菜園日記2024年7月
2024/07/07 七夕の日曜日。 まだ梅雨は終わっていませんが、本日は今季最高の猛暑予報となっていますので、朝から畑へ。 キュウリとスイカが全くダメになっていました。 かなり生長か遅く、気にはなっていたのですが、ついに立ち枯れ状態となりました。 全てを抜き、跡地に腐葉土、石灰などを入れて軽く耕しておきます。 ゴーヤは実をつけ始めました。 他のものも概ね順調な様子です。 トマトも色づいてきました。 トマト、ナス、ズッキーニ、シシトウ、ピーマンなど収穫。 草抜きなどをしていると、やはり危険な暑さを感じます。 水やりをして退散。 ・・・・・ 2024/07/14 梅雨末期の大雨が続き、本日も一日雨予報でしたが、やるべきこともあり、昼から小雨の中出発。 初めに量販店で、キュウリの苗を4つ購入。 畑に着きますと、なんとトウモロコシが全滅。 それも実のところをもいで、皮をむいて全ての実をきれいに食べています。カラスにはこんなことはできないでしょうし、猿が出現したのかと思って、全てを処理します。隣の畑の人に聞きますと、イタチの仕業に間違いないだろうということでした。イタチもそのようにきれいにトウモロコシを食べつくすようです。なかなか上手く育っていただけに残念。 ゴーヤも大きくなり、初収穫。 ナス、トマト、ズッキーニ、シシトウなども収穫いたします。 立ち枯れしたキュウリ、ミニスイカの跡地に、キュウリの苗4つを植えます。今度は上手く育ってほしいものです。 後は、草抜きなど。 結局雨に降られることもなく、畑仕事を終えることができました。 ・・・・・ 2024/07/19 猛暑の京都です。 朝から畑へ。 先週植えたキュウリは、4つの内1つが枯れていました。ただし、1本は植える時に茎を折ってしまった感もあり、仕方ありません。 トウモロコシの跡を片付けます。ネット、支柱など。 ニンジンは、少しずつ顔を出してきました。 ゴーヤもだんだんと実を大きくしてきました。 ゴーヤ、シシトウ、ピーマン、トマト、ナスなど収穫。 後は、草抜き、水やり等々。 ・・・・・ 2024/07/22 小豆島旅行の帰りに畑へ。 いろいろと少しずつ収穫。 新たに植えたキュウリは、またちょっと前と同じような立ち枯れに向かう感じかも。 本日の目的は何よりも梅雨明けの畑に水をやることてすが、ジョウロで撒いている間に雷雲が近づいてきたので、適当に退散。 ・・・・・ 2024/07/28 猛暑の京都です。 朝から畑へ。 追加で植えたキュウリがまた1本、立ち枯れしていました。残ったものは2本。2本とも水をやるとみるみる元気になりました。 他の野菜も、この異常な暑さのためか、あまり花もつけず、実も大きくしていません。 そんな中、ピーマンとシシトウは元気にたくさんの実をつけていました。 夏にキャベツを植えたのは初めてですが、結球を大きくして、いい感じになってきました。 水をたくさんやって、草抜きなど。 ・・・・・ 2024/07/31 7月最後の日、この猛暑というか「危険な暑さ」に対して朝から畑へ。 畑は、カラカラ状態でした。 たっぷりと水をやります。 朝くれば、少しは涼しいなぁと思っていたら、同じく畑を借りておられる方が、熱中症ということで、救急車がきました。 十二分に気をつけなくてはいけません。 |
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私が中学、高校の頃、即ちラジオの深夜放送などを朝まで聴いていた頃、テレビやラジオの主人公は今のように若手漫才師等ではなく、落語家さん達でした。 笑福亭仁鶴、桂三枝(現在の桂文枝)、笑福亭鶴光、月亭可朝、月亭八方・・・等々。 既に亡くなられた方もおられますし、つい先日舌禍?事件を起こしたばかりの方もいます。 私は、素人なりに落語家に対する思い入れもあり、ブームに乗って出てきた話術のない、テレビ画面で単に騒ぎまわっているような落語家は嫌いでした。(*) 私の記憶では、笑福亭鶴瓶もその一人でした。 (*) また逆に落語を芸術と捉えるような考え方も大嫌いなものの1つです。 (https://www.eonet.ne.jp/~moriakio/2022/saiennikki2205.html) しかし、初期の鶴瓶はともかく、次第になんというか一種ラディカルな姿を見せ始めた鶴瓶をだんだんと好きになっていきました。 一方、私は、ここに以前にも書いたのですが、1983年から放送開始となった「夜はクネクネ」というような番組が大好きでした。 (https://www.eonet.ne.jp/~moriakio/2019/saiennikki1907.html) この番組の内容は、「あのねのね」の原田伸郎と毎日放送のアナウンサー角淳一が関西各地の街へ繰り出し、行き当たりばったりで出会った一般人たちととりとめもない話から突っ込んだプライベートな話までいろいろと雑談をしながらあちこちを練り歩くというものでした。 当時、スタジオから飛び出した芸能人が、偶然出会った街の人々と話をするということ自体、非常に珍しくとても新鮮な画面でした。 今では、街を歩いて市民や店の方々と話したりする番組は山のようにたくさん存在しています。 しかしながら、いわゆる「ヤラセ」のない、あるいはそれがほとんどない番組は非常に少なく思います。 現在の番組としては、例えば「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」など、私は以前にバイクに跨っては予定もたてずにウロウロ旅行していたことも相まって大好きなのてすが、同じような「ヤラセ」のない「鶴瓶の家族に乾杯」などはあまり見ていませんでした。 これは、その番組内の風景がとてもゆるやかに自然に流れているために、以前の私には物足らなかったからかもしれません。 しかし、歳を重ねるとともにねそのような日常の中のゆったりした光景が面白く思えるようになり、今ではとても楽しみにしている番組の一つです。 ある日、その番組の中で鶴瓶が「縁は切ったらあかん」というようなことを言っていました。 この言葉は、少し調べてみますと鶴瓶の極めて思い入れのある言葉であることが分かりました。 しかし、例えば鶴瓶が「縁は努力」という語を使う時、多くの人は「何か成功したいことがある時に、いろいろな人と縁をつなぐことによって、成功につながっていく」というように理解しており、鶴瓶もそのような意味合いで語っている部分も大きいと思います。 そのような理解、想いを間違っているとは考えませんが、私はそれほど功利的にではなく、それこそテレビで語られた「縁は切ったらあかん」という言葉に即して、この世でいわば偶然に縁が生じた人間関係を大事に保つことが大事なことだと理解しています。 若い時の私は、気の短い、自分の原理原則にこだわる人間で、時間を守らない人間とは二度と会わなかったり、ちょっとした約束を果たさない人間とはもう連絡もしない・・・という付き合い方を長く続けていました。 しかし、このような考え方は年と共に変化してきました。 大きな病気をしたことも関係しているでしょう。 世の中には、いろいろな事情があって時間を守れなかったり、さまざまな心境でついつい(果たせない)約束をしてしまうことがあることなど、アホな私はつい最近になってそんなことにやっと気がついたのです。 そのような個々の人々の状況を理解することが、他者と対等に接することの基本であることにやっと気づくことができました。 最近は、病気治療も一段落し、無職素浪人の時間を生かして、いろいろな人と「再会」することが楽しみとなりました。 この数年の間に、どれだけ、小学校、中学、高校、大学、大学院の同級生たち、また古い職場の同僚たちとン十年ぶりに「再会」したことか。 その中には、私の下らぬ行為により、縁を切ることになってしまった人との「再会」も含まれています。 多くの「再会」については、SNSのおかげで実現できたことが少なからずあり、その「おかげ」には大変感謝しています。 またSNSのおかげで、新しい「縁」も少なからずできました。 今私が一番楽しみにしている時間=バンド活動の仲間はほぼ全てSNSで知り合った仲間です。 一つ一つについてここには書きませんが、このような意味で縁を大切にすることは、私の「終活」の最重要なものの1つと考えています。 ン十年ぶりの飲み会などがこれからも続くことを楽しみにしていますし、新しい仲間と新しいことを始められることにとても期待を持っています。 |