初めての・・・.5
「・・・疲れてねーか? あきの」 人通りが幾分か少なくなった夜道を歩きながら、智史は問いかけた。 あきのは少し、俯き加減だ。 「ううん・・・疲れてはいないよ。凄く、楽しかった。・・・本当にいいね、智史のご家族って。明るくて、やさしくて、仲良くて。おばさまはお料理も上手で、ステキで・・・志穂ちゃんと香穂ちゃんは可愛いし」 「志穂と香穂・・・特に香穂の奴はうるさいだろ? あいつはいつもああなんだよな。すぐに突っかかってくる」 苦笑交じりの智史の言葉に、あきのはゆっくりと首を振ってみせた。
「そんなことないわ。香穂ちゃんは智史が大好きなのよ。だから、智史があんな風に返してくれるのが嬉しくて、からかってたんだと思う」 「・・・あいつは俺で遊んでんだよ」 「・・・ふふ、それはそうなのかも。でも、結局は智史が好きだからよね。お兄さんの智史なら、受け止めてくれるって信じてるから出来るのよ。素直で、ホントに可愛い、香穂ちゃん。志穂ちゃんは香穂ちゃんよりしっかりしてるみたいだけど、でもやっぱり、智史のこと、信頼してるんだなって感じたわ。・・・私も妹が欲しかったな・・・」 微かに寂しそうなあきのの笑みに、智史はふ
と、足を止める。 「・・・智史? どうしたの?」 「・・・悪かったな」 「・・・え?」 「・・・なんかさ・・・お前がこれから1人で家にいるってことを実感すんのかと思うと・・・余計なことしちまったかなって思って」 僅かに逸らされた視線に、あきのは智史の気遣いを感じた。 明るく温かい智史の家庭。あまりにも違いすぎる自分の家。その差をあきのが実感することで、より寂しさを募らせるのではないかと心配してくれているのだ。 温かい、気持ち。智史のやさしさがあきのの心にゆったりと染み渡っていく。 「ありがとう、智史・・・私、
あなたを好きになれてよかった」 微かに頬を染めて、しみじみと言うあきのに、智史は怪訝な表情になる。 「・・・どうした? いきなり」 「・・・確かに、1人だけの家で過ごすのは寂しいけど・・・でも、きっと、智史のこと考えてたらそんなの忘れられると思う。それに、智史のご家族を素適だなって思ってるのも真実だから。私にはないものだけど・・・だけど、だからって落ち込んでもいられないし。落ち込んでみたってどうすることも出来ないんだもの。だから、気にしないで? 私、今夜、あなたのおうちに連れて行ってもらえて本当に良かったって思っ
てるから」 あきのの笑顔には無理がない。そう感じて、智史は胸を撫で下ろす。 「・・・なら、いいけどな」 「・・・ふふ、なんか、不思議だね」 「・・・何が」 「だって・・・私と智史の気持ちが通じたの、一昨日でしょ? そんな最近なんだ、って思うくらい私、あなたといるのが自然な気がして」 そう。 智史とはまだ始まったばかりなのだ。それなのに、こんな風に当たり前のように彼の家にお邪魔して、家族に会って、食事をし、共に時間を過ごして。 こんなに順応している自分が信じられないくらいだ。 「・・・言われてみりゃ、
そうだったよな・・・」 智史も改めて考えると奇妙な気がする。 けれど、あきのと一緒にいても全く苦痛ではないのだ。そう思えてしまうことこそが奇妙といえば奇妙な点である。 どちらかと言うと他人と、特に女性とは共有の時間を過ごすのが苦手な智史である。あきのに対してはその苦手意識がない。それだけでも凄いといえるだろう。 共に時間を過ごすことが自然体で出来る相手に巡り会えるというのは、おそらくこの上ない幸福なのではないだろうか。そんな風に思う智史とあきのだった。 「・・・そういえば、お前んちまで送ってくのも
初めてなんだよな」 「あ・・・そうね。この交差点までで別れてたから」 大通りの交差点に差し掛かった時にそんな事実に気づき、改めて、お互いの時間を共有し始めて間もないことを実感した。 「・・・ねえ、智史・・・」 「なんだ?」 「これからも、傍にいてね」 小さな呟きと、微かに不安を滲ませた瞳をしたあきのを、智史はちらりと見やり、少し乱暴に手を握った。 「・・・簡単には離さねぇよ。安心しろ」 「智史・・・」 繋いだ手の温もりが心地よい。あきのは彼に向かって微笑んだ。 2人はそのまま、手を繋いで夜道を歩く。
やがて、閑静な住宅街へと進む。この辺りは大きな一戸建てが立ち並んでいる。 幾つかの角を曲がり、白い壁が続く中に現れた洋風の門扉の前で、あきのが立ち止まる。 「・・・ここが私の家」 「・・・ここか・・・」 門扉の奥にはかなり大きな建物がある。高校生の女の子が1人で留守番をするには、大きすぎる程の家だ。 「・・・頭取の親父さんの家、って感じだな・・・」 智史が感想を口にすると、あきのはふっと苦笑した。 「・・・無駄に広いだけなのよ。ごくたまに、お客様がたくさん来られることもない訳じゃないけど・・・そんなの、年に2、
3回あるかないかだし。私は智史のお家みたいなのの方がいいな」 それはあきのの正直な思いだった。 広い家に、自分しかいない寂しさ。もう、慣れてはいるが、気持ちのいいものではない。 「・・・大丈夫か、あきの」 心配そうな智史に、あきのは微笑みを返す。 「・・・うん。だって、ここが私の家だもの。仕方ないわよ・・・それに、今夜は智史のお陰で、ちゃんとご飯も食べられたし、大丈夫。すぐに寝るようにするから」 「・・・ああ。ゆっくり寝て、ちゃんと元気になれよ」 「ありがとう、智史。・・・あのね」 あきのは言いかけて
から一度、視線を逸らした。 「・・・どうした?」 智史はじっとあきのの様子を窺う。 逡巡の後、あきのは再び智史をまっすぐに見上げた。 「明日・・・電話してもいい? 父と継母が帰って来るの、きっと夕方だろうから・・・昼間、1人だと、何だか・・・」 気が滅入りそうだという言葉は濁して、あきのは再び少し俯く。 「・・・調子が悪くねぇようなら、少し、出かけるか? 遠出は無理だろうけど」 智史がそう提案すると、あきのの表情がぱあっと明るくなる。 「・・・いいの?」 「・・・ただし、無理はすんなよ? 火曜日からの学校生
活に影響出るようじゃまずいだろうからな」 子供のように無邪気な喜びように苦笑しながら、智史はやんわりと釘をさす。 「うん。・・・ありがとう、智史。今夜、1人でもよく眠れそうだわ」 「・・・現金な奴だな」 コツン、とおでこを叩くと、あきのはおどけたような笑み浮かべる。 「だって・・・嬉しいんだもの。本当にありがとう、智史」 智史はあきのに笑みを向ける。 「じゃあな、あきの。おやすみ」 「おやすみなさい、智史。また、明日ね」 「ああ。また明日な」 あきのが門を開けて、玄関に辿り着くまで、智史はじ
っと見守った。 そして、ゆっくりと家路につく。 「・・・俺も携帯、持たねぇとな・・・」 ひとりごちて、空を仰ぐと、僅かながら星が見えた。 家に帰ったら早速知香に携帯を買いたいと話してみよう。そんなことを考えながら、智史は夜道を歩いていくのだった。
END
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