎は勿論、倫子も結構忙しく、なかなか実現させるのは難しいらしい。
 それに、悠一郎もまだ1歳半を過ぎたところだから、どこかへ連れて行くにもこれから、という感じなのだろう。
「・・・まだ経験してない遊び、いっぱいあるな、お前の場合」
「うん、そうだと思う。・・・今年は無理でも、いつか、花火大会とかも行ってみたいな」
「山でキャンプとか、俊也誘って天体観測とか?」
「いいなー、それ。いつか、実現させたいな」
 目を輝かせて微笑むあきのに、智史もやさしい目を向ける。
「いつか、な。きっと」
「うん」
 頷き合うと、2人は伸治と実香子がじゃれあっている場所を目指した。







 ある程度水の中にいたら、浜に上がって休憩するのは当然のことなのだが。
 水から上がると、智史は必ずあきのにパーカーを着るよう、半ば強制した。
「・・・濡れたままで着ると、ちょっと寒く感じるんだけど・・・」
「それでも着てろ。日なたにいたら、すぐ乾く」
「・・・顔が焼けそう・・・」
「頭にタオル被ってりゃ、防げるだろ」
「う、ん・・・」
 あきのにしても、水着のままでいるよりは、パーカーを羽織っていた方が、男性からの視線を意識せずに済んで助かるのだが、それでも、濡れたままで羽織るのには抵抗があった。
 せめて、少し水着が乾いてきてから羽織りたかったのだが・・・智史は鋭い瞳で睨んでくる。
 そんな2人の様子を見て、伸治はやれやれ、と肩を竦めた。
「智史・・・そこまで目くじら立てんでもいいんじゃないか? まあ、気持ちも解るけどさ」
「伸治」
 智史はじろり、と伸治を睨んだ。しかし、彼の方はそんな瞳にも慣れっこである。
「鬱陶しい視線もあるからなー、回避したい気持ちは俺も一緒だけど。牽制したいなら、もっとイチャつけばいいんだよ、こうやって」
 伸治はそう言うと、実香子の腰に手を回し、くいっと抱き寄せる。
「もうー、伸治、何よ」
「んー? 実香子ともっとくっつきたいなと思って」
「なにそれー。あきのと大麻もいるんだから、ちょっとは遠慮すれば〜?」
「まあまあ、いーじゃん」
 そう言いながら、伸治は空いている手で実香子の手を包むように握る。
 そうされて、実香子も嬉しそうに伸治の肩に凭れかかった。
 突然始まったラブラブな模様に、あきのは面食らい、頬を赤くする。
「み、実香子も山根くんも・・・な、なんか、凄い、ね」
 小声で、智史に伝えると、彼ははあ、と大きな溜息をついた。
「・・・やってらんねー」
 呆れ果てた、という口調の智史の言葉に反論しようとして、伸治はふと疑問に思った。
「・・・なあ、智史と椋平さんって・・・ひょっとして、まだヤッてない、とか?」
 智史とあきのの、微妙にぎこちない感じの距離感。手を繋いだりすることは普通にしても、ボディータッチには慣れていなさそうな空気があるように見える。
 体を繋げる関係にあれば、もっと自然に寄り添うのではないかと。そう思ったのだ。
 智史は再び、伸治をじろり、と睨んできた。
「・・・答える義務はねーな」
「・・・マジで!? えっ、嘘だろ?」
「・・・だから答える義務は・・・」
「誤魔化されねーって。何年お前の友達やってると思ってんだ」
 それに、聞こえないふりをして、真っ赤になっているあきのの様子を見ても丸わかりだ。
「ええっ・・・大麻、まさか、男の方が良いなんて言わないよね?」
 実香子まで口を挟んできて、智史は眉を上げる。
「紺谷・・・シメるぞ」
「あきの、もしかして、大麻でもダメなの?」
 心配そうになった実香子の口調に、あきのは曖昧に笑う。
「うーん・・・多分、大丈夫、だと、思うんだけど・・・少なくとも、嫌悪感はないよ」
「何、椋平さん、男、ダメなのか?」
「あ、うん・・・男の人に触られると、気持ち悪くて・・・あからさまにそういう『意図』で触られるのが、に限定されるんだけど・・・」
「・・・智史が、手を握ったり抱きしめたりは大丈夫なんだな?」
 真摯な瞳で伸治に問われ、あきのは頷いた。
「そっか。・・・まあ、焦る必要はないだろうしなぁ。智史には、気の毒だけど」
 一転して明るい笑みになった伸治に、あきのは僅かに首を傾げ、智史はあからさまに嫌そうな顔を向けた。
「・・・大きなお世話だ」
「大麻、これからもあきのをよろしくね!」
 実香子も笑顔で、微妙にからかうような視線を向けてくる。
 智史は完全に沈黙して伸治と実香子から目を逸らす。
 あきのだけが、意味が解らずに困惑していた。






 夕日が傾き始めるより早く、4人は帰ることにした。
 伸治と智史は、あきのたちを周囲の男たちの視線から守り、牽制し続けたので、トラブルなどはなかった。
 電車に揺られながら、寝てしまった伸治と実香子の隣で、智史は溜息をつく。
「・・・疲れた? 智史」
「少しな・・・お前は? 楽しめたか?」
「うん。思ってたよりずっと楽しかったよ。智史と山根くんが守ってくれてたから」
 それを聞いて、智史は瞠目する。
「・・・気づいてたのか」
「あ、えっと・・・実香子が教えてくれた、の」
「・・・そうか」
 もしも、あきのと実香子を2人だけにしたりしたら、おそらくナンパ野郎が寄ってきたことだろう。そういう視線を向けてくる男どもをことごとく威嚇して歩いていたのだが、実香子はそれに気づいていたらしい。
「・・・あのね、智史は、楽しかった? その・・・やっぱり、ヘン、だったかな、私の水着、なんて」
 躊躇いがちに問うてきたあきのに、智史は目を見開き、それから、眉根を寄せた。
「いや、ヘンじゃなかった・・・ただ、な・・・俺以外のヤツが見るのが気に入らなかった」
 最後の方はごく小さい声だったが、あきのの耳には届いて。
 あきのも吃驚して智史を見る。
 その横顔の目元が微かに赤く染まっているのを見て、はにかんだように微笑む。
「・・・・・ありがとう、智史」
 智史は黙ってあきのの手を握った。


    

 



END









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